「どうしてこっちに来てる事分かったの?」 渚は手付かずのオレンジジュースに差したストローの先をいじりながら、司に視線を送る。 「え? あぁ……うん。木山から聞いた」 口ごもりながら、司は少し視線をそらした。 「木山さん? なんで知ってたんだろ?」 「さぁ?」 司にもそれは分からなかった。家の人に聞く以外は、思いつかないから、きっとそうなんだろうと思っただけで……。 早百合の行動は読めない。「別れて」と言ったり、「離さないで」と言ったり。司は、苦笑いを浮かべる。 渚は、そんな司の表情の変化に気付くことなく、自分が伝えたいことをどうやって話そうか頭の中で整理していた。 「聞いて欲しいことがあるんだけど……」 唐突に渚が口を開く。司は、追及をまぬかれてどこかホッとしていた。 「何?」 「響君の過去が分かった」 「え? 何?」 司は、その名前に少し嫉妬する。だけど、それはほんの一瞬で、渚の次の言葉を催促する。 「あのね……」 渚は、ついさっき祖母たちから聞いたことを、司に話した。込み上げてくる感情を必死で押さえるようにして、低い声で。 うなずく司の顔に、くもりがかかる。 「だから、あいつは、あんなに寂しい目をしてるんだ……」 司が呟く。誰も寄せ付けない、冷たく寂しげな瞳。感情を決して表に出さない振る舞い。 「これから、私達に何が出来るの?」 渚の問いが、司の胸にも深く刺さる。 店内に、学生達の姿が目立ち始めた。周りの黄色い騒音が、ふたりの感情を逆なでする。 「でようか?」 「うん……」 結局渚は、ジュースに口をつけることなく、喫茶店を後にした。 二人の後を追うように、喫茶店を出た人物がいることなど気付くはずもなく、まだ暑さの残る道を歩いた。 無言で、渚が目指していたのは、河川敷。司もそれに従うようにして、何を話すでもなく歩き続けた。 日差しと人の目を避けるように、自分達の背丈ほどにまで、草の茂った場所を、少し過ぎた。 川に掛かる鉄橋の下で、二人は足を止めた。司は、渚の後を追うように日陰に身を置く。 「……今の俺達に出来ることって。とにかく、会ってみなきゃ分からないんじゃないか?」 司は、自分の中に湧き上がる別の感情を持て余しながら、さっきから一言も口にしない渚に、きっかけを与える。 「……うん」 コンクリートの壁に、背中を向けた渚は、少しだけ顔を上げる。不安な表情は変わらないまま。安堵の笑みには程遠い。 司は、思い切ったように、左手で渚の肩に、いきなり触れると後ろの壁に、押し付けた。 渚の肩が、大きく震えるのが分かった。 「なぁ……俺はそんなに頼りないか?」 司の声は震えていた。うつむいて、渚には表情が見えない。 「そんなことない……。司にどれだけ助けてもらってるか」 「じゃ、どうして? どうして何にも言ってくれないんだ……」 「え?」 司は、顔をあげると同時に、右手で渚のもう片方の肩に触れる。 「ほら、人に触れられるの、嫌じゃないのか? どうして我慢するんだよ。 心療内科に通ってたくらい辛いこと……。俺には言えないってわけ?」 「え? ……ちょ、ちょっと待って!」 受け身で、司の言葉を聞いていた渚が、司の手を振り払った。司が顔を曇らせる。 「心療内科って、どういうこと?」 立ちすくむ司に渚の言葉が飛ぶ。司の目が、疑問に満ちてくる。 「え? 違うの?」 「違うよ。通ってるのはお母さん。司も知ってるじゃない。精神安定剤もらってること……」 渚の説明に、納得した表情を見せつつ、早百合の言動の根拠を頭の中でめぐらす。 「一体、誰からそんな話」 「木山……あっ」 とっさに出てしまった名前に、司は自分で驚く。言わない約束だったのに。だけど、早百合の真意がつかめない。 自分の気持ちを乱すためだけについた嘘には思えない。司はそう思った。それに、根拠もなく信じたわけでもない。 「また、木山さん? 一体どういうつもりで……」 司に視線を移した渚は、まだ納得の行かない様子の司に、溜め息をついて口を開く。 「……私のはね。そのお母さんの影響」 渚は、母親の虐待の話を淡々と喋った。 司の方が、どう振る舞えばいいのか分からないくらい、何事もなかったように話した。 「ごめん……」 「謝らなくていいよ……。だけど、司が頼りないから話せなかったとかじゃないから……それだけは分かって欲しい」 「……うん。分かった」 しばらくの沈黙の後、二人は同時に口を開いた。 「じゃぁ……あっ」 顔を見合わせて少し笑ってから、司の方が話を続けた。 「お母さんはもう大丈夫?」 司の問いに渚がうなずく。 「それじゃ、ちょっと、戻れる?」 「うん、そうだね。私も響君に直接会いたいから」 今は、この感情を押し殺そう。司は自分に言い聞かせながら、響の過去を頭の中で想像していた。 いつの間にか、日差しがやわらかくなって、水面が夕日に染まる。二人は、東京で再会する事を約束してそこで別れた。 渚と司がいなくなったあと、すぐ側の草むらから誰かが出てくることなど、考えもしていなかった。
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