STAGE24.クリューヌ神殿

 

T. 

レティシアはいつも、カノープスの前でだけは束の間少女に戻る事が出来ていた。

カノープスの大きな身体と、少し不器用な優しさは、何一つ自分の兄とは似ても似つかないながら、だけど何かがとても似ていて居心地が良かった。

今も抱き締められている事で、今までの不安が淡雪の様にかき消されて行く。

苦しかった胸は安らいで、次第に自分に託された使命を思い起こさせた。

いや、今となってはそれは『自分の使命』と言って良いものか…。

レティシアの胸を貫くような痛みが走る。

「…すまない。」

「んあ?」

その謝罪の意味を図れずにカノープスが場にそぐわないきょとんとした声を上げる。

カノープスの背中に回された細い腕に力がこもり、そしてすぐに外された。

「…いや、折角いれて来てくれたのに、全部零してしまったから。」

するりとカノープスの腕を抜け出し、床に転がったカップを拾う。

「飲めなくてごめん。でもありがとう。」

「いや…。」

カノープスはどうにも答え辛くて言葉を濁した。

いつもの彼らしくないな、とレティシアは首を捻ったが、それ以上特に何も追求せずにおいた。

カノープスは視線をそらした先に、膨大な書類の束が山積まれている事に気付いた。

「…まさかとは思うが、全部お前が処理しなきゃならないのか、それ?」

「ん?ああ、そうだ。」

「いい、今日はもう寝てしまえ。爺さんも何を考えてるんだか。」

十二使徒の証を入手して戻ってきた日からこんな雑務を押し付けるなんて、とカノープスはぶつぶつと文句を零した。

それを聞きつけたレティシアがすぐに否定する。

「勘違いするな。私がウォーレンの仕事を奪ったんだ。」

「なんで!」

「それは言えない。けど、ただ、多分今夜は眠れないから…そのついでに、と思って。」

レティシアは理由の半分の端だけを答えた。

カノープスはその響きの切なさの中に耳聡く本音を見つけて、やるせない気持ちにかられる。

目を閉じて3つ数えて気持ちを押し殺すと、有無を言わせずレティシアの身体を抱き上げてベッドの中に押し込めた。

「何…!?」

「今日は寝てしまえ。皆が心配する。」

その言葉にレティシアが言葉を詰まらせて頷いた。

「よし、おやすみ。」

「おやすみ。」

気持ちがどうあれ、やはり身体は疲労の極みだったのだろう。

寝る、と決めてほんの僅かな時間で呼吸が規則正しくなっていく。

カノープスはレティシアが深い眠りに入りかけたのを察して静かにそっと部屋を出た。

極力音を立てないように配慮して扉を閉める。

そして振り返り、今までの苦労を水の泡にしかけるほど驚いた。

「ア〜ラ、カノぷ〜。こーんな遅くまで子守りだナンテ、大変ネ〜ェ?」

壁に背もたれた艶かしい魔女が妙に意地悪げに大きな声をかけてくる。

濡れたような唇は笑みを形作っているが、瞳が冷たく冷えていて笑っていない事がわかる。

カノープスは扉1枚の隔てしかなく話すとレティシアが起きるかもしれない、とデネブの口元を覆い、腕を掴んで引き摺った。

「キャッ、いやァん!もっと優しくしてチョーダイ!」

「頼むから静かにしろ!」

小声で怒鳴り、ある程度部屋から離れるとデネブを解放した。

髪が乱れたとデネブが髪を直す間に、カノープスは自室に戻ろうと歩き出す。

その背中にデネブが能天気なまでに明るく声をかけた。

「カノぷ〜。」

「その呼び方やめろっ!」

「いい加減にしたらドウ?レッティが必要としてるのは、アナタじゃないコトくらい、わかってルでショ?」

