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ボクらの恋愛事情:第一章
由香 ゆか ちゃんってば! ちょっと待ってよ」
 彼女の後を、走って追いかける。左手にドーナツの入った紙袋を持ったまま、追いついた彼女の腕を右手でつかむ。 思いの外細い。触れた手に緊張が走る。 ボクだって本当はこんなにドキドキしてるのに、何にも知らないで、そんな風に逃げないでよ。 もう、その反応だけで飛び上がるほど嬉しいんだ。ここから先も続けさせて。
「離して」
 彼女の小さな声がボクの耳を通過する。
「さっきの話、ボクも行きたいな。その、あ、ヤスくんにも会いたいし」
 この期に及んでボクは、彼女を試してたりする。だって、ずっと心の奥においてあった気持ちの行き着く場所、見つけたんだよ。
「お兄ちゃんはいないよ」
「え?」
 なんかヘンな展開。
「お兄ちゃんは留学していないの。だから、お兄ちゃんに会うために行ってもムダなの」
「そっか……」
「だから、離してってば」
 彼女が哀願する。彼女の腕から右手を離した。ボクの視線は微かに上向き。帰ろうとする彼女の後姿に、大きく声をかける。
「由香ちゃん! それでも行きたい! って言ったらどうする?」
 目の前の夕陽は、まぶしいくらいにきれいなオレンジで、ボクの胸の中で 燃える彼女への想いを象徴しているようで、愛おしい。 彼女の足が止まる。振り返った彼女の顔は困惑に満ちていて、ボクの胸に寂しそうな瞳が突き刺さる。ごめん。君も同じ想いだったんだ。
「どうして?」
 彼女の口から、やっと言葉がこぼれる。歩行者も車も通らない、ボクらふたりきりしか存在しない道路。西日に照らされて、彼女の顔がよく見えない。
「由香ちゃんの気持ち……それって、ボクと同じじゃないの? それとも年下をからかってるだけ?」
「からかってなんかない! え? ヨクちゃん?」
「途中でやめるなんてひどいよ。好きな人が誰かも聞かないで」
 言葉を吐き出しながら、さっきからずっと緊張してるのが、頂点に達しようとしていた。彼女の顔に少し笑顔が戻った。
「ごめん……。本当に? ちょっと待って」
 彼女が、深呼吸するのが分かった。
「ヨクちゃんの好きな人って誰?」
 彼女の声が明るく響く。なんだかウキウキしている自分。夢に見た告白シーンとはちょっと違うけれど、彼女の問いに答える準備。ボクも同じように深呼吸。
「松山由香! って名前で、ボクんちの隣に住んでて……それから……」
 言ってて恥ずかしくなってきた。そうしたら、彼女はすぐ隣に立っていた。並ばない肩が悲しいけれど、それでもボクの心は、夕陽と同じように、燃えていた。
 幼なじみの由香ちゃんが、ボクの彼女になった瞬間。今まで味わったことのない幸福感に酔いしれていた。世の中の人みんなに、叫びたいような気分だった。 それから、世間の姉さん女房ブーム(?)に乾杯したい気分だった。 由香ちゃんの顔を見る。ギュって胸が痛んだ。思いが通じ合ったのに。やっぱり痛むんだな。手を握り締めることすら出来ないなんて……。



 今度の土日。驚いた。あの後、由香ちゃんから聞いたその真相。大胆なお誘い。一泊旅行だった。 ヤスくんのいる、いや正確にはいた高校は県外で、その文化祭に行くために、 ヤスくんの借りてたアパートはそのままになっているらしい。
 ボクは夜になって落ち着いた自分の部屋の中から、隣の由香ちゃんの部屋の明かりを見つめた。
 ボクがいつも見ていたことには、どうやら気付いてなかったようだ。はっきり聞いたわけじゃないけれど、ボクの気持ちを察してなかったから、そうなんだろう。
 今、ボクの頭の中は、すでに由香ちゃんでいっぱいになっていて、どうすればいいのか分からない。気持ちが通じ合うってことは、片想いよりも苦しいこともあるんだ。
 携帯電話が欲しい。初めて、そんなことを思っているボク。今度の土曜日。ボクらは、親に内緒で出かけるんだな。今からこんなで、ボクの心臓は持つのだろうか?

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