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 司は、気持ちを引き締めて、普段通りの生活を一日送った。何か対策があるのかと問われても、何もなかった。 今夜会いに行く。バイトを続ける響の元へ、渚と一緒に。響のバイト先のコンビニの前で待ち合わせた。 少し早く着いた司は、渚の気持ちをなぞるように、目を閉じていた。
「ごめん、待った?」
 渚の声に、驚いたように目を開ける。
「いや、今来たとこ」
 約束の時間より少し早い。ふたりは、少し神妙な面持ちになった。
「何から、話せばいいかなって考えたんだけど……」
 司から、バレー部の中で響の過去のことが表ざたになった話は聞いていた。 それを響が知っているのかまでは、分からなかったけれど、知っていると仮定して接触しようと思っていた。
「これ、持ってきた」
 渚が、ポケットから大事そうに小ビンを取り出す。
「あ……それが、響の弟からもらったっていう?」
「そう。柾君の事もちゃんと話したいと思って。……だから、私から切り出すね」
「分かった。響の家のほうには、連絡しといたから」
 司は、響の家というのに、違和感を感じながらもそう言った。
「ありがと。……あ、出て来たよ」
 コンビニの裏口から、響の姿が現れた。二人の間に緊張が走る。
「響くん」
 渚の声に、自転車のカギを開けようとしていた響が、顔をあげる。 並んだ二人の顔を見て、あのことを聞いたんだろうなと察しがついていた。どんな顔をすればいいのか分からなかった。
「久しぶりだな。バイト頑張ってんじゃん。一緒に晩飯しようぜ。おごるから」
「え? いや、俺は……」
「あ、家のほうには晩飯いらないって言ってあるから、断ると晩飯抜きなんだから、行くぞ」
 司が強引に、響を促す。響は、渋々二人の後ろをついて歩いた。 コンビニの向かいにある二十四時間営業のファミリーレストランを目指した。 響は二人の後姿を見ながら、このまま続けていけるはずのない関係を胸に収めることにした。
 この二人がどんなに努力してくれても……努力するという時点で、その関係は対等ではない。 一緒にいる意味なんかない。そこが心地よい空間だと感じ始めていても……。それを続けることに無理が生じるのなら、 自分から離れるしかない。響は、向かい合った席で、とりあえず夕食を済ませた。 これから、どうするのか答えはもう決まっていた。
 食後に運ばれてきたコーヒーを一口飲んでから、うつむいたままの響が重い口を開く。
「もう、バレー部の人から聞いてると思うけど」
 来た! 渚は、響の言葉を受けて、小ビンを取り出した。
「ちょと待って!」
 渚の声に、響が少し視線を上げる。
「これ、何だと思う?」
 目の前に突き出されたそれを見て、響が少し眉をひそめる。
「星の砂? ……」
 口からこぼれた言葉。同じ物を持っている自分。それでもそこにどんなつながりがあるのか、響は知る由もなかった。
「そう。これ、もらったの。五年前の夏。お母さんの実家へ遊びに行った時にね。そこで知り合った子に……」
 渚の言葉が少し詰まる。響は、五年前を想像していた。あの頃はよかった。みんな生きていた。 それを壊したのは自分だ。罪悪感にまた苛まれる。
「柾くんだよ」
「え?」
 渚の言葉に、響が顔をあげる。
「これくれたの、柾くん。響くんの弟だよね? ……これ、見覚えあるよね?」
 響は、視線を小ビンに移す。どこにでもある、だけど、そこにあるのは、紛れもなく柾と一緒に買ったものだった。 渚の名前。確かに自分の耳にも残っていた。
「渚さんが……あの……渚ちゃん?」
「柾くんから私の話聞いてたんだ……」
