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「何?」
「これ」
 コンビニの袋から、渚が用意してあったのと同じスナック菓子が出てきた。 司も笑うと、渚はそれと一緒にジュースを運んできた。
「響どこ行ったんだろうな?」
 ソファに腰を掛けながら、司が呟くように言った。昨日の響の言葉は、まだ耳の奥に残っている。 渚は、あの冷たい言葉が耳から離れず、昨夜はほとんど寝られなかった。
「今日さぁ」
 司は、部活の後に聞いた旭の話を丁寧に渚に話した。
「そう。私たちに何が出来るかなぁ? ……何か出来るのかなぁ?」
 渚が、弱気な発言をする。司は、その気持ちの奥底に目をつむるように、言葉をつむぎ出した。
「とりあえず、来栖もあんな風に言ってたから、今日、もう一回コンビニ行ってみる。店の人の話だと、 夜はバイトに出るように言ってたらしいから」
「私は……」
「渚も行く?」
 司の問いに、即答できない。行きたい気持ちはもちろんあったけれど、それを実行に移すには、力が足りなかった。
「今日は、司だけに頼んでもいい?」
「いいよ」
 司は、ソファから立ち上がると、大きな窓の側に立った。 内心ホッとしていた。響に向かっていきそうな渚の気持ちを、少しでも食い止めたい。……そう思うことが罪だとしても。
「外、暑そうだなぁ」
 午後六時を過ぎた今でさえ、まだ太陽は明るく、夏の日差しを保っていた。
「今日の髪型、可愛いな」
 司は、大きく伸びをしてから、不意に言葉に出した。
「え? かわいい?」
 渚が、おだんごの髪に両手を当てて、少し微笑んだ。 司は、振り向いて渚の隣にそっと腰を下ろした。渚の動きが止まる。
「うん。かわいい」
 髪に止まったままの渚の手を、司の手が包み込んだ。司は、渚の手を頭からゆっくり下ろすと、そのまま顔を近づけた。 受け入れなきゃ……渚の中で、微妙な感情が渦巻きだす。互いの唇が触れ合う。 その勢いのまま、司は体をゆっくりと前に倒した。渚は目を閉じ、司の行動に身を任せていた。重なる心臓の音が、重い。
 司の右手が渚の髪に触れた時、急に体を起こした。渚の方が驚いた。
「……?」
 渚は、体を起こしながら無言で司を見る。司は、渚のほうを見ることなく頭を掻いて、戸惑い気味に言葉を探した。
「ん? ごめん……いや、うん。せっかくの髪型、崩すのもなにかなぁって思ってさ」
 手が気付いた。渚の気持ちがここにないことに……。必死に受け入れようとする姿が、痛々しかった。 これ以上、傷つける権利なんか自分にはない。司は、そう思い自分を止めた。
「これ食べていい?」
 ことさら明るく司が、スナック菓子を指差す。渚は笑顔を見せて、「もちろん」とうなずいた。 司が、お菓子を手にする。「やっぱりうまいな」と、笑顔を向ける。 ふたりの間の空気の歪みを、お互いが修復しようと手探りを始めていた。
「それじゃ、行ってくるな」
 司が席を立って、響の元へと向かったのは、それから十分くらい経っていただろうか?  その間何を話したのかさえ、二人の記憶には残っていなかった。 お互いの気持ちを思いやって、ついていく嘘が広がっていく。

 薄暗くなった部屋の中で、ソファに腰掛けたままだった渚は、急に明るくなったリビングの入り口を見た。
「どうしたんだ? 明かりもつけないで」
 父親が帰ってきた。いつもより格段に早かった。
「……お帰りなさい。ちょっと考え事してて」
 渚はソファから立ち上がると、ほとんど乱れのない髪を少し触った。
「渚。……ちょっと話があるんだ」
「ん?」
 渚は、父親の話を受け止めた。もう、時間がない。


