ハウスキーピング・オペレーション


第1話 メイドの一日

 わたしはメリッサ。メイドです。
 メイドって知ってますよね? 家の人の代わりにお掃除やお洗濯をするんです。
 家政婦とか女中とかハウスキーパーって呼ばれることもありますけど、わたしは「メイドさん」って呼ばれるのが一番好きです。可愛いから。
 ともかく、わたしはメイドさんです。今はこのエスティマ家のお屋敷に住み込みで働かせていただいてます。
 わたしは先代の当主様に雇っていただいたんですけど、そのご主人様は一年ほど前に重い病を患って、そのまま帰らぬ人になってしまいました。
 今はご主人様が遺された二人のお嬢様に引き続きお仕えさせていただいてます。歳が近いせいか、お二人には特にごひいきにしていただいているんです。
 メイド長のマレーネさんからは、「あの二人に気に入られるなんてあなたも大変ね」と労いの言葉を掛けられますけど、そんなに辛いことなんてありません。
 だって、わたしにとても優しくして下さったご主人様の娘なんですから。

◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「ルシーダ様、ルシーダ様。朝です。起きて下さい」
 わたしは、わたしがお仕えしている双子のお嬢様の一人、ルシーダ様の寝室の扉をノックしました。
 でも、返事はありません。
 ルシーダ様は毎日のようにパーティに出掛けて、いつも夜遅くに帰って来るんです。普通は起きられませんよね。
 でも、ルシーダ様って朝帰りはしないんですよ。外見も性格も派手で、男性のお友達が多いから誤解されることもありますけど、実はとっても純情なんです。
 わたしは部屋に入るとそのまま窓際へ歩み寄り、カーテンを開けてベッドの上に眩しい朝日を引き込みました。
「うぅん……はぁ……ん……」
 ルシーダ様は、わたしにはとても真似できない色っぽい喘ぎ声を上げます。わたしの方が二歳だけ年上なのに思わずドキドキしちゃいます。白い素足がシーツの上に伸びていて、ますますドキドキです。
 美人で、髪も肌も綺麗で、スタイルも抜群。本当に羨ましい限りです。
「ん……。あら、メリッサ」
「ルシーダ様。今日は午前中にお客様がいらっしゃるのでしょう? 早めに支度なさらないと間に合いませんよ」
「そうだったわね。着替えるわ。手伝いなさい、メリッサ」
「はい。ルシーダ様」


 ルシーダ様を起こして身支度をお手伝いしたら、次はお洗濯です。
 同僚のメイド(クララちゃん)と一緒に、お屋敷に住んでいる全員の衣服やシーツを洗うんです。
「今日もお天気で良かったですね」
「はいぃ。そうですねぇ」
 クララちゃんはちょっと間延びした声でわたしに応えました。
 その間もクララちゃんの手は少しも休みません。わたしの二倍の早さで洗濯物が減っていきます。
 それよりすごいのは、そんなに早いのに、ゆっくり洗濯しているわたしと同じくらい丁寧に仕上がっていることです。
「クララちゃんは、どうしてそんなにお洗濯が早いんですか?」
 わたしはクララちゃんに聞いたことがあります。
 そうしたら、クララちゃんはやっぱり手を動かしながら、にっこり笑顔で答えました。
「これがふつうですよぉ」
 ぜんぜん普通じゃありません。
 ともかく、お洗濯は大変なんです。
 でも、服が綺麗になっていくのは気分がいいんです。
 今日は洗濯係でしたけど、掃除係になるときもあります。
 お部屋が綺麗になるのも気持ちがいいですよね。


