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 座り込んだままの司は、早百合の行動をひとつひとつ思い返しながら、 今にして思えば嫉妬からくる行動だったのだと、うなずけることがたくさんあった。 早百合もきっと気付いていたんだろう。渚の気持ちが、響に傾いていることを。 早百合が言ったように、自分と渚ではつりあわないと痛感していた。 実際、自分と付き合うことになった理由も分からないままで、 司にはもう自信のひとかけらも残っていなかった。



 夏休みが終わるまでに、もう一度迎えた土曜日。司は、響に嘘をついた。 都合が悪くて会うことが出来ないと。響が二人の関係に、わずかな嫉妬心を抱いていることなど夢にも思わず、 渚の転校の事実は、響には知らせなかった。どう言えばいいのか分からなかった。
 長かった夏休みも終わり、新学期が始まる。九月といえど、まだ真夏の日差しを残したままの太陽を恨めしく見上げて、 司は校門前で軽く深呼吸をした。確実に今日も渚の姿はないのだが、バスから流れ出す人の波に 目を泳がせている自分。これから、自分の進むべき道はどこなのか、考えていた。渚の想い。響を救いたい気持ち。 たとえ、響の気持ちが前向きになったといっても、そこが終着ではないことを、司はよく分かっていた。 自分の家に泊まったあの夜のこと。響の抱える現実は、一生消えることはない。それをずっと一緒に持っていてやりたい。
 体育館での始業式は、校長の長い話にうんざりしながら、肌に張り付くような制服に多くの生徒が自分で風を送る。 戻ってきた新学期の教室。日焼けした生徒もいれば、そんなことに無縁の生徒もいる。 そんな生徒の顔には、わずかばかりの虚脱感が垣間見られる。 大学受験に向けて、すでに臨戦態勢で望んでいる生徒達には、開放感など持ちようのない夏休みだったようだ。
 担任の教師が出席をとった後、ひとつ咳払いをして続ける。
「あぁ……夏休みの間に、城山渚さんが転校しました。みんなに挨拶できないのを残念がっていました」
 クラスの約半分くらいの生徒が、一斉に司を見た。司は唇の端を軽く上げて、苦笑いを作る。 残念がっていたというのは、担任の創作だった。むしろ挨拶するほど親しい友人もいなかったので、 誰にも何も言わずに、静かに転校することを望んでいたのは渚自身だった。
 司は髪を軽くかき上げ、HRが終わるとされるであろう質問に備えて、頭の中を整理していた。
「なぁなぁ、どうなってんの? 転校ってことは?」
「司、遠恋か?」
 男子生徒が、HRが終わると同時に司の席に群がる。 そういう話に興味のない生徒は、教室を何もなかったように去っていく。 女子生徒の中には渚をよく思っていなかった集団もあり、そっちはそれで、盛り上がっているようだった。
 遠恋か? との友人の問いに、司はあっさりと答えた。
「いや、それはない。その前に終わってたし」
 側で聞いていた太一は耳を疑って、司の表情を見る。妙に、明るい。
「え? なんでだよ。あんなに仲良かったじゃん」
「そうそう。最初は意外な組み合わせだと思ってたけど、結構いい感じだったのに」
「あっ……。ひょっとして」
「なになになに???」
 司が口をはさむこともなく、男子生徒数人は、憶測を言葉にしていく。
「あの一年が原因とか? あいつも城山のこと?」
「いや、響はそうじゃないよ」
 言葉を濁す。勘のいい友人が、司の思惑通りの言葉を放つ。
「響はって? ……それって、城山の方がってこと?」
「ん?」
 司が曖昧に笑みを返すと、より確信を持ったように、非難の声が渦を作り出す。
「なんだよ、それ。ちょっとひどくない??」
「やっぱ、城山もその他大勢と変わんないな。ルックス重視かよ」
「おいっ!」
 友人のひとりが言葉を止める。
 同時に、机が勢いよく倒れる音が教室内に響いた。