 柾から聞いた“渚ちゃん”の話。友達になったという年上の女の子。弟が、同級生の中で少し浮いているということは、 響も知っていた。相談も受けた。アドバイスもした。それでも、勇気の出なかった弟が、どんどん変わっていったのは、 “渚ちゃん”に出会ってからだった。夏休みのうちに、会っておけばよかった。どんな女の子なんだろうと、想像した。 あれから、弟は積極的になって友達も増えた。意地悪をする同級生にも、立ち向かっていった。泣き虫だった弟が “渚ちゃん”との約束だからと泣かなくなった……。微かな嫉妬も覚えた。それでも、その存在の大きさに惹かれた。
 あんなに楽しそうに毎日を送っていたのに。再び“渚ちゃん”に会えることなく、弟は死んだ。 自分が殺したんだ……。小ビンを見つめていた響の目から、期せずして涙がこぼれ落ちた。 響は、それを隠すように慌ててうつむく。必死にこみ上げる感情を押さえようとするがうまくいかず、嗚咽が漏れる。
 響の前で、渚と司は、ただ見守るしかなかった。彼の中にうごめく自責の感情を察知して、次に掛ける言葉が見当たらない。
「もう、やめましょう……」
 止まり切らない感情を、ぐっと押し殺して、響が呟くようにそう言葉を放つ。
「え?」
 渚が疑問符を投げかける。
「こんな過去のある俺なんかといても、気を遣うだけでしょ。もう関わらないでください」
 急に落ち着いた口調で、響が視線を上げる。二人は一瞬、息を飲んだ。
「そんなことない! 響くんの力になりたいだけ。……ダメかな?」
「力? そんなの望んでません。一緒にいる意味なんか、最初からなかったんやから……」
 響が席を立った。財布から千円札を取り出して、机の上に置いた。
「それじゃ」
「響くんっ」
 渚が、店を出ようとした響を引きとめようと声を出す。それを拒否するように、響の背中は無言で去っていった。 立ちすくむ渚。少しの沈黙があって、渚が動き出した。
「司、カバンお願い!」
「分かった」
 司は、渚が走り出すのを止めなかった。そうするだろうと、分かっていた。思い立ったらすぐ行動に出るのは、渚の性格だ。 しかも、相手が響となればなおさらだ。司も、急いで支払いを済ますと、駆けていった渚の後を追いかけた。
 渚が走って後を追うと、響は、丁度自転車にまたがろうとしていた。 息切れがする。渚は大きく息を吸ってから、自分の持つ最大の声を出した。
「響くん、待って!!」
 響の足が、自転車に乗るのをやめた。ハンドルを持った手が、少し震える。
「響くんがなんて言おうと諦めないから」
 そう言いながら、渚は響に近付いていく。
「放っておいてください……」
 渚の呼吸を背中で感じ取りながら、響が呟く。
「放っておけない。響くんの側にいたい」
 響は不意に振り向くと、険しい表情で言葉を選んだ。
「それって、熱い友情ってやつなんか? それとも、司さんと別れて俺に乗り換える気?」
 響の思いがけない言葉に、渚の動きが止まる。それ以上、続く言葉が見当たらない。 うつむく渚の肩に、伸ばしかけた響の手が止まる。司の姿を目でとらえると、響は慌てて自転車に乗り、走らせた。
「響!」
 司の声を無視するように、響は自転車の速度をあげて、闇の中へ消えていった。
「渚……」
 司が渚の肩に触れる。微妙に強張るのが司にも分かった。それを気にしないように、渚の肩を引き寄せる。
「あいつ、なんか言ってた?」
 司の問いに、渚はさっきの言葉を思い返す。そんなこと言えるわけない。出来るはずもない……。
「放っておいてって」
 渚の言葉に、司は大きな溜め息をついた。
「まぁ、最初からどうにかなるとは思ってなかったからな。長期戦でいくしかないな」
「司……」
 ほんの少しだけ、高い位置にある司の顔を見る。
「落ち込んでる暇なんかないぞ」
 助けられている。この笑顔に。壊すことなんて出来ない。渚は、焦燥感に似た感情を振り払った。
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