そ よ 風 に 乗 っ て   (マネージャーの独り言)
                                         
吉沢 武久

第 1 回   出 会 い  (2018年6月1日)
  「そよ風のアトリエ」は、2002年6月に公開して以来、16年が過ぎました。公開の目的は、作者がその5年前から

 豊橋のNHK文化センター水彩画教室講師を務めはじめたことで、その活動と作者の作品を紹介するものでした。

  作者は典型的な文化系人間で、機械や数字にはめっぽう弱く、アトリエ公開には夫たる私が手を貸さなければ、とても

 実現は不可能でした。当時、私は単身赴任中で月に数度しか帰宅できません。その休日の貴重な時間をホームページ作成

 に費やしたのです。時間の制約もあり、16年の半数は不定期の更新となりましたが、定年退職した8年前からは、毎月

 1日更新が可能となり、同時にマネージャーとして以前より深くアトリエに関わることができるようになりました。
 
  それを機会にエッセイのコーナーを受け持つ余裕もできて、これまでのアトリエ作成に関わる裏話や、作者の知られざ

 る一面等を紹介していけたらと思っています。第1回は作者との出会いについてです。

  「夏休みに何でも良い、英文の本を一冊読んできてその概要を書いてくること」高校2年生の時に出された英語の宿題

 だった。中学から卓球を始めた私は、高校でも365日卓球に打ち込んでいたと言っても過言ではなかった。夏休みも

 毎日練習に行っていた。英語の宿題を忘れていたわけではないが、得意でもない英語の本を読むこともなく夏休みは終

 わろうとしていた。さすがに白紙で提出する勇気もなく、8月の終わりに街で一番大きい本屋さんに行った。外国語関

 連の棚には分厚く難しい英文の本が並んでいた。とても手に負えないと思ったときに、偶然にも厚さ1センチにも満た

 ない薄っぺらの本を見つけた。「A Picture Book without Pictures」、アンデルセンの絵のない絵本だった。値段

 も300円ぐらいだったと思う。買っては見たもののすらすら読める英文ではなかった。

  もう一つ重なった偶然があった。何の用事か忘れたが、学校の図書室に行ったときに山室静訳の絵のない絵本を見つけ

 た。助かった、これで和訳する手間が省けた。そして最終ページに登場した4才の女の子の祈りに泣かされた。

  絵のない、と題した絵本だったが、ほとんどのページに白黒ではあるが、挿絵が入っていた。その絵は岩崎ちひろとい

 う画家が描いたものだったが、そのことを知るのはそれから4年後のことである。

  

   大学3年生のクリスマスの夜のこと。下宿先東京で通っていた教会で、青年たち数人での小さな集いが開かれた。そこで

 初めて出会う赤いセーターが印象的だった少女が言った。「私は絵のない絵本の女の子のようなお祈りすらできないんです」

 『 エッ!あの女の子の祈りを知っている人がここにいる』私は驚きと共にその少女に強い興味を覚えた。幸い帰る方向が

 同じだったので、その夜少女を送ることになった。「 俺、絵のない絵本、高2の時に読んでます」 「 あっ、岩崎ちひろ

 さんが挿絵を描いている童心社の本ですよね。」 『 岩崎ちひろ?何者だそいつは』 私は英文と日本語訳とを対比するの

 が精一杯で、挿絵の作者が誰だったかなど無関心だった。しかも4年前のこと。彼女が言っている本が果たして私が偶然見

 つけた本と同じかどうか定かではない。返事に困ったので話をそらした。「 あの女の子、可愛いし素敵な話ですよね」

 「 えー、岩崎ちひろさん、女の子をとっても可愛く描くの。私大好き」岩崎ちひろの名を初めて聞く私に彼女は、ちひろ

 のことを熱く熱くたくさん語った。

  この初めての出会いから1年3ヶ月後、3月の大学卒業式の1週間後で入社式1週間前に、彼女と結婚式を挙げていた。

  「運命の人」「赤い糸で結ばれている」こんな言葉を信じたくなるような出会いだった。

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