その日の昼食時に、司は渚のことを説明した。父親の仕事の関係で急に転校が決まったこと。
これから先、自分たちの付き合いはないということ。響のことを託されたこと。これからも今まで通りでいたいこと。
司にとっては、それが精一杯だった。渚の本当の気持ちを、自分の口から響に告げることは出来なかった。
予期せぬ転校を、何も聞いていなかったとは言えなかった。ただ、この先がないことだけは隠しようがなかった。
響は、その理由を追及しなかった。その本当の理由を、司は知るはずもなく、ただ安堵していた。
それから先の日常は、穏やかに流れ、司の思惑通り渚のことを口にする者は誰ひとりいなかった。
「次は体育やから、更衣室……。あ、中川、丁度よかったわ。城山さんに更衣室、案内したって」
室長の港帰は、実に細かく最初の面倒を見てくれていて、渚にとっても助かっていた。
「えぇ〜?」
港帰の言葉に振り返った女子生徒、中川ルミは、眉をひそめて露骨に嫌そうな返事をした。
「えぇ? って、そんくらいええやん」
「カンジ悪い。真島君いいよ。ついて行ったら分かることだから、わざわざ案内なんかいらない」
きっぱりと渚が放った言葉に、二人は呆気に取られて一瞬黙り込んでしまった。
「そうかぁ。ほな」
ルミは、言い込められたような気分で、仕方なく更衣室へと向かった。
後ろをついてくる渚のことが何となく気になりながら、素直に案内をする気分にはなれなかった。
その日の体育は、体育館でバレーボールだった。準備体操を済ますと、細かい練習などはほとんどせずに、試合形式で始まった。
渚はなぜか、コートの真ん中に立たされていた。相手が放ったサーブはまっすぐに渚の前に……。
鈍い音をたてて、渚の手に当たったボールは、味方の誰の手にも届くことなく床に落ちた。
「あ……。ごめん」
渚が、小声で謝る。同じチームにいたルミは、渚に冷たい視線を送る。
次のボールも同じように、渚のところに飛んできた。今度は。
その光景にその場にいた、誰もが苦笑する。ボールは見事に渚が構えた腕の中に落ちた。
ルミだけが、納得いかないように渚に詰め寄った。
「なぁ、城山さん、それわざと??」
「は? ……あぁ、ううん。いたって真面目」
渚は真面目な顔をして、ルミの質問に毅然と答えた。ルミは少したじろいだものの、すぐに笑い出した。
「なんや、城山さん、運痴なん?」
渚は、遠慮のないルミの笑いと言葉に、少し憮然とした。
体育を受け持っている若い男性教諭が、二人のやり取りにあたふたとしていて、周りのみんなも笑い出す。
つられて渚も笑い出したので、男性教諭はほっとしたように、言葉を出した。
「まぁ、人それぞれ、得意不得意ってものがあるわけだし」
「あっ! 本人が肯定してないのに、先生が運痴だって、認めてるやん」
「あ……」
ルミのツッコミに教師が慌てて、体育館に再び笑い声が響いた。
「うち、あんたのこと気に入ったわ」
そう言って、ルミが右手を差し出す。渚は少し迷いながらも、その手に自分の右手を重ねた。
楽になっている。いつの間にか癒されていた。大事だった懐かしい日々が、渚の脳裏にふと浮かんだ。
司と響の関係がうまくいくのと同じように、渚も新しい場所で自分の居場所を見つけていた。
偽らなくても、合わせなくても、一緒にいられる女友達が出来たことは、渚にとって新しい発見だった。
ある日の放課後。ルミを含めて三人の女友達と、放課後の教室で話に花が咲いていた。
こちらへ来て、母親はすっかり落ち着き、安定した日常を過ごし、渚に対する厳しさもすっかりやわらかくなっていた。
渚は時々、司の家族を思い出しながら、少しでも近づけたような気がして、嬉しく思っていた。
「渚は、ここに来る前に彼氏おったやろ?」
突然、自分に振られた話に、渚は我に返る。
「え?」
「とぼけてもあかんでぇ〜今日は、徹底的に追及したるからな」
