LAST STAGE.魔宮シャリーア

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T.

「お久しぶりでございます。我が師、ラシュディ様。」

「よく来たな、サラディン。少しは腕を上げたようだが、まだ逆らうのか?愚かな弟子よ。」

「いえ、自然の理に逆らっているのは師でございましょう。師を超える者などおりませぬ。なのに、なぜ師は力にこだわりまするか?自然の法を曲げてまで、力を手にして何をなさるのか。暗黒道の果てに何があるのか。」

サラディンの口上に、ラシュディは堪えきれないといった風に笑った。

「いつから僧侶になったのだ、サラディン? 愚鈍なお前には分かるまい…。果てを見る事の出来る者の苦しみを分かるはずもない。」

サラディンが防護魔法を解くやいなや、トリスタンが叫び、ラシュディに迫った。

「何をほざくか、世界を破滅に導く悪魔めッ!我はゼノビア王国の第1王子、フィクス・トリシュトラムッ!今こそ貴様を倒し、亡き父上と母上、そして死んでいった多くの者達の無念を晴らさせてもらうッ!」

「ほう。グランの忘れ形見か…。お前如きに儂を倒すことが出来るかな?それよりも儂に従うのならば世界をくれてやろう。儂の目的は世界の支配などではないのだからな。」

「貴様の死が、我が望みだ!」

「愚か者め…己が非力を呪うがいい!」

剣が身体に触れる前に、ラシュディの放った雷がトリスタンの大腿を貫いた。

くぐもった悲鳴を漏らしトリスタンが倒れ込む。

その身体を素早く助け、レティシアが一枚のタロットの魔力を解き放った。

「この世の果てより世界を創造せしめし処女神よ、あらゆる苦難からこの身を助けよ! 汝、名をワールド!!」

タロットを中心に、黄金の粒子が放たれた。

強風のように全員をなぶり、なおも止まらず広がっていく。

ラシュディはぎくりとしてレティシアへ向かってウインドストームを唱えた。

トリスタンをランスロットへ突き飛ばし、甘んじてラシュディの魔法をその身に受ける。

「レッティ!」

流石はラシュディであった。

ワールドのカードで魔力の殆どを封じられたはずなのに、桁外れなその魔力はその戒めを上回って発動していた。

レティシアは風の刃を全身に受けて、毛髪を切られ肌は裂け、血が滴っていた。

「何という事だ、小賢しい…ッ。」

ラシュディは魔力の一部が封じられた事に眦を吊り上げる。

隙をついて打ち掛かろうとした者たちへも同様に魔力を放った。

「ラシュディ!姉から奪った、呪われた石『キャターズアイ』を返しなさい!」

ユーシスが眩い聖光を放ち、サタンたちを退け、更にはラシュディに迫った。

その純白の羽根にラシュディの眼が僅かに見開かれる。

「お前は…ミザールの妹…ユーシスか…?」

「姉を苦しめ、そして今、聖なる父を欺こうとしている…。私はあなたを許すわけにはいかないッ!さあ、おとなしく石を返し、投降しなさいッ!」

「二人そろってバカな姉妹だ…。欲しいなら儂を倒せッ!…お前の憎悪を感じるぞ…。儂を憎め、憎むがいい。憎しみこそ儂のパワーだ!」

「今更に我が姉を侮辱するか、ラシュディ!」

ユーシスの頬が激昂に染まる。

アイーシャやノルンの手で取り敢えずの治療を終えたトリスタンが、痛みを堪えて再び剣を取った。

師に志は勝るともその技はまだ及びつかぬサラディンも、持てる限りの魔力で応戦する。

レティシアやランスロット、デボネアやラウニィーたち、戦える全ての者たちが今、心を一つに戦っていた。

ラシュディの魔力を押さえ込んだ事がやがて効を成し、剣はラシュディの身体についに届いた。

ユーシスのジハドがラシュディの周辺の空気を溶かすほどの閃光を放ち、ブリュンヒルドがレティシアの呼びかけとその光に呼応するように雷撃を散らしてラシュディの動きを僅かな時間留めた。

