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 一年前。
 その年の入学式は、好天に恵まれ、ぽかぽか陽気で、大抵の人たちは気分も晴れやかだった。 青い空や、木々の緑、桜のほころぶ様とは対照的に、 渚は少し苛立ち気味に、母親の背中を追いかけた。 入学式を終え、家に向かうバスを待つために、校門を抜けるところだった。
「ほら、司、こっちこっち。ここの桜の下が絶対いいって」
 背の低いころころとしたおばさんが、息子らしき生徒を呼んで、写真を撮ろうとしていた。
「いや、もういいほど撮ったし、いいんじゃないの?」
「何言ってるの? 記念なんだから、ここ! ここ! 早く立ってよ」
 渚は二人のやり取りを見て、微笑んだ。春の風のように爽やかで、 本来親子とはこういうものなのだろうか? との思いが、胸を横切る。
「渚、早く」
 母親の冷たい言葉に、現実に返る。 写真なんて一体、どれくらい撮ってないだろう?
 視線をさっきの親子に向けたとき、母親のほうがにこりと笑った。 どう考えても、自分に向けられた笑顔だと思ったが、渚は笑顔を返すことが出来なかった。 それなのに彼女は、不意に手に持ったカメラを、渚のほうに向けた。
 戸惑う渚にもう一度笑顔を送ると、シャッターを切る。 隣で息子が不思議そうに、母親と渚を交互に見ていた。
 バスが滑り込む。 背中を向けたままの渚の母親は、先に乗り込み、渚もそれに従った。 何となく、立ち去りがたい空気を、バスのドアは呆気なく断ち切る。
 動き出したバスの中から、笑顔で手を振る彼女と微妙な作り笑いの息子が見えた。 それが、出会いだった。 彼が同じクラスだと分かると、どうしてもその思いを止められなかった。
 『友達になってください』 そう言えばよかったのかもしれない。だけど、渚の口から出た言葉は、 『私と付き合って下さい』だった。 知り合ったばかりで、お互いよく知らなかったので、面食らったのは司のほうだった。




 渚は、一年前のことを思い出しながら、少し笑った。
「何、笑ってんの?」
「ひみつ」
「チェッ」
 シュークリームを頬張る司は、幼い子どものようで、また笑ってしまった。 こういう空間が、渚にとって一番欲しかったものだ。
「あ、クリームついてる」
 司はそう言うと、渚の口元のクリームを人差し指で、拭い取った。 渚の体が、一瞬、凍りつく。
「もう、ずる〜い」
 悟られないように、明るく振舞う。まだ、完全には治ってない。 隣で、司の母も笑っていた。救われる。 ここが居場所になればいいのにと、渚は心底そう思っていた。
 玄関が開く。
「ただいま〜〜」
 まるで、同一人物のような同じ声が重なる。 司の弟達。双子の中学二年生。
「渚チャ〜〜ン。いらっしゃ〜い」
 桂三枝風に、喋るのがおかしくて、自然に笑みがこぼれる。
「わっ、シュークリーム〜。お、最後の一個も〜らい」
 机の上にあったひとつを弟が取った。兄のほうが、悔しそうに文句を言い出す。 渚は自分が食べたから? と慌てた素振りを見せたけれど、母親がころころと笑い出す。
「心配しなくても、大丈夫よ」
 箱の中には、まだ軽く五個は入っていた。
 この中でずっと笑っていられたら、そう思っていたはずなのに……。

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