鋼の見た未来
第1章
例えば、こんな未来予想図

 彼、鋼の守護聖ゼフェルは、女王試験はおろか、自分が守護聖という立場であることすらも、何もかもが気に入らなかった。
 だから新しく女王を決める、女王試験が行われると知ったときも、面倒くさいことが増えたとしか思っていなかった。
 金色の、天使を知るまでは。
 その少女の名は、アンジェリーク。まさに、天使という意味だ。
 ライバルであるもうひとりの女王候補、ロザリアと共に謁見の間に姿を現したときは、何とも思っていなかった。
 産まれながらに女王の素質を認められ、候補として大切に、完璧に育てられたロザリアとは違い、アンジェリークの方は、出自が庶民であることはもちろん、女王候補としての教育も、なにも受けているわけではなかった。それは、育成中の大陸にも顕著に現れていた。
 不慣れであるのは、ふたりともそうではあるのだが、そういった場合、基礎の教育がその明暗を分ける。もちろん、ロザリアの育成は完璧に近く、着々と発展し続けている。片や、アンジェリークの大陸は、初期段階ですでに大きくライバルに水を開けられていた。
 しかし、育成では大きく劣っているものの、守護聖との関係は、アンジェリークに軍配が上がっている。お嬢様育ちのロザリアに比べて、庶民だということすらも武器になっているアンジェリークは、親しみやすく、また、特に年齢が近いこともあって、彼、ゼフェルや、彼と同年代の少年守護聖、風の守護聖ランディ、緑の守護聖マルセルらとは、しょっちゅうどこかへ遊びに行くようにまでなっていた。
 最初のうちはもちろん、面倒くさいと思っていたゼフェルだったが、アンジェリークと親しくなるにつれ、だんだんと、彼女と過ごすのが楽しくなってきていて、気がついた頃には、彼女のことを目で追うようにまでなっていた。
 守護聖の中でも仲がいいのは、自分たちのほかには自分たちとも仲のいい、ゼフェル自身のお目付役でもある地の守護聖ルヴァ、穏やかな人柄で知られる水の守護聖リュミエール、彼女たちには話しやすいらしい夢の守護聖オリヴィエといったところか。
 厳格な光の守護聖ジュリアス、人とあまり深く関わろうとしない闇の守護聖クラヴィス、女性には節操のない、もとい、女性に対しては特に人気があるのだが、初対面であまりいい印象を持たれなかったらしい、炎の守護聖オスカーなどは、どちらかというと、あまり仲がいいとは言えないようにゼフェルには思える。もちろん、仲が悪いというわけではない。ただ、あまりいっしょにいるのを見かけないとか、執務室に通う回数が少ないとか、そう言った程度のことである。
 なにはともあれ、たまにはほかの少年たちを出し抜いて、ふたりで遊びに行くこともある。
 そういうときに、彼の視線がアンジェリークに釘付けになっていることは、実は彼自身は気付いていない。もっとも、アンジェリークがそれに気付いているかというと、これもまたまったく気付いていないようなのだが。
 そして、それは、今日の育成の終わったアンジェリークと、公園を歩いていたときに起こった。彼は、アンジェリークに目を奪われるあまりに、周囲の状況に気を配ることを失念していたのだ。