「レッティ!」

ラシュディに向かうトリスタンが叫ぶや、ブリュンヒルドはレティシアの手を離れて彼の手の中に収まった。

「全てを、この一太刀で断ち切らん!」

トリスタンが振り下ろしたブリュンヒルドは、狙いを過たず肩口から斜めに深く、ラシュディを斬り下げた。

口から大量の血を吐いて、ラシュディはどうと後ろへ倒れる。

その懐から猫の目に似た輝きを放つ宝石が転がり落ちた。

「…これがキャターズアイね。」

フェンリルはつま先に当たって止まったその宝石を拾い上げてユーシスに手渡そうとしたが、拳の中に閉じ込めたままやめた。

「先にラシュディを片づけてしまいましょう。」

「え?」

「弟子であるアルビレオまでが習得していた転生の秘術を、この男が知らないとは思えないわ。」

「そうですね。」

ユーシスは手にした大きな十字架を天に掲げた。

賛美歌のような綺麗な音がユーシスから漏れる。

「やはり運命を変える事は出来ぬか…。」

ラシュディが呟いてレティシアを見据えた。

「儂を越えた英雄よ、この命はくれてやろう。しかし残念だったな…。 アンブロジアは甦る。」

「!」

「ククク、その身に聞こえるだろう。 ディアブロの息づかいを…。……かつてオウガどもを統べた暗黒神ディアブロの力…、その目で見るがいい…。」

レティシアの全身が総毛立った。

それを眺めてにやりと笑ったラシュディの目が濁りはじめる。

大地が咆吼した。

全てを打ち砕く、大地の怒りに似た震えの上で、誰一人として立っている事は叶わなかった。

転倒して強かに全身を打ち昏倒する者や、崩れ落ちた天井に潰される者が続出する。

穴が空いた天井からは、昼であったはずなのに太陽の光を分厚い雲で全て覆い隠され、真っ暗に変わってしまった天があった。

突然の豪雨と共に雷が幾条にも重なり、数多く周囲に落ちた。

仲間を助け退却を果たした反乱軍たちは、それまで居た神殿に恐ろしいモノが立っているのを見てあまりの事に放心する。

ねじれながら天を貫く2本の大きな角を生やした赤い肌をした鬼。

その身には2頭の竜が融合していて、各々炎と氷のブレスであたりを破壊し始めている。

「アレは…いったい何なのだ…?」

トリスタンが額を流れる血をそのままに、愕然となって呟いた。

誰もが答えを知っていた。 だが口にする事は憚られる。

フォーゲルが牙を鳴らした。

「破壊神ディアブロ…!」




U.

その名を聞いて恐慌状態に陥り、蜘蛛の子を散らすように彼方此方へ逃げ惑う。

何処へ逃げようというのか、本人たちにもわかっていない。 ただ、今ある恐怖から逃れたかった。

統率する者たちとて恐怖で一杯だった。

何とかフェアバンクスまで撤退しようということになって、全軍が先を争うように急いだ。

<誰ぞ…。>

真っ直ぐに脊髄を駆け上がる恐ろしい声が響く。

それは本当に声であったのか、全員が間近で聞いた。

軍の最後部を申し出ていたレティシアは、抜き身に持っていたブリュンヒルドを構えて振り返る。

<誰ぞ…。我が眠りを妨げるものは誰ぞ……?我が名はディアブロ。我が望みは破壊。我が眠りを犯すべからず。全ての生きとし生けるものよ…。我が復活を祝福せよ。死をもって我が復活を祝福せよッ!!>

