小説のTOPへ 前ページへ

ボクらの恋愛事情:最終章
「圭!! 圭?! オイッ!」
 玄関のチャイムを何度鳴らしても、全く反応がない。ドアを外からどんどんと叩く。叩きながら、中にいるはずの圭を呼ぶ。今、一体この中で何が起きてるんだ!
 何度叩いても、叫んでも反応のない家に、ボクは玄関を諦めて、どこかに鍵の掛かっていない場所がないか探す。 人が見ていたら、空き巣か何かと勘違いされてもおかしくないような行動をボクは何の躊躇もなくやってのける。とにかく今は、そんなことより圭が大事。
 運良く裏の勝手口には、鍵が掛かっていなかった。ボクは、そこから圭の部屋を目指す。父親と二人暮しのその家は、さほどひろい造りではない平屋。 何度か遊びに行った圭の部屋を迷わず目指す。
 扉をノックすることなく、勢いに任せて入ったボクの目に飛び込んだのは、あらゆる物が散乱した部屋の中で、ベッドにもたれかかった圭の姿。 電話の子機が、近くに転がっていた。
 圭の体は、微動だにせず、ボクの危険信号は、最上級の音を立て始める。真っ白の布団カバーは、大量の赤で染まっていた。足がすくむ。 どうして? 一体何があったんだ? 疑問だけがぐるぐる回って、体が自由に動かない。ボクの頭の中は 真っ白になり、周りから音が消えた。目の前に映る景色が、白と赤だけになる。
 続いて聞こえるはずの自分の叫び声も、自分で呼んだはずの救急車の音も、 救急隊員が掛ける言葉も、全てが音のない白い世界に閉ざされ、記憶の作業が寸断される。

 目の前を忙しく走り回る病院内の白い物体が、人だという事実さえどこかおぼろげで、別世界に放り出されたような感覚に陥っていた。
 無意識に目の前に広げた自分の手の白さと、対照的な赤に吐き気を覚え、トイレに駆け込んだ。胃の奥から容赦なく戻される吐瀉物と、息苦しさに、一瞬音が重なり 現実に戻る。そしてまた自分の手を見て、空になった胃が反乱を起こす。
 唐突に何の予告もなく降って沸いた強烈な死のイメージが、脳内に溢れ出す。
 赤く染まった自分の手を、何度も何度もこすり合わせて水に流す。これは、現実? ボクは……圭の何を見ていたんだろう?
 トイレから出てきたボクの耳に、雑音が戻る。圭が運び込まれた処置室の前にいた医者らしき人が、ボクの方を見て、隣にいる男性に話し掛ける。
「あ、彼です。もう少し発見が遅ければ、危ないところでした」
 言葉の意味を理解して、ボクの膝がガクッと崩れた。助かった……。その安心感が張り詰めた心を解き放した。
「……大丈夫かい? 圭の父です。……本当にありがとう」
 ボクに駆け寄り、肩を抱えながら、その男性は声を詰まらせる。圭のお父さん……。感謝されることをボクは本当にしたのだろうか? ボクがもっとちゃんと圭を見ていたら、 今ここにこんな風にいることもなかったんじゃないのか?
「……圭は?」
 やっと口から出た言葉は、そんな単純な問いかけ。
「今は眠っているよ。本当に君のおかげだ……。君がいなければあの子は……」
 何をどうしたのか、記憶がない。圭の部屋に足を入れた瞬間から、自分がどんな行動をとったのか、それを思い出そうとして、ポケットを探る。 そして、圭が握り締めていた手紙に行き当たる。
「あ……これ」
 ボクはそれをポケットから取り出して、圭の父親に手渡した。それが、何かを確認することもなく……。ひょっとして遺書? 心臓がドクッと波打った。 圭の父親も、ボクと同じ事を考えたのか、慌ててその手紙を開いて視線を走らせた。
「これは……」
 今度は逆に、圭の父親の方が膝を折るように、その場にある椅子に腰をどさっと落とした。
「大丈夫ですか? それは……一体」
 聞いていいものかどうか、少し迷ったけれど、圭の取った行動を知る鍵はそこにある。どうしても知りたい。
「君は……立川君?」
「……はい」
 ボクの事を書いてある?
「最近の圭は、何か悩んでた様子はなかったかな?」
 意外にも落ち着いた声で、圭の父親はボクに質問をする。手紙の内容は分からないけれど、圭の悩みは、やはり救急車と密接な関係があるのだろうか?
「あの……悩みというか、救急車の音にひどく敏感になってた……ようでした」
 ボクの言葉に、圭の父親は声を詰まらせた。理由の分からないボクは、少し戸惑った。圭の父親が、ゆっくりと手紙をボクに向かって差し出す。読んでもいいと意図されたそれを受け取り 、読み進めると、意外な事実が明らかになる。遺書ではなく、圭の父親に宛てた親戚からの手紙。読み終えたボクに、圭の父親は補足する。


「圭の側にいてやっていいですか?」
 目覚めた時、一人だと不安に違いないから。ボクにできることは、それくらいしかないから……。
-27-

NEXT