STAGE26.上都ザナドュ

 

T.

吹雪と雷に進軍を阻まれ、反乱軍は予期せず足を止める事になった。

ゼテギネア周辺ではこういった異常気象が頻繁に起こるようになっている。

それを神の怒りだと読み解く者たちもいるが、実際には禁呪の影響である。

その結果、ゼテギネアの空は常に厚い雲で覆われ、陽光が大地に降りそそぐ僅かな間すら失ってしまった。

来る者を阻んで吹き荒ぶ猛吹雪は、反乱軍の侵攻に怒り浸透する女帝エンドラの心中そのものに見える。

かつての彼女は花の様に可憐で、戦いを好まない優しい女性だと聞いた。

なのに何故エンドラはこの大陸の覇権を求めたのだろうか?

それに払った代償の大きさに後悔はないのだろうか?

当時の彼女を知らぬ身でそれを推理する事は叶わないまでも、同じ轍を踏まぬよう自らを戒める事は出来る。

取り留めない事を考えていたトリスタンは、窓越しの吹雪から目を離し、手元に落とした。

母の形見となってしまった『聖なる腕輪』がそこにはある。

フローランの言葉通り、シュラマナ要塞の最東の壁からトリスタンはそれを発見するに至った。

これでついに反乱軍は全ての神器、聖剣ブリュンヒルド、聖杯、聖なる腕輪を揃えたのである。

ここまで来るまでの経緯を思うと、ここまで来た達成感と共に、失ったものへの大きさに哀惜が混み上げる。

「…自分が皇子だと知ってからここまでの道程は遠かったようで近かったな。」

どっぷりと思い出に浸っていたトリスタンは、ドアを数回叩く音で我に返ると、居住まいを直して声の主を迎え入れた。

「すまないな、急に呼びつけたりして。」

トリスタンの言葉にレティシアはいいえ、と首を振った。

彼に母殺しをさせてしまった負い目とその行為への非難とがあって、レティシアはうまくトリスタンと視線を合わせられずに視線が泳がせる。

だから、彼がその様子を愛しげに眺めていた事など知るよしもない。

トリスタンは彼女のこういう政治的判断的な闇を嫌う真っ直ぐさが好きだった。

「レッティ、手を。」

「?」

差し出された手に乗せられた傷だらけの白い手に、トリスタンは腕輪をはめる。

始めはそれを不思議そうに見ていた彼女がはっと目を開いた。

「これは…!まさか!?」

「『聖なる腕輪』が象徴するのは正義と慈愛だそうだ。それは君にこそ相応しい。」

「しかし殿下、これはフローラン王妃様の…!」

「いいんだ。」

トリスタンは敬意を込めて、レティシアの指先にキスをした。

もはや驚きで言葉も出なかったが、事態の大きさにトリスタンの手から自分の手を取り戻す。

トリスタンは空になった手を胸の前でもう片方の手で包んだ。

「知っての通り、私は自ら母上の…ゼノビアの王妃フローランの命を奪った。確かに本意ではなかった、だがそうしなければ君の命が失われていた。」

口にすると、ラウニィーの優しさに支えられて克服したつもりであってもやはり激しく胸が軋む。

「…私は君を失いたくなかった。」

トリスタンの甘い囁きがレティシアを厳しく打ち据える。

彼女の瞳が翳ったのを承知でトリスタンは続ける。

「君の心が自分にないと知っていても、知れば知るほど、見つめれば見つめるほど…レティシア、君を諦める事が出来なかった。自分がこんなにも情熱家なんて知らなかったがね。」

「殿下。その話は以前にも言った通りだ。もう…」

その先の言葉を聞きたくないトリスタンは、急いでレティシアの言葉を遮った。

「わかっている。それに、私は女性としての君だけを求めるのではない。君の力も必要なんだ。…そう、君が反乱軍を結成させた時の話をランスロットが教えてくれた事がある。」