ぴたりとカノープスの動きが止まる。

「モチロン自覚あったでしょうケド、あのコ、アナタのコト男だなんて思ってな…」

「黙れ。」

デネブの言葉を遮ってカノープスが睨みつける。

だがそんな視線もあっさりと受け流すと、鼻を鳴らしてデネブがニッコリ微笑む。

「レッティのコトは、ランス坊やに預けなさいな。カノぷ〜じゃ役不足ヨ。」

デネブに言われるまでもなく、レティシアにとって、自分ではなくてランスロットでなければ駄目なのだと痛い程知っている。

だが、それでもデネブのこの言葉には、カノープスは自分でも驚くほどに傷付いた。

言葉を無くしていると、デネブはほんの僅かに首を傾げて会心の艶笑みを浮かべる。

カノープスの頬にその白い手を添えた。

「カノぷ〜は、アタシにしときなさいネ

ショックで鈍っていた思考が、その一言で完全に止まった。

あらゆる意味を含んで、今の一言はカノープスにとって恐ろしい一言であった。

何の反応も出来ないカノープスをおいて、デネブは用事が終わったとばかりに身を翻してその場を去って行く。

暫く、何のリアクションも出来ずにカノープスは視線すら固まったままでその場に立ち尽くしていた。

 

U.

「ウォーレン、昨日届けてもらっておいたレポートの件だが、クリューヌ神殿に聖杯があると言うのは本当か?」

「ええ。軍事的に見ても、政治的に見たとしても、あの地はさほど重要ではありません。今は客観的に見たとしても国の防御を固めるべき時です。 なのに、エンドラは将軍を派遣した。 それは何故か? 崩壊の道へ進みつつある帝国が、建て直しを計るには欠かせないものがそこにあるのでしょう。」

「それを『聖杯』と見るか。」

ウォーレンは黙ったまま頷いた。

「恐らくエンドラは聖杯の力を使ってボロボロになった帝国を何とか元に戻そうというのでしょう。…今は亡きグラン陛下も、大陸のどこかに眠っていた『聖杯』を発見し、王国をより堅固なものにしたのです。」

レティシアはそう言われてもピンとは来ない。

もともと彼女が生まれたのは帝国暦にして4年の事であるし、グラン王の御世を知らないのだから当然ではあるが。

いまいち同意しかねているレティシアにウォーレンが重ねる。

「レティシア、聖杯の魔力を侮ってはなりません。あれをもし帝国が手に入れたなら、間違いなく帝国は息を吹き返すことでしょう。そうなれば我々の今までの苦労が水泡に帰しかねないのですから。」

「わかった。」

聖杯の魔力を知らない為レティシアの返事は少し気が散っていて、ウォーレンを少しだけ不安にさせた。

…聖杯には古来より不思議な力があると伝えられている。

見た目はただの杯なのだが、それを見ていると、何故か心が満たされると言う。

それ故国家を築く者は皆、その杯を欲し、杯を巡って幾度も戦争が起きた。

そしてそれはいつしか『聖杯』と呼ばれるようになり、人々に崇められたのだった。

レティシアがそこまで知れば、何が『聖杯』だ!と激昂したに違いないのでウォーレンは黙っていた。

ふと顔を上げたレティシアの耳に、時を知らせる鐘が聞こえる。

「…と、ウォーレン。全員に明日の早朝出立の旨を連絡しておいてくれ。私はこれからちと野暮用で居たり居なかったりするぞ。」

「は?何を…」

「野暮用だ。」

笑顔だが反論を許さない声音で言い切ると、ひらひら手を振って部屋を出て行った。

それを見送ってウォーレンが溜息をつく。

全く。 彼女は肝心な所で我々を頼らない。

それがまわりにとってどんなに寂しい事か、自らを戒め続ける彼女にはわからないのだろう。

 

