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 心療内科。その言葉を聞いて、よく考えてみると、早百合の放った言葉は納得できた。 他人に触れられることに、過敏に反応する渚。だけど、それを悟られないようにしているのも、分かっていた。 だから、気になっても聞き出すようなことはしなかった。……いつか、渚の口から聞ける日が来ると信じて。
 司は、早百合の言葉に返す言葉もなく、ただ、冷たい椅子に腰掛け、うつむいたまま身動きひとつしなかった。
「斎木君? ……大丈夫?」
 早百合が心配そうに近付いてくる気配を、司は感じ取ると顔を両手で覆ってから、髪をかきあげ上を向いた。
「大丈夫」
 目を閉じたまま、やっとその言葉を、口から出すとそこへ艶やかな物が触れた。 体が一瞬、ガタッと動いて硬直する。
「!! 何するっ……」
 何をするんだ! その言葉が、途中で途切れた。早百合は、潤んだ瞳で司を見つめていた。
「斎木君が……可哀想で」
「ごめんっ、俺帰るからっ。コートいつでもいいから」
 慌てて、教室を出た。彼女に触れた唇を無意識にぬぐう。足が速まる。 一体、あいつは何を考えてるんだ? 司の頭に疑問符が渦巻く……。 そして、冷静さを取り戻せないまま、夜が明けた。

 司が寝ぼけ眼で学校に着くと、校門前にバスが止まっていた。 その人波にわざと混じる。紛れるようにでもあり、顔を直接合わせないためでもあった。
「おはよう」
 人込みの中で声をかけてきたのは、渚だった。驚いた様子の司に渚は、「どうしたの?」と話し掛ける。
「え? 何? 別に」
 司は自分でも、声が裏返ったのが分かった。 渚のことも心の中で引っかかっていたけれど、それ以上に衝撃的な出来事があったせいで普通に振る舞えない。
「斎木君、これありがと」
 一瞬、息を呑んで目をつむった。早百合の手から、昨日貸したコートが返ってくる。 早百合は、それを押し付けるように司の手に渡すと、二人より先に校舎に消えて行った。
「どうしたのそれ?」
 渚が隣で首をかしげる。何か言わなきゃ。司は、心の整理がつかないまま喋りだす。
「あ、あのさ。木山がイジメにあってるの知ってた?」
「? 知らない。それが何?」
「いや、昨日……コートを水浸しにされててさ。俺も知らなかったんだけど、どうやらそうらしいんだ」
 言葉がうまく滑らない。焦れば焦るほど、順序がおかしくなる。
「そっか、それで司が貸してあげたってことね」
「そ、そうそう」
 苦笑い。教室までの距離が途方もなく長く感じた。いつもは、ここで一緒になることもひとつの楽しみに、登校しているのに。
 教室に着くと、女子生徒の数人が渚を取り囲んだ。 渚は、いつも側にこない女子生徒の行動を、何事かと呆然と見つめる。
「城山さん、昨日斎木君のコート、木山さんが着て帰ったんだって? ひどいよね〜〜」
「そうそう、彼女持ちの男子にまで、色目使うんだから」
「サイテーよね?」
 同意を求めるように、女子生徒が渚の机の上に手を置いた。 そんな行為で、渚にはすぐにイジメをしているのが彼女達だと分かった。
「それって別に、色目使ったわけじゃないでしょ? 誰かさんたちが木山さんのコートを濡らしたりするから、司は親切で」
 淡々と、冷たく喋る。
「私達、そんなことしてないわよっ!」
 渚の言葉を遮るように、一人が声を荒げた。
「誰もあなた達が、なんて言ってないけど? 認めたみたいなものね。そんなくだらないことに力入れるより、 そろそろ期末試験の心配でもしたほうがいいんじゃない?」
 机の中を整理しながら面倒臭そうに喋る渚に、女子生徒達は顔を真っ赤にしてその場を去った。
「かっこよかった〜」
 とその後に寄ってきた他の女子生徒にも、「知ってて知らない振りしてたんなら、同罪ね」と言い放ち遠ざける。 早百合は、自分の席に座ってことの成り行きを背中で聞いていた。
 教室の隅では、男子生徒が呆気に取られていた。司は、そんな渚と早百合を交互に見ながら、軽い溜め息をつく。 渚の心の傷も癒せない自分に苛立ちを感じながら。早百合の態度に気持ちを乱されながら……。




 司は、近寄ってきた早百合に思わず身構えていた。あの時みたいに、隙を見せないように。 あれ以来、ふたりきりになることはなかった。 まるで、記憶の彼方に追いやられようとするのを、阻止しにきたかのように早百合はそこにいた。
「木山がそう思っても、俺は友達ごっこだなんて思ってない。首突っ込まないでくれるかな?」
 出来るだけ、気持ちに入ってこられないように、冷たい言葉を探す。
「そんな風には見えない。もうやめようよ」
 早百合が、司にしがみついた。それから逃れるように後ずさったものの、早百合の手は、司の背中を離さなかった。
「おい、ちょっと……やめろって」
「見てられないよ……もう別れちゃってよ」
 突然とも思えるような、押し出すような告白が、早百合の口からこぼれる。 司は、自分の体から力が抜けていくのを、他人事のように感じていた。
 その時だった。
「司〜?」
 ガラッと教室のドアが開いて、太一がその光景を目にする。 早百合は慌てて手を離し、足早に教室を反対のドアから出て行った。
「えっ? 木山っ? え? 何? 司。何がどうなってんの?」
 目を白黒させて、太一が首を忙しそうに動かす。
「いや……別に」
「別にって、お前」
「もう帰ったんじゃなかったのか?」
「何だよ、それ? 俺が来ないほうがよかったってことか?」
 真相を話しそうにない司に、太一はムッとした様子で言葉を吐き捨てる。
「そんなんじゃない!」
 頭の中がほとんど空白の司も、声を荒げる。
「顧問がちょっと来てくれって。それで呼びにきたんだ」
「分かった」
 太一の言葉に、職員室へと向かいかけた足を司が一瞬止める。 背中に感じる太一の視線を受け止めながら、ゆっくりと言った。
「話せる時が来たら、言うから……それまで、そっとしといて」
 太一の溜め息が聞こえた。
「分かったよ。だけど、これだけは言わせてもらうぞ。自分の気持ち見失うなよ」
「サンキュ」
 太一に背中を向けたまま、司はそう言い残すと職員室へと走っていった。

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