押さえつけていた恐怖が堰を切って溢れ出た。

途端に乱れた列へ向かってレティシアが怒鳴りつける。

「落ちつけ、拾える命まで捨てる気か! このまま殿下の指示のもと、全軍落ち着いてフェアバンクスへ退け。例えディアブロが来ようとも、私が食い止めてやるッ!」

ディアブロの双眸と、それを睨み付けるレティシアの翡翠の瞳が絡み合った。

<…またも我が前に現れるか、ブリュンヒルドを従えし者よ!>

ディアブロの大喝に生きた心地がしないまま、誰もが疾くフェアバンクスへ向かう。

レティシアだけは気丈にもその場に立ち、ディアブロに対峙していた。

<聞け、生けるものたちよ。ブリュンヒルドを駆る者を我が祝福に捧げよ。我が贄とせよ。さすれば我は再び時を待とう…ッ。長くは待たぬ、心せよ。>

この声を一筋の光のように、希望として聞こえた者たちを責める事は出来まい。

これに呆然とし、レティシアは思わずブリュンヒルドを取り落としそうになった。

ディアブロに人の脆さを逆手にする知性があると思わなかった。

この宣言によって人々の恨みは自分に集まる事だろう。

ディアブロへ向かい、力及ばす倒れるのはまだ良い。

だが誰でもなく辛苦哀楽を共にした仲間たちに裏切られ、殺されるのは辛い事だった。

それを力づけたのはトリスタンが心配して後方へ下げたランスロットである。

好きあらば斬り掛からんとする者たちを鋭く牽制し、フェアバンクスへ辿り着く。

レティシアは真っ直ぐトリスタンのもとへと進み出たのだが、

「君の身柄についてはこれから話し合う。なに、心配はない。少なくとも私はレッティの命を持って生きながらえる事を潔しとは思わないからね。それよりも、周辺に気をつける事だ。」

と、部屋に閉じこもる事しか許されなかったのである。

聖剣は一時預かられ、心許せる者たちの殆どが、会議に出席し今頃は喧々囂々自分の身を如何にするかを話し合っているのだろうと思うと、何をするにも気が触られる。

とかく、誰が敵になったとしてもランスロットだけは自分を護ろうとしてくれるだろう。

彼は高潔な人物だし、つい先程だって誓ってくれた。 決して自分を見捨てはしない。

そう思うと心は慰められた。

「レッティ。」

幼馴染みの片割れが部屋に顔を出す。

ドアを開けた隙間に物々しい警備が立っていたのが見えるが、あれはレティシアの身を守るのではなく、逃がさないようにするものである。

「アル…。」

「そんな顔をするなよ。オレも兄さんもレッティの味方だ。絶対裏切るものか。」

心許なげなレティシアにアルバートが力強く励まし、手にした果汁を差し出した。

「お前が今まで築きあげたものを疑うな。大丈夫だって。」

からからと笑うアルバートにレティシアもつられて笑顔を浮かべた。

「もし…。」

突然アルバートが神妙な顔つきになって小声になる。

「もしもレッティを生け贄にするように決まってしまったら、一緒に逃げよう。」

「駄目だ。」

無下に言われてアルバートが気色ばむ。

「逃げたら駄目なんだ。逃げても…無駄なんだ。」

「だけど…。」

「ありがとう、アル。少し元気が出た。殿下たちがどんな結果を持って来ても、私はそれに従おうと思う。」

「オレはレッティが死ぬのは嫌だよ。」

アルバートの双眸が見る間に濡れた。

絶望的な現状に涙してくれる友人に、レティシアは微笑みかける。

「例え私が死んだとしても、皆に世界を残してやる。ディアブロなんかに破壊させるには勿体ないからね。」

「馬鹿野郎…。」

アルバートは去り際にこっそりとレティシアに短剣を与えた。

誰が敵か味方かがわからなくなった今、もしも襲われた場合に剣が無くてはみすみす命を落としてしまうとの配慮だった。

それから間もなくトリスタンが会議の行われていた部屋にレティシアを呼び寄せた。

「待たせたな、レッティ。」

トリスタンが迎え入れる。

レティシアはあつらえられていた椅子に腰掛けて心静かに待った。

状況を嘆いている風も怒りを満たしている風でもない。

その静かなたたずまいに誰もが尊敬の念にたえなかった。

ディアブロの出した条件に従う事も逆らう事も、この地上に住まうもの達を脅かす事は誰もが理解していた。

その一瞬が少しでも延ばせるならばと、あがく者達を哀れに思いこそすれ、恨む気にはならない。

どんな答えにも、レティシアは服するつもりだった。

「結論から言おう。 君はゼテギネアを倒すに欠かせない人物であった。そして今、聖剣の使い手として申し分なく天からも祝福を受けている身だ。そもそもディアブロは、君を危険視しているからこその言葉だったのだと推測する。みすみすヤツの思惑に乗ってたまるものか。我々は、総意をもってレティシア、君一人を生贄にはしない。共に戦おう。明けない夜はないのだ、我々は勝つだろう。皆生きてゼノビアへ戻るのだ!」

わっと歓声が巻き起こった。

まずラウニィーがレティシアの首に抱きついて、喜びを叫ぶ。

重なるようにノルンやアイーシャ、デネブなどなど次から次へ口々に英断に快哉をあげた。

レティシアもトリスタンの言葉に感激する。

皆の気持ちを本当に心から嬉しく思い、だからこそ心の内でそっと決断していた。




V.

