STAGE22.ダルムード砂漠


T. 

「珍しいこともあるものね。」

フェンリルが注ぐ、再会の祝い酒の流れる音を聞きながら、フォーゲルは窓の外のレティシアを眺めていた。

彼女は戻るや否や突然、彼の腕から奪われるようにして瞬く間に施療院へと連れ込まれて行った。

随分と慕われているのだな、とフォーゲルは人事ながら嬉しく思った。

「本当は、チョット心配してたのデ〜ス。シグルドの復興に全てを注いでいたユーが、レティシアの言葉を聞き届けるかどうか…。」

「まあな。オレとてあの男がオレを訪ねなければ此処にはいるまいな。」

フェンリルが流麗な眉目を僅かに顰めた。

それを意地悪く見つけてフォーゲルが眼光を柔らかくする。

「心当たりがある様だな、フェンリルよ?」

「…人が悪いわね。」

「2人だけで通じ合っているなんてズルイデス!ミーも話に加えてクダサ〜イ!!」

スルストが喚くのをまるきり無視して、2人はグラスを静かに傾けた。

 

レティシアは施療院から開放されると、フォーゲルから貰った鉢植えを自室のテーブルにおいた。

半日の間に少し萎れてしまった気がするので水飲み場から水を汲んでこようと、カップを片手に持ってドアに近づく。

そのドアを開くより早くノックが響いた。

「レティシア殿、おられるか?」

「…いる!」

レティシアはすぐさま反応してドアを開ける。

そこには予想通り、ランスロットが立っていた。

たった1日天地を隔てて離れただけだ。

だというのに、彼に飛びつきたい思いを抑えるだけで精一杯になってしまう。

その高揚感を無理やりねじ伏せて平静を装った。

「どうかしたか?」

「鉢植えを持っていたのが遠目に見えたので…、差し出がましかったかな。」

ランスロットがその手に持つ、水の入ったカップを見て、レティシアは笑った。

彼を部屋へ招いてカップを受け取る。

「今私も行こうとしていたんだ、助かる。出歩くとアイーシャとかプルミナとか、ルルとか、皆怒るだろうからな。」

「確かに、今日の君の怪我には驚かされた。自愛に越したことはない。」

「ありがたく聞いておく。…しかし、私が待つ側だったなら、まず私のことよりフォーゲル様に驚くと思うんだがなぁ…。」

伝説の再来・竜牙のフォーゲルその人に、臆することもなく自分が引っ手繰られた時には、レティシアの方が僧侶たちの豪胆さに驚いた。

スルストやフェンリルの様に人間の姿ではなく、竜頭であるから、「わからなかった」筈はない。

「それにな、私だってただの戦士。いくら操られていたといえ、フォーゲル様相手に命があるまま帰れるかは神のみぞ知るってヤツだ。『怪我だけですんで良かった』と迎えて欲しいよ。実際、デボネアがいなきゃどうなっていた事か。」

肩をすくめたレティシアにランスロットは何かを言いかけて、留まった。

「?」

レティシアがきょとんとしていると、ランスロットは気がついてすぐに微笑んだ。

水を注ぐ間、ランスロットの様子はいつもより少しだけおかしかった。

何かを言いたくて言えない、そんな感じが見て取れる。

レティシアは何か気に触ることでも言ってしまったか、と自分の言葉を反芻した。

だが思い当たらない。

水やりを終えても身じろぎもしない騎士にレティシアは問いかけた。

「ランスロット、どうした?」

考えてみれば彼は、こちらから誘ったとしても自分に用事がある時以外は部屋には入る事はない。

だから間違いなくレティシアに用事があるはずなのだ。

「実は、無理を承知でお願いにあがった。」

再度の呼びかけに、ランスロットが意を決して顔を上げる。

「明後日からのホルモズッサ攻略の際、レティシア殿が出撃する時には私を連れて行って頂きたい。」

「は?」

「レティシア殿が天空の島へ行っている間、ずっと私は君の無事を祈り、待つ事しか出来なかった。…遠く離れていては護れない。知らぬ間にレティシア殿を失う事、それは何よりも恐ろしい。」

