BACK TOP2


 夏休みになって、渚はバイトに明け暮れる日々を過ごしていた。 心はざわついたような落ち着かない緊張感を持続していたが、生活的には充実していた。 バイトから帰って来て、夕飯を済ませ、自室に落ち着いた渚の頭に、 港帰に借りていたお金を返すために、連絡を取った日のことがふとよぎった。
「彼女がおったから?」
 その日、港帰がそう尋ねてきたので、渚は驚いた。 もう一度、司の所へ行かないのか? と尋ねられて、退院の連絡があるまで待つと言ったとき、 港帰がそう呟いたのだった。それを聞いて、渚は凪のことを司の彼女だと勘違いしていて、 司が渚の思っている人だと勘違いしているのだと思った。単純に。
「斎木さんやのうて、あいつなんやろ? 帰りにロビーで一緒になった背の高い」
「え? 真島君?」
「まぁ、喋りたないんやったら、俺は無理には聞かんけど。中川には聞いてもろてもええんちゃう?  あいつ、メチャ、心配しよるで。城山が元気ないて……。気持ち吐き出すんも、時には必要ちゃうか?」
 港帰が言った言葉は、渚の不安ややりきれなさを軽くしていた。ルミに話すきっかけをつかめずにいた自分。 高校時代にも結局明かさなかった思い。聞いてもらえるだけで楽になること。 求めるなんて出来ないと、ずっと思っていた。 誰かに頼ることがひどく卑怯なことだと思っていた。
 あの日の夜、ルミに全てを打ち明けた。転校前に、付き合っていた司のこと。 自分の家庭環境のこと。響と司の関係。そして、自分自身の偽らざる気持ち。 切ないのと、話してくれたことが嬉しかったのと……そのふたつの思いからルミは涙を流した。 渚にはそれが単純に嬉しかった。
 ベッドに腰をおろして、机の上の《星の砂》を手にとった。 あれから、まだ司の退院の連絡はない。どうしているのだろう。 不安になると同時に司の言葉が、ずしりと重くのしかかる。耳たぶのピアスに触れる。 結局、背中を押してもらうまで何も出来ない自分。響のことを思っていながら、司に甘える自分。 自責の念が、時折押し寄せてくる。
 携帯電話がなった。画面に忘れかけた電話番号。これは……。
「はい」
 通話ボタンを押して答える。
『斎木だけど』
 やっぱり
『今日、退院したよ。まだしばらくリハビリに通わなくちゃならないけどね』
 司の声は明るい。声を聞いて安心した渚は、返す言葉もなく司の話にうなずいた。
『誕生日おめでとう』
「え?」
 携帯電話を持ったまま、渚はうつむいていた顔をあげた。
『なんだ、忘れてたの? 自分の誕生日』
 耳元に届く優しい言葉。あの頃と同じ、いや、それ以上に大きな存在。
『プレゼント、まだ届かない?』
「え?」
 司の言葉から、なにか届けてくれたらしいと察した時、玄関のチャイムが鳴った。 宅配便だろうか? そんな思いで渚が部屋を出ると、ダイニングキッチンというには、少し狭いスペースである そこには まだルミの姿があり、食卓の椅子に腰を掛けてTVを見ていた。玄関のチャイムにもなぜか無反応。
 もう一度、玄関のチャイムが鳴る。受話器の向こうで、その音を聞いた司は安心した声で言った。
『あ、着いたみたいだな。それじゃ、俺の役目はこれでおしまい。じゃーな』
「え? 司? もしもし」
 電話は切れた。玄関のチャイムが急かすように再び鳴る。ルミは相変わらず、食卓に着いたままで動こうとしない。
「はい」
 玄関口に向かって渚が返事をした。 宅配便だろうと覗き窓を見た渚の目に、意外な人物が映って、慌てて鍵を開けドアを開いた。
「響くん……」
「遅くにすいません。これ持って、ちょっと出られへん?」
 そう言って、響が目の高さに持ち上げたのは《星の砂》だった。