 洗濯物を干して午前中のお仕事が一段落する頃になると、厨房の方からおいしそうな匂いが風に乗って流れてきます。
 コックさんとキッチンメイドのみんなが味と栄養を考えて作っている昼食です。
 わたしはお料理が下手で紅茶や珈琲を入れるだけで精一杯だから、キッチンメイドのみんなを「すごいなぁ」って思います。
 あっ。一口にメイドと言っても、いろいろ役割があるんですよ。
 キッチンメイドはコックさんを手伝って朝昼晩のお食事を用意するのがお仕事。わたしたちハウスメイドは掃除や洗濯がお仕事です。
 だけど、わたしは特別に、お嬢様たちのお世話もさせていただいてます。
 主人の身の回りのお世話はレディースメイド(侍女)の仕事なんですけど、このお屋敷では経費節減のために専用のメイドは雇っていないんです。今日みたいにお客様がいらっしゃったときはマレーネさんが付き添いますから困りませんし。
 そうそう。メイド長のマレーネさんは執事のエネミーさんとたった二人で、当主不在のこのお屋敷を取り仕切っているんですよ。
 わたしにはとても真似できません。帳簿を付けたりなんかしてたら頭が痛くなっちゃいます。
「あっ。メリッサ、クララ。遅いよ」
「早くしないと食事の時間がなくなってしまいますよ」
 ハウスメイドのアリサちゃんとミズキちゃんが廊下の向こうで手を振っています。アリサちゃんは元気いっぱいの女の子、ミズキちゃんは黒髪が綺麗なお姉さんです。
「どうしたんですか? いつも通りですよ」
「いつも通りじゃ遅いんだって」
 わたしは言いましたけど、それでもアリサちゃんは急かします。どうしたんでしょう?
 そのとき、クララちゃんがのんびりした声で言いました。
「そうでしたぁ。おきゃくさまがいらっしゃっているのですぅ」
「ああっ。今日はルシーダ様のお客様が遊びに来ていらっしゃるんですよね」
 このお屋敷では配膳もハウスメイドの仕事です。お客様がいらっしゃったときはお皿の量も多くなるから、いつもより急がないといけなかったんです。
 だって、先に食事を済ましておかないと、配膳の途中でおなかの虫が鳴って恥ずかしいんです。


「あっ、メリッサさん」
 午後、洗濯物を取り込んでアリサちゃんと一緒に運んでいると、執事見習いのエルクさんに声を掛けられました。エルクさんは執事のエネミーさんの息子さんです。今は執事のお勉強中なんですよ。
「いつも大変だね。手伝おうか?」
「大丈夫ですよ。ね、アリサちゃん」
「はっ、はいっ。だいじょぶですっ」
 わたしが話を振ると、アリサちゃんは顔を真っ赤にして、洗濯物を抱えたまま必死に身だしなみを整えていました。
 分かりますよね? アリサちゃんはエルクさんに片想いしているんです。
 ハウスメイドのみんなでアリサちゃんを応援しているんですけど、エルクさんの前だとアリサちゃんはいつもこんな調子ですから、二人の仲はちっとも進展しません。このままじゃキッチンメイドのコリーナちゃんに取られちゃいます。じれったいです。
「それじゃ、何かあったら遠慮なく言ってね、メリッサさん。アリサちゃんも」
「はい。ありがとうございます」
「はいっ、エルクさん」
 エルクさんは廊下の角を曲がって見えなくなりましたけど、アリサちゃんの顔はまだ赤いままです。
「そんなに慌てなくても変な格好じゃなかったですよ。着替えたばかりなんですから」
「……そ、それは、そうだけどさ」
 メイドは午前と午後で服が違うんですよ。真っ白なエプロンは同じですけど、午前の服は少し灰色っぽくて、午後は黒なんです。
 そういう決まりだから、わたしもアリサちゃんもさっき着替えたばかりでした。
 でも、好きな男の人の前だと自分の格好が気になっちゃいますよね。
 恋をしている女の子って可愛いです。


