「ロジェりんって、恋人はいないの?」 「いないよ」 「それじゃあ、ドリりんが恋人になってもいい?」 「ははは。考えておくよ」 「ロジェりん、ズルいですぅ。答えてくれなくちゃプンプンですぅ!」 ころころと変わる彼女の表情を見ていると、僕は自分が無感情であることを思い知らさ れる。 笑っていても、それは意識して笑顔を作っているだけ。 哀しみを理解することはできても涙を流すことはない。 僕には、心というものが無いのだろう。
「それじゃ、夜も遅いしそろそろ帰るよ」 僕はドリアードの少女にそう言って、バイオリンを片付け始めた。 夏休みだから朝は遅くても構わないのだけれど流石に眠い。 「ロジェりん……あした、来てくれますかぁ?」 「もちろん来てあげるよ。明日の晩も、ここで」 「違うんですぅ……。お日様が高いときに来てほしいんですぅ」 彼女の声は心なしか沈んでいた。いつも明るい彼女にしては珍しい。 「どうかしたのかい?」 僕が訊ねると、彼女はエメラルド色の瞳を伏せて答える。 「ドリりん……あした殺されるかも知れないんですぅ」 「『殺される』だって? それは、穏やかな話じゃないね」 「……最近、ここに悪い人が来るようになって、ドリりんのお友だちに大ケガをさせてい くんですぅ……。それで、あしたはドリりんの番かも知れないんですぅ」 「君の友達というと、やっぱり植物の精霊なのかい?」 「そうですぅ。っていうか、お花ですぅ」 「花?」 「きれいに飾ってもらえるんだったらイイんだけどぉ、あの人はお花を少しずついたぶる ようにもてあそんで、最後は道ばたに捨てていくんですぅ」 「……なるほど」 近所の子供たちが、彼女たちドリアードが宿っているとも知らずに、草花をむしり取っ てゆくのだろう。子供には遊びでも、植物に宿るドリアードたちからすれば、まさに死活 問題だ。 「それなら、やめるように僕が言い聞かせてみるよ」 「ありがとうですぅ。ドリりん一人だと怖かったんですぅ」 「そうだろうね。――それで、君たちが宿っている花はどこにあるんだい?」 「こっちですぅ」 と、彼女は手招きしながら音もなく茂みの中へ入っていった。 僕はバイオリンケースを肩に掛け、彼女の半透明の背中を追いかける。 そういえば、彼女と出会ってからもう二ヶ月近く経つのに、僕は彼女の『体』を見たこ とがなかった。一体どんな植物に宿っているのだろうか? そんなことを考えながら茂みを掻き分けると、周囲から取り残されたようにぽつんと開 けた場所に出た。 「ここですぅ」 振り返った彼女の足下を見ると、小さな草が数株、白い花を咲かせている。 誰かが世話をしている花ではないだろう。鳥や風が遠くから運んできた種が自然と芽を 出し、根付いた花に違いない。 「可愛い花だね」 「そんなこと言われたら、ドリりん恥ずかしいですぅ」 僕の言葉に感激したらしく、彼女は花の周りを踊るようにはしゃぐ。 「それに、野生の花のような力強さがあるよ」 「ドリりんはか弱い女の子なんですぅ。プンプンですぅ」 今度は急に怒りだした。 そんな彼女が、少し羨ましく思える。 僕は感情というものに乏しいから。 美しいものを見て美しいと認めることはできても、それに感銘を受けることはない。 だからだろうか? 僕の奏でるバイオリンは“正確で”美しいと言われるけれど、それで人を感動させるこ とはできない。表面的に美しいだけで心に響いてこないのでは呪曲を演奏しても感情を呼 び起こす効果は期待できない。 僕は、バイオリニストとしても呪曲奏者としても失格だ。 ……まあ、いい。今は忘れよう。 「それじゃ、また明日。僕は君のナイトになって、この小さな秘密の花園を守りに来る よ」 「きゃっ。ロジェりん、かっこいいですぅ」
翌日。 僕は昨夜の約束通り、小さな花園へやってきた。 「ロジェりん、本当に来てくれましたぁ。良かったですぅ」 太陽の下で見る彼女は、やはり半透明だけれど、月明かりの下での神秘的な雰囲気と違 い、若々しい生命力に満ち溢れている。 いかにも植物の精霊らしい。 「まだ花を荒らす人は来ていないんだね?」 「はいですぅ。まだ来てないですぅ」 「そうか。――ところで、その悪い人間って、どんな子供なのかな?」 「子供じゃないですぅ。ロジェりんとおんなじくらいの女の人ですぅ」 「僕と同じくらい?」 そんな歳になって草花を荒らしてしまうなんて大人げない人だな。話せば解ってもらえ るだろうか? 「あっ、来ましたぁ。あの人ですぅ」 彼女の言葉でそちらに顔を向けると、確かに僕と同世代の女性が歩いてくるのが見えた。 