鋼の見た未来
第2章
例えば、こんな未来予想図

 赤い髪をもつ青年守護聖が、両手をあげた。
「ここまでするとはな。いいのか?女王陛下への反逆行為になっても?」
「もとより、覚悟の上!」
 金色の髪の青年守護聖の蒼い瞳が、怒りに燃えた。厳格な彼には、この一連の反逆以外の何者でもないこの事件を、非常に苦々しく思っていたことが、その表情からひしひしと伝わってくる。もちろん、ほかの守護聖たちも同じ気持ちではいたのだが。
 しかし、怒りに燃えてはいても、アンジェリークを人質に取られている以上誰も動くことができなかった。
 ふと、見回して、ゼフェルは守護聖の全員がこの場に集結していることに気づいた。自分の目の前にオスカー、ジュリアス、ランディ。後方の、先ほど闇の守護聖が声をかけて、来るように指示したあたりには、当のクラヴィス、リュミエール、ルヴァ、マルセル。そしていつの間にかそこにオリヴィエの姿も見えていた。
 ゼフェルの目に、何かひらひらと動いたのが映る。クラヴィスだ。手招きをしている。
 黒ずくめの連中に気づかれないように、そろそろとそちらに近づくと、クラヴィスが耳元でささやいた。
「ゼフェル。あれを、オリヴィエとリュミエールに。」
 クラヴィスのいう『あれ』が、なんであるかを即座に察したゼフェルは、ごそごそとそれを取り出し、ふたりの守護聖に渡す。
「どうする気だよ?こんなもの。」
「オリヴィエ。」
「わかってるよ。」
 クラヴィスに指示されて、オリヴィエがいったん後ろに下がって、大回りする形で彼らの向こう側に向かっている。リュミエールも、少し離れたところに待機した。
「マルセルはあちらへ。ゼフェルは向こうへ。タイミングはわたしがとる。」
「ちょっと待て。せつめーしろ。」
 クラヴィスの、あまりにも要点のみの指示に、ゼフェルは思わず面食らった言葉を発した。
「ゼフェル。アイツに飛びかかるんだよ。花火の音であいつらの注意を引くから、その隙に。」
 クラヴィスに変わってマルセルが説明する。
 こんな事すらも、ぱっと理解できなくなっているなんて、自分がかなり動揺しているらしいことを悟って、彼は内心苦笑する。どうやら本気で金色の天使にいかれてしまっているらしい。
 ゼフェルが、作戦を了解したと判断したクラヴィスが、新たな指示を出す。
「ルヴァ。おまえはここにいてロザリアを。……わかっているな?」
「わかっていますよ。頼りないですけどね。」
 ふたりの声を耳にしながら、ゼフェルは指示された場所へと向かった。
 あくまでも、さりげない風を装って。