レティシアは全身がかっと熱くなった。

ランスロットがどんな考えを巡らせてこの答えを導いたか、それをある可能性に結び付けてしまうのはまだ早い。

だが期待してしまう。

レティシアがランスロットの真剣な眼差しを真っ向から見つめ返すと、甘い痺れが脊髄を走った。

ランスロットの手前、静かに目を瞑って気持ちをどうにか落ち着けようと四苦八苦する。

どくんどくんと心臓の音だけがやたらと大きい。

個人意思を作戦に反映させる事は許されない。

そんな事はランスロットも承知の上のはずであるのに、それでも彼は言わずにはいられなかった。それがどんな意味を持つのか。

ランスロットが望む事の全てを、私の全てで叶えてあげたい。

だけど。

それを引き換えに自分ではない誰かの命がなくなるならば、出来ない相談であった。

レティシアは身体を焼かれるような情熱と理性の抑止との狭間で、強く唇をかんだ。

「…それは私の一存でどうにかなる事ではない。皆の命を少しでも危険から遠ざける為にも、それは…そんな約束出来ない。」

「ああ、そうだな。」

絞るようなレティシアの答えに、ランスロットは苦笑を浮かべて立ち上がった。

「すまない、困らせるつもりは無かった。忘れてくれ。」

ランスロットは軽く会釈をして部屋を出て行った。

 

U.

翌日、レティシアは反乱軍の主だった将たちを集めてこれからの進撃ルートについて話し合った。

ダルムード砂漠では太陽の出ている間の気温は約40〜50℃ほどにもなる。

そのくせ太陽が沈むと突然の酷寒が訪れるのだ。

その昼夜の異常なほどの気温差に耐えられる命はごくごく僅か。

方向を見失う事になれば3日と生きてはいられない、非常な土地であった。

レティシアは砂漠を知らずに生きていたから、ここで参考になる意見を述べられない歯痒さに自然と眉間にしわが寄る。

それをカノープスが見つけてわざとらしく牙を向くフリをして、目の端で笑った。

砂漠の地形、水分の補給、駐留に使う街の位置、全てを事前にてきぱきと説明をしてルートの説明に入る。

その次にダルムード砂漠の帝国軍を指揮する人物についてはウォーレンから説明があった。

「ニンジャマスター・プロキオン。この名を知る者は極僅かでしょう。古来より、ニンジャは闇に生き、闇に死すといわれるように裏の世界の住人ですから。ですがエンドラに協力して、かつての主君、オファイス王を暗殺しました。プロキオンは裏の世界だけで生きることを嫌い、日の当たる世界に残る名声を求めたようです。」

「アッシュも何かを知っているようだな?」

レティシアに水を向けられて、アッシュは重々しく頷いた。

「無音の刺客者、プロキオン。…彼に狙われて生き延びた者はいないと言われている程の人物だ。私がまだ騎士団長を勤めさせて頂いていた頃、今は亡きグラン陛下も、奴に狙われたことがある。」

「だが、父上は生き延びたのだろう?」

「ですが、多大な被害を被りました。それに…偶然が幾つも重なっての結果でした故、今一度と言われましても、決して同じ結果は望めないでしょうな。」

トリスタンはアッシュの言葉を謙遜と思いかけたが、当時を振り返る苦い表情にその考えを改めた。

ウォーレンが説明を再開して、終わり頃になると、レティシアがぽつりと独白のように呟いた。

「プロキオン…ニンジャ、隠密、謀、…暗殺?」

その言葉に、トリスタンとレティシアに視線が集まる。

ウォーレンはその目的を自軍の中に考える事は浅はかと思いながらも、用心に越した事はないと考え直して、用心の護衛強化を図ることにした。

結局、トリスタンとレティシアには見えるところだけでも常に3人以上が警護としてあたる事となった。

正直なところレティシアはそれを快くは思わなかったし、トリスタンとすれ違う時に彼が皆に隠れて苦笑を浮かべた事で、彼も同じ思いだということが知れる。

「やれやれ…これから考え事は頭の中だけでするように気をつけよう。」

レティシアのぼやきをラウニィーが聞きつけて、笑い転げた。

 