 夕方、お仕事が一段落すると、わたしはエミーナ様を起こしに行きます。ルシーダ様の双子の妹さんです。
 エミーナ様はいつも明け方近くまで起きているから、目を覚ますのは夕方近くになるんです。昼と夜が逆転していて、まるで吸血鬼みたいですよね。
 そんな夜中に何をしているのか知りたいですか?
 実はわたしも良く知りません。
 錬金術の研究をしているってエミーナ様は言うんですけど、何度説明されても頭がクラクラしてきちゃうんです。
 だって、「私の実験によると黒鉛とダイヤモンドの化学的成分は同一だから黒鉛をダイヤモンドに変えるのは鉛を金に変えるよりも少ない活性化エネルギーで実現できるはず」なんて言うんですよ。
 わたしには、ちんぷんかんぷんパッパラプーです。炭は黒くてダイヤはキラキラなんです。っていうか、ダイヤモンドは燃やさないで下さい。もったいないです。
 こんな変わり者のエミーナ様ですけど、悪い人じゃありませんよ。先日は錬金術のついでに作ったという香水をいただきました。とてもいい匂いです。
 ときどき実験室を爆発させるのだけはやめてほしいんですけどね。びっくりするから。
「エミーナ様。そろそろ起きて下さい」
「……ん…………メリッサちゃん?」
 わたしが呼び掛けると、エミーナ様はゆっくりと目を開きました。ルシーダ様のように色っぽいわけじゃありませんけど、まるで吸い込まれてしまいそうに神秘的な瞳です。
「今日も時間通りね」
 枕元にある高価な置き時計を見てエミーナ様が言いました。
「はい。それだけが取り柄ですから」
 わたしはそう応えながら、洗ったばかりの白衣をテーブルに置きます。
 こんな白衣よりもっとおしゃれな服の方がいいと思うんですけど、エミーナ様は、「科学者の服装は大昔から白衣と決まっているのよ」なんて言って、お屋敷ではいつでもこの服です。せっかく元が美人なのにもったいないです。
 お洗濯が簡単なのは助かりますけど。
「姉さんは?」
 わたしが白衣と一緒に持って来た水で顔を洗いながら、エミーナ様が訊ねました。
 エミーナ様とルシーダ様は生活時間がずれてるから、あんまり顔を合わせないんです。でも、仲はいいんですよ。
「ルシーダ様は今日もパーティです。お友だちと一緒に」
「ふふ。まったく、よく飽きずに毎晩続けられるわね」
「あ。ルシーダ様も言ってましたよ。『毎晩毎晩、実験室で飽きないのかしらね』って」
「似た者同士、かしらね」
 わたしが差し出した手拭いで顔を拭いて、エミーナ様は微笑みました。
「はい。やっぱり双子ですね」
 思わずわたしも笑顔になります。
「あ、そうです、エミーナ様。今日こそはお風呂に入って下さいね」
「ちょっとメリッサちゃん。誤解を招くような言い方をしないでちょうだい」
 エミーナ様が慌てて振り返りました。
「二日に一度は入っているわよ」
「駄目です。毎日入って下さい。それに、エミーナ様はカラスの行水じゃないですか。湯船に浸かっていると疲れが取れるんですよ」
「ふぅ。仕方ないわね。後で背中を流してね、メリッサちゃん」
「はい」


 夕食が済んだら、屋敷中のカーテンを閉めてベッドメイクをします。それが終われば、特に仕事はありません。
 メイド長のマレーネさんはルシーダ様がお帰りになるのを待ってますけど、わたしたちメイドは明日のために早めに部屋へ戻って休みます。
 わたしの部屋はハウスメイドのみんな(クララちゃん、アリサちゃん、ミズキちゃん)と一緒です。
 部屋に戻ると、クララちゃんはベッドに腰掛けて編み物をしています。
 アリサちゃんは部屋の真ん中で健康体操を始めます。
 ミズキちゃんは部屋に一つだけある鏡の前で、エミーナ様からいただいた化粧水を付けています。
 そしてわたしは、寝る前にちょっとだけお出掛けします。エミーナ様がいる実験室にお夜食と珈琲を差し入れに行くんです。
 エミーナ様は離れの実験室に閉じこもって、朝になるまで出てこないんですよ。お腹が空いちゃいますよね。
 十分くらいエミーナ様とお話して部屋に戻る頃には、クララちゃんの編み物も一段落していて、アリサちゃんの体操も終わっています。ミズキちゃんの顔には白い美容パックが張り付いていて、いつもびっくりしてしまいます。
 それから明かりを消して、四人で今日のことをおしゃべりしたら、お休みなさいです。
 今日もお屋敷は平和でした。


前のページに戻る メインページに戻る 次のページに進む

●各ページに掲載されている文章、画像、その他の内容は無断で転載および配布を禁止します●