 受話器を置いた司は、ホッとしたような気持ちと、どこか急激に寂しくなる気持ちを抱えていた。
「響、着きました?」
「あぁ、たった今」
 旭の問い掛けに、司は振り向いた。
「ここまでお膳立てしなくちゃ動けないなんて、響も頼りないわね」
 鼻で笑ったのは、凪だった。強がりも少し混じっていた。司が頬を緩める。
「やっと何とか落ち着きそうだな……」
 片足を少し引きずりながら居間に戻ってきた司に、太一がそう声を掛けた。それを受けて司が続ける。
「あぁ……。心が還るべき場所にやっと落ち着いたな。あの二人は片翼のない飛行機と同じだから。 お互いが心の傷を埋めあって、一緒にいなきゃ強くなれない。飛ぶことが出来ないのさ」
 司の二人への思いが詰まった言葉に、一同は息を飲んで黙り込んだ。 司の退院祝いに、駆け付けていた。太一も凪も旭も……。
「なんか今のカッコよくね? 俺って文才あるかも」
「あぁ、その言葉さえなければね」
 太一がツッコミを入れる。それが、司の照れ隠しだと理解した上で。まわりに温かい空気が流れる。
「やっぱ、斎木先輩ってカッコいいな……」
 旭が、ポツッと言った台詞。
「えぇ〜? 兄ちゃんが? 旭先輩買いかぶりすぎ〜イテッ」
 弟が大袈裟に反論したのを、司が小突く。
「まぁまぁまぁ、その話は置いといて」
「凪ちゃんまでぇ〜」
 司が泣き真似をする。和やかな雰囲気に包まれていた。司も凪も痛い気持ちを解きほぐしていった。




 アパートから少し歩いたところにある公園のベンチに、響と渚は並んで腰をおろしていた。 出てくる前、ルミは渚に軽くエールを送った。響がこっちに来ることになっていることを、事前に知っていたようだった。
 ベンチに座ったまま、どちらからどんな言葉をかければいいのか、二人とも押し黙ってしまった。
「司、退院したんだね」
 渚が先に口を開く。心臓の鼓動が、聞こえるんじゃないかと思うくらい静かな場所。
「うん……。ほんまによかった」
 響の言葉の奥に、どんな意味がこめられているのか、渚は全てを分かっているわけではなかったが。
「俺……」
 何とか次の言葉を、自分の思いを伝えようと、響が重い口を開く。
「……」
 渚は、響の横顔にそっと視線を移した。
「響くん、どうしたのそれ?」
 響の唇の左端が切れていて、少しだけあざになっていた。
「あぁ、これ? 司さんに……。俺がぐずぐずしよるから、さすがに切れてもた」
「司が?」
 温和な司が手をあげるなんて、よほどのことだと渚は顔をしかめた。
「あの後、渚さんが帰ってすぐに、ここの連絡先も聞いてたんや。けど、連絡できへんかった……。 ほんまはすぐにでも渚さんに会いたかったけど。今日、退院の知らせ聞いて、病院行って、 まだ、渚さんに連絡とってないって言うたら、殴られた。“今日が何の日か忘れたなんて言わせない”って」
 渚は、響の告白を聞きながら、溢れそうな涙を必死に抑えた。掌の中で、《星の砂》を転がす。
 響はおもむろにベンチから立ち上がり、空を見上げた。
「ここらへんは、星も結構あるんや……」
 渚も空を見上げた。立ち上がり、響の側に立った。
「これ、誕生日のプレゼント。何がええかよう分からんから……。大したもんやないけど」
 思いがけないプレゼントに渚は驚きながら、それを手にとった。細長い箱。 開けてみてと促され、それを開く。そこには、星のトップがついたネックレスがおさまっていた。
「かわいい……」
「今、つけてもらえる?」
「じゃ、お願いしていい?」
 響にそれを渡して、首につけてもらった。自分でつけることも出来たと思う。それでも、今はそうしたかった。 響に触れられることは、心地よい緊張。もう、あの心の傷はそれだけで癒される。 響が慣れぬ手つきで、それをつけ終えると、背中越しに渚を抱き締める。
「ごめん……。あん時、ちゃんと言えんで……。渚さんのこと……好きや」
 響の声が、頭の中でぐるぐる回る。渚は響の腕の中で、体が熱くなるのを感じていた。体の向きを変えた。 向かい合って、渚は《星の砂》を掲げた。響が自分のものと重ね合わせる。
「ありがとう。私も響くんのこと……ずっと前から好き……」
 渚の言葉を受け止めた響は、思いのたけをぶつけるように唇を寄せた。 渚の右手と響の左手の中でふたつの《星の砂》が、やっとめぐり合えた。
『な、渚ちゃん、言うた通り、兄ちゃんはめっちゃカッコいいやろ?』
 渚の耳に柾の声が届いた気がした。星が二人の頭上を流れる。 想いは、届いた。ふたりの手の中で……。渚の耳元で……。首元で……。

〜FIN〜

この物語はフィクションであり、登場人物、その他は全て架空のものです
あとがきへ