 無礼な言葉にも反論することなく、苦笑いを繰り返していた司には、その音を出した人物がよく分かった。   振り返ると、早百合が倒れた机の側で、筆箱から飛び出した筆記用具を拾っていた。
「びっくりした〜!」
 男子生徒が大袈裟に声をあげると、早百合は意味深な笑顔を見せて謝った。それは太一にも、早百合がわざとやったことだと簡単に分かった。
「ごめんね。私ったらドジだから……」
 早百合が喋ると、にやついた表情で手伝う男子生徒を見て、女子生徒の集団が、こそこそと陰口を叩く。 聞こえているはずだが、早百合はそれを無視して、拾ってもらった物を筆箱に収めカバンに入れると、教室を出て行った。
 渚の話はそこで立ち消えた。 男子生徒たちも帰り支度をはじめ、ちょっとバツが悪そうに、慰めの言葉を司に掛けて教室を出て行く。 女子生徒たちもそれと同じころあいで、教室を後にした。静かになった教室で、太一が司に声をかけようとする。
「今日は一回、帰るだろ?」
 太一が話すより先に、司が口を開く。さっきのことをまるで気にも留めていないように。
「あ、あぁ」
 席を立つ司の後を、慌てて太一も追いかけた。 教室を出たところで、もう帰ったと思っていた早百合がいた。 いや、太一がそう思っていただけで、司は当然いるだろうと予測していた。
「斎木君、サイッテー」
「あぁ、そうだな」
 司は早百合の側を、投げやりな言葉だけ残して通り過ぎる。 太一がそれを追いかけるように、早百合の隣を足早に過ぎる。
「ちょっと、待ちなさいよ」
 早百合は、なおも二人の後ろを追いかけた。言い訳をすることなく、司はそのまま玄関口まで進んだ。 早百合の執拗な問いかけに軽く舌打ちをした司は、おもむろに振り返って怪訝な表情のまま、逆に質問をした。
「じゃ、木山ならどうした? 木山には、分かんないかもしれないけど、響のこと渚から託されてんだよ。 それ抜きにしても響とはこれからも付き合っていきたいんだ」
「……だから何? それと城山さんを悪く言うのと、どういう関係があるって?」
 早百合は、司の真剣な表情に一瞬躊躇しながらも問い返す。 太一は側にいて、司の言葉を聞き、やっとその真意がわかった。
「……渚を追いかけられないのは分かる?」
 早百合がうなずく。転校の事実を知らされてなかったことが、それを証明していたから。
「だから、別れたって言うしかないだろ? そしたら、理由は? ってみんな聞きたがる。 響のせいなんかにしたら、これからどうやって付き合っていけるのさ」
「そっか」
 早百合が力なく、返事をした。
「木山が怒るもの分かる。だから、反論はしないよ。話はそれだけ?」
 司は抑揚のない声を出して、早百合の方を見た。
「斎木君は、私のこと……腹が立たないの?」
「どうして?」
「だって、色々意地悪もしちゃったし」
 早百合の口調がやわらかくなる。太一はそっとその場を離れて、自分の靴箱のほうへと足を進めると、校舎を後にした。
「うん、そうだな、気持ちが分かったから、腹も立たなくなったかな? 知らないときは振り回されたけどな」
 司が微かに笑みを作る。早百合は改めて、不思議そうに問い返した。
「ヘン……だよね? 私」
「何が?」
 きょとんとした表情で司が聞く。
「だから……女なのに」
 早百合が口ごもる。司や太一の前で、自分の気持ちを口走ってしまったのは勢いだった。 言ってしまったことは仕方ない。そう、心に決めていたが、やはり気になった。 他の誰かに話したりしないだろうかと、考えたこともあったが、そういう噂は一切出ていなかった。
 司は、早百合の言いたいことを理解して、軽く溜め息をついた。
「別にいいんじゃないの? 自分の気持ちに正直になるのは、悪いことじゃないさ」
「……ありがと」
 早百合はうっすら涙を浮かべて、かつての恋敵を見た。渚が彼を必要としていた意味が、ようやく理解できた瞬間だった。

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