不意に出たランスロットの名前に、レティシアは黙ったまま片眉を跳ね上げた。

「初めて彼と会った時に君はこう言ったそうだな。『力無き正義は無力だ』と。」

「…そうだ。確かに私はそう言った。」

「まさにその通りだと思う。私の力が及ばなかったばかりに私は母上を殺さざるを得なかった。」

「だが他に方法が…!」

声を荒げたレティシアは、トリスタンの顔を見上げて言葉を詰まらせた。

レティシアは、目の前の男がもし一歩でもこちらへ歩み寄ったなら、容赦なく斬りかかったかもしれない。

近づいて欲しくない。 こんな恐ろしい目をする人間にはこれ以上決して近づいて欲しくない。 そう思った。

そして、トリスタンは万感の思いで目の前の彼女を見下ろしていた。

やり場のない、怒りに似た情熱、そしてそれを失う悲しみ。

今までに出会った多数の人間たちの中で、ただ一人、彼女だけは、自分が理想の為には冷酷な手段を選ぶ事の出来る人間だと、無意識にしろ見抜いていたのだろう。

だからこそ反乱軍の中でただ一人、自分を受け入れはしなかったのだ。

このまま無理にでも彼女を自分の元に置いておく事は可能だったが、そうすればやがて彼女は自分を憎み始めるだろう。

彼女が手に入るならそれでもいいと思った事もある。

だがその想いはやがて刃と変わり、自分をずたずたに切り刻むだろう。

開いた唇は乾き、わずかに震えていた。

「…レッティ、君には私にはない力がある。私には出来ない事も、君はきっと成し遂げてくれる。君がそのまま君の正義を貫き通す様を私に見せてくれ。」

自分と彼女では行く道が違う。

それはトリスタンにとって、はっきりとした決別の言葉だった。

「…トリスタン。」

呼ばれて、皇子は再び瞳に力を取り戻した。

「…まあ、よろしく頼む。」

一体どんな思いで笑ったのか、レティシアには想像も出来なかった。

だが彼の蒼い瞳を見て、レティシアは出かかっていた言葉を飲み込み、それは、彼女の生涯を通して言葉にする事はなかった。


U.

トリスタンと別れた後、レティシアはじっとしている事を嫌って、誰もいない棟で疲労を憶える程に剣を振るっていた。

無心になって剣を振るっていると、全てがゆったりとした時間の流れに消えていく気がして、少しは気が紛れる。

その最中、視界の隅で煌めきを放つ腕輪はいちいち心を波立たせたが、心地良い疲労感がレティシアを慰めていた。

「…ふう。」

レティシアは額にびっしりと浮かんだ汗を拭うと、ブリュンヒルドを床に横たえる。

自分の息遣い以外何も聞こえない寂しいこの場所では、反乱軍を束ねるリーダーとしての自分を決め込む必要もない。

束の間だが解放された気分だった。

レティシアは何度も深く呼吸を繰り返して息を整える。

「…さてと。」

足音も気配も感じなかった事に不思議を感じるものの、それは稽古に集中しすぎていたからかも知れない。

「そこにいるのは誰だ?」

レティシアには誰がそこに立っているのかは百も承知で尋ねた。

「私だ。」

「…!?」

レティシアが驚いたのは、彼が青銀の鎧を脱いで軽装だった事だ。

ゼノビアの一騎士である証として、彼は常に鎧を身につけていたのだが。

「軽装とは珍しい。何か心境の変化でも?」

「そういう訳ではないのだが…。」

困った様に笑う聖騎士が、手の中にカラドボルグをおさめているのに気が付く。

彼も一人になって剣を振るいに来たのだと遅まきながら気付いた。

「こんな時間に訓練か?」

「そういうレティシア殿こそ、身体も休めずに。」

本当は違うのだが、レティシアは説明するのが面倒だと思い、黙って肯定すると、前髪をかき上げた。

その腕に煌めく腕輪を目に止めたランスロットの表情が僅か一瞬強張る。

しまったとは思ったが、 レティシアは今までつけているのも忘れていた風を装った。

「ああ…。ランスロットはこの腕輪の事を知っているのか?」

「ああ。僅かな間だったがゼノビアの騎士団の一員だったからね。遠目でも光を受けて輝いていたその腕輪は記憶にあるよ。」

ふぅん、とわざと気のない返事。

この腕輪の持ち主がフローラン王妃だった事も当然ながら知っているのだろう。

当然、トリスタンのところへ行っていた事も彼には見通されたに違いない。

平静を装っても、レティシアの心臓は早鐘の様に鳴り続けていた。

何となく沈黙してしまった空気を追いやるように、レティシアは明るい声を出す。

「もし良ければ、これからやらないか?」

「え?」

レティシアはブリュンヒルドを横たえて木剣を2本取り出した。

「たまにはいいだろう?ランスロットの腕を見てみたい。」

「……そうだな。」

逡巡を見せたが、ランスロットはそれに応じ、木剣を構える。

しっかりと背筋を伸ばした騎士特有の構えは、彼によく似合っていた。

綺麗な構えだと常々思っていたが、こうして対峙すると更に思う。

剣先に合わせるようにして真っ直ぐに見つめて来る薄青の瞳にレティシアは目眩がした。

ふとランスロットが不思議そうに目配せをしてくる。

「…行くぞ。」

正気に返るとレティシアは宣言してから素早く打ち込んだ。

互いの剣は対照的だというのに巧妙に絡み合い、乾いた打撃音がまるで音楽のように幾度となく響き渡り、互いを魅了し始める。

ランスロットもレティシアも、相手の腕にただ驚嘆していた。

2人が手合わせをするのはこれが初めてではない。

だが覚えている腕前とは格段にレベルが上がっている。

レティシアは知らず唇を舐めた。

 

