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 響の発言に、一同が一瞬戸惑った。
「わぁ〜〜!! 本物の関西弁だ! かっこいいぃ〜〜〜!!」
 双子の弟が、ほぼ同じ文を同時に言ったので、爆笑が起きた。 響も笑っていた。司は、響の笑顔にも驚いていたけれど、自分と渚がお似合いだと響に思われていたことが、嬉しくて仕方なかった。 自己中心的だと、戒めの気持ちを抱えながらも、単純に嬉しさが沸いてきていた。
「あと、お願いね」
 食事を終えると、司の母親は、あっけらかんとそう言った。
「母さん、それはないだろ?」
 司が、母親を軽く責める。母親は、当然のお願いのように知らん顔をする。
「しょうがないなぁ」
 ぶつぶつ言いながら、自分の食器を片付ける司の横で響も片付けを始めた。
「あ、響、置いといて。俺がやるから」
「ううん。やらせて欲しいんやけど……あかん?」
「う〜ん、それじゃ、自分の洗って」
 司は、笑いながらそう言った。
「司より出来がいいわね。進んでやってくれるなんて」
「それでもやってるんだからいいじゃん」
「はいはい。そうでした」
 食器洗い用のスポンジに洗剤を含ませながら、司が言った文句を母親が軽くいなす。 いつもこんな調子で、司の母親は誰がいても自然体。司は、響がどう思っているのか少し気になった。
「悪いな。いつもあんな調子でさ」
「いや……ちょっとやってみたかったし」
 司の隣で、響が苦笑する。司の母親のさりげなさが、響にはありがたかった。 司が手馴れた様子で洗い物をこなすのを、横で見ながら真似てみる。 家でも、もう一度頼んでみよう。そんな気分にさせられていた。
 それが終わると、まだ話をしたそうだった弟たちを部屋に追いやって、司は響にシャワーを勧めた。


「すみません。お先でした」
 響が司の部屋に戻ってくる。司は、その姿を見て少しむくれた。
「やっぱ、俺のパジャマじゃ小さかったな」
 袖口もズボンの裾も短い、響が着ている自分のパジャマが虚しかった。
「あぁ、いえ……」
 響が困った顔を作る。少し慌てて、司が笑う。
「ま、しょうがないか。親父のでも変わんないしな。じゃ、俺もちょっと行ってくるから」
「あ、はい」
 響は、ベッドの脇に敷かれた布団の上に腰を下ろした。 そう広いとはいえない部屋の中は、それだけでほぼ部屋いっぱいだった。 ふとベッドの枕元の棚にある写真たてが目に入る。渚がひとりで写っていた。シャッターをきる人物に心を許している。 そんな風に単純に思える、いい笑顔の写真だった。響は、胸に湧き上がった感情を押しとどめようとした。 これだけは、押さえようと。この部屋で、二人がどんな時を過ごしてきたのか、知る術などなかったけれど、 自分が壊していいものではなかった。それだけは、響にもよく分かっていた。
 美しい花を守るナイトは、危険なハチにまで、情けをかけるから……。そこに蜜があるのに、盗みにいけない。 死んだような毎日から救い出してくれた……。少なくともそのきっかけを作ってくれた。
 司の家族の暖かさが、懐かしいにおいを思い起こさせていた。愛されていた記憶。確かに自分にもあった時間。 どうしてそれを忘れていたんだろう。
 ドアが開いた。司がバスタオルで髪の滴をふき取りながら、部屋に入ってくる。
「あっちーな」
 部屋にエアコンはついていない。扇風機だけが、暑い空気に対抗していた。 司は響に断ってから、扇風機の前に腰を下ろす。 扇風機の風が、司の髪を通り過ぎる。安堵の溜め息を漏らした横で、響が静かに口を開いた。意外な言葉。
「自分の好きな人に、自分の存在を認めてもらえへんのって……辛いやろな」
「え?」
 響に背中を向けていた司が、髪を拭く手を休めて振り返る。それって、どういう意味? 渚のこと?
「……司さん、話、聞いてもらえますか?」
「何? 響から言ってくれることならなんだって聞くよ。あ、敬語も要らないから」
「あぁ、ほな。実は今日、おばあちゃんに会いに行って来たんやけど」
 響は、昼のバイトを休んで祖母のいる特別養護老人ホームに行った時のことを話し始めた。