レティシアが向かった先は日当たりの良い屋上だった。

そこに探していた人物を見つける。

予想通りフォーゲルは剣ではなく水差しを持って、日なたに置いた鉢花に水を与えていた。

その姿が妙にアンバランスで笑いを誘う。

意外にも、フォーゲルは草花を育てる趣味を持っている。

かつては戦いに明け暮れた彼に、殺すことの罪深きを教え、育てる楽しさを教えた男がいるのだという。

フォーゲルはその男の事を話す時に、不揃いの牙が並ぶ口元を僅かに緩ませ、鋭い眼光が光をなくす。

本当に大切な友人だったのだろう。

「レティシアか。何か用か?」

気配で察したのだろう、フォーゲルがこちらを振り返らずに声をかけてくる。

レティシアはフォーゲルのすぐ傍まで行ってから挨拶をした。

「フォーゲル様、ごきげんよう。貴方に聞きたい事がある。」

フォーゲルは沈黙で肯定を返す。

彼のこんな反応に、レティシアは不思議と恐れを抱かなかった。

他の者たちは彼の無愛想を曲解して不機嫌と恐れ、遠巻きにする事が多く、フォーゲルはスルスト・フェンリルの2人以外と一緒にいることはほとんど見かけなかった。

「…貴方ほどの騎士が、私のようなちっぽけな小娘に、何故ああもすんなり力を貸してくれようとしたのだろう?」

「オレはラシュディの野郎に不覚にも借りを作ってしまった。そしてお前は聖なる父の祝福を受け、王道を歩んでいる。オレと契約する資格は十分にあった。だからだ。」

「でも、それが全てではない。違いますか?」

レティシアの口調がやや詰問を含む厳しいものに変化する。

フォーゲルは驚いて(表情に変化はなかったのだが)レティシアをかえりみた。

「何故そんな事を聞く。」

「…本当、なんだ。やっぱり。」

フォーゲルはこの質問が裏を取った尋問だと気がついて問い返す。

この件はただの人間であるレティシアが知っているはずのない話だ。

「何故そんな事を知っている?」

「まだ私の質問は終わっていない。」

答えはその後だ、とレティシアは強硬な態度を崩さない。

「貴方は、私以外の誰かと誓いを交わし、それによって私と契約をしたのだろう?その誓いを交わした相手が、咎人というのは本当なのか?」

瞬時にフォーゲルの視線が凍て付く。

肌を斬り付けるような威圧感を前に、フォーゲルを怒らせた事を知る。

その場にいること自体が恐ろしくなるほどだった。

「…訂正しろ。我が友は、咎人などではない。 護るべき大切なものを護っただけだッ!」

「知っている。 …その人の名前は、サイノスと言うだろうか? 今もまだ天に昇れずに咎人として苦しみ続けているのだろうか?」

「何?」

フォーゲルは意外な人物の名と、レティシアの言葉に驚く。

サイノス、もちろんそんな名ではない。

最も、自分は数百年前のオウガバトルの際での名前しか知らないのだが。

その心底驚いた風のフォーゲルに、レティシアの表情が揺らぐ。

そうであって欲しい期待、そんな筈はないという疑心。

フォーゲルははじめて見るレティシアが不安がっている様子に心底驚いた。

これが聞きたかったのか、とフォーゲルは彼女に向けた怒りを解く。

もしもレティシアが、力を貸した相手が自分ではない、という点に対して怒りを持っていたのだったら、フォーゲルはこの場で契約を反故にしてでも反乱軍を去っただろう。

レティシアの問い掛け方に不備がなかったとは絶対に言えないものの、早合点で怒りを顕にした自分の性急に恥じた。

「レティシ…」

「フォーゲル!何をしているのっ!?」

向こうから顔色を変えたスルストとフェンリルが駆け込んでくる。

すぐさまスルストがレティシアをフォーゲルから引き離すようにひょいと持ち上げ、自分の背にかばう。

「女のコをいぢめちゃNOグッドデェ〜ス!」

「苛めてなどいない。」

「では先程の気配は一体何だと言うの?てっきり貴方がこの辺り一帯を破壊し尽くすのかと思ったわ。」

フェンリルの言葉には誇張も冗談もない。