「……!」

決して手を休めずに繰り返す動きの中で、レティシアはランスロットの視線が彷徨うのを鋭く見つける。

彼の視線が追っていたのは左腕にはめられた腕輪だと知って、レティシアは何故か焦った。

無言で責められているようで居たたまれなくなる。

その様子に気づいたか、ランスロットが微笑む。

「知っているか?その腕輪は歴代のゼノビア王妃が腕にするものだと。」

「…知ったことか!」

ぎり、と唇を噛み、力任せに一撃を叩き込む。

「…レティシア殿がそれを腕にしているのは……。」

言い淀むランスロットの顔を見て、レティシアは泣き出したくなる。

ランスロットには嘘も本当の事も言えない。

自分がここで言い訳のように取り繕えば、まわりまわってトリスタンを傷つけるだろう。

そして彼は今でも、トリスタンとレティシアが結婚してゼノビアを治めていく夢を捨てていない。

以前に告白を断られた時の心の痛みがよみがえり、レティシアはきつく目をつむった。

「レティシア殿ッ!?」

「え…あっ!!」

レティシアは咄嗟に右手で頭上を庇ってからハッと気がつく。

手袋の留め金部分で受けるつもりだったが、そう言えば今は手袋をしていない。

ランスロットが打ち下ろした木剣は、真っ直ぐにレティシアの腕を捕らえ、鈍い音がホールに大きく響く。

あまりの痛みに全身の神経がそこに集中すると、崩れ落ちるように床に膝をつく。

ランスロットもそれを支えようとして寄り添うように一緒に膝をついた。

おろおろと彼女の顔と腕を変わる変わる見ていたが、やっと思い出したようにレティシアの腕を取ってヒーリングを唱え始める。

やんわりと痛みを包む治癒の光で、涙目になっていた目から涙が落ちる事は免れた。

みるみる引いていく痛みに、深い息をついて全身の硬直を解いたレティシアは、数度確認の為に拳を握ったり開いたりして痛みを確かめる。

「悪い、肝を冷やさせたな。」

「止められなかった私にも非がある。本当にすまない。」

未だ蒼白な顔のままランスロットは心から謝罪する。

「痣が残ってしまうな…。」

患部に視線を落としたランスロットが呻く様に呟いた。

「でももうたいして痛まないから大丈夫だろう。」

「だが……。」

「大丈夫だって。もう気にす……」

ランスロットに微笑みかけようとして顔を上げると、互いの息遣いを頬で感じてしまえるくらい近い事に気がついた。

唇と唇の、あまりの距離の近さにレティシアは真っ赤に頬を染めた。

 

V.