「何よそれ? こわっ!」
笑いを交えながらも、恋愛話が進んでいくと、さすがに渚の胸に苦痛が走る。
「なぁって、彼氏おったやろ? あ、ほれとも、私らに内緒で遠恋してるんちゃう?」
「ありえる話やなぁ」
「いや、そんなんないよ」
渚の声が、少しくぐもったののに気付いたのは、ルミだけだった。
「あやしい〜」
「遠恋はないんやろ?」
「あぁそうか〜。じゃ、好きな人はおってんな?」
「ん?」
渚は苦笑いをする。吐き出してしまいたい気持ちがどこかにあったから、何となく話を遮断できなかった。
「渚は……辛い恋でもしてたんちゃう?」
ルミの言葉に、あとの二人は黙ってしまった。渚は肯定も否定もしなかった。
「ま、前のことは忘れて、渚のこれからに期待するわ。男前つかまえて、友達紹介してや」
ルミが、それ以上聞き出すのは酷なことだと察して、茶化すように話を切り替えた。
「それいいやん。決定!」
他の二人も賛同して、笑顔を取り戻した。渚は、それに安堵の溜め息をつく。
吐き出せば楽になるかも知れない。だけど、この思いは、一人で抱えようと思った。
学校生活は、そんな風に穏やかに流れ、家でも安心して生活が出来るようになった。
時折、《星の砂》を持ち出して、柾に会った河原へ行き、思い出にふける。
それは、柾を思い出すのと同時に、響を……。そして、司を思っていた。
響と司の二人が、ずっといい関係でいてくれればいいのにと、身勝手だと思いながらもそう願わずにはいられなかった。
「なぁ、気付いてたか?」
「なんや?」
寒い朝だった。相変わらず、一緒に行くという感じで家を出てはいかないけれど、
響と旭の関係はごく普通の従兄弟同士になっていた。靴箱のあたりで合流した二人が、言葉を交わす。
「塚原」
「あぁん?」
誰だそれ? と言いたそうに、響が旭の顔を見る。
「同じクラスの、塚原 凪」
耳にしたその名前に微かに反応する。旭はそれが何を意味するのか、まだ分かっていなかった。
「あぁ……。塚原がどないした?」
「気付いてないのか? お前のこと好きらしいぞ。まぁ、あいつだけじゃないみたいだけど。あとの奴らは」
「はぁ?」
階段を上がりながら、響は旭の言葉を聞き返す。
「あとの奴らは、ミーハーで見てるみたいだけど、塚原だけは結構マジっぽいって言うか」
「なわけないやん」
響は、気にも留めず教室に入った。
「それはそうと、今日は大丈夫か?」
「あぁ、休みもろたから、旭が部活終わるん、待ってるわ」
「了解!」
祖母に会いに行く。旭のように週に一度というわけにはいかないが、月に一度、
予定を合わせて旭とともに訪問するようになって、今月で六度目。
初めて二人一緒に顔を見せた時、祖母は混乱していた。
響の中には、旭を思い出すきっかけにもなるかも? との淡い期待もあったのだが、それはうまくいかなかった。
その日の放課後。
響は体育館の脇で、バレー部の練習風景をぼんやりと眺めていた。体を動かすことは嫌いではない。
見ていると、少し気持ちも揺れる。旭にも部活へ誘われたが、バイトを続けて一人暮らしの資金を稼ぎたかった。
旭の家が、どうとかいうわけではなく、ただ、自分ひとりでも生きていける強さもつけておきたかった。
以前のように、すべてを任せきりにする生活は辞めていた。旭にも相談して、家での簡単な手伝いもしていた。
伯父も響が随分明るくなったことで、そういうことを咎めたりしなくなっていた。
「……宮君、若宮君」
不意に声をかけられ、響は体育館の入り口に視線を移した。同じクラスの女子生徒が、呼んでいた。
「はぁ?」
口をぽかんと開けたあと、その生徒に「何?」と問い掛けると、手招きをされた。響は
面倒臭そうに立ち上がって、そっちの方に出向いていった。
「何?」
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