かんかんに照り付ける太陽を頭上に、反乱軍はトリスタンの号令一下、進撃を開始した。

トリスタンの横では、レティシアが一歩身を引いたかたちで控えている。

彼女の姿無しではまだ全軍が彼の意のままにならないのだった。

予断無く作戦を遂行して半日が経過した頃、レティシアは砦の中から会議で使った地図を持ち出して眺めていた。

「なぁ、ウォーレン?北の砂漠地帯に街が無いとは誰の見解だ?」

レティシアはウォーレンの答えを聞いて更に首を傾げた。

その様子にウォーレンが訝しげな視線を送る。

「何か?」

「私の勘では、北に何かあるぞ。」

「…勘、ですか?」

「あからさまに不安そうな顔をするな。」

レティシアは苦笑して、地図をくるくると丸めた。

「殿下!」

レティシアは大声をあげて、トリスタンの方へと駆ける。

公式な場では、彼のことは尊称で呼ばねばならない。

レティシアはトリスタンに同じ事を話して聞かせ、自分にその探索命令を下して欲しいと頼み込んだ。

「…何かあるようには思えないが…。」

トリスタンもウォーレンと同じく不安を拭えない様だが、考え込んでいた。

今は主だった者たちは全て出払っている事も、彼女の行動を渋る一つの原因である。

トリスタンは視線を泳がせた先にブリュンヒルドに目を留めた。

「もしかしてブリュンヒルドが反応しているのか?」

「いいや、今回は完全に私一人の直勘だ。」

トリスタンは暫くしてからやっと、一番近くにいる将を呼び戻しそれを供につける事で承諾し、物資補給中だったランスロットを呼び戻した。

事情を説明して、ランスロットとエンチャンターのエドガーを引き抜く。

代わりにギルフォードとルチアがランスロットの小隊へ編入し、再度進撃部隊となって砦を出発した。

レティシア・ランスロット・エドガーはワイアームの背に乗ってこの砦を北へまっすぐ北上し、まずヒルザバードを目指した。

そこで夕暮れが我々に追いついてしまったので、その街で1夜逗留する事にする。

レティシアはこの街を開放したサラディンの小隊のもとへ行く。

「殿下より何か伝言でもあるのですか?」

「いいや、私がこの街の北の砂漠に用がある。」

「北に?そう言えば…見間違いかもしれないが、昼間、北方に人影を見た気がするな。」

「帝国軍か?」

サラディンが眉根を寄せて唸る。

「これより北には何も無いのだから、きっと見間違いだと思うのだが…。用心に越したことは無い。」

「そうだな、ありがとう。」

レティシアは礼を言いながら、自身の勘に確信を抱いた。

プロキオンの目的はそこにある。

レティシアたちは夜が明けると共に再び北上した。

 

V.