「…………っ。」

「どうしたの?」

「あ、いや何でもない。」

突然顔をしかめたレティシアに何事かとラウニィーが覗き込む。

すぐに笑顔を戻ったレティシアにそれ以上深く問いかける事はせずに、また雑談へ戻っていく。

レティシアは都市ジャンワリア目指す途中から、まるで頭の中をかき回されるような不快感に襲われるようになっていた。

はじめは精神から来る体調不良かと思っていたが、どうもそうではないようで、ゼテギネアが近くなるほどに不快感と痛みに変わりだしている。

その様子に気づいたフェンリルがゼテギネアの毒気に当てられたな、と呟いた。

応急処置にユーシスが護符をくれたが、効力は目覚ましくない。

ヨワリ目にタタリ目、って言うんだっけ? こういうのは…。

レティシアは小さな苦笑を浮かべた。

先日の西棟での出来事を思い出しながら長い髪を指で梳く。

傍で肌のコンディションだとか誰かの噂話とか、他愛のない話に花を咲かすラウニィーとノルンを横目に、レティシアは気づかれないように吐息の雨を降らせていた。

―――そんなに魅力のない女かなぁ、私は。

あの状態からすぐに身体を離された事で、レティシアは女としての部分は傷ついていた。

深く眉間に皺を刻んで苦悩する彼に、悲しみを突き抜けて怒りすら込み上げた。

居たたまれずにその場から逃げ出す様に走り去って自室に駆け込むと、その怒りはすぐに収縮して涙が浮かんだ。

ランスロットに好かれていると思っていたのは大きな思い上がりだったのかも知れない。

思考が煮詰まると、レティシアはつい大きな溜息を漏らした。

「そーいえばレッティ。」

ラウニィーが話を振ってくる。

真面目に雑談に参加していなかったレティシアは何気なく反応した。

「あなた、恋煩いですって?」

「はぁっ!??」

その反応に確信を得たり、とにんまりと笑みを浮かべてラウニィーが追撃する。

「トボけたって駄目よ。さ、正直に仰い!相手は誰!?」

ラウニィーがにじにじと迫ってくるのに気後れして、レティシアは後退る。

先日の西棟での事を見られていたのかと、レティシアは気が気ではなく、おろおろと狼狽えていた。

「ラウニィーったら。レッティが今のこの大切な時期に恋愛だなんてしている暇があるわけないわ。相変わらずラウニィーは早とちりね。」

ノルンの助け船に、レティシアはその大切な時期にまんまと一人の男性に心奪われています、と内心深く頭を垂れた。

ラウニィーはノルンの呆れた様な口調が気に入らず、口を尖らせて言い返す。

「あら何よ。女の子の悩みったら恋煩いって相場が決まってるでしょう?ノルンのおすましも相変わらずよね!デボネアに片恋した時の事、忘れたとは言わさないわよ。」

「それは…今関係ないじゃない。」

「あ、この娘ね、大切な試験の前にデボネアに狂っちゃったのよ。」

きょとんとしていたレティシアに説明すると、ノルンの顔がぱっと赤くなった。

「ラウニィーったらそんな言い方…!」

「間違ってないわよ。」

ラウニィーは当時を思い起こしてぴしゃりと言い切る。

「否定出来て?」

「………………。」

ノルンは真っ赤になったまま所在なげにうつむく。

「恋なんて突然生まれるものだわ。場所も、歳も…もっと言えば、敵味方すら分け隔てないものよ。」

恋愛に大きな夢を抱くラウニィーがうっとりと目を閉じた。

レティシアが感慨深げに頷く。

「ああ、それは同感だな…。」

「えっ!?」

「えっ…!?」

短い驚きを発して、2人がレティシアを凝視した。

たっぷり、10秒くらいそのまま固まっていただろうか。

レティシアがその反応に戸惑って

「どうした?」

「あ、そ…そうよね。」

ラウニィーがノルンよりも早くに立ち直る。

「レッティだって、女の子だもんね。そーだったわね…女の子だったっけ…。」

まるで自分に言い聞かせるような口振りだ。

レティシアはやっと2人の反応の意味を理解した。

まさか自分がそう言うとは思わなかったのだろう。

唇を尖らせてレティシアはもう一言付け加える。

「心外だな。私だって木石じゃない、恋の一つや二つはしてるんだ。」

「えっ!?」

「えっ…!?」

「…………………あのなぁ…。私をなんだと思ってたんだ?」

レティシアは溜息のようなつぶやきを吐くと、もうそれ以上何も言えなかった。

「からかっただけよ」と慌てて取り繕う2人だが、どう見ても先ほどのは素だったとレティシアは確信している。

結局、この話はこれで終わったのだがレティシアは懐かしい初恋の人を、久しぶりに思い返していた。

懐かしい、ハイランドの騎士を―――。

 

W.

反乱軍はジャンワリアの砦に到達し占拠した直後、伏せてあったゼテギネア軍に急襲を受けた。

かつての帝国の将軍だった男は、あまり多くの数とは言えないがヒカシューと共に戦った事もあり、その手管を覚えていた事と、シュラマナ要塞から用心を重ねて進軍してきたので、その急襲で大きな被害を出す事はなかったが、ゼテギネア軍があまりにも少数だった為、時間をあけて哨戒を続ける事にする。

白い吐息で両指先を暖めながら、レティシアは砦の防壁で3回目の報告を待っていた。

デボネアは震える身体を見かねて声をかける。

「砦の中に入っていたらどうだ?」

「ああ、でももうすぐ帰って来るだろうからここでいい。」

「お優しい事で。」

デボネアが苦笑を漏らした。

彼女の肩に積もった雪を払いコートを掛けると、少しだけ申し訳なさそうにしながら表情が和らぐ。

ありがとう、と笑顔を見せるレティシアが視線を元に戻した後も、デボネアは観察するかの様に眺めた。

「…ヒカシューに、エンドラの信頼が厚い理由が良くわかる。反対に彼を破ればゼテギネアは裸も同然だがな。しかし大変そうだ。」

デボネアは曖昧な笑いを浮かべた。

かつての上司を自慢する訳にも行かず、さりとて卑下する気にもなれない。

ヒカシュー大将軍はハイランダーの位に就く帝国最高位の騎士で、デボネアが尊敬する人物であるが、今は敵同士なのだから。

「弱音とはらしくないな。」

「では、取るに足らない相手だ、とでも言っておこうか?」

「それくらい強気な方が君らしい。」

満足したように頷く。

それが可笑しくてレティシアは笑った。

ふざけているうちに松明の明かりが自分の方へ近づいてくる。

レティシアはそれに向かって手を振った。

「レティシア殿、もう大丈夫の様だ。」

「ご苦労様。」

アッシュの報告に労ってから空を見上げると、暗かった空は少しだけ白み始めていた。

「もう今夜は来るまいが、哨戒だけは続けて我々は仮眠を取っておこう。」

「了解。」

レティシアの決定にデボネアは気が抜けたらしく、あくびをした。

「ご苦労様。おやすみ。」

そして砦の中へ歩き出して、てっきり一緒に途中まで歩くものだと思っていたレティシアが、別の方向へ歩き出したのを見て驚いて呼び止めた。

レティシアが向かった先には砦に入りきれなかった兵士たちの仮設宿舎があるだけだ。

「まだ何か気になる事があるのなら、オレも手伝うぞ?」

「ああ、違う違う。じゃあな。」

言ってレティシアは説明もなく再び歩き出した。

デボネアはしばらくその背中を見送っていたが、

「おい、レッティ!」

振り返るレティシアの視界を塞ぐように、まだ温もりの残る防寒着が投げられた。

「ゼテギネアの冬を甘く見るなよ。そんな薄着じゃあ風邪をひく。持って行くといい。」

「ありがとう。」

レティシアは素直に受け取ってコートの上に更に着込むとデボネアへ微笑んだ。

残されたデボネアは軽く肩をすくめて砦の中へと戻って行った。

 

