「行ってこいよ」 こんな時でさえ、ボクは圭に心配をかけている。そして、こんな時でさえ、圭はボクを思ってくれる。顔を見ただけで、ボクの気持ちが分かるなんてすごい。 込み上げてくる思いを握る手に込めて、圭の病室を後にした。 「タクシー呼んであるから。料金は気にしないで」 ボクの後を追って出てきた圭の父親が、そう言った。 「でも……」 「足りないくらいだよ。君には本当に感謝してる」 深々と頭を下げる圭の父親の言葉に甘えて、夜の街をタクシーで帰ることにした。 午後十時過ぎにやっとボクは、自宅近くに辿り着く。 家には帰らず、タクシーを降りてからすぐに 公園の公衆電話を目指す。コートも持っていなかったボクは、外の冷気に身を震わせる。せめて、由香ちゃんに貰ったマフラーでもあれば、なんて思いながら、両手で 腕をこすりながら歩を速めた。 「ヨク」 歩いていく前方から声を掛けられて、驚いた。 「え? 何でこんな所に」 「待ってた」 「いつから?」 「電話終わってから」 ボクの行動パターンまで読めるのか? 「らしくない」 「だな」 自分でも呆れているように、慎が眼鏡を押さえる。 「由香ちゃんは?」 ボクの問いかけに、慎が目の前に迫った公園のベンチを指す。小さな街灯の下で、由香ちゃんがくしゃみをするのが分かった。ボクが駆け寄ると、由香ちゃんがベンチから 立ち上がったので、迷わず抱き締めた。 「ヨクちゃん……」 「ごめん、連絡出来なくて。ごめん、約束守れなくて……。それから、素直になれなくてごめん」 “私のメールをどれだけ見たのか知らないけれど、先輩は立川くんから、迫ってこないことすっごく気にしてるよ。その辺、ついてあるからね。女は欲張りなんだよ。 言葉だけじゃ信じ切れないものなの。ちゃんと行動起こさないとね。” 力強く抱き締める。由香ちゃんの冷え切った体を温めるように。もう絶対不安になんかさせないよ。だから信じてて……。 「うううんっ! うんっ」 あ……慎も居たんだっけ? ボクは由香ちゃんから少し体を離した。慎のことだから、気を利かせて帰ったかと、なんて甘かったか? 「姉ちゃんは、思い込み激しいからな……。そういうとこ、ちゃんと直してやって」 「慎、ごめん。八つ当たりして」 由香ちゃんが、慎に向かって謝る。 「別に気にしてない。……ただ、お母さんのことはもっと分かってあげて欲しい。同じ女なんだからさ」 「もっと早く言ってくれればいいのに」 「よく言うよ。聞く耳持たなかったくせに」 慎が顔をクシャっとして、“イィー”って歯を見せたのが、子どもみたいでおかしくって、ボクは吹き出した。 「後はヨクに任せたぞ」 何もなかったように、また冷静な口調に戻るから、ボクは笑いを噛み殺す。 「今日は、家、どうなってんの? 牧田んちに泊まるって言ってるのか?」 「あ、……うん」 そうだった。この後のこと考えてなかった。 「俺の部屋でよかったら、来ればいい。今すぐとは言わないから。先帰ってる」 慎は、それだけ言い残すと一人で歩き出した。後姿に感謝する。慎がいなかったら、きっともっと、由香ちゃんとの関係はこじれてたはず。 「ハクション!!……うぅ、サムッ」 くしゃみと身震いをしたボクに、由香ちゃんが自分のマフラーをかけてくれた。何から話せばいいのか、どこまで話せばいいのか……。少し迷っていた。 「友達……牧田くんだっけ? 大丈夫なの?」 どんな理由で、病院に行ったのか知らない由香ちゃんが、そう切り出した。今日、起こった出来事が夢のようで、ボクは今を感じるのに精一杯。 「うん……。何とか落ち着いてる」 由香ちゃんはそれ以上、聞こうとはしなかった。由香ちゃんとの約束を破ってまで、そっちに行ったことで、ある程度の重大さは分かってくれたのかもしれないし、慎が 何らかの助言をしてくれたのかもしれない。 「佐伯さんにも会ってきたよ」 ボクの言葉に、由香ちゃんの顔が曇ったのが分かった。ベンチに座るように促してから、ボクは由香ちゃんの手を握り締めた。躊躇いはどこにもなかった。素直に なればいい。触れたい気持ちに、抱き締めたい気持ちに……。抱き寄せた由香ちゃんは、ほのかにチョコレートの香りがした。 |