僕より一つか二つ年下だろうか? 少し内気な感じの女性だ。 乱暴なことをするようには見えないけれど……? 「本当に、あの人なんだね?」 「はいですぅ。間違いないですぅ」 「それじゃ、僕が話してみるから、君はどこかに隠れているんだ」 僕はドリアードの少女を茂みの奧に残して女性の前に姿を見せた。 「そこの君」 「えっ?」 僕が呼びかけると、花を摘み取ろうとしていたその女性が驚いたように顔を上げる。 「植物は何も言わないけれど、むやみに花を折るのはやめた方がいい」 「あっ……ロジェフ先輩!?」 「草花も必死に生きている――え? どうして僕の名前を?」 「わ、わたし、嬉しいです。こんなところで、しかも、ロジェフ先輩の方からわたしに話 しかけてもらえるなんて」 「ちょっと、君?」 「わたし、ここの百日草で花占いをしていたんですよ。いつか、ロジェフ先輩がわたしに 振り向いてくれるかどうかって」 「……花占い?」 “好き”と“嫌い”――あるいはそれに類する二つの言葉を交互に呟きながら一枚ずつ花 弁を切り取り、最後の一枚がどちらの言葉で終わるかによって二者択一の答えを出す、た わいない占い遊び。 遊びではあるけれど、花の側から見れば、『少しずついたぶるようにもてあそんで、最 後は道ばたに捨てていく』と言える。 「花占いは、マーガレットの花でするものだと思っていたけれど?」 「マーガレットは多年草ですけれど、百日草は一年草で、放っておいても冬には枯れるか ら、少しくらい無駄にしてもいいかと思って……」 「どうせ枯れるからといって摘み取って良いことにはならないよ。花占いをするなとは言 わないけれど、むやみに繰り返すのはやめてほしい」 「そう、ですね……。ごめんなさい……」 僕の言葉に、彼女は本当に済まなそうに謝った。 高校生になって花占いとは少々ロマンチストのような気もするけれど、変に世間擦れし ているよりは好感が持てる。 好感が持てる…………おや? 「もしかして、僕はどこかで君と会ったことがあるのかな?」 「えっ……?」 彼女は僕の何気ない質問に呆然とした表情で問い返す。 「わたしのことを、覚えていないんですか……?」 「あ……。いや……済まない」 僕の方こそ謝るしかない。名前はもちろん、どこで会ったのかさえ忘れている。 「いいんです。これ以上、花占いをしなくても結果は分かりましたから。でも……最後に 一つだけ、お願いしてもいいですか?」 「お願い?」 せめてそれくらいは聞いても良いと思う。僕はきっと彼女の心を傷付けてしまったのだ ろうから。 「僕にできることなら、構わないけれど」 「それじゃ……わたしと、キス、して下さい」 「え? それはちょっと」 「ずるいお願いだってことは分かります。でも、わたし、一度だけキスできたら、そうし たらもう……先輩のことは諦めますから」 こんな頼み事は、彼女の為にも拒否するべきだ。 拒まなければならない。 そう思ったのだけれど―― 「…………解ったよ」
それは僕のファーストキスだった。 けれど、感慨深いことなど何もなかった。 心臓がどきどきすることも、胸がときめくこともない。 わざわざ確かめるまでもないことだった。 やはり僕には心が無いのだろう。
その日の夜。 「プンプンですぅ!」 ドリアードの少女は何故か怒っていた。 「何を怒っているんだい?」 「ロジェりん、あの女の人とキスしましたぁ」 「そんなことか」 「『そんなことか』じゃないですぅ。ますますプンプンですぅ」 彼女は更に大きく頬を膨らませる。 「……どうして、怒っているんだい?」 「だってぇ、ドリりんもロジェりんとキスしたいんですぅ」 「精霊なのに?」 「精霊でも、恋に恋する女の子なんですぅ」 「そうだったね。ははは」 彼女の冗談を面白いと感じて――きっと面白いのだろうと考えて――僕は笑った。 だが、彼女は冗談ではなく本気で言ったらしい。 「ロジェりんがキスしてくれないなら、ドリりんが勝手にしちゃうからいいですぅ」 「えっ?」 次の瞬間、僕の目の前に彼女の顔が迫っていた。 挨拶のような、軽く触れるだけのキス。 しかし、僕が本当に驚いたのは、キスを終えて顔を上げた彼女の表情だ。 幼い容貌に浮かんだ、大人の女性を思わせる艶やかな笑み。 そのアンバランスさに、僕はどきりとした。 ドリアードが森で男を魅了するという昔話は聞いたことがあるけれど、まさか、自分が 心を奪われるとは考えもしなかった。 僕にも心があったのかも知れない。
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