それが出来るだけの力を天空の騎士たるフォーゲルは確かに有しているのだ。

フォーゲルは身じろぎして、顔を少し傾けた。

「何故そう思う? オレが苛められていたとは思わないのか。」

「ぶはッ!」

スルストが豪快に吹き出して腹を抱えて笑い転げた。

フェンリルに至っては、驚いて口も開けずに目を見張ったままである。

冗談など滅多に言わない戦友が、随分と彼女に気を許したものだ。

「なんだ、どうやら私たちの思い違いのようね。安心したわ。」

フェンリルの氷の美貌に、暖かな春の日のような微笑がともる。

フォーゲルは2人にかまう事無く話しを続けた。

「…レティシア。 人間である以上、死後は同じ大地に生まれ変わる。お前が探す男は、オレの友かもしれない。しかし、逆にそうではないかもしれん。だから、オレには何とも言えぬ。」

「…そう、ですか…。」

フェンリルが脇腹に手を添えるレティシアを目ざとく見つけた。

「傷が痛むの?」

「あ、いや、違います。」

無意識にそうしていたレティシアは慌てて手を下ろした。

「レティシア。オレはお前の質問に答えた。お前もオレの質問に答えるべきだろう。」

レティシアは口の端をゆがめて笑った。

「フェルアーナ様が、永き平和を導く事で……咎を、私の罪を雪げ、と仰った。私に課せられたものは、本来ならば兄、サイノスが全うすべきもの。しかしサイノスは私を生かす為に、運命に抗い、死ぬべき者を繋ぎ止め、そうして使命を投げ捨てた。それが咎…そしてそれをさせてしまったのが私の罪だと。」

穏やかではない会話に、スルストのいつもの明るい笑顔が色褪せる。

「以前から私は、兄こそが指導者たる資質を全て持っている、と知っていました。私など到底及びもつかない知恵、そして時代に汚される事なく持ち続けた理想、それを実現出来るだけの力を確かに持っていた。なのに、何故運命は兄ではなく私をこの世に繋ぎとめたのか。…疑問に思っていた事の答えは、やはり私が考えていた通りでした。」

「レティシア、貴女…。」

フェンリルが口を開いたのを遮って、再びレティシア自ら沈黙を破る。

いつもは皆を勇気付ける明るい笑顔が、今この場ではかえって白々しい気がした。

「ま、結局、私がそれを知っていようと知るまいと、私が志すものが変わることはありませんけれど。」

確かな力強さでもって言い切ると、軽く頭を下げてレティシアはその場を後にする。

残された3人はしばらく無言のままで動かずにレティシアの去った方を何とはなしに眺めていた。

「…酷な事をなさる。」

フェンリルの呟きに返すものは無く、ただ儚く風に溶けた。

「人の身でありながら、驚くべき意志力を持って運命すら変えル。…運命とは、そうなるべきを定めたものであり、何人たりとも犯せぬものデース。まして、人間の身でそれをなさしめるなどとは、最早我々の想像の域を越えてマスネ。」

「レクサールだ。」

「エ?」

フォーゲルの唐突な言葉をスルストが聞き漏らして問い返す。

「今生の名が何かは知らぬ。だが、レティシアの兄の魂はレクサールだ。」

「エエエエエエッ!?」

両手を高く天へ突き上げてスルストが驚きを表現する。

レクサール。 炎の騎士と呼ばれ、伝説となったオウガバトルの時代、勝利をおさめた英雄の名である。

今の時代、子供から大人まで、その名を知らない者など居はしない。

そして、天空の三騎士たるスルスト・フェンリル・フォーゲルにはかつての戦友である。

「フェンリル、お前は知っていたのだろう?」

「ええ、薄々はね。 確信はなかったけど。」

フェンリルは、それが知れれば自分もただでは済まぬと知りながら、彼の逃亡に手を貸した事を思い出していた。

「だがオレは、始めがそうだったとしても、今もレティシアがレクサールの愛し子であるから、とそれだけの理由で手を貸しているのではない。レティシアには、レクサールの力強さとは全く異質だが人を惹き付ける力がある。」