 ジュリアスの声が、静寂の中に響いた。
「何が、目的だ。」
「女王試験の中止。女王候補を新たに選びなおして。」
 あの少女だ。アンジェリークが女王候補に選ばれたせいで、自分が候補から漏れたのだと主張していた、あの少女。
 大きなジェスチャーで、オスカーが首を振った。ことさらにつく、大きなため息。まるで挑発しているかのようなその仕草。
 彼が、自分たちの動きに気づいていると、ゼフェルは確信した。
 このような局面で、なんの意味もなく、そういう態度をとってみせる男ではない。少なくとも、ゼフェルの知っているオスカーならば。
「どっちも、受け入れることはできないな。」
「ならば、せめてこの女を殺す!そのあとであなた達も殺してやる!」
「やってみるがいい。」
 ジュリアスの声だ。ゼフェルの位置からでは後ろ姿しか見えない。
「その女王候補に髪の毛ひとつほどにでも傷をつけてみろ。守護聖全員がそなたたちを八つ裂きにするぞ。」
 その言葉に、少女はぴくりと眉を動かすが、アンジェリークは、まだ解放されなかった。アンジェリークに剣を突き立てている男は、そのまま固まったように動かないでいる。
「わたしを……殺したければ殺せばいいじゃない!」
 アンジェリークが叫んだ。
 その、とき。
 クラヴィスの声が響いた。
「オリヴィエ!リュミエール!」
 声が聞こえた瞬間、ほとんど間髪を入れずに、ふたりの守護聖に渡していた花火の音が響き渡り、男たちの間に動揺が走った。少女も、思わずといった調子であたりを見回した。
 その隙を逃す彼らではない。一斉に9人の守護聖が動いた。
 ゼフェルとマルセルは、あらかじめ指示されたとおりに、アンジェリークを羽交い締めにしていた男の方へ。オスカーとランディがそこに加わる。
 ジュリアスは、首謀者である女の元へ、剣も持たずに向かっていった。
 オリヴィエとリュミエールは、もうひとりの女王候補を守るためにルヴァの待つ場所へと戻っていく。
 クラヴィスは、いつの間にかジュリアスに近いところに位置していた。
 アンジェリークの身体が、戒めから解放された。一歩間違えば、危ないところでもあったが、どうやら無事のようだ。
「アンジェ!大丈夫?」
「は……い!」
 マルセルがアンジェリークに手をさしのべ、アンジェリークも、それに応えて手を伸ばす。アンジェリークの手が、マルセルの手にすがりついたとき、そのふたりに向かって一振りの剣がおろされた。
「あぶねえ!!アンジェリーク!マルセル!」
 ゼフェルは、思わず、そこにあったナイフを、剣をもつ男に投げつけるが、剣は容赦なく、マルセルとアンジェリークへと襲いかかる。
 間に合わない。
 思わず走り出したゼフェルの視界に、緋色の髪が飛び込んだ。
 彼は、愛用の剣を、先ほど放り出したときに拾わなかったらしい。
 剣を持たぬ彼は、肩当てで、おろされた剣を受け止めた。肩当てがぱっくりと割れ、むき出した生身の肩に鮮血がにじむ。
「オスカーさま!」
 誰が発した声なのか、ゼフェルにはわからなかった。わかっていたのは、彼が投げたナイフが、暴漢の肩口にふかぶかと突き刺さっていることと、ランディの放った跳び蹴りが、やはり剣を振り下ろそうとしていた、別の男の顔面に炸裂したことだった。
「マルセル!お嬢ちゃんを、安全なところへ!」
「は……はい!」
 ロザリアを守っているところへ、マルセルがアンジェリークをつれて走り出した。
「まっ、待ちなさいよ!」
 少女が叫んで追うところに、ジュリアスとクラヴィスが立ちふさがる。
 少女の計画は大失敗に終わった。もう、打つ手は残されていない。
 そう悟ったらしい少女は、ふたりの守護聖たちの目の前で、あっという間にそこに落ちていたナイフを拾って自分ののどに突き立てた。
「見るんじゃない!」
 そう叫んだのはオリヴィエの声であったか?おそらくはふたりの女王候補に惨劇を見せまいとして目をふさいでいるだろう。
 少女は、動かない。数人が、後を追って自殺した。
 そして、首謀格が次々と果てたので、全員が捕まってこの事件は解決した。
 ゼフェルの胸中に、やりきれない思いが募る。
「なんで……?オレ……わかんねーよ。たかが、女王候補にならなかったってだけのハナシじゃねーか。たったそんだけのことで、こんな騒ぎを起こして、
たくさんのヤツを傷つけて、あげくに、計画が失敗したとたんに自殺かよ。オレには、オレにはわかんねーよ!……そんなにまでして、女王候補にならなきゃいけねーもんなのか?そんなにまでしてなりたいもんなのか?女王っていうのはよぉ!」
 誰も、答えなかった。
 ゼフェル自身も、特に答えなど求めていたわけではない。ただ、やりきれない想いだけが、この場を満たしていた。
 ふと、ゼフェルの肩に大きな手が触れ、ぽんぽんとなだめるように軽くたたいて離れた。ゼフェルは、自分の思いに捕らわれていて、見ていなかったが、あとでマルセルに聞くと、その手はジュリアスのものだったらしい。
 ジュリアスもまた、多少は違うおもむきはあるだろうが、似たような心境だったのかも知れない。

 アンジェリークをかばって負傷したオスカーのけがは、出血ほどひどいけがではなかったらしい。翌日には、元気に公務をこなしていたほどだ。
 もっとも、2週間ほどの間は、さすがのオスカーも、いつもの執務服ではなく、私服で出勤してはいたのだが。
 相変わらず、アンジェリークの足は、オスカーの執務室によく向かっているようだ。

 そんな、平和を取り戻せたある日のこと。
 ゼフェルが通りかかると、ランディが落ち込んでいるのを、マルセルがなだめているという現場に行き当たった。
 理由を聞いてみると、どうやら、ランディがアンジェリークに交際を申し込んで断られた、という話だった。
「おめー……ばか?見て、わかんねーのかよ?アンジェリークが、誰を見ているかってことくらい、気付けよな。」
「え。じゃあ、ゼフェルは、アンジェリークが、誰のことが好きなのか、わかってるっていうの?」
 無言の肯定。気づかないランディが、鈍いのだ。

 それからまた、何週間かの月日が流れた。
 ゼフェルの、内心恐れていた瞬間が、やってきた。
 彼は、告白しないことを選んだ。アンジェリークの気持ちが自分にはないことが、わかりすぎるくらいにわかっているからだ。
 彼の予測していたとおり、アンジェリークが選んだ道は、炎の守護聖、オスカーと共に生きる道だった。
 もちろん、女王になるのも辞退する。
 ロザリアを新しい女王に迎えた宇宙は、しばらく混乱があったが、それをクリアしたあとは、また、平和な日々が戻ってきていた。
 基本的に、パートナーが決まった人になったというだけで、生活自体にはほとんど変化がなかったのだ。
 いつも通り、聖殿(但し、生活の場は聖地に移ったのだが)と、研究院と、自宅との往復。休日にはお菓子を焼いて、お茶会を開く。
 平和な数年間が過ぎた。