…カタカタと調度品が音を鳴らし始める。

大地が震えるほどの大軍が、ここザナデュに迫っている証である。

ヒカシューは瞑っていた目を開いた。

「ついに来たか…。」

帝国を築いた頃のエンドラは、理想と幸福を追い求めていた。

だがエンドラは神の教えを忘れ、暗黒道という悪しきものに魅入られ覇道を歩み始めた。

そして暗黒道の教えが広まると同時にエンドラは権力にしがみつくようになり、少しでも異を唱える者は中央から遠ざけたり、監獄に送った。

―――今の帝国に正義はない。

今の帝国に必要なのは滅亡という救いだけであった。

愛娘であるラウニィーがゼテギネアを出ていくのを止めなかったのもそれに起因している。

だが、他の誰が帝国を見限ろうとも彼だけはハイランドを捨て行く事は出来なかった。

彼をハイランドに留めるもの、それは忠誠心だ。

ヒカシューは剣を腰に履いた。

「…裏手に数人手配してある。お前はその者たちと共に落ち延びよ。」

ヒカシューの言葉に、彼の妻は大人しく頷いた。

いつも出陣の際にしてきたように、彼にお護りとして自分の白い手袋の片方を差し出す。

「お願いです。生きて帰ってきて下さいませ。」

涙を堪えて笑顔を作る妻へ何も言わずに、その細い身体を抱きしめた。

そして彼女から離れると、2度と後ろを振り向かなかった。

白い手袋は妻の手からぱさりと軽い音を立てて大理石造りの床へ落ちて行った。

その背中越しにかすかな嗚咽が聞こえたが、ヒカシューは速度を緩めることなく戦場へと歩き続ける。

例え我々が間違っていたとしても、引く訳には行かない。

例え、愛娘をこの手で斬る事になったとしても……。

 

X.

反乱軍はトリスタンの声を合図に、さながら雪崩のように上都ザナデュへと討ち入った。

市街戦では市民からの攻撃も受けたが、ハイランドの民の多くは反乱軍を侵略者と思い込んでいる事からすれば当然の事であろう。

兵士たちが隠れる場所をなくす為に家々に火が放たれ、市民や兵士たちが混乱の極みの中戦い、逃げまどっていた。

雪で白く彩られた静かな街はどこにもなかった。

レティシアはいつもとは違う勝手に苛立ちを憶えながら、かつての自分の街と記憶がオーバーラップしていた。

ガレスに襲われた、今は亡き街も、こんな風に火に包まれて阿鼻叫喚の地獄絵だった。

違うのは、雪のある風景と戦う相手だ。

喉の奥がカラカラに乾いて痛くて見ていられない。

「…ギル、ラウニィーについていってやってくれ。」

レティシアはギルフォードの返事を待たず、彼の反応する間すら与えずに、くるりと反転して街並みの中へと消えた。

彼が後ほど烈火のごとく怒ったのは言うまでもない。

レティシアは一度戦線を離脱し、向かってくる兵士を薙ぎ倒しながら、炎の中に取り残された住民を助け回った。

返り血を浴びた凄惨な姿を歓迎するものはなく、ゼテギネアの紋章を持たないレティシアは助けた市民たちからも反撃を受けるが、構わずに奔走した。

流れ落ちる血を拭い、胸元から1枚のタロットカードを取り出す。

「命の水で満たされし両の瓶を持つ純潔なりし乙女よ、あるべき姿へと導きたまえ…。汝、名をテンパランス!」

レティシアはタロットの魔力を応用して燃え盛る街を静めていく。

その姿にゼテギネアの市民たちは戸惑うだけである。

自分たちを護るのはゼテギネアだと信じているので、レティシアの行動が理解出来ない。

礼の言葉一つ聞かぬまま、何人目を助けた頃だろうか。

レティシアは再び戦場に辿り着いた。

遠い先に金の髪をなびかせながら舞うように槍を振るうラウニィーの姿が見える。

そして血煙をまとい鬼神さながらの奮迅をする、荘厳な鎧に身を包んだ壮年の将軍―――。

その彼が、チラリと視線をくれただけでレティシアは身構えずにはいられなかった。

恐ろしい相手だと直感が告げる。

これが帝国最後の護りにしてラウニィーの父、ハイランダー、ヒカシュー・ウィンザルフ。

 

「下がれ下がれ!」

ギルフォードは声を張り上げて周囲に指示しながら、自分は反対に前へと突き進んでいた。

先ほど斬られた左足が走るたび痛む。

だが、ラウニィーを追ってヒカシューの姿を見た時、彼への畏怖や恐れ以上にラウニィーの心中が気になった。

彼女の立場はまだ反乱軍内では容易く揺らぐ位置にあり、ヒカシューへの対応次第では裏切り者扱いだって受けるだろう。

そうなれば悲しむ人間を、ギルフォードは片手に余るほど居る事を知っている。

戦場の流れに逆らえずにいるうちに、レティシアに頼まれたラウニィーからは離れてしまっていて、再び彼女に辿り着くまでにまだ時間がかかる。

「くそっ!」

彼らしくもなく口汚く吐き捨てると、ギルフォードは方向を転換してヒカシューに迫る。

決して敵うと自惚れたわけでもない。 そうせずにはいられなかっただけだ。

目の前で数人の兵士が軒並み倒されたのを見て、ギルフォードの足が鈍る。

「怯むな!!」

ラウニィーの叱責で我に返り、彼女の決心をどこかで見くびっていた自分の根拠のない優越感に恥じ入った。

それは周囲も同じだったのだろう。

ラウニィーの一喝で顔つきが変わる。

遅れて辿り着いたトリスタンたちにもその光景は安堵を覚えさせた。

 