 昨夜、本音をさらけ出した旭の態度に驚いた。あいつの言っていることはきっと正しいんだろう。 複雑な気持ちを抱えながらバイトに入った響だったが、ふと、旭の言葉を思い出す。
 “たまには行ってやれよ。ばあちゃん響に会いたがってたから” それを思い起こすと、行けば何か分かるかもしれないと、単純に思ってしまった。
 バイトを急遽休むことにして、その足で祖母のいる特養老人ホームへと向かった。 初めて足を踏み入れる空間。まだ、新しさの感じられるその施設は、かなり大きく、庭の木陰では お年寄り達が談笑しているのも見えた。庭は手入れが行き届いており、自然な清潔感が漂っていた。
 受付に行って面会を申し込むと、事務の若い女性が記帳を願い出てきた。 ここでは来訪者にそれを書いてもらうシステムをとっていた。 響が記帳するために手元に置いたノートの、隣の昨日のページに旭の名前を確認する。 名前と住所を明記して、誰に会いに来たのかを書く。ノートを事務員に返すと、彼女は響の顔をマジマジと見た。
「あなたが、響くん?」
「え?」
「なるほどね。旭君に似てるわね。あ、案内するわね」
 事務員の言葉に首をかしげながら、響は案内された部屋を頭の中に詰め込んだ。 広々とした廊下。所々に飾られているキルト製の壁紙。暖かい雰囲気を作ろうとしているのが伺えた。 祖母のいる部屋の前に来て、ノックをすると、祖母ではない若い女性の声がした。
「どうぞ〜」
 言われるままに扉を開ける。ベッドの上で体を起こしていた祖母と目が合った。
「響、また来てくれたの? 今日は部活はないの?」
 祖母の言葉がおかしい。喋り方はとてもしっかりしている。響だと呼んでいる。……けれど。 また? 部活? 旭と勘違いしているのか? 響が、納得の行かない表情を浮かべているのを見て、 隣にいた女性が側に来るように促す。響がそこに近付くと、彼女は軽く微笑みを浮かべた。
「来栖さんを担当しています、笠巻かさまきです」
 と挨拶をしてから、
「話、合せてあげてね」
 と小声で付け加える。あぁ、そうか。祖母は、痴呆が始まっていたんだ。響は、側にいないことで自分の中から 薄くなっていたこの祖母のことを、呼び戻す。結局、自分しか見えてないんだ。 一緒に暮らすようになって、 あれこれ助けてもらったはずなのに。旭が怒るのも無理はない。
「忙しくないの? こんなに頻繁に来なくても大丈夫だって、いつも言ってるのに」
「大丈夫。おばあちゃんの顔が見たかったから」
 響は、自分が旭になったつもりで話していいものかどうか混乱しながら、祖母の笑顔を見ていた。
「この子ったら、ほんとに優しいでしょ? 絵里えりちゃん」
 笠巻と名乗った介護士に祖母が名前で呼びかける。
「うん。よかったね、来栖さん」
 彼女も笑顔を見せていた。
 それからしばらく、何となくかみ合わない会話を続けてから、祖母が不意に眠りだしたので、部屋を後にした。 祖母が始めに言っていた、“頻繁に”という単語が響の耳に残っていた。
「響くん、ちょっといいかな?」
 一緒に部屋を出た介護士の絵里が、話し掛けてくる。なにか聞くことが出来るかもしれない。 響は直感的にそう思って、彼女の言葉にうなずいた。
 絵里の後に続いて、中庭に出た。日差しはきつかったけれど、それを遮るような木陰は意外と涼しかった。 ベンチに腰を下ろした絵里が、隣に座るように促す。響は黙ってそれに従った。
「旭君と何か話した?」
「え?」
「今まで、ここに来なかったから」
「あぁ、はい。たまには顔見せてやれって」
「そう」
 絵里は、奥歯に何か挟まったように言葉を濁す。
「あの……旭は、ここによく来るんですか?」
「そうね。うちのほとんどの職員が、旭君のこと知ってるんじゃないかしら? 週に、少なくとも一度は来てるわよ」
 響は絵里の言葉に、一瞬息を飲んだ。週一回以上? 入所してから、二年。その間ずっと?  旭がおばあちゃん子だということは、何となく分かっていた。母親が仕事を持っていて、ほとんど祖母に育てられたのだろう。 それでも高校生くらいになると、意外とそんな恩など忘れがちだ。 旭は恩で動いてるんじゃない。本当に祖母のことが好きなんだ。
「あの、おばあちゃんは、旭のことを……」
 それ以上なんと質問していいのか言葉に詰まった響に、絵里はゆっくりと語り始めた。
「ずっと、響くんと間違えてるみたい。間違えてるっていうより、旭君の存在がもうないのね」
 絵里は続ける。入所当初は、まだ理解していたようだったが、いつの間にか響と呼ぶようになっていた。 最初は、絵里をはじめ、気付いた職員が訂正をしていた。そして、それをちゃんと受け止められていたのだが、 あるときから急に旭という名前に反応しなくなった。旭自身は、笑顔が見えたらそれでいいと、 いつしか職員の訂正の言葉を自ら遮るようになったのだと。
「響くんのことは……来栖さんから直接、お話聞いてるの。大変だったのね。それはよく分かるけど」
 絵里が言葉を切る。その気持ちはよく分かる。そんな台詞は、何度も聞いた。だけど、続く言葉は?  響は、続きの言葉を催促する。
「けど?」
「その事実は辛くて悲しいことだけど、響くんの中に残ってるのは、それだけじゃないわよね?」

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