 現在、彼は、女王試験が行われた頃のオスカーの年齢に、もうすぐで追いつくところにある。守護聖たちのメンバーは変わらず、宇宙も平和だった。
 しかし、異変は、ひたひたと忍び寄ってきていた。
 オスカーの、炎のサクリアが、衰え始めたのである。
 元々、サクリアは、いつ目覚めて、いつ衰えるのかもわかっていない。しかし、彼よりも長く守護聖の任に就いていて、その分だけ、彼よりも交代する確率が高いものよりも、誰よりも早く、よりによってオスカーが先に交代することになるとは。
 『早すぎる』と、誰もが口をそろえた。しかし、こればかりは、自分の意志でどうこうできるというものではない。何日もかけて話し合いが行われ、やがて、オスカーが聖地を去る日程が決定した。もちろん、彼が妻を手放すということはありえない。
 その、前日。まだ、後任の炎の守護聖が来てもいないのに、聖地を去ることになったオスカーの私邸に、ゼフェルが姿を見せた。
「アンジェリーク。ちょっと、ハナシ、あんだけどよ……」
「はい?じゃあ、オスカー。ちょっと行ってくるわね。」

 おとなしくついてきたアンジェリークは、口を開いた。
「なんでしょう?ゼフェルさま。」
「なぁ……どうしても、行っちまうのかよ?」
「はい。」
「どうしてだ?まだ、アイツの後任の守護聖だって、来てねーじゃんかよ。ソイツが来てからだって、遅くねーんじゃんーのか?」
「ごめんなさい。ゼフェルさま。でも、どうしてもだめなんです。」
「どうしてだよ?オレは……行ってほしくねーよ!オスカーがどうこうっていうんじゃなくて、おめーに、ここにいて欲しーんだよ!」
「ゼフェルさま……?」
 ゼフェルは、はっと、言葉を切った。
 思わず、言ってしまったことに気づく。
 言うつもりのなかった言葉。
 言っても、意味のない言葉。
 アンジェリークには、もう、オスカーというパートナーがいるというのに。
「ごめん。……行けよ。……アイツといっしょに。」
「…………はい……。」
 アンジェリークは、少しためらっていたが、結局、なにも言わずに歩き出した。愛しい男の待つ屋敷に向かって。
 ゼフェルも、しばらくためらっていた。そして、ようやく言葉を発した。
「オレ……おめーが、好きだ……」
 アンジェリークが、立ち止まった。
「もし、オスカーがいなくて、おめーがここを出ることになったとき、オレが『行くな』って言ったら、おめー、行かねーか?」
 金色の髪の女王補佐官は、うつむいて、やがて、顔を上げた。
「その質問は、おかしいです。オスカーがいなかったら、わたし、女王陛下だったかも知れないんですよ?女王陛下がここを出ていくときなんて、退任するときだけじゃないですか。陛下でなかったとしても……わたし、ここが好きです。ここにいる、みんなが大好きです。」
 その答えで充分だった。
 オスカーと共に生きるからこそ、この地を去るのだと、彼女は、そういったのだ。
「オレのこと、忘れんなよ?」
「忘れません。絶対に。」

 炎の守護聖と女王補佐官が聖地を去ってから、また少しの時が流れた。

**********

 そのふたりが現れたとき、彼ら、残された8人の守護聖たちの間からため息ともつかぬざわめきが漏れた。
 ふたりに、そっくりな少年と少女。
 ただ、その瞳の色だけが、そっくり交換したかのようにも見える。
 少年は、燃えるような緋色の髪に、草原を宿した碧色の瞳。
 少女は、ふわりとした金髪に、アイス・ブルーの瞳。
 双子だというふたりは、新しい炎の守護聖と、早くも交代の兆しを見せ始めた女王の、候補。明日には、この少女のライバルにあたる少女がこの聖地にやってくることになっている。
 新しい炎の守護聖は、産まれながらに父である、元炎の守護聖の力を受け継ぎ、あまりにも年若いため、ある程度の年齢に育つまで、時間の流れの速い下界で両親と共に過ごしたのだという。
 それで、交代もせずに、早々にオスカーが聖地を去ったわけだ。まだ産まれてきていない(しかも、その子供は彼の妻の腹中だ)守護聖を相手に、交代など、できようはずもない。そんなことをしたら、長い間、炎のサクリアが滞ることになってしまう。ようやく、ゼフェルは納得した。
 少年は、少し顔を赤らめて、名前が『オスカー』であることを告げた。父の名前を、そのままもらったものらしい。
 少女の方は、これもまた、異例なことに、母子2代続けての女王候補に決定した。『アンジェラ』と、名乗った少女は、母にそっくりな笑顔をみなに向けてふりまいた。ゼフェルの目は、この少女に釘付けになってしまっている。
 ふたりの少年と少女は、ひとりひとりの守護聖にあいさつして回り始めた。
 やがて、ゼフェルの順番が回ってきた。
 名前を言うよりも早く、少女が口を開いた。
「銀の髪と、紅い瞳。ゼフェルさま、ですね?ママ、いえ、母から、よろしく伝えて欲しいって、言われてきました。アンジェラと呼ばれています。でも、本当は、アンジェリークって、いいます。」
 少女が、微笑んだ。
 あまりにも、あの少女にそっくりで、懐かしくて。

 そして……

 たとえば、こんな、未来予想図。