人もまばらな時間に、レティシアはそっとトリスタンのもとを訪れた。

もしかしてラウニィーが一緒だったら目もあてられんなーなどと思いながら行ったのだが、さすがにそうはならなかった。

トリスタンは驚いたが、すぐに居住まいを直してレティシアを招き入れる。

「…そんな格好で何処へ行く気だ?」

出発と決めた時刻までは時間があった。

トリスタンは空とぼけたが、真面目な顔で黙っているレティシアにため息を吐く。

「何故我々の力を借りようとしない。」

「私がやるべき事だから、甘えたくないんだ。ディアブロに対抗出来る手段を持つのは私だけ。だから、他の誰も連れて行きたくない。わかってくれないか、トリスタン。」

「こんな時に名前を呼ぶのは卑怯だと思わないのか。」

トリスタンは歯を噛んだ。 及ぶ力のない事が悔しかった。

「じゃあ、で」

「トリスタンでいい。私はもともと、君との仲を身分で分け隔てて欲しくはないのだ。」

殿下、と呼び直そうとしたのを遮ってトリスタンが付け加える。

「考え直さないか、相手はかつてオウガを統べたという魔神だ。勝ち目がない戦いに赴かせたくない。」

「…もとより神に戦いを挑んで勝てると踏む人間があるだろうか。トリスタン、やるしかないなら進むまでだ。」

レティシアは不安気なトリスタンの目を見て笑った。

「なんて顔をしている?まだ死ぬと決まった訳じゃない。祖国ゼノビアの為、この世界に住む全ての人々の為、何より自分の為に生き延びて見せる。」

「…君は、こんな時にでも笑えるのか。」

トリスタンの口調には羨望と、僅かな嫉妬が伺えた。

レティシアは不適な笑いを浮かべ、腰に手を当てた。

「違う、トリスタン。こんな時だからこそ、笑うんだ。」

レティシアの笑顔につられ、やっとトリスタンも複雑な顔ながら笑う。

それからレティシアを抱きしめた。

「必ず、生きて帰って来てくれ。」

「………。」

レティシアは黙ったままトリスタンの背を軽く抱き返した。

初めて抱き返してくれたレティシアへ、僅かな望みすらもくれない怒りと、優しい愛しさが混ぜあってトリスタンの双眸を熱くした。




W.

本当の夜を迎え、あたりは一層暗くなっていた。

海を越えた向こう、シャリーア神殿がある島だけが天に昇る炎をあげて光を放っているのだが、反対に足下から冷気が忍び寄って来ている。

トリスタンのもとを辞して真っ直ぐにグリフォンのヒュースパイアを連れて、すぐにも島を目指そうとしたレティシアの前を遮るように、暗がりに誰かが立っていた。

その姿を確認すると、レティシアはそらとぼけた口調で声を掛けた。

「これは天空の三騎士様方と天使長ユーシス様。こんなところで何を?」

「か弱い女のコの一人歩きはdangerデース!是非御一緒シマショー!」

スルストが嬉々として、飛び込んで来いと言わんばかりに手を広げた。

「…何故解りました?」

とぼけても無駄だと悟ったレティシアにフェンリルが薄く笑う。

冷徹とすら言われる美貌にその笑みは迫力があった。

「貴方は心優しい人だから。きっと、一人で行く事を選ぶだろうと思った。……ここにいる誰もが、誘い合ってここで貴方を待っていたわけではない。皆、それぞれの考えの元、貴方に力を貸そうと集ったの。」