「Oh!同感デェス!!その上カノジョ、とってもキュート

「それは関係ないでしょう。」

「どうせ力を貸すならキュートな女のコの方が嬉しいデース!」

「はいはい。」

スルストの力説にフェンリルは投げやりに答え、そして再びレティシアが去った方向へ視線を巡らし、呟く。

時に、神の仕打ちは『人間』にとっては酷く残酷になる。

所詮人ではないものに人の心は量れないのだろう。

人ならざるものゆえの、罪なき罪だとフェンリルは常々思っていた。

だが今回の事はそれを差し引いてもあまりに惨い。

「…本来ならば、自分ではない人間が生き残るはずだった、なんて聞いて心穏やかでいられる人間がどこにいると言うの…?」

それが大切な人だったならば更に。

 

V.

クリューヌの地図を検分しながら、トリスタンは騎士パーシバルの心中を推し量る。

父に仕えていたという忠臣、パーシバル。

グラン王の厳命を受けこの地に訪れ聖杯をこの地のいずこかに隠したのだ。

考えろ。 もし自分がパーシバルなら聖杯をどこに隠す?

トリスタンの眉間に我知らず寄ったしわを見つけて、ラウニィーがちょんと額をつつく。

思いがけない行動にトリスタンが驚いて身をそらした。

「トリスタン。あんまりしわ寄せていると、そこに定着しちゃうわよ?」

ラウニィーが笑うと周りの空気までも華やぐ感じがする。

そして言われてはじめてしわを寄せていた事に気付いて苦笑を浮かべた。

「帝国軍に先を越されてしまうと思うとつい。」

「大丈夫よ、私たちには正義がある。決して負けないわ。」

「…すごいな。」

トリスタンはラウニィーの自信に苦笑を零す。

彼女の心力もレティシアのそれに負けず劣らず強い事をトリスタンは最近になって知るに至った。

今までレティシアにしか向かなかった意識が、彼女に拒まれた事で拡散されて全方向へ向くようになっていた。

「で、どうなの?」

ラウニィーが地図を覗き込む形で更にトリスタンに近付く。

その距離に違和感を感じたものの、トリスタンは気にした風もなく今までの考えをラウニィーに教えた。

その説明を聞きながら、ラウニィーは全然動じない皇子を少なからず憎らしく思った。

「そろそろ考えはまとまりましたか?」

更にウォーレンの邪魔が入って(表面には出さないものの)更にラウニィーの機嫌が悪くなっていった。

 

W.