 響のバイトが終わる時間帯に、司はそこへ向かった。 また、昨日と同じように突っぱねられるかもしれないと覚悟して、家に泊まりにくるように誘った。 ゆっくりと話せる場所が欲しかった。旭の家には、先に電話をしておいた。 必ず、連れて帰れる保障などどこにもなかったのだが……。
 それが、響が意外にもあっさりとOKしたので、司の方が一瞬戸惑いの表情を見せた。 そこから司の家までバスで移動した。 街の中にはまだ若者の姿も多く見られたが、バスの利用者は少なく、二人で最後列に腰を下ろしていた。
「渚も来たいって言ってたけど、さすがに泊めるわけいかないから」
「あぁ……はい」
 司が躊躇しながら出した名前を、響は聞き流がすように、いつもと変わらぬ声のトーンと、崩さない表情で返事をした。 司はふと、以前早百合が放った台詞を思い出した。恩を仇でかえされないように……。 だけど響の気持ちは、渚へと流れてはいないと司には思えた。
「狭いうちであれだけど、上がって」
 司が玄関ドアをあけると、奥から双子の弟たちがすごい勢いで飛び出してきた。
「いらっしゃ〜〜い!! うわっ! おっとこ前〜〜!」
 相変わらず桂三枝風に喋っていた。響は歓迎の言葉に軽く頭を下げる。
「邪魔だから自分らの部屋行ってろよ」
「いいやんけぇ〜〜僕らかて、喋りた〜〜い!!」
 妙な関西弁を織り交ぜながら、弟たちは司たちの後ろから食卓へとついてくる。
「いらっしゃい。たいしたものはないけど、ゆっくりしてね」
 司の母親の丸っこい笑顔が、響を迎えた。
「初めまして。……今日は、突然すみません」
「俺が誘ったんだし、気にすんな」
 食卓について、響が出された食事に箸をつけ始める。隣で司も一緒に食べた。この時間まで、待っていたのだった。
「なぁ、兄ちゃん、質問してもええか?」
「なんだよ、その喋り方」
「ええやん、関西弁マイブームやねん、なぁ?」
 弟たちの間で流行っているらしい。司は、素麺をすすりながら、「質問って何?」と尋ねる。
「この人の名前聞いてへん」
「あ……」
 響が小さく声をあげたのを制して、司が箸を少し休めた。
「若宮響君。高一」
「あら? 同級生じゃなかったの?」
 母親も興味深そうに、司たちの前に座った。タクシードライバーの父親は、まだ仕事から戻っていない。
「そっ、一個下」
「なぁ、響ちゃん!」
 弟の言葉に、司が目を丸くする。
「ちゃん付けはやめろっ!」
「ええやんか〜。響ちゃん、身長何センチなん??」
「え? あぁ……百八十」
「すっげ〜〜兄ちゃんより二十センチも高いじゃん!」
「バカッ! 二十センチじゃない! 十八センチだ」
 司が顔を赤くして、反撃する。
「また、細かいことを」
 母親が、呆れたように笑った。
「二センチでも俺にとっちゃ重要なの!」
「はいはい、わかりましたよ」
 弟たちはゲラゲラ笑っている。ほのぼのとした暖かい空気に、響も頬が少し緩んだ。 柾も生きてたら、これくらいだっただろう。 弟のことが脳裏に浮かんで、少し寂しくなったけれど、司の性格の土台が見えたような気がしていた。
「あ、そうそう、響ちゃんは、渚ちゃんに会ったことある?」
 司が少し固まった。それを悟られないように、先に口を出す。
「いや、渚も友達なんだよ。一緒に弁当食ったりしてたんだ」
「へぇ〜〜なんか意外」
「響ちゃん、渚ちゃんて美人やろ? 兄ちゃんにはもったいないと思わへん??」
「ほっといてくれ!」
 司が先にツッコミを入れる。響はその質問には答えないだろうと思っていたのだが……。
「いや……そんなことないやろ? 司さんと渚さんはお似合いやで」

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