少人数とはいえヒカシューの采配で、ザナデュは恐るべき長い時間を持ちこたえていた。

消耗戦になった今、反乱軍の勝利は色濃く、ゼテギネア軍は戦意を少しずつ失っていく。

ラウニィーは父の姿を恐れもなく、懐かしさと共に見つめた。

「父上…。」

2人の間を阻む者がいなくなった時、父もついにラウニィーを見据えた。

それは一瞬だったはずなのに、ラウニィーには永遠にも感じられた。

「ラウニィーか。」

懐かしさと、躊躇いに似たものが2人と戦争から瞬間引き離す。

「よもや、おまえと剣を交える事になるとはな…。」

「父上。剣をおさめて下さい。帝国はすでに崩壊しました。父上とてエンドラ殿下が以前と違うことに気付いているはず!これではハイランドの名誉が・・・。」

「言うなッ!」

ラウニィーの言葉を、ヒカシューは強く遮った。

その剣幕に驚きに思わず声を途切らせた娘へ、眉間に深いしわを刻んで

「我がウィンザルフ家は代々王家に仕えてきた家柄。最後まで王家をお守りせねばならんのだ。それが分からぬお前ではあるまい。」

幼い頃からラウニィーは繰り返し父のこの言葉を聞いて育ち、そして自分もその様になりたいと考えてゼテギネア聖騎士となったのだ。

だがそれは…

「しかし、…しかし、父上。私は…。」

「良いのだ。」

優しい声だった。

戦場に立つ者とは思えない程柔らかな笑顔で、父は頷いた。

「お前は自分の信ずる道を歩めば良い。同じ過ちを犯す必要はない。わしはわしの名誉と誇りの為に、王家の為に戦うのだ。さあ、構えよ、ラウニィ−。」

「父上!」

「我が娘よ…。ゼテギネアの聖騎士の力、この父に見せてくれ。」

ラウニィーは絶叫に似た声を上げ、ヒカシューへ切り込んだ。

父娘は互いの誇りと名誉と信念を懸けて、周りの介入を一切許さぬ激闘を繰り広げる。

白い柔肌が浅く裂かれて鮮血が噴き出してもラウニィーは1歩も後退しなかった。

一撃を受けるたびに精神と体力が大量に消耗し、息が上がる。

「くっ…!」

単純に力比べならば分が悪い事を良くわかっていたラウニィーは、早口に雷を呼んだ。

数条の雷がヒカシューの周囲に降り注ぎ、石畳を破壊し大地を削り、煙幕を上げる。

オズリックスピアが夕闇を切り裂きヒカシューに肉薄する。

「甘い!」

ヒカシューは一喝するとラウニィーの切っ先を容易く変え、その一連の動きで決して逃げられない決定的なタイミングで刃を返した。

「させるか!」

ラウニィーの首に刃がめり込む一瞬前で、剣と剣がぶつかり合う耳障りな金属音を響かせる。

その一撃の隙を縫ってラウニィーが死地から抜け出し、トリスタンの剣は砕けた。

合間を置かずにランスロットが続き、ヒカシューの追撃を防いだ。

トリスタンは予備の剣を構えると、倒れ込んだラウニィーの手を引いて立ち上がらせる。

「大丈夫か!?」

「ええ……ええ、トリスタン。ありがとう。」

自分がまだ生きている事を信じられないように首をさすりながら、ラウニィーは立ち上がった。

その名前に反応してヒカシューの注意がランスロットからトリスタンへとずれる。

「トリスタン…? 貴公、ゼノビアの皇子か?」

「そうだ。」

「貴様が…!」

「うっ!?」

ヒカシューの瞳に怒りが混じったと思うと、まさに目に止まらぬ速さでランスロットの肩当てから兜が薙ぎ払われ、ランスロットはたまらず体勢を崩した。

鈍い痛みがランスロットの次の行動を遅らせる。

ヒカシューは彼の間合いから悠々と抜け出すと、標的をトリスタンに移した。

「殿下!!」

ランスロットの声が響く。

トリスタンはヒカシューの剣を捌きる事は出来ない。

わずか数瞬で左腕から血を渋かせたトリスタンを見てラウニィーは蒼白になった。

あまりの素早さに立ち入る隙が見あたらない。

「父上!相手は私の筈!」

ラウニィーが叫ぶ間にも剣先は次々とトリスタンを切り裂いてゆく。

「愚か者グランの息子よ。エンドラ陛下の魂を少なからずお慰めする為にも、その命わしが貰い受けるぞ!」

一体何を言っているのか、トリスタンには理解出来なかった。

ただ、ヒカシューが自分を敵としてだけではない強い恨みで殺そうとしている事はわかる。

「雷よ!我が元へ集い、敵を討て!!」

無数に降り注いだ雷に左大腿を貫かれ、ヒカシューの顔が歪む。