 植え込みの陰から、黒ずくめの男が数人飛び出してきて、大振りのナイフをかざしながら叫んだのだ。
「女王候補アンジェリーク、覚悟!」
 とっさに、彼女をかばうことしか考えられなかったゼフェルは、アンジェリークをかばって、ナイフをよけた拍子に大きくバランスを崩して転倒してしまった。
 慌てたゼフェルが振り返ってみると、アンジェリークの身体が、狼藉者の前にもろにさらされてしまっていた。
 流れる血。悲鳴をあげるまもなく倒れてしまう金髪の少女。二度と開かなくなってしまった碧の瞳。そういったものの幻が一瞬ゼフェルを襲い、彼は思わず目を閉じた。
 しかし、ゼフェルの恐れていた瞬間は、幸運なことに訪れてはこなかった。
 おそるおそる目を開くと、赤い髪を持った、大柄な青年が彼女の前に立ちふさがっていた。髪の色と正反対の印象を持つ、アイス・ブルーの瞳が、炯々とした熱を放っている。炎の守護聖。
「オ……オスカー!」
「どうして彼女を狙った。彼女が女王候補であることは知っているな。」
 その中に、ひとりの少女が混じっている。少女はアンジェリークに向かって叫んだ。
「どうしてその子が候補に選ばれたの?わたしだって、女王候補としての教育を受けたのに!どうして、なんの知識もないこの子が……!あなたが選ばれたおかげでわたしの父さまは自殺を図ったのよ!あなたのせいよ!」
 アンジェリークの碧色の瞳が大きく見開かれる。すっかり血の気を失った唇がわなないた。両手が、顔を覆うように持ち上げられる。そして目元に浮かぶ大粒の水晶。いやいやをするように、彼女は首を振った。
 知らなかったのだ。
 自分がどんなにイレギュラーな形で候補にあがったのかを。
 これに対するオスカーの言葉は辛辣だ。
「このお嬢ちゃんのせいではないだろう。君が候補に漏れたというのなら、君の素質が充分ではなかったということじゃないのかな?逆恨みなら、お門違いだぜ。」
 炎の守護聖にそう言われた少女は、顔を真っ赤にしながらなおもアンジェリークに向かっていった。
 オスカーの、ため息混じりの声。
「女性に向ける刃は持たない主義なんだがな。女王候補のお嬢ちゃんに危害を加える気なら、容赦はしない。」
 アイスブルーの瞳が、一瞬、燃えるようにきらめいた。
 相変わらず気障な男だ、と、思いながらも、彼の登場はゼフェルには心強かった。なんといっても、ゼフェル自身は、無様にも転倒してしまったままなのだから。
「ゼフェル。」
 炎の守護聖の声が、まだ座り込んだままの彼に降った。
「お嬢ちゃんを安全なところへ。」
「わかった。後は任せたぜ。おっさん。」
「俺の馬を使え!部屋に送り届けるんだ。」
「わかった!」
 呆然としてしまっているアンジェリークを促し、馬に乗せると、ゼフェルもひらりとまたがる。
 女王候補にあてがわれている寮の前に来ると、アンジェリークは、部屋に戻るのをいやがった。あの場に残してきたオスカーのことが気になって仕方ないというのだ。
「アイツなら大丈夫だから。早く部屋に戻って安全なところにいろよ。」
 そう言ってみても、首を振るばかりで動こうとしない。じれったくなって腕をとっても、すぐに寮の入り口に戻ってしまう。
 ゼフェルは仕方なく、聖殿の方へアンジェリークと馬に乗って向かった。少なくとも、寮の入り口で座り込んでいるよりは、彼以外の守護聖たちが通りかかる分だけ安全とも思えるし、オスカーも一旦はここに戻るはずだからだ。
「オスカーさま……オスカーさまに何かあったら、わたし……わたし……」
 泣きじゃくるアンジェリークに、ゼフェルは、どうしてこんなにもおもしろくないのだろうと思っていた。
 自分をかばったのだから、アンジェリークがオスカーのことを心配するのは当然だし、むしろ自然なことだ。
 だが、なぜだか、つまらない。
「大丈夫だって。いいかげん、泣くのはやめろ。」
 この言葉を言うのは、何度目だろう。ふと、目を上げると、当の話題の本人が歩いてくるのが見えた。
「オスカー……」
 その言葉に、アンジェリークがぱっと顔を上げた。大きな碧の瞳には、まだ涙が浮かんでいる。
「オスカーさま……良かった……」
「ゼフェル。どうしてお嬢ちゃんがここにいるんだ。部屋につれていかなかったのか?」
「行ったさ。行ったけどよ、コイツが、どうしてもオスカーの無事な姿を確認するんだって、きかねぇから……。少なくとも、寮の入り口で待ってるよりはほかの守護聖も通りかかる分だけ……安全、だろ?」
 自分でもいいわけめいたことを言っていると思う。ちらりと見ると案の定、オスカーが何かを言いたげなのを飲み込んでいるかのような仕草で、首を振ったのが見えて、ゼフェルはなんとなく、腹が立ってしまった。
 もちろん、怒っている場合ではないのは、百も承知だが。
「オスカーさま……けがは……」
「ああ、大丈夫だ。お嬢ちゃんこそ、けがは?」
「ありません。」
「ゼフェルは?」
「ねーよ。このオレさまが、そんなへま、すっかよ。」
「お嬢ちゃんをかばいきれなくて転んだくせに」
「な……」
 なおも言い返そうとするゼフェルを、手で制してオスカーは、アンジェリークを寮につれていって、その後、ジュリアスの執務室へ向かうように言った。
 女王候補の安全を守るために話し合いをするつもりであるらしい。
 ゼフェルは、なんだかうまくごまかされたような気がしていたが、おとなしくそれに従った。ついでに、ロザリアにも気をつけるように声をかけると、言われたとおりにジュリアスの執務室へ向かった。