「世界の命運を分けるのだ。一人で背負うには重かろう。」

フォーゲルがフェンリルに続いた。

その心遣いは嬉しかったが、天空の三騎士や天使だって生身であるからには死ぬ事もある。

レティシアが首を縦に振るのをためらっているとユーシスが微笑んだ。

「私たちは先に行ってますね。」

フェンリルと共にぐいぐいに背の高い男たちを押し去っていくと、後ろに柔らかな明かりが近づいて来た。



「…本当に貴女らしい。」

ランスロットの微笑みに、どうして良いのやらレティシアは恥じらうのみだった。

「やはりランスロットにもバレていたか。」

「私を連れては行けないか?」

「駄目だ、危険すぎる。」

「では貴女の為に私に出来る事はあるか?」

ランスロットの言葉にレティシアは暫く考え込んでいた。

時折ぱちんと火の粉が散る。

それを見て、レティシアは口を開いた。

「……明かりを…、灯し続けて欲しい。」

「灯を?」

聞き返されて、長く躊躇った後、レティシアは意を決して顔を上げて言った。

「私がランスロットのもとに戻って来るまで、灯を絶やさずに待っていてくれるか?」

「わかった。」

欲しい言葉が聞けて、ランスロットは力強く頷いた。

彼女が自分を連れて行けないのなら必ず戻ると約束が欲しかった。

彼女は決して約束を違える事はしないから。

「どんなに時が移ろうとも私は貴女の為に火を灯し、貴女の帰りを待つ。」

ヒュースパイアが焦れて一声啼いた。

声を聞きつけて人が集まるといけない。

レティシアはひらりとヒュースパイアに飛び乗った。

魔獣の身体に傷を付けないようにしてランスロットはレティシアに触れようと近づく。

その華奢な手を握り、自分が持つ松明の炎に照らされ一際輝く翡翠の瞳を見上げる。

「レティシア殿、信じている。必ず戻って来てくれ。」

「約束するよ、ランスロット。後でまた会おう!」

言うなりレティシアは身をかがめ、ランスロットの唇を奪った。

一瞬の事にランスロットが目を白黒させているうちに、レティシアの求めに応じてヒュースパイアが大地を蹴る。

「続きはまた後でね。」

おどけるレティシアにみるみる小さくなっていくランスロットが手を振った。

自分でも随分と大胆な真似が出来たものだと驚きながらも唇に走る甘美な痺れの余韻に浸る。

程なくして空を行く一人と一匹に、寄り添うように左右にワイバーン二頭が速度を合わせて来た。

「オウガバトルの再来を止め、然るべき未来を目指すとしよう。」

「No problem!meがいるからには必ず、youをランスロットさんの所に返してあげマース!」

「ぎゃあ!どこから話を聞いていたんですかッ!?」

今までの余韻が一瞬で吹き飛び、真っ赤になってフォーゲルとスルストに喚いた。

空の上では軽口を止める術がない。

「やめなさい。これから待つ戦いにそぐわない。」

フェンリルに冷たく叱られ、しゅんとするのはレティシアだけである。

スルストはいつもの事と取り合わないし、竜頭の騎士は肩をすくめただけであった。




X.