運良く雷に貫かれなかったトリスタンはその隙を逃さず後退した。

「父上、彼は殺させないわ。」

ビショップのルルがトリスタンの傷を癒すのを背中で感じながら、ラウニィーが強く言う。

その表情で全てを察したヒカシューが瞬間父親の顔に戻って悲しみを走らせるが、それも一瞬の事。

「ならばお前を倒して、進むだけの事だ。」

「…やれるものならやるがいい。我が名はラウニィー・ウィンザルフ、ゼテギネアのハイランダー、ヒカシュー・ウィンザルフの娘よ!そう甘く見ないで頂戴!!」

ラウニィーは咆哮して攻撃に転じた。

矢継ぎ早に繰り出される攻撃は傷を負ったヒカシューを捕らえ始める。

護りたい―――。 その強い思いがラウニィーの背中を押している。

「ヒカシュー様!」

反乱軍と競り合っていた帝国兵士たちが、ヒカシューの相手と、彼の守勢を見て加勢しようと転身して走り寄る。

「邪魔するでないわ、お下がりッ!」

帝国兵士はラウニィーが放つ雷を同じように雷で相殺する。

もっとも、相殺するのには2人掛かりではあったが。

並の兵士相手に魔法戦も引けを取らないラウニィーだったが、2対1となれば話が別だ。

鋭い舌打ちをして、仕方なくヒカシューから距離を取る事を選択した。

しかしその動きに出るより早く、彼らの足下に赤色の魔法陣が浮き出し、彼女らの身体を引き裂く。

「サラディンか!」

トリスタンの声で事態を察したラウニィーはその場に立ち止まるが、ヒカシューの剣を持たない左手がこちらに突き出されているのを見て、咄嗟に左に飛ぶ。

見えない刃を内包した強風が、金の巻き毛を幾筋か持っていった。

右手を大地に付き、体勢を空中で整えて着地すると、再び斬り結ぶ。

「ソニック・ブーム!」

トリスタンが放った衝撃波は、大地を削りヒカシューへ迫った。

ヒカシューはそれを剛剣で叩き潰す様に打ち払い、返す刃をラウニィーへ向ける。

その切っ先を槍で受け流して雷を呼んだ。

距離が近すぎる為落とせば術者を巻き込む。

落とせるわけがないと踏んで生んだ一瞬の油断を、ヒカシューは後悔した。

ラウニィーは迷わずにヒカシューを中心に雷を降らせる。

「ぐわっ!」

「…っぁああっ!!」

双方共に雷に貫かれ、激痛にのたうち呻く。

「ラウニィー!」

「来るな、グランの小倅!」

蹌踉めきながら、先に立ち上がったのはヒカシューであった。

ヒカシューの剣幕に止まった足を、トリスタンは恨んだ。

自分が彼女を救う好機を逃したのだから。

ランスロットも、誰もこの窮地を救う事は不可能に見えた、だがヒカシューが剣を振り下ろすより早く、トリスタンの横を衝撃波が走り抜ける。

先程よりも威力を増しているそれは、ヒカシューが身を避けるより早く、深く食い込んだ。

そして。

ラウニィーの最後の一撃は、狙いを過たず父の胸を貫いた―――。

 

「…父上、しっかりして下さい。父上ッ!」

ラウニィーは泣きそうな顔でヒカシューの手を握っていた。

愛娘の呼び声に、意識のなかったヒカシューはゆっくりと目を開いた。

ラウニィーの後ろに立つ、鮮烈な炎に目を奪われ、驚愕のまま呻く。

「…エ…! エン…ドラ、陛下…?!」

いや違う。

雰囲気こそ似ていれど、容姿はこれっぽっちも準じていない。

だが25年前以前のエンドラと雰囲気がよく似ていた。

慈愛と理想とを高く掲げた、人の上に立つ者の堂々とした気風。

ああ、そうか…。

ヒカシューは微笑んでレティシアからラウニィーへ視線を移した。

「…頑固な父ですまなかった…。」

「父上、今、今…ノルンが来ますから、お願いです、待って下さい。」

「手当をして生き繋げば、わしは再び反乱軍に刃を向けよう…。…いらぬ。」

「父上…!!」

ヒカシューは悲しむラウニィーの頬に手を添えた。

「…忘れないでくれ。父は…父はお前の事を誇りに思っているぞ…。素晴らしい娘を持ったとな…。…殿下を、エンドラ殿下を止めて…く…れ。ラシュディに惑わされているだけ…なのだ。…た、頼んだぞ…。ラウニィー…愛しい娘…よ。……。」

「あ…ああ、ああっ!父上ーッ!!」

ラウニィーは瞳を閉じたヒカシューの胸に取り縋って絶叫した。

最後まで、ラウニィーは誰にも涙を見せなかった。

 

Y.

