少しだけ間の抜けたような、次の日の朝がやってきた。毎日続いていた佐伯さんの挨拶が、その日から消えた。同じ時刻に学校の玄関付近で会うこともなくなり、
意図的に避けているのだろうと、察しはついた。ボクの方から避けなくても大丈夫な事態に、安堵していた。圭が言っていた“諦めそうにない”というフレーズも
ボクの頭には残っていなかった。 圭の様子も、大きな変化があるわけじゃなく、結局、ボクは話を聞き出すことすらしなかった。 由香ちゃんに会えない切なさも、週末の約束が癒してくれた。毎日の寒さもマフラーがあるだけで、和らぐ気さえしていた。 木曜日になると、手元に届いた由香ちゃんへの誕生日プレゼントが 、ボクの気持ちをどんどん加速させて、心の中はそれだけに支配されていた。 金曜日の放課後まで、何事もない日常が流れて過ぎた。 さすがに聞きなれている音とは言っても、突然、体育館脇に鳴り響いたけたたましいサイレンに、ボクも驚いた。周りがざわめく。卓球台のあるフロアーから見下ろすと 体育館の中央部分に 人の塊が見えた。一際ざわめいているその中に、救急隊員の姿が駆け寄っていくのが見えた。 「何? 誰か怪我?」 「かな? 結構大変じゃないの? 救急車なんて」 口々に、広がる会話にボクも下を覗き込んで見る。 「バスケ部?」 「っぽいな……」 救急隊員が担架を使って、運ぼうとする生徒の姿に、ボクは一瞬だけ息を飲んだ。 「佐伯か。アキレスかな?」 周りの言葉を遮断して、振り返って初めて圭の異変に気付く。卓球台に突っ伏したまま、荒い呼吸を繰り返す姿に、慌てて駆け寄った。 「圭! どうした? 大丈夫か?」 ボクの声に、下に釘付けだった部員の視線が戻ってくる。 「牧田!」 「先輩?!」 「圭?」 「大丈夫……。何でもない」 脂汗をかいて顔面蒼白なくせに、みんなに心配かけまいとして、圭が呟く。 「翼、保健室」 「あぁ、うん」 促されてやっと、ボクは圭の体を支えるように体育館を後にした。すぐには分からなかったけれど、圭のこの症状は、救急車のサイレンを聞いたからだよな? 保健室へ行こうと体育館から連れ出したものの、圭は、大丈夫だからと断った。確かにさっきよりは、顔色が戻ってきているけれど……。 「本当に大丈夫か?」 「あぁ。もう落ち着いた。悪かったな」 体育館横にある手洗い場で、氷のように冷たい水をハンカチに含ませる。それを額に当てながら、圭はボクに謝る。謝る必要なんてどこにもないのに。 「ごめん……。気付かなくて。救急車だよな?」 「あ……うん。翼が謝ることないだろ」 「だけど」 「本当にたいしたことないから。ちょっとな、引っかかることがあるだけで……」 「何?」 「……うん。それが思い出せなくてさ」 圭が、溜め息と苦笑いを吐き出す。思い出せないこと? 何か重大なことなのかな? 圭の苦笑いが伝染する。どんな風に聞けばいいものか。 「あの音、聞く度に大事な何かを忘れてるような気になって……息苦しくなる。最近、どんどんそれが強くなってる気がするんだけど。気のせいかもな」 頭を抱え込んで、それから首を振ったりして、自分に言い聞かせるようでもあり、ボクに説明してるようでもあった。そんな圭の行動を見ながら、ボクは 次の言葉を探していた。 「大丈夫だって。何かあったら相談するからさ」 「約束だぞ」 圭に笑顔が戻ったところで、ボクはその言葉に念を押す。頼ってばかりじゃダメだって分かってるのに、いつも聞いてもらうばかりだから。少しはボクも圭の役に立ちたいし。 うなずく圭に安堵して、二人で戻ることにした。 「で……結局、さっきの救急車なんだった? 誰か怪我したとか?」 「あぁ、佐伯さんだった。足首押さえてたから、アキレス腱かなと思うけど」 「そっか」 バスケ部は、顧問がついて行ったのだろうか、練習を終えて後片付けと掃除を始めていた。どっちみち、そろそろどの部活も終了の時間帯だけど。 佐伯さんのことは、心配というわけではなかったけれど、怪我をしたのが誰であれ、経過は気になるという程度の関心はボクにもあった。ただ、自分から何か行動を起こしたり という気は、まったくなかった。 |