シャリーア神殿が建つ孤島は、様子を一変させていた。

燃やし尽くされ、あるいは凍り付いた島は蒸気に被われてその姿を隠している。

獣はもちろん鳥の声も虫の声もしない。 死の島になってしまっていた。

レティシアはもちろん、スルストたち天空の三騎士たちも剣を抜き身に持って、あたりを警戒しながら進む。

神殿のあった辺りまで進むと、突然蒸気が消えて視界がクリアになった。

「お出ましデスカ。」

スルストの口調かいつもより固い。 間を置かず皆剣を構えた。

<愚かなり、人間どもよ。>

二度と聞きたくなかった声が響いた。

おそらくは大陸全土で全ての人たちがこの声を聞いているのではないだろうか。

<ブリュンヒルドを駆る者は我に戦いを挑みに来た。それはすなわちこの世界の終焉を意味する。我が眠りを妨げた罪、今こそ思い知らしめてくれようぞッ!!!>

轟、と音がすぐ横を掠めたと思うと既に戦いは始まっていた。

スルストの身体が宙高く舞い上がり、氷竜に衝撃を与えながら着地する。

フェンリルは炎竜の牙を何本かへし折っていた。

ユーシスのジハドがディアブロの全身を浅く灼く。

フォーゲルとレティシアは本体である上半身の人型に斬り掛かっていた。

消耗する為その聖剣の力は小出しにしかしていなかったレティシアだが、形振り構えぬとばかりに全開で戦う。

体力と気力が大幅に消耗するのを感じながら、フォーゲルの剣で生じた傷に聖剣を叩き込む。

レティシアがいくらか放ったタロットの魔力も既に効力を薄め、数分もしないうちに全員がぼろ切れのような姿になっていた。

「うぁっ!」

ディアブロの剣がレティシアを大きく薙ぎ払った。

聖剣で受け止めていたものの、その威力は殺せず大きく吹き飛ばされて廃墟と化した魔宮の外壁に強かに打ち付けられる。

その衝撃で外壁は崩れ、レティシアの上に降り注いだ。

「レティシア!」

フォーゲルが一瞬気を取られた隙に炎のブレスを食らう。

スルストは慌ててフォーゲルの腕を掴んで距離を取った。

その為に二頭を相手しなくてはならなくなったフェンリルが、腕を負傷して下がる。

ユーシスは追撃を避ける為にジハドを乱発した。

レティシアが立ち上がれなければ勝ち目がないとフォーゲルが焦る。

ややして瓦礫を押しのけてレティシアが満身創痍ながら立ち上がった。

「負けるものか…!」

レティシアの声に心を重ね、重くなった身体を駆り立て戦う。

フォーゲルがスルストと戦う氷竜の首に深く剣を突き立てた。

そこから冷気が漏れ、フォーゲルの足を凍り付かせる。

スルストは急所を見極めて氷竜の喉元へ衝撃波を放ち、続いてその鱗を裂いて首を落とした。

天を貫く咆吼が氷竜の断末魔だった。

頭を無くしてなお痛みにもがく氷竜にバランスを崩したか、炎竜が狙いを外してフェンリルのすぐ側で隙を作った。

「くたばりなさいッ!」

フェンリルが炎竜の首を落とすと途端に辺りに炎が満ちた。

その炎を駆け抜け、レティシアが跳躍する。

「聖剣ブリュンヒルドよ、これが最後だ!ディアブロの魂をうち砕けーッ!!」

眩い鮮紅が奔る。

ディアブロは額を大きく裂かれていた。

<オオオオオオオオオオッ!!!>

ディアブロの断末魔に大地は裂け、ブリュンヒルドが放つ雲を貫く聖なる光が立ちのぼる。

レティシアは最後まで力を抜かなかった。

全エネルギーを使い切ったって良い、ディアブロを打ち損じる事が怖かった。

「レティシア、下がれッ!!」

フォーゲルの叫びは虚しく、闇にのまれた。

ディアブロを貫いた場所から堰を切る豪水のように一瞬にして黒いものが溢れ出たのである。

レティシアは間近にいた為に、避ける暇も、おそらくはフォーゲルの叫びすら耳に届く前に飲まれてしまった。

ユーシスがいち早くフェンリルの腕を掴んで飛び立った。

「スルスト、フォーゲル!」

フェンリルが伸ばした手を掴むより早く、二人も飲まれた。

「駄目です、ここにはもう居られません!」

「しかし三人がッ…!」

「聖なる父のご加護を信じて、戻るしかありません。」

彼女の限界も近い事を知って、フェンリルはそれ以上何も言えずにユーシスと共に島を越えて命辛々フェアバンクスの街へ戻った。

レティシアの言葉通りに松明を灯し続けるランスロットが戻った2人を見て驚く。

「ご無事でしたか!」

「しかし…しかしスルストとフォーゲルが…何よりレティシアが……!!」

フェンリルはそれだけを言うと、ばたりと倒れ込んでしまった。

ユーシスも同様で、大地におりるやいなや昏倒している。

慌てて二人を運び込んで手厚く手当てする。

トリスタンは報告を聞いて、フェンリルたちの意識が戻るのを待った。

フェンリルが先に意識を取り戻して、ディアブロを倒したがその直後に何か黒いものが噴出してレティシアたちが飲まれた事を伝えた。

黒いものの正体が何かはわからないと頭を振ると、フェンリルは再び傷を癒す眠りについた。

トリスタンはレティシアが戻るまで凱旋としない旨を通達し、じりじりとして帰還を待った。




Y.