「…ビンゴ!」

レティシアは遠い砂丘に見え隠れする帝国兵を見つけて、指を鳴らした。

ランスロットが非難を含む厳しい目を向けていたのですぐに表情を引き締め、ワイバーンを下降させる。

皮肉屋で知られるエドガーも感嘆を呟く。

「女の勘とやらも馬鹿に出来ないモノだな。」

「そうだろう?」

「2人とも静かに…。」

ランスロットが帝国兵の動きに警戒を強めた。

その頭上を羽ばたきが追い越し、数メートル先に帝国装束をまとう忍者達が降り立つ。

両手に持っていたクナイでレティシアたちを襲った。

「向こうのとは別働隊だな。」

「ああ、その様だ。」

レティシアとランスロットは剣を砂の上に全てのクナイを叩き落す。

エドガーがアッシドクラウドを放ち、数人のニンジャにダメージを与えた。

ワイバーンのファイアーブレスが内2人を炭と変える。

騒ぎを聞きつけて、こちらが確認していた帝国兵もこちらへ向かって来ていた。

「…ちょっと人数が多いな!」

レティシアは舌打ちして退却の意思を見せる。

エドガー渾身の2撃目、アッシドクラウドは忍者たちの足を止めた。

その隙にエドガーとランスロットがワイバーンに飛び乗る。

レティシアがワイバーンに手をかけて飛び乗ろうとした足元が、突然大きなクレーターを作りながら落ち窪んだ。

「うわっ、何だッ!?」

「レティシア殿!」

レティシアのワイバーンの背から滑った手を、ランスロットは、またも掴む事が出来なかった。

ずぶずぶと砂に埋没する身体をどうにかしようともがけばもがくほど、埋まっていく。

至る所で流砂が起こっており、確認している暇は無かったが、帝国兵たちの悲鳴も聞こえた。

「…駄目か、いい、行け!」

レティシアを助け出そうと低空飛行をするワイバーンが悲壮に鳴く。

手の中のブリュンヒルドをランスロットへ向かって放った。

「2日後までに私が戻らない時には、私を捨てて行け!…これからの武運を祈るぞ!」

死を覚悟したレティシアの言葉に、ランスロットは受け取ったブリュンヒルドをエドガーに渡して、飛び降りた。

「…え、ちょ、ちょっと…ランスロット様!!?」

「すまぬ。殿下には必ずレティシア殿を連れて戻る、と伝えてくれ!」

その行動に目をむいたエドガーに、ランスロットは言い放ち、レティシアの手を取った。

呆然と幻を見るようなレティシアを腕に抱く。

その感触で我に返って、猛然と怒鳴りつけた。

「馬鹿!どうして来たりしたッ!!」

「全て後で聞くから、マスクを深く当てて、耳も塞げ!」

砂除け用に口元を覆うマスクを耳を覆うまで引き上げて、ランスロットがいつになく強気に怒鳴り返す。

「埋もれる瞬間に息を思い切り吸っておけ。」

「この流れはどこかに流れ着くのか?」

「正直わからない。しかしその可能性に賭けるしかないな。」

「馬鹿、そんな無いに等しい可能性を信じたのか…?」

レティシアはコツン、とランスロットの鎧の胸に額を当てた。

「言ったはずだ。側にいなければ、護ることも出来はしない。」

「…馬鹿。」

時間は戻せないのだから、来てしまったものをどうすることも出来ない。

しかし彼だけでも生き延びて欲しい。

捩れるような圧力で砂の下の身体が軋みだす。

互いを強く抱いて2人は砂の中へ消えて行った。

 

息苦しさと、互いの腕の感触、そして身体がバラバラにされるほどの痛みから開放されたのは、すぐの事だった。

身体が楽になったと思うと自由落下、そして冷たい水の感触が2人に訪れる。

勢いをつけて水没した為、水面まで少し距離があった。

「…ぷはぁっ!」

水面から顔を出して空気を肺一杯に吸い込む。

助かったことを神に感謝しながら、いまだ繋がれた手を引いて岸辺に何とか泳ぎつけた。

辺りに人の気配が無いのを十分に確認し、警戒をしながらレティシアとランスロットは、とりあえず着用しているもので水を絞る事が出来るものは全て絞った。

薄闇に目が慣れた頃、回りを確認すると、ここは大きな洞窟のような場所で、頭上から一気に砂が大量に落ちている所が、レティシアたちが落ちてきた場所以外にもいくつかあった。

「あれに巻き込まれたのか…。」

「その様だな。」

砂がたまると定期的にここに落ちるようになっていたのだろう。

ランスロットは焚き付けを見つけるとすぐに手際良く火をおこした。

すぐに炎がともり、かざした手が暖かさにじんわりと痺れた。

「ランスロットは何でも出来るんだな。」

「…そうでもないさ。」

ランスロットのうつむいた顔をまだ小さい炎が照らしている。

彼と野宿をした事が無いわけではないが、今は二人きりという大きな相違点があった。

だからこんな些細な事でも胸がどきどきする。

「ダルムード砂漠でレティシア殿の手を掴めなかった事、私がもう一瞬早ければと後悔し続けた。それを2度繰り返すつもりは無かった。唯の我侭だよ。」

「我侭でもいいよ、そのおかげで私は助かった。」

ランスロットは反論しようとしたが、レティシアの笑みに言葉を無くして、黙って微笑む事にした。

だが、なぜか真っ直ぐレティシアの顔を見る事が辛かった。

焚き火の魔力だろうか?

