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ボクらの恋愛事情:第一章
〜あの日の記憶〜
 神妙な面持ちの母につられて、ボクも真剣に耳を傾けた。これから母の口から真実を聞く……。ボクは一体誰の子どもなのか? そう、思っていたあの瞬間。
「これから話すことは、翼の誤解を解くためで、本当はまだ言うべきことじゃないと思ってる。誰にも言わないって約束できる?」
 母の言葉が、脳裏をかすめる。あの日、ボクが耳にしたのは、隣に住んでいる幼なじみの松山 兄妹弟 きょうだい の長男の泰孝、ヤスくんだけ 母親が違うのだという事実。当人であるヤスくんや由香ちゃん……それから、慎。三人の誰よりも早く、その真実を知ったのはボクだった。
 ボクが、目の前にいる母の子どもじゃないという誤解は、確かに解けた。だけど、ホッとしていいのか? ボクの頭は混乱していた。
 じゃ、ヤスくんのお母さんは今どこに?? 母も知らなかった。どうして出て行ったのかも。いや、知っていたけれど、言わなかっただけかもしれない。
 ヤスくん自身が、本当のことを知ったのは、ボクが真実を知ってから、約一年後。父親の葬式のあとだったらしい。
 あの日は、とても暑い日でヤスくん達の父親は、ゴルフに行ったまま、帰ってこなかった。もともと、家にいることの少ない父親だった。
 子どものことは、妻に任せきりだった。仕事は真面目で、医者としての腕も確かだったようだけど、私生活は乱れていた。不倫のひとつやふたつ、あっただろうし、 妻に対して、手を上げることもあったようだ。ボクは、その全てを知っているわけではないけれど、突然の死に対しても、涙を見せなかった子ども達というのが、 それを象徴しているような気がした。
 ただ、おばさんだけは、泣き腫らした目をしていた。あんな人にでも愛情を持っていたんだな。 そのおばさんが放った言葉。由香ちゃんの母親嫌いを、決定付けた言葉だった。
「あなたは私の子じゃない……。母親に捨てられたあなたをここまで育ててあげた。もう、お父さんもいなくなったんだし、これからどうする?」
 そんな言葉を多感な年頃の彼らは、どう受け取ったんだろう。ボクは、あの日の慎の顔を忘れない。 その頃、ボクらはまだ仲が良くて、抱えきれない思いを、ボクにぶつけた慎。
「兄ちゃんは、お母さんの本当の子どもじゃないんだって……。家も出て行くみたいなんだ。僕はこれからどうしたらいいんだろう。お姉ちゃんはお母さんと口をきかなくなるし」
 ボクが、慎より先に知っていた事実。それでも幼なじみとして、付き合い続けてきた一年。慎からその話を聞いた時、ちゃんと初めて知ったように反応するべきだったのに。
「知ってたのか?」
 そう言った慎の哀しそうな横顔は、まだ頭の片隅に残っている。それからだよな? ボクを避け始めたのは。ヤスくんは家を出て行った。慎とはそれ以降、話せなかった。
 由香ちゃんも、ヤスくんの居所を知らなかった。母親に追求しても、教えてもらえなかった。そのうち連絡があるはずだ。そう思ってたのに。
 由香ちゃんからは、まだヤスくんの情報をそれほど詳しく聞いていない。ただ、今年の九月から学校の交換留学生として、アメリカに行っているとのことだけ。追求すれば ちゃんと教えてくれる事柄なんだろうけれど、ボクはただ、本当に間抜けな話、由香ちゃんと付き合える事実に舞い上がっていて、そんな話は全くしていなかった。
 今日、ここで、こんな風に、ヤスくんの実母と会う羽目になるなんて。



「慎くんね? 初めまして」
 あ……やっぱりそういう展開??
「あ、夏実さん、この子は」
 一応、説明してくれようとしたらしい由香ちゃんの服を、少し引っ張って、ボクは慎になりすます。
「はい。今日はお世話になります」
 だって、それが一番いいと思うだろう。彼氏だって紹介されても、相手は戸惑うよ。今日はここに泊めてもらうのに。
 ヤスくんは、向こうの家を出て、ここで本当の母親と一緒に暮らしてたのかな? ボクは部屋を見回した。生活観の薄い殺風景な部屋。
「何もないでしょ? 本当にここへは、寝に帰るくらいだから」
「お店やってるの。昼間は喫茶店で、夜はスナックなんだって」
 由香ちゃんがボクの問い掛けより前に、答えてくれる。ボクは、ボロが出ないように、極力口をひらかないほうが、賢明かもしれないな。
 夏実さんが入れてくれた紅茶を飲んでから、ボクらは二人で部屋を出た。文化祭が始まるのは午前十時。とりあえず、そこでは二人きりの時間が持てるようで ホッとした。ひょっとしたら三人で行くのかと思って、内心、冷や汗だったから。
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