翌日。

トリスタンの号令の元、反乱軍は迅速に各都市を開放し、速やかにクリューヌ神殿を目指した。

いくつかパーシバルの痕跡を残す都市には捜索隊を残したものの、トリスタンとレティシアは自らの直感を信じ、クリューヌ神殿こそに聖杯があると信じていた。

戦力差は歴然で、クリューヌを占拠していた帝国軍を敗退させることは容易であると考えていた2人はその考えの甘さを悔いた。

派遣されていたのがもしもルバロン将軍でなければあっけなく陥落していた事だろうが、そのルバロン将軍の奮闘で、クリューヌは中々陥落出来ずにいた。

レティシアが苛立って指を噛む。

「流石は四天王が一人、デニス・ルバロン将軍。ディバインドラゴンを倒し、その血を全身にかぶったと噂されるのもわかる。」

「あの指揮力と統率力そして何より戦闘力は素晴らしいけれど、フォーゲル様と同じくらい強いとは到底思えないよ。」

本当にディバインドラゴンを倒したのは、その呪いを体現している竜頭の騎士1人のみだ。

正気に戻す為にフォーゲルと敵対したレティシア他数名は、その時の恐怖を忘れていない。

そのレティシアの視界をかすめ、ついに反乱軍の一軍がクリューヌの進入を果たした。

続いて神殿に突入したレティシア率いる一隊は、ルバロン将軍と思しき浅黒い肌の長身の男を発見した。

彼もレティシアにいち早く焦点を合わせる。

「反乱軍リーダー、レティシア殿とお見受けするが如何か!」

「応。ルバロン将軍か?」

「如何にも。」

敵ながらもルバロン将軍の堂々とした姿は見る者に憧れと尊敬を抱かせた。

その曇りない視線がラウニィーの前で僅かに翳り、しかしすぐに鋭い眼光へと変化した。

その視線を受けてラウニィーの心が痛む。

「クリューヌもそなたらの手に落ちるだろう。栄光在りしゼテギネアを貴様らに蹂躙されるのは遺憾だが、これも時代の流れという事か。」

「投降するならば、悪いようにはしない。」

トリスタンの言葉を一笑に伏すとルバロンは高々と左手を天へとかざした。

その手にあるものに全員の視線が釘付けになる。

「聖杯かッ!?」

「枢機卿を倒した手並みは流石、と言っておこう。しかし、私は枢機卿殿のようには行かぬぞ。この戦いに勝利した者がこの聖杯を手にするのだッ!さあ、参られよッ!」

ルバロンの視線は、レティシアただ一人を見据えていた。

それに答えるべくレティシアは抜き身のブリュンヒルドを構える。

「誰も手を出さないでくれ。」

「かたじけない。」

帝国の将軍ではなく一介の剣士としての我侭に付き合ってくれる彼女に深い感謝の念を捧げる。

「私も剣士だ。」

強い相手を飽くなく求める気持ちは理解出来る。

「…参る。」

ルバロンの言葉を合図に、全神経をお互いに集中する。

肌が痛い。

ルバロンから発せられる殺気が物理的な力持っているかのようにレティシアに迫る。

意地でも後ろには引くまいとするレティシアの心情を見抜いたか、ルバロンが薄く笑う。

誰かが居住まいを直す際の、床の小石を蹴飛ばした音が引き金となり、2人は幾度となく激しく切り結んだ。

ルバロンはその戦いの最中レティシアの炎に似た輝きに見惚れていた。

剣を受け、流し、返す刃を叩き込む。

その全ての場面で、切り裂かれた痛みにゆがめる顔ですら美しいと彼に思わせた。

はじめて剣を交える事が楽しいと思った。

彼は生まれ出でてから今までこなせなかった事が無い程に、あらゆる才能に恵まれていて、それ故か何かに心が動くという事も極端に少なかった。

はじめて心動かされたのは、女帝エンドラの外見ばかりではない美しさへの陶酔であった。

彼女にその頃のエンドラが重なる。

今のエンドラには長く会っていないが、最後に見たエンドラの美しさは、ひどく禍禍しくて自分に戦慄しか与えなかった。

だが目の前の彼女は、自分の心を動かしたばかりか、更に剣士としての喜び、死に場所まで与えてくれる。

ルバロンの姿勢が僅かに沈む。

その瞬間にパリッとレティシアの髪の一房がはぜた。

その偶然が、レティシアの命運を辛くも分ける。

何かを仕掛けてくる、とレティシアはルバロンの髪一筋の動きも見逃すまいと注視する。

「喰らえ!イクスティンク!!」

空気が焦がされるような熱量で切り裂かれ、レティシアの首を狙って突き出される。

その電光石火の動きにレティシアは反応した。

ルバロン将軍の切っ先はレティシアの頬をかすめて外され、反対にレティシアの剣がルバロンの胴を貫いていた。

信じられないようなものを見る目が、やがて細められる。

「…見事!」

ルバロンの満足そうな声、そしてそのまま脱力しレティシアへと倒れ込む。

レティシアはそれを抱き止めた。

上体を起こす力もなく見えるのは傷だらけの細い肩だけである。

ルバロンは戦いの最中の、レティシアの美しさを反復した。

「…そなた達のような強い戦士と最後に出会えて…良かった…。この剣を受け取れ…。勝者にこそ相応しい剣だ…。…さらばだ、戦士達よ。」

ルバロンはレティシアに愛刀・備前長船を手渡すと、微笑すら浮かべて逝った。

 

クリューヌ神殿の奥には、年老いた老騎士の死骸が横たわっていた。

ゼノビアの紋章が刻まれた鎧から、これがパーシバルだったのだろうと推測される。

次に見えるシュラマナ要塞を越えればついにゼテギネア帝国本土である。

全員に緊張が走る。

ついに戦争の終わりが垣間見えていた。

 

X.