 ジュリアスの執務室には、すでに守護聖全員が集められていて、さすがに広い室内も、ものすごく狭く感じる。
「全員、揃ったようだな。では、今日起きた事件について話し合いを持ちたいと思う。なによりも、第一に考えなくてはならないのが、女王候補の身の安全と、自身の身の安全だ。心して聞くように。」

 その日決められたのは、この事件が解決するまで、守護聖全員が交代で、女王候補のふたりを毎日寮と聖殿を往復する間、護衛するということだった。正確に言えば、襲われるのはアンジェリークの方だけだと思われたが、万一ということもあるので、ロザリアにも当然、護衛が必要だと思われたのだ。
 ひとりで行う必要はなく、あまり武闘派とはいえないルヴァや、リュミエールのときなどは、特に、ほかの守護聖と共に護衛役を務めることもあるようだった。現に、少年たちは、誰の当番のときでも必ずつるんだし、ルヴァが当番のときは、3人揃ってくっついて歩いていた。
 もちろん、抜け駆けで平日にデートを誘いには行けなくなったが、帰りにふたりの候補たちとお茶をするくらいのことはする人もいた。(誰とは特に言わないが、ちゃらんぽらんに見えて実はけっこう世話好きな一面もある守護聖だとか、女性にはひときわまめな守護聖などである。)

 もちろん、日の曜日であっても、ひとりで出歩かないように申し渡されている女王候補たちは、たびたび、誰彼ともなく遊びにつれて行ったりしているようだった。ときには、以前には考えられなかった組み合わせで公園を歩いている姿も見かけられるようになった。今、ゼフェルが目にしたふたりも、その一例である。金の髪の女王候補アンジェリークと、炎の守護聖オスカーである。
 あの事件以来、急速に親しくなったらしいふたりは、こうやって歩いているところを見かけられることが多くなってきている。
 ふと、ゼフェルは、アンジェリークの表情が、いつもと違うことに気がついた。どこが、と聞かれても、彼にはうまく答えられそうにない。ただ、自分に向けられている表情とは、微妙に違う気がする。

 その日の当番はマルセルだった。お世辞にも武闘派とはいえない彼は、特にほかの守護聖(つまり、ランディとゼフェルだ)と共に役目を果たす傾向にある。ほんの少し、アンジェリークと、守護聖3人やロザリアとの距離があいたときのことだった。
 前回のときと同じ、黒ずくめの集団がバラバラと飛び出してきて、アンジェリークに刃を向けたのだ。その中には、オスカーとも対峙したことのある、あの少女の姿もあった。
 ランディが、すらりと剣を抜いた。ゼフェルはマルセルに花火のようなものをわたしながら、これを使ってほかの守護聖や、警備の人間を呼ぶように叫んだ。
 ランディも、決して弱くはないと思うが、相手の人数が多い。
 このままではあっという間に取り囲まれてしまうだろう。
 花火の点火装置が、けたたましい音を立てて合図を送った。これで誰かが来るはずだ。本当ならゼフェルは、こうやって人に頼るのは好きではない。しかし、今はアンジェリークもいる。ロザリアもいる。
「ゼフェル!俺はいいから、ふたりを!」
 そう叫ぶランディにはもはや余裕はない。そう、見て取った瞬間、聞き慣れた馬のひずめの音が聞こえてきた。
 オスカーだ。
 オスカーは、ひらりと馬から下りると、まっすぐにアンジェリークを取り囲んでいる男たちの方へ向かった。彼愛用の剣が陽を反射してきらめく。
 少し遅れて、ジュリアスとオリヴィエの姿も見えた。
「ロザリア、こちらへ!マルセル!」
 クラヴィスの声が響く。マルセルは、はじかれたようにロザリアをつれて闇の守護聖の元へ走っていった。よく見ると、そのそばにはリュミエールとルヴァの姿も見える。
「剣を捨てろ!」
 野太い男の声が響いた。アンジェリークを羽交い締めにして喉元に剣を突きつけている。アンジェリークの碧の瞳に涙が浮かんだ。
 女王候補を盾に取られては、さしもの守護聖も、言うとおりにせざるをえなかった。からん、と、金属が石に触れた音がした。
「アンジェリーク!」
 悲鳴をあげたのは、誰だったか?ゼフェルには、わからなかった。アンジェリークの苦しげな表情が彼の意識を襲っていた。

  失うのか?こんな事で。
  失うのか?あの、碧色の瞳を。まぶしいほどの笑顔を。
  アンジェリーク。明るい、金の髪をもつ少女。

 彼、ゼフェルは、ようやく、気がついた。
 自分が、アンジェリークに恋心を抱いているらしい、と、いうことに。