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 五年前。
 小学六年生の渚は、夏の夕暮れ、ひとりで河川敷まで散歩に出かけた。 暑い日ざしが、少しだけやわらぎ風が心地よく髪をなびかせる。 土手を登るとその向こうでは、子ども達がサッカーボールを追いかけていた。自分より、少し幼い少年達。 それをなぜか離れた場所で、一人ぽつんと座って見ている少年がいた。渚は、自分から声をかけた。 理由は、今でも分からない。 自分より小さい少年だったから、抵抗がなかったのかもしれない。
「みんなと一緒に、遊ばへんの?」
 使い慣れない関西弁をまねてみる。
「なんや、姉ちゃんには関係あらへんわ」
「なんや、ほの言い方。心配してんのに……」
 少年が渚の顔を上目遣いで見る。渚は、口を尖らせて突っ立っていた。少年は視線をそらしてから言った。
「……姉ちゃん、よそもんやろ? さっきから喋り方ヘンやで」
「悪かったな」
 渚は、少年の隣に腰を下ろした。少年も嫌がる素振りは見せず、受け入れた。芝のにおいが風に乗る。
「ねぇ、一緒にサッカーやらないの?」
 関西弁は諦めて、普段どおりの話し口調に戻す。元気のいい姿が、走り回っている。汗の染みたTシャツが、子どもらしい。
「僕、下手やねん。誰も声なんか、かけてくれへん」
 さっきまでの勢いはなく、寂しげな言葉が、空中で消えていく。
「自分から声かければいいのに」
 渚は、普段自分でもしていないことを少年に提案する。どこか、から回りしそうだなと感じながら。
「かけたことかてある……けど誰も相手にしてくれへん。僕……泣き虫やさかい、すぐ笑われんねん」
 少年は、次々と自分のことを話し出した。弟がいたらこんな感じなのだろうか? 渚は、少年の話に耳を傾ける。
 しばらくすると、少年は逆に尋ねてきた。
「姉ちゃんは? 友達おる?」
「……う〜ん……。いない」
「なんや、そうなんか。兄弟は?」
「ううん。一人っ子なんだ」
「ふ〜ん。僕は兄ちゃんおるで。めっちゃカッコええねん。それから勉強も運動も、何でもできんねん」
 兄の話を始めた少年の目は、きらきらと輝いていた。
「へぇ、お兄ちゃんのこと好きなんだね」
「当たり前や」
 少年は、力強く答えた。自慢の兄なんだなと、渚の心にも深く残った。 まだ、辺りは明るかったけれど、六時が過ぎようとする頃、少年はそろそろ帰ると腰をあげた。 サッカーをしていた子ども達もいつの間にか帰っていた。
「姉ちゃん、明日も来る?」
 その言葉には、期待を込めた響きが混ざっていた。
「そうやな……また、同じ時間くらいに来てもええけど?」
 少しイジワルな笑みを浮かべてそう言うと、少年は明るく指切りをせがんできた。
「指きりげんまん嘘ついたらハリ千本の〜ます! 指きった!」
 その日から、渚が帰るまでの三日間、そこで学校の友達のことや家族の話を主にした。楽しいひと時だった。 別れる日、少年は渚に小さなビンを手渡した。
「それ、渚ちゃんにやる。家族で沖縄に遊びに行ったとき、兄ちゃんとおそろいで買うたんやで。《星の砂》言うねん」
「そんな大事なもの、もらえないよ」
「ええねん。渚ちゃんは大事な友達やさかい……」
 少年が、少し涙ぐむ。
「こらっ、もう泣き虫はやめるんでしょ? これ、大事にするから」
 渚は、《星の砂》の入ったビンを握り締めると、少年の頭をなでた。
「渚ちゃんも、友達作りや。僕も頑張るさかい」
「うんうん」
「また、来年来たら、ここへ来てや。みんなとサッカーしとるさかいに」
「分かった」
 夕日が、少年の背中を赤く染める。土手の向こうから、誰かが呼ぶ声が聞こえてきた。
「お〜〜い。まさき。帰るで〜」
「あ、兄ちゃんの声や。ほなな、渚ちゃん。元気でな」
「うん。柾くんもな」
 走り出す少年の後姿に、目を細める。夕日が眩しい。声の主が、渚のほうに向かってぺこりと頭を下げる。 顔ははっきり見えなかった。ふたりの影を見送る。手の中の小ビンを見つめて、二学期からのことを考えていた。




 私は、微かに振動を感じる車内で、思い返した記憶のかけらを拾い集めた。少年との約束、何一つ守れていない。 友達を作ること。結局、出来なかった。それは、自分を優先したかったから仕方ない。だけど、あれから五年だ。 もしもあの少年が、大事な友達だと言ってくれた私のことを待っていたとしたら……今更、後悔しても仕方ない。 子どもの私には、どうすることも出来なかった。すべての決定権は父にあった。溜め息が自然にこぼれる。
 また、会えるといいな。たとえ、覚えていなくても、これを見せれば思い出すかもしれない。手の中の小ビンを握り締めた。




 期末試験の全日程が終わると、午前中授業だけの日が少し続いた。もうすぐ夏休みが始まる。
「なぁ、斎木先輩の彼女、ずっと学校休んでるって知ってた?」
 終業式の日の朝、教室へ向かう階段で、旭が不意に言った。
「え? いや、知らん」
 響は口ごもる。期末試験前の昼食を最後に会える機会はなかった。 寂しさを感じながらも、それが普通なんだと自分に言い聞かせていた。
「何か最近、斎木先輩、荒れててさ……響ならなんか知ってるかと思ったけど」
「……いや。司さんにも会ってへんし」
 荒れてる? 司のそういう姿は、響には想像できなかった。いつも穏やかで、笑顔が自然に思い浮かぶ。


 旭の言葉通り、司は部活に身が入っていなかった。それなのに後輩のミスにいちいち文句をつけていた。 その日も、部活中の些細なことに声を荒げていた。 終わったあとの空気も最悪で、部員達は言葉を掛けることすら出来なかった。 道具の片付けと、体育館の掃除を始めた時、思い余った太一が司に話し掛ける。
「最近、おかしいぞ」
「あぁん?」
 見るからに不機嫌そうに、司が言葉を返す。
「怒りっぽいって言ってんだよ。しっかりしろよ。あんまり私情入れると、みんなついてこないぞ」
「何だよ、それ。別に私情なんて関係ない」
「そうは見えないぞ。城山とまだ連絡つかないのか?」
「関係ないって言ってるだろっ!」
 司の声が、体育館に響いた。

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