二日後、スルストとフォーゲルが肩を貸しあいながら戻って来た。

フェンリルは生還を喜び、自分の体力がまだ戻っていない事をつい忘れて二人に駆け寄り、その身体を抱き留める。

「Oh〜、長生きはするモンですネ。フェンリルさんに抱きつかれるなんて〜…。」

スルストがいつもの笑顔で笑った。

フォーゲルもフェンリルの気持ちを汲んでか、彼女のなすままになっている。

ふとフェンリルは周りを見回してから恐る恐る、

「レティシアは…?」

「すまんが、自分の事だけで精一杯だった…。もう彼女は生きては居まい。」

「何を馬鹿な事を!」

「But…そう考えるのも仕方ないデース。」

「スルストあなたまで!」

「聞け、フェンリル。」

フォーゲルの厳しい口調にフェンリルが挑むような目を向けて黙った。

気がつけば周囲にはトリスタンはじめ人々が集まっていた。

「聞け、皆。 フェンリル、お前も見ただろう、あの黒いものは悪意や妬みをはじめとしたこの世の悪意や害意、その全てだ。それらがディアブロを形作っていたのだろう…。我々ですらあの島を離れるのに時間がかかり、こうまで衰弱するものを、まして飲まれたレティシアは生身の人間だ。生きていたとしても正気で返っては来られまい…。」

