今回は展覧会特集号ということで、作者コメントに幾つかの補足をしたいと思います。

  「どうした弾みか年下の彼と結婚して・・・」知らない人が聞いたら誤解するではありませんか。どんな弾みと

 いうのでしょう。まだ就職もしていないし、生活力のない私との結婚を許してくれるよう、どのように両親を説得

 したのか不思議です。私の方は母親から「そんなに急いで結婚することはないんじゃないの」と反対されました。

  初めて会ったときの印象は年下の少女でした。それは本当の年齢を知るまで変わりませんでした。転勤に関して

 は、申し訳なかったと思っています。私の就職先は建設会社で仕事は都市土木、地下トンネルを掘る現場勤務だっ

 たためです。結婚直後は私の実家、茨城県石岡市、次は千葉県松戸市、茨城県牛久市、大阪府寝屋川市、鹿児島県

 鹿児島市、そして六番目に越してきた豊橋市で2回の引っ越しをして、現在のマンションに落ち着きました。

  長女は松戸市生まれ、次女は大阪生まれ、長男は豊橋生まれ、その長男が生まれた後は単身赴任が25年間に及

 びました。  

  青いバラについては不思議な縁を感じます。作者と出会う2年前に東京で下宿を始めました。下宿のすぐ隣に一歳

年上のYさんも下宿していました。このYさんとの出会いは、私の人生で最も重要な出会いと言ってよいでしょう。

Yさんに出会っていなければ、作者とも出会っていないのですから。

 Yさん、兵庫県芦屋市出身、灘高校から東大入学、エリート中のエリートです。それまで18年間生きてきて初め

て出会う異次元の人に思えました。「君、シューベルトの冬の旅という曲知っている?」「知りません」「では教え

てあげる・・・(長くなるので省略)・・・今日はやけにタバコの煙が目にしみるよ」Yさん、目を真っ赤にして涙

をぬぐっていたのでした。冬の旅は失恋の歌だったのです。その時彼が失恋した直後だったのかは定かでありません。

 彼は東大を卒業するとサントリーに入社しました。医学部ではなかったのに医学博士の資格を取りました。そして

作者の花友が送ってくれた青いバラを作るプロジェクトのメンバーとなって研究を続け、その開発に成功したのです。

 今回の展覧会でも多くの方々との出会いがありました。年度末の忙しい中でしたが、桜満開の下で無事に終わる事

が出来ました。900人を超えるご来場の皆様、ありがとうございました。そして、多くのお力添えと応援して下さ

った方々を思い浮かべながら、作者と共に感謝申し上げます。

そ よ 風 に 乗 っ て   (マネージャーの独り言)
                                         
吉沢 武久

第 35 回   作 者 コ メ ン ト の 補 足   (2021年 4月 1日)