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「ひとつ聞いていいか?」
 司が問う。考えても分からなかったこと。早百合がうなずくのを待って、司が続ける。
「渚が最初に大阪に行った時、どうして居場所教えてくれたんだ?」
「あぁ。私が行くには、不自然だったから。城山さんの友達にさえなれてなかったから。 ごめん。正直言うと、斎木君の後つけてた。河原でのやり取りも……」
「えぇ?! 聞いてたのか?」
 司は、あの時のことをふと頭に思い起こす。顔が赤くなるのが、自分自身にも分かった。
「心療内科のこと。私の勘違いだったけど、やっぱり斎木君も気付いてたんだね」
 早百合もずっと渚を見ていた。それがよく分かる一言だった。 校舎の中の空気は、よどんでいて、新しい風が欲しかった。 司は、からからに渇いた口を持て余していた。
「もう、本当にダメなの?」
 早百合の声が、耳の奥へ入り込む。何かに後押しされると、途端に崩れそうになる自分の感情。 司は、沸いてくる深い渚への思いをねじ込むように、唾液を喉へと送った。
「追いかけるつもりはない。惨めだからとかっていう、自分可愛さじゃないんだ」
「うん。……分かってる。ごめん」
「じゃ、俺、部活あるから」
「引き止めてごめん。誤解してごめん。斎木君と話せてよかった」
 早百合が、笑顔を見せた。司は、苦笑いを返す。早百合の気持ちはよく分かる。 同じ人を好きになったのだから。




「大ニュ〜〜〜〜ス!」
「なんやねん、朝っぱらから大きな声だしてぇ」
「今、職員室に行ってきてんけど、転入生くるんやて」
「なんや、ほない大ニュースってわけちゃうやん」
 男子生徒の、呆れた声に、目をトロ〜ンとさせて、最初に話した生徒が、続ける。
「それが、大ニュースやねんて、めっちゃ、イケてんねん」
「女か?」
 興味なさげに聞いていた男子生徒も、途端に目を輝かせる。
「なんや、あれ? めちゃ、感じ悪いわ」
 女子生徒のほうから、転入生の話題で盛り上がる男子生徒にクレームがあがる。 期せずして、教室のドアが開いた。担任の教師が教壇に立つと、室長が号令をかける。 第二学期が始まった教室。教室の外にいる生徒に担任が声をかけ、 教室に入るように促す。足を踏み入れた生徒を見て、誰かが口笛を吹いた。 笑いが起きる。女子生徒の反感の目が、前に注がれる。
 案内されるまま、教室の一番前で大勢の視線を浴びていたのは渚だった。 ここが自分の新しい場所。 父親は会社を辞め、母親の実家のある大阪にくる決意をした。 逆らう気持ちはなかった。幸せで穏やかな日々がくると信じていた。
 ただ、自分の気持ちだけは宙ぶらりんで、ざわざわといつまでも落ち着かないと感じていた。 それでも、黙ってこうするより仕方がなかった。 司との関係を、これ以上どうしたらいいのか分からなかった。 逃げ出した自分に、誰かを愛する資格なんてない。 自分の気持ちはあの夜で封印した。
 渚は、大勢の視線の前で頭を下げた。 担任の男性教師に促されたが、特別話すこともない。
「あぁ、まぁ、そういうことで、早く馴染めるように」
「はいはいはい! 何でも聞いてや〜」
 突然、席を立った元気のいい男子生徒に、渚は唖然とした。
「あぁ、あいつが、室長の真島 港帰ましま こうき。分からないことがあったら、真島に聞くといい」
「センセ〜イ。何緊張してるんですかぁ〜? 標準語じゃ〜ん」
 室長だと言われた港帰が、自分も標準語で、担任をからかう。 イントネーションの違いに、渚は少し微笑んだ。




 その日の夜。
「え?」
 響は、旭が何気なく話し掛けてきたその言葉に、動揺を隠せなかった。
「斎木先輩の彼女、転校したって知ってた?」
 旭はそう言った。心臓がばくばくと音を立てているようで、旭の顔がまともに見られない。
「それって、いつの話?」
「え? あぁ、いや。いつかな? 響、聞いてなかったのか?」
「あぁ……。今初めて聞いた」
「そうか、じゃぁ、急だったのかもな?」
 響の部屋のドア付近に立っていた旭は、特に難色を見せるでもなく安易にそう言った。 響の頭に、明日からのことがよぎる。
「明日から」
「え? なに?」
 旭は、響が何か言いかけて止めたので聞き返した。なんでもないという風に、響が手を振る。
「……昼休み? 心配してんの? もしかして」
 旭が、あっさり自分の不安を見抜いたので、響は戸惑った表情を見せる。 軽く溜め息をついた旭は、呆れたように言葉をつないだ。
「斎木先輩が、お前のこと、簡単に切り捨てるわけないだろ。心配するだけムダ。ポジティブにいけよ」
「ん……」
 旭は、響の浮かない顔を一笑した。響は、旭が出て行った部屋で、ひとり言い知れぬ不安を抱えていた。 旭はああ言ったけれど、明日から司が同じように来るとは思えない。 響自身の気持ちを、司が知っていたとは思わないけれど、渚の気持ちはどうだろう。 司のことだから、気付いていたのかもしれない。だとすれば、なおさら。 ベッドの下に、隠すように置いていた濃いグリーンの傘を、指先で求めた。 溢れ出した感情を押さえる術を知らなかった。あの時、渚はもう会えなくなることを知っていたのだろう。 突然尋ねてきた理由が、ようやく響にも分かった。 だとすれば、夏休み最後の週末。会えなかった理由。司は、その時から知っていたのだろうか?  渚が転校することを。そして、あの二人はこれからどうなっていくんだろう。もう結果は出ているのだろうか?  一人で考えても、答えなんか出るはずもない。それでも、頭から離れない。胸は痛む。 感情を持て余す。傘を握り締めていた。すぐに返すことが出来ると思っていた。封印した気持ちが、痛い。




 次の日の昼休み。響は自分の席で、体を机に預けたままぼんやりと外を見ていた。 これから先、どうなっていくのか……。
「響!」
 旭の声が、耳に届いた。体を起こして、旭を見る。旭は、右手の親指で廊下を指した。 廊下に視線を滑らせると、司が当たり前のようにそこに立っていた。その笑顔に、響は戸惑いを隠せなかった。 こんな友情を、自分から捨てることは出来ない。責任感とか、偽善とか、そういうものに属さない。 単純だけれど、これほど心強いことはない思いを、素直に受け止めたいと思った。
 自分の弁当を持って、教室を出た。司と共に階段へと向かう角を曲がろうとした時、女子生徒とぶつかった。 正確には、女子生徒がぶつかってきた。彼女は抱えたパンを落とし、悲鳴をあげた。
「あ、ごめん」
 響は、落ちたパンを拾いながら、彼女に謝った。 教室から、友達が大きな声で言った。
「やだぁ〜なぎったら、何やってんの〜?」
 その言葉に動きが止まったのは、響だけではなかった。司もまた、名前の音に反応していた。 二人ともそれを表面に出さないように、平静を装う。
「あ、ありがと」
 凪と呼ばれた彼女は、響からパンを受け取ると教室に入っていった。
 司と響は、何事もなかったようにその場を後にした。
「ずる〜いっ! 今日、私が行けばよかったぁ〜」
 凪に話し掛ける女子生徒の声には、軽い嫉妬が混じっていた。 嬉しそうに頬を染める凪の横顔を、旭は納得したような表情で見ていた。

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