ラウニィーは小窓からゼテギネアの街を見下ろして顔を歪めた。

本当は笑おうとしたのだが、心が引きつっていて笑顔にならなかった。

そんな中でも人が灯す炎の群れは、心を慰めてくれるが、喪失感だけは拭ってくれはしない。

「…すべて失った思いだわ。」

ラウニィーは室内の全身鏡に視線を移す。

鏡の中には寸分違わぬ自分がこちらを睨むようにして立っている。

「皮肉ね。聖騎士としてやるべき事をやって来た筈なのに。」

鏡の中の自分が苦しそうに唇を結んだ。

「…何故、今、私は大切なものばかり失ってしまっているのかしら…?」

ラウニィーは呟き続ける。 それは答えのない問答の筈であった。

「間違いを正すだけの、…例えば君のような強さがなかったからだろう。人間は、一人では弱い生き物だからね。」

「!!」

ラウニィーは勢いよく振り返り、予想通りの人物がそこに立っているのに驚いた。

「トリスタン…どうしてここに……!?」

「君が一人になっているのが見ていられなくて。」

「…どうしてよ。」

ラウニィーは睨み付けて低く唸った。

「知っているのよ、貴方、本当はレッティの事を愛しているのでしょう。私の事なら放っておいていいのよ。いいえ、中途半端に優しくするのなら迷惑だわ。」

「今、君がそれを言うのか?」

トリスタンはラウニィーの言葉に驚きを見せ、すぐにそれを優しい微笑みに溶かした。

「確かに君が言うように私はレッティを愛していたよ。でも、今私が唯一の女性として必要とするのは君だけだ。…ラウニィー、もし君が良いと言うのなら…。」

トリスタンはラウニィーをじっと見つめた。

その眼差しにラウニィーは無理に押し込めていた情熱の扉をいとも容易く開かれる。

「君が私を支えてくれたから、私は壁を一つ越える事が出来たように、もし私が君を慰め、支える事が出来るのなら、一緒に居てくれないか?」

「本気?私は、今は反乱軍にいるけれども、ゼテギネアの貴族よ。誰もがそう見ているわ。ゼノビアの皇子とはきっと許されないわ。」

トリスタンは震えるラウニィーの言葉に苦笑を浮かべて

「そうかもしれない。だけど、私は君を愛している。」

「…トリスタン…。」

双眸から涙が溢れ、零れた。

静かにしゃくり上げる彼女の両肩を優しく包むと、ラウニィーはトリスタンに縋りついた。

「本当は助けたかったのよ…。フィガロや父上、帝国の仲間たち、誰一人とも戦いたくなかった。皆間違いに気づいていたのに、道を正そうとはしなかった。聖騎士として私は間違っていないわ、やるべき事をやって来た。…だけど…私は結局誰も守れなかった。失ってしまったわ…。」

「ラウニィー…。」

「もうイヤよ…誰も無くしたくないわ。」

トリスタンはラウニィーを抱きしめる腕に力を込めた。

「…そうだな。もう全てを終わらせよう。そして誰も悲しい思いをしないような国を創ろう…。」

 

レティシアは事後処理をデボネアとノルンに一任して、ザナデュを陥落した事で新しく入った情報を整理し、次の作戦を練りはじめた。

既に衰退の一途を辿るゼテギネアだが、エンドラの支配力と軍事力は侮らない方が良い。

そして、日増しにひどくなる不快感が指し示すように、ゼテギネアでは何かが起きているとレティシアには確信があった。

人ならざる力から皆を守る為には、こちらもついに天空の三騎士及び天使たちの力を借りて戦う事を余儀なくされる。

ちらりと視線を走らせた先では、視線に気づいたスルストが陽気に手を振っていた。

レティシアは意識を戻して戦術を構築しはじめる。

………ェイン

そのレティシアが突然かっと目を見開いて立ち上がり、周囲を驚かせた。

自分の位置からは遠い、アッシュのもとへ、人をかき分けて進む。

その形相にアッシュが狼狽えて近づいてくるレティシアを凝視していた。

「ガウェイン……! 今、ガウェインと言ったか!?」

「あ、ああ…、ゼテギネアの聖騎士の筆頭だそうだが…」

「そのガウェインがどうしたというんだ!」

「何だ、どうしたと言うのだ?そなたらしくな…」

「いいから早く!」

レティシアは焦っていた。

声を荒げ、アッシュに掴みかからん勢いで先を促す。

「帝都ゼテギネアで、ガレス王子の手によって公開処刑されたそうだ。彼だけではなく、聖騎士全員だと……レティシア?」

「う…そ……だろう。」

レティシアは目の前が真っ暗になり、今立っているのか倒れかけているのかもわからない眩暈に襲われていた。

その鬼気迫る表情に誰もが不安を抱き、彼女の周りに人垣を作る。

「レティシア殿?」

自身の治療を終え、異変に気づいたランスロットがレティシアの傍へと寄る。

ランスロットが呼ぶその声も、今のレティシアには届かない。

失意と絶望が、レティシアを動け無くさせていた。