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「ちょっと強引だったかな?」
 司は、後からついてくる渚へ振り返りながら言った。
「でも、あれくらいじゃないと、拒まれてたと思う」
 昨日の出来事をイメージしながら、渚が答えると、先を歩いていると思った司の背中が、目の前にあって少し焦った。
「なぁ」
「何?」
 立ち止まり、背中を向けたまま、話し掛けてきた司の表情が読めない。渚は、少し声のトーンを下げる。
「渚はどうして俺と付き合いたいと思った?」
「え?」
 今まで、司が聞きたくても聞けなかった。……いや、聞かなかった質問。渚は戸惑いを見せる。 それに気付かれないように、明るく喋ろうと試みる。
「ヒミツ」
「チェッ」
 小さな子どもみたいに人懐っこい司の笑顔が、目の前に広がる。渚が安堵の溜め息。
「でも、いつでも自分に正直な渚でいていいんだからな」
 司が、渚の肩をぽんと叩く。この人はどうして、こんな風に笑えるんだろう。 渚は、歩き始めた司の後姿に切なさを感じていた。



 次の日から、三人の奇妙な関係は始まった。
 太一は心の機微を感じ取るのは得意なようで、友人達が不思議がって、詮索したがる司の行動にも口をはさまなかった。 それをありがたく感じながら、司は、渚と響との昼食を、結構楽しみにしていた。
 心の中に不安がないわけではないけれど、響が自分で作っている壁を取り除いてやれればと思っていた。
 旭は司のいるバレー部に入部し、何かにつけて響を心配しているようだったが、司にはそこに作為的なものを感じて、 どうしても信用できなかった。それは、異様なほどに旭の肩を持つ友人達にも起因していた。 今までどんなに旭に助けられても心を開こうとしなかった響が、 司たちと行動を共にしている事実が腑に落ちないのだろう。 そういう友人達をも説き伏せている彼のいい人ぶりが鼻についた。 初対面の印象の悪さが、尾をひいているだけかもしれないと、自分の心の狭さを反省しながら。
 渚は、響と司の間で自分の気持ちを見据えながら、司と同様に響の持つ闇をぬぐってあげたいと切に願っていた。
 周りから見れば、同等に話してうちとけているように見えていたのかもしれないが、三ヶ月が経とうとする一学期末前になっても、響は自分から話し出すことはなく、 ふたりの会話を聞いているだけか、相槌を打つだけだった。旭と同居している理由も、本人が言いたくなさそうだと分かれば、司と渚はそれを聞き出すことをやめ、 待つことに徹していた。響の顔に自然に笑顔が浮かぶのを待っていた。
「どう? 期末の勉強はかどってる? 響は今回も首位キープ出来そう?」
 天気がいい。空気が澄んでいて、青い空は眩しかった。 今日は少し木陰のある、絶好のポジションの中庭に、三人の姿があった。
「いや、それはやってみないと……」
「こんな気持ちのいい所で、そういう話やめようよ〜」
 渚が、司の質問に不機嫌そうに口を尖らせる。
「でも、渚さんもいつも上位にいるんじゃ……」
 自発的な言葉に、司と渚は、一瞬顔を見合わせたけれど、すぐに何もないように話を続けた。
「ハハハ、こいつな、化学さえなけりゃ、ダントツトップ間違いなしなんだよな」
 司が、笑うと渚が肘でつつく。
「しかも今回、初日の一時限目! 出だしから最悪〜〜って嘆いてんだよ」
「もうっ! 思い出したっ。気分悪っ!」
 すねる渚を見たその時だった。一瞬、響の顔に笑みが浮かんだ。
「あ、響君が笑ったの初めて見た」
 つい出てしまった渚の言葉に、響の表情が曇る。しまったと思っても遅かった。
「バ〜カ! 笑うことくらいあるだろっ。初めてだなんて大げさな」
「そっか。だよね〜ハハハ。……今バカって言った?」
「言ってない、言ってない」
 渚の反撃を避けるため、嘘をつく。司がうまくフォローしてくれて助かった、と思ったものの、 その後も、響の顔には苦笑いしか表れなかった。 昼休みが終わりに近付いて、響と別れて歩き出す。
「……大失敗だったね。ごめんね」
 渚の落ち込みようはひどかった。それでも、その気持ちを十分すぎるくらい分かっているのも、司だった。
「謝ることない。焦んなよ」
「でも、もう夏休みが来るよ」
「そうだな」
 一朝一夕にはいかないと分かっているつもりだったけれど。闇のかけらさえ見つけてやれない。 もどかしい思いが、ふたりの胸に去来していた。


 まだ笑えるんだ。いや、笑っていられるなんておかしい……。渚と司から別れた後、響は自分を責める。 そんな資格ない。このままあのふたりと一緒にいても、大丈夫だろうか?  生きてることの意味を、求めてもいいのだろうか?  いや……その権利を奪ったのに、自分だけいいはずがない。
 その夜。何度目かの同じ夢を見た。暗闇の中……熱い。……苦しい。 自分が体験したわけでもないのに、やけにリアルな夢。助けを呼ぶ声……。
 “お兄ちゃん……お兄ちゃん……助けて……”
「まさきっ!」
 叫んだ自分の声で目を覚ます。冷や汗が背中をつたう感触が、どこか遠くに感じられる。
 俺はこれからどこへ行けばいい? 誰か、教えてくれ。
 響は、まだ真夜中のベッドの中で呟いた。
「なぎさ……さん」
 自嘲気味に手で顔を覆う。一番許されない行為じゃないのか?

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