レティシアは鏡を覗き込んで頬に作った傷に傷薬をすり込んでいた。

こんなかすり傷で僧侶たちの手をわずらわせるのも気が引けるが、この傷が残ってしまうのも歓迎出来ない。

身体の傷なら気にも止めないが、顔は気になる。

やはりレティシアも1人の女性といえた。

「…あ、ギルとアルもヒーリング使えたか。」

幼馴染みの双子を思い出し、彼らのどちらかでも呼びに行こうと鏡の前を離れると、部屋の扉が軽く叩かれる。

レティシアの身体が引きつった。

「レティシア殿、入っても良いだろうか?」

予想通りの来訪者にレティシアはやや躊躇いながら、扉を開けて招き入れる。

ランスロットはレティシアを椅子に座らせるとその傷に大きな掌を添えた。

「じっとしていてくれ。」

治癒の魔法の光がレティシアの頬を優しく包んだ。

その光の心地よさにうっとりとしかけるが、その顔を見られてしまうのも恥ずかしさが募る。

何かを喋っていればこの感触に陶酔しきる事もあるまい。

「ランスロット、……久しぶりだな。」

だが、咄嗟に口を開いて出た言葉は皮肉めいていて、自分自身をもがっかりさせる。

だがランスロットは「そうだな」と気に止める様子もなく平然と返した。

それが寂しくて、レティシアは更に内心がっかりしてうな垂れる。

そのうちに頬を包む暖かさが不意に外された。

「良かった。痕を残さずにすんだようだ。」

「…あ、ありがとう。」

微笑むランスロットを眼前に、レティシアは頬が紅潮するのを必死に押しとどめた。

ランスロットはそれに気付いているのかいないのか、気にした風もなくレティシアを見詰めている。

その視線を受けているうちに、レティシアの中で弾けたものがあった。

ランスロットの中に目聡く見つけたものに、レティシアは息を詰まらせる。

「…これで失礼するよ。」

ランスロットはレティシアに気付かず、部屋を後にしようと踵を返す。

背を向けたランスロットの、その広い背中へとレティシアは思いがけず飛び込んだ。

腕を回せば離せなくなるとどこかでレティシアを止める声がした。

だから身体を添わせるだけで腕を回さずにしがみつくように抱きついた。

「……!」

続く言葉は喉の奥に絡まって詰まり熱い吐息だけが吐き出された。

ランスロットはほんの少しの間を置いて、レティシアを優しく自分から引き剥がす。

「おやすみ、レティシア殿。」

困ったような、戸惑った顔つきで微笑むと、そのままゆっくりと部屋を出て行く。

"ランスロットが自分をこの上なく大切にしてくれている"

例えその心の中に自分と、他にもう1人の女性がいるのだとしても、レティシアにはそれで十分だった。

彼と出会っていない時間は彼のものだ。

その間に彼が得た大切な者を不当に奪われた悲しみと、行き場を失った愛はきっとこの先潰える事がない。

だが彼の中の止まっていた時間を自分が動かす事、そして言葉にしなくてもその思いを通じ合わせることが出来た。

彼が、自分が主君の妻になれば良いと思っている事だって、自分を思っての事だ。

……切ない。

「ランスロット。」

触れた場所に残る温もりを抱き締め、1人になった部屋の中で、自分がこの世に残った事への感謝と兄への謝罪をくりかえし、ランスロットを想った。