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ボクらの恋愛事情:第一章
〜文化祭〜
「ごめんね……」
 由香ちゃんの呟く声が、耳元をくすぐる。こんなに近い場所にいて、こんな風に隣に座って、こんなシチュエーションを夢見ていた頃が懐かしい。
「私って、肝心なこと話してなかったんだね。よっぽど浮かれてたんだ」
 苦笑して放った由香ちゃんのその言葉の意味を、理解するのに時間はかからなかった。なんだ、同じ。ボクらの気持ちは、同じように切ない日々を繰り返して、 思い切った告白のあとは、気持ちが通じたことに浮かれてる。まだまだ、未熟で発展途上。だけどそんな些細な共通点が、とてつもなく心に染み入って ボクは、「ありがとう」って口にした。由香ちゃんは、戸惑った顔をして、ボクの言葉を反芻する。
「ありがとう?」
「うん、ここでこうして一緒にいられるのも由香ちゃんのおかげ」
「あぁ!!」
 由香ちゃんが突然、大きな声を出した。バスの数少ない乗客が、ちらりと視線を移すのに気付いて、由香ちゃんは、首をすくめる。
「どうした?」
「文化祭でね、紹介したい人がいるんだった。それも忘れてた。言ってないよね?」
「うん……。聞いてないな」
 って言葉を出しながら、ボクの頬は緩みっぱなし。
「誰?」
「お兄ちゃんの元彼女。夏休みにこっち来たときに、仲良くなって、文化祭も誘ってもらったの。その子への手紙にね、告白してうまくいったら、一緒に来るからって 書いて送ってるの……」
 声が段々、小さくなってうつむいている由香ちゃんが、愛しくて愛しくて、こんな気持ち、初めて知った。片想いの時には感じなかった。
 バスの中で案内のアナウンスが流れて、慌てて由香ちゃんが降車ボタンを押す。それから程なくバスが止まってボクらは、一緒に降りた。 バス停から見えるところに、高校の校門があった。文化祭の飾り付けが見えて、なんだか自分の気持ちも高まっていくのが分かる。 ボクは、ほんの少しの勇気を出して、先に降りた由香ちゃんの腕を、掴まえた。
 お互いの距離がぐんと縮まって、軽い眩暈を覚える。今この瞬間が、永遠に続けばいいのに。ボクはそう思いながら由香ちゃんの腕を。あれ? これって逆なんじゃ。 またしても身長の差が現実を見せて、ちょっぴり気持ちが萎えた。
「由香ちゃ〜ん!」
 校門前で、手を振っている女子生徒を目にして、ボクは慌てて腕を離す。由香ちゃんが「さっき言ってた子だよ」って教えてくれる。ヤスくんの元カノ。 何で別れたのかな? 留学が原因?
めい ちゃん、久しぶり」
 由香ちゃんが挨拶をして、それからボクの腕を掴む。ボクは軽く頭をさげて、目の前の人をチラッと見た。
立川 翼 たてかわ つばさ 君。あのね……言ってなかったけど年下なんだ。今、中二」
 紹介されたボクは、どう振る舞えばいいのか分からなくって苦笑する。明と呼ばれた女子生徒は目を丸くしてから、頭を下げた。
 それから一緒に校門をくぐり、なにやら、案内された場所で、ヤスくんの同級生や後輩に、もみくちゃにされた。 由香ちゃんは、終始、「可愛いぃ〜〜」を連発されて、ボクはずっと、「彼氏? 弟じゃなくて??」って言葉を掛けられた。 なんだかとっても複雑な気分。
「ふぅ…」
 言葉になるくらいの大きな溜め息をついて、ボクは校内に置かれたベンチに腰を下ろした。
「ごめん」
 ボクの隣に座った由香ちゃんが、小さくなるから、慌てて首を振った。
「由香ちゃんが謝ることないって。ちょっと雰囲気に、圧倒されただけだから。こういうの慣れてないし」
 引きつった笑いになったかも? ボクは思い切って、震える手を由香ちゃんの手に重ねた。まだ……こういうの慣れてないし……自分の手が異空間にいる感じ。
 ボクらは限られたふたりだけの短い時間を、いとおしむように手を重ねあったまま、色んな話をした。周りの雑音も、風に溶けて耳に入らない。聞こえるのは由香ちゃんの甘い声。 ただ、それだけ。
 だけど、いちばんの話のネタは、やっぱりヤスくんのことだったりして、知らなかったことが次々と語られて、ボクは男女の機微なんてものとは、 まだまだ程遠い世界にいると感じた。
 由香ちゃんの母親が、ヤスくんにぶつけた言葉も、嫉妬から出ていたことが分かった。少し先に、身ごもったことで手に入れた妻の座。 それをあっさり捨てたヤスくんの実母、夏実さんの存在は、由香ちゃんの母親にとっては、憎しみの対象でしかなかったんだろう。当時、健在だった由香ちゃんたちの祖母が、“長男”だからと いう理由で、夏実さんに渡そうとしなかったヤスくんを、自分の手で育てなければならない苦痛。
 ヤスくんに対しての、由香ちゃんの母親の態度は、やはり厳しかった。ボクの祖母が「いくら本当の子じゃないからって、あんなにきつく叱る事ないのにねぇ」 と言っていたことも、納得できたし、慎も時々、漏らしていたような気がする。
「悪いのはお父さんだって、分かってるんだけど。お母さんのそんな女の部分、知りたくなかった」
 その言葉に、どう反応すればいいのか分からない。ただ、重なる手を強く握り締めただけ。ただそれだけ。ボクに出来ることはほんの僅かしかない。 それでもボクは、今はただひたすら、由香ちゃんの側にいたいと思う。
 ヤスくんは、こっちにきてすぐに、妹である由香ちゃんにあてた手紙を書いて送ったらしい。でも、連絡がついたのは今年の夏休み。ヤスくんの留学を知らせる手紙が、 初めてだった。ヤスくんが漏らした言葉。「俺、よっぽどあの人に嫌われてたんだな」って……。思わずボクは、息を呑む。
 ボクだって、そんなことを言わせたのが自分の母親だったら、やっぱりイヤだな。共感と慰めとそれから愛しさで、ボクはどれだけ由香ちゃんの心を、救ってあげられるのか。そんなことは正確に分からなくても、 今ここにいる自分の存在価値を確認するように、由香ちゃんの手を両手で包んだ。
「ごめんね……。なんだか湿っぽい話ばかりで。せっかく、ヨクちゃんと二人きりなのに」
 ボクは首を横に振って、無理をしない関係でいたいって、そう告げた。
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