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 司の冷静さを欠いた言葉に、太一は大げさなくらい大きな溜め息をつく。
「悪い……。頭冷やしてくる」
「あぁ、そうしろ」
 司は、体育館脇にある手洗い場に行った。蛇口をひねると、頭から水をかぶる。 熱気から開放されるにつれ、頭が冴えてくるのが分かる。渚の存在の大きさを思い知らされる。 太一の言ったことは当たっている。連絡が来ないことにイラ立っている。部活に私情を入れるな……言われて当然だ。
 司は、水を止めると頭を大きく振った。水が冷静な自分を呼び戻そうと、頬を伝う。
 その頃、体育館の入り口に早百合の姿があった。掃除を終えて出てきたバレー部員の中から、司を探す。
「木山……」
 太一が、話し掛けるでもなく呟いた。 他の部員達は、気にすることもなく部室へと歩を進めていった。
「あ、小澤君、斎木君は?」
 特に困った様子も見せずに、早百合が尋ねてきたことは、太一にとっては意外だった。
「あのさ。何があったか知らないけど、あんまり司の気持ちを乱さないでやってくれる?」
「……小澤君に、そんなこと言われる筋合いはない。私は私のしたいようにする」
 早百合の毅然とした態度に、太一は一瞬たじろいだ。早百合に対して持っていたイメージとは、違っていた。 小柄で可愛らしく、おとなしいイメージ。男子生徒からは、割と人気があったのだが、女子生徒からは嫌われるタイプ。
 だけど、目の前にいる今の彼女は、どこか渚とダブるところがあった。
 そんなやり取りをしていると、司が、手洗い場から帰ってきた。早百合の姿に司は、一瞬身構える。
「斎木君」
「何?」
 今度は一体、どんなことを言い出すのかと、司には早百合の行動が読めなかった。
 太一が隣で「部室行ってるな」と去っていく。
 太一が行ってしまったのを見送ってから、早百合が切り出す。
「城山さんから連絡あった?」
「……」
「あったら、のんきに部活なんかやってないよね」
「若宮君のほうは? 何か聞いてみた?」
「え?」
「だって、友達でしょ? そっちに連絡してるかも」
 早百合がいたずらっぽい笑みを見せる。司は、思ってもみなかったことを突きつけられ、戸惑いを隠せない。
「恩を仇で返されないようにね」
「え?」
 司の頭の中に、疑問符が次々と出てくる。整理しよう……。
「何か分かったら、連絡するね」
 早百合がどうしてそんなことを言ったのか、考える暇もないほど、司の頭は、忙しく動いていた。
 いつの間にか、もうそこにいなくなった早百合のことを考えている余裕はなかった。恩を仇で? それって、響が渚を?  逆のことはいつもどこかで心に引っかかっていた。渚の気持ちが、響に向かっていくことに怯えていた。 だけど……響の気持ちまでは、考えたことはなかった。本当に早百合の言ったようなことはあるのだろうか?
「先輩、お先に失礼します」
 後輩が、立ちすくんだままの司のそばを、遠慮気味に通り過ぎる。そこでやっと我に返る。
「あ、あぁ。お疲れ」
 旭もその後輩の中で、司の顔色を伺うように帰路についていた。 司はそれに気付くこともなく、濡れた髪をくしゃっとかき上げると、部室へと歩いていった。 部室には、太一だけが残っていた。パイプ椅子に腰掛けて、司を待っていたようだった。
「大丈夫か?」
 顔色の悪い司を見て、太一が声をかける。
「ん……あぁ」
 司は太一に背中を向け、ロッカーからタオルを出してくると、半ば放心状態のまま、太一に話し掛ける。
「なぁ。響は渚のことどう思ってると思う?」
「はぁ?」
 太一にとっては、突拍子もない質問だった。思わず声が裏返る。質問の意味を探し、早百合の存在を思い出す。
「木山に何か言われたのか? あいつ、司のこと」
「どうしたらいいか分かんないんだ……。渚と別れてくれって、この前」
 司の頭の中は、ほとんど空白で、無意識のうちに太一に話していた。 しばらくの沈黙が続く。司は、ロッカーの前に立ち尽くしたまま、太一から勇気の出る言葉をいつしか期待していた。
「自分だけ可愛がってろよ。木山のことなんか無視してたらいい。 城山の気持ちを引き止めたいなら、若宮にはもう関わるな」
 抑揚のない声で、淡々と喋る太一に思わず司は振り返った。太一は椅子にもたれて、腕を組んでいた。
「そんな半端なこと出来ない! リセットボタンなんかついてない!!」
 声が、自然と大きくなる。無表情だった太一が、口元を緩める。
「だろ?」
 組んでいた腕を戻して、太一がそう言った。
「え?」
「司は、木山のことも若宮のことも、放ってなんかおけないはずだろ。考えたってしょうがないんだよ。それなら、動け!  余計なこと考える暇もないくらいに、動けばいいじゃん」
 司は、太一の言葉に、心がふっと軽くなっていくのをはっきりと感じ取った。


 家に戻った司は、考えていた。もう一度、渚の家に電話をしてみようか?  それとも、早百合の言っていたように響に聞いてみるべきだろうか?
 すると、部屋のドアがノックされる。
「兄ちゃん、電話」
 弟が、ドアの向こうで呼んでいる。
「入って。誰から?」
 渚からかと、期待をする。
「え〜とね、木山さんって人」
 司は、何となく憂鬱になりながら、弟から受話器を受け取った。弟が部屋を出て行ってから、耳へ当てる。
「もしもし」
『斎木君、城山さんの居場所わかったよ』
「へ?」
 思いもよらない早百合の言葉に、間抜けな返事をする。
『知りたい?』
「……そりゃ」
『じゃ、ひとつだけ条件がある』
「じゃ、いい。自分で探す」
 何となく、予想がついたので、探す当てもないくせにそう言った。
『まだ、何も言ってないじゃない』
 早百合が電話の向こうで、すねている。いたずらっぽい笑みが浮かぶ。苦手だ……。司はイラ立っていた。
『もう、別れてなんて言わないから。だから、条件! 城山さんを離さないで』
「え? なんだよ……。それ」
 司は、不可解な早百合の言葉に、耳を疑う。
『とにかく、私の条件はそれだけ。守れるでしょ? じゃ、住所メモして』
 早百合のテンポに圧倒されて、司は慌ててペンを取った。
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