「そんな…!」

彼女の幼馴染みたちが嘆き、泣き崩れる。

悲しみは伝染し、レティシアは死んだものとして皆が諦めた。

その中で、ランスロットだけが彼女の生還を信じていた。

「約束は守る人だ。」

言い聞かせる風でもなく、ランスロットはひたすらに信じていた。

トリスタンが諦め、凱旋準備に追われる間も、ディアブロが滅び太陽が戻った昼間でも、ランスロットは決して灯を絶やさなかった。

同じく彼女の生還を心のどこかで願いながら、仲間たちは時間を見つけては捜索を続けていた。



憤怒、憎悪、悲哀、怨嗟、苦痛、絶望、嫉妬、悔恨、羨望。 それら全てがディアブロの正体。

否、この世にディアブロを産んだものだった。

それらはディアブロの死と共に周囲に溢れ出たが、シャリーアの高い山々に遮られて流出は免れている。

レティシアはディアブロの胎内となった島の中でまだ生きていた。

真っ暗闇に浮かぶ小さな灯り。 あれが自分を待つものの祈り。

あの場所へ帰らなくては。

『負の感情』は執拗にレティシアに潜ろうと追い縋る。

――痛い、苦しい…―― ――憎い―― ――口惜しい―― ――どうして…―― ――お前が死ねば良かったのに…――

その意志を跳ね返すたびに気力が磨り減らされていった。

どれだけの長い時をこうして苦しんでいたのかもう見当もつかない。

ブリュンヒルドを握っているはずの右手も、傷だらけの身体の感覚もない。

あるのは身にまとわりつく『負の感情』のみだった。

疲労は極限だが、ランスロットとの約束だけが彼女を支えていた。

「帰るんだ。私はあの人のもとに帰るんだ!」

声を出したつもりだったが、まわりにあっさりと飲まれ、レティシア自身にも聞こえなかった。

――どうして助けてくれなかったの?もう神など信じない。――

レティシアの足が止まる。

――憎い。私をこんな目に遭わせる全てが憎い…!――

「……誰。」

――私?私は…――

本当は聞くまでもなく正体がわかっていた。

立ち止まったレティシアの足下からじわりじわりと黒く染まっていく。

――5年前のあなた―― 「5年前の私…。」

声がダブる。

「……ディアブロを産んでしまったのか…。」

『負の感情』がディアブロを形作ったのだと、レティシアにもわかっていた。

だがその一端に、例え僅かとはいえ自分も関わっていた事に愕然となる。

自分の心の闇から逃げる事は可能だろうか。

レティシアは恐れを抱いた。

その恐れを媒介に首もとまで一気に浸食が進む。

闇の中でにやりと誰かが笑ったような気がした。

「駄目、私は帰るのだから…。」

ついに気が遠くなりはじめたレティシアにはもう悲鳴を上げる力も残っていなかった。



突然。



それらはレティシアを中心に球上に退いた。

レティシアを包む気配は優しく懐かしいものだった。

光に包まれたそれがレティシアに囁きかける。

『レッティ、オレのお姫様。本当に良く頑張ったな。』

「サ…イノス…?」

微笑む口元が朧気に見えたのも束の間、レティシアの意識は無くなった。

レティシアを包む光は悪意の渦を抜け、キラキラと光の粒を残しながら上昇を続ける。

『聖なる父よ、運命を定めし乙女たちよ照覧あれ! レティシアは過酷な試練に耐え、ラシュディを打ち倒し、更には復活を遂げたディアブロをも滅ぼした!オウガバトルの再来を防いだ!これをもって我々兄妹の罪科を許したまえ。』

サイノスの言葉に天が開いた。

光がディアブロの残骸を照らし、浄化していく。

それを眼下に見ながらサイノスは守り続けるレティシアを見つめた。

『レッティ、オレはお前を誇りに思っている。 さあ灯りの主のもとへ…自身が選んだ、帰るべき場所に帰ると良い…。お前の幸せを、心から祈っているよ。』

なお別れ難しと未練は募るがサイノスはその光を弱め、レティシアの身体を地上に返した。

昏々と眠り続けるレティシアの額に口付けを落とすと、サイノスの光は辺りに溶ける。

無意識下でそれに気付いたのか、レティシアの目尻を一筋の涙が伝った。




Z.

凱旋の準備は整った。

レティシアを探す為に単身でも島へ行きたかったが、トリスタンに汚染された島に近づく事は禁じられ、やむなく島が見える崖端に立つのみである。

上空では何度も旋回を繰り返し、カノープスがレティシアを探していた。

やはり無理にでもついていくべきだったのだろうか?

護りたい者の側を離れてはいけなかったのだろうか?

信じる事も力になると、彼女を送り出したのは間違いだったのか。

悔恨に心を痛めてはじめていると

「ランスロットー!」

カノープスの慌てた声に、ランスロットは空を見上げた。

何度も島の方向を指さしている。

「レッティだ!岸にレッティが倒れてるーッ!!」

最後まで聞かずにランスロットはカノープスの指す方向へ駆け出した。

空から見えた一点の紅。

彼女を大切に思うカノープスが見間違うはずがない。

ランスロットは全力疾走で岸へ向かい、そして仰向けに倒れたレティシアを抱き起こした。

鎧は無惨に砕け、アンダースーツはボロボロになっている。

もちろん身体も傷だらけで胸は上下していないように見えた。

紅の髪は絡まりあい、のぞく蒼白な顔は人形のようだ。

死という文字が頭を過ぎってランスロットはいい知れない恐怖に震えた。

「レティシア殿、レティシア殿しっかり!!」

答えはなかった。

「レティシア殿…!」

するりとランスロットの手を滑って、レティシアの白い手が力無く地に垂れる。

ランスロットはあまりにも大きい喪失感にうなだれた。

最後に見た顔は華より可憐で華やかな笑顔だった。

細い身体が自分の腕の中にあったのはつい先程の事なのに。

「レティシア殿…。」

互いを支えて生きていこうと誓った矢先にこんな運命が待つなんて。

固く閉じた目から涙が落ちてレティシアの頬ではじけた。

「レティシア…っ!!」

ぴくんと指先が跳ねる。

それを認めてランスロットが指先を見つめ、そしてレティシアの顔に視線を移した。

血の気の引いた顔の上で睫毛が細かく震えていた。

「レティシア殿…?」

「……ひ……た…。」

「え?」

口元に耳寄せる。

「ランスロット…の……灯が…見え…た………。」

「…………!!」

もはや言葉もなく、ランスロットは愛しい娘の身体を抱きしめる。

傷だらけの手が深い想いを込めてゆっくりと彼の首に絡む。


二人を照らす、落ちかけた太陽が、二つの影を一つにしていた―――。