【 夫婦の絆を結んだ「青い糸」】 原稿原文は「妻との絆を結ぶ青い糸」でした
茨城県の農村で生まれ育った私が初めて新幹線に乗車したのは、昭和43年、18歳の時、大学受験で東京から
名古屋に向かうひかり号でした。(受験という緊張感を持ちつつも、何もかも初めての経験で、修学旅行のよう
なウキウキ気分でした。車内販売のお姉さんがとても綺麗な方で、にっこり会釈されただけで淡い恋心を抱いて
しまいました。そのこともあってか)以上括弧内削除された・・受験には失敗し、新幹線乗車の機会はしばらく
なくなりました。大学、就職は東京でしたが、転勤で名古屋支店勤務になった29歳の時から、再び新幹線のお
世話に。仕事柄、転勤が多く単身赴任が25年にも及び、東京本社や大阪支店勤務の時は、豊橋に構えた自宅に
帰宅する足が新幹線となり、毎週末は車内の人となりました。電話やメールが苦手で、離れて暮らす妻とのコミ
ュニケーションは、手紙のやりとりでした。ラブレターノートと称した大学ノートにその日の出来事や思い、悩
み、喜び、悲しみなどを記しました。書けない日も多くありましたが、帰宅する新幹線の中は揺れも少なく格好
のノート記述の場となりました。昨秋の定年退職まで千回以上乗車し、ラブレターノートは30冊を越えました。
単身赴任が解消され、新幹線に乗ることもほとんどなくなった今、週末になると車内ノートの記述が思い起こさ
れ、少しの寂しさと私たち夫婦の絆を結んでくれた「青い糸」新幹線に感謝の念が湧いてくるのです。
(職業 土木技術士として2011年1月6日 朝日新聞 声の欄に掲載)
前回、朝日新聞に投稿して採用されなかったコスモスのエッセイを掲載させていただいた。今回は声の欄に採用
された投稿原稿を記載させていただく。その思いに至ったのは、11月29日付の天声人語が新幹線のことを語っ
ていたことによる。このコラムを読んで、確か2010年、定年退職した年の年末特集として新幹線に関する投稿
募集があり、応募したところ採用されたのを思い出したのである。
どうして年末になると新幹線のことが話題になるのかわからないが、8年前の年末をを振り返って当時投稿した
原稿を紹介します。
投稿を採用すると電話がありましたが、担当者曰く、前半の一部は削除しましたから、とおっしゃる。私はそこ
も言いたかったところだったのだが、渋々承諾した。(大学受験失敗の一つの理由なのだから)
今回削除されたところを括弧書きで示して、原稿全文を記載します。
そ よ 風 に 乗 っ て (マネージャーの独り言)
吉沢 武久