ランスロットは不可思議な感情に戸惑って、立ち上がった。

「どうした?」

「少し火が弱い様なので、もう少し燃える物を探して来る。」

「先に少しでも身体を暖めた方がいい。だから座って、少し話そう?」

レティシアの言葉を受けてランスロットは腰をおろした。

焚き火を間に挟む形で、2人は向かい合う。

それぞれが互いの顔を見つめて想い悩んでいた。

レティシアはランスロットへの止まる事のない豊かな恋情に。

ランスロットはレティシアの思いがけない可憐さに。

「…それ。」

沈黙を破ったか細いレティシアの声に顔をあげる。

ランスロットが我知らず弄っていたオルゴールを指差していた。

「何か?」

「良かったら聞かせてくれないか…?その音と………奥さんのこと…。」

「妻の事?」

レティシアは黙って頷いた。

随分と戸惑った様子でランスロットは口篭もる。

「私は別にかまわないが…レティシア殿が聞いて楽しい話などないぞ?」

レティシアの中には見た事のない女性への羨望で一杯だった。

彼の奥さんの事を少しでも知りたかった。

何を話したものやら、とランスロットが困っているのを見てもレティシアは引き下がらなかった。

レティシアの質問に所々突っかかりながらも、ランスロットは律儀に答えた。

幾つかの質問に答えを貰う内に、焚き火の炎は小さく、次第にその灯りを失って行く。

もう互いの顔が見えるか見えないかの灯りになると、ランスロットは立ち上がった。

「やはり、燃料を探して来よう。」

レティシアもその場に立ち上がった。

「待て、ランスロット。最後の質問だ。」

亡くなった妻に付いてレティシアは当り障りのない様々なことを聞き出した。

その妻の事を語る彼の表情から、十二分にわかる事ながら、レティシアはあえて尋ねる。

「奥さんを…今でも愛しているのか?」

僅かに息を呑むのが聞こえた。

心外だと怒るだろうか、と危惧したレティシアの予想を越えて。

ランスロットの声は何処までも愛情深く、響いた。

「ああ、今でも…変わらず愛しているよ。」

炎が僅かな風に弄られて一瞬ランスロットの、誓いに真摯な愛情を込めた凛々しい顔を照らした。

「…質問はもういいだろう?火がないとどうにも心細くていけない。」

ランスロットの言葉は、レティシアの耳には入っていなかった。

今の一言は衝撃であった。

予想していた通りの答えだったにもかかわらず、レティシアの全思考を止める事が容易かった。

そして同時に彼が欲しいと強く思った。

だから、レティシアは迷わなかった。

何もせずに終わってしまうのは嫌だった。

だって彼は自らの命を賭けて自分の手を取って、此処にいる。自分にはそれだけだったが、ほんの僅かな可能性だって、ないよりはいい。

「私はランスロットが…好きだ。」

意味をとり誓える事は不可能なまでの神聖さと情熱が、その言葉に凝縮していた。

ランスロットは不意をつく告白に全身を硬直させる。

微動だにせず、息をつく雰囲気でもなく…、辺りには水が流れる音、そして互いの心臓の音しかなかった。

静寂と闇が、2人を絡めとっている。

その闇の中でレティシアはただ真摯にランスロットを見詰めていた。

焚火の炎が揺らめいて、互いの顔を時折照らし出す。

沈黙が続く―――。

 

W.

自分を真摯に見詰める彼女を前に、ランスロットは全く動けずにいた。

彼女、レティシアを女性として見た事は今までなかった。

もちろん、女性だと知らなかった、と言うことではなく、認識はしてもそういう恋愛感情を持つような対象にはなり得ていなかったと言う事である。

その彼女が今、自分に胸の中の熱を吐き出し、それの『答』を待っている。

黙って自分の言葉を待っている。

ランスロットは以前に胸の奥に静めた酷く曖昧な『何か』を思い出し掛けていた。

そう、あのカタチも成さず概形すらない霧のように薄らとした思い。

あれは…………。

―――『彼女の事?もちろん好きだ。男として、あれだけ素晴らしい女性に惹かれない訳がない。』

びくり、と身体が跳ねる。

そうだ。

今自分の前に立つのは、『トリスタン皇子の想い人』。

王妃候補であられる女性だ。

ランスロットの顔が瞬きほどの一瞬の間、困惑に顔を歪める。

それを揺らめく炎が気紛れに映し出した。

レティシアの瞳が僅かに見開かれ、黙ったまま微笑んだ。

いや、それは微笑みと言うにはあまりにも悲壮な笑顔である。

ランスロットの心の奥底に静めた思いが今ゆっくりとカタチを成した。

だがまだその姿はおぼろげでランスロットには理解出来ない。

だが、心ごと身体を引き裂かれると思えるような痛みが走る。

「すまなかった、この事はもう忘れてくれ。」

「レティシア殿、私は」

「気遣ってくれる優しさは嬉しいが、今はただ、…残酷なだけだ。」

ランスロットの言葉を再び遮ったレティシアの瞳が炎の灯りを返して揺らめく。

レティシアの鈴の音を転がす様でいて、響きの強い声。

自分の名を呼んだ彼女の声は極々わずかに上擦っていた。

闇が彼女の顔を隠していてランスロットから彼女の顔は見えない。

だがレティシアが泣いている事は知れた。

1歩踏み出そうとするランスロットの身体を、レティシアは全身で否定している。

結局、ランスロットはその1歩を保留した。

踏み出せなかったランスロットとレティシアの距離は、離れたままだった。

心が通わなかった痛み。

それは2人の互いへの『想い』をそれぞれに引き裂いた。

物言わぬ慟哭に、心が軋んで砕けそうだった。

 

X.

「…もし、そこにいるのは誰です?」

男の声に二人は弾かれたように顔を上げる。

いつの間にか近くまで男は来ていた。

気配を感じ取る余裕すら、2人には無かった様だ。

咄嗟にランスロットがレティシアを背中に庇う。

「誰だ。」

「それはこちらの台詞ですよ、ここへはどうやって来られたのです?見たところ、帝国軍ではないようですが。」

疑心はあっても敵意がないのでランスロットは柄に掛けていた手を下ろした。

手にしたランプが男の顔を揺ら揺らと浮かびあがらせる。

「我々は、反乱軍だ。流砂に呑まれまして、気がついたらここに。」

ランスロットの答に得心がいった様で男は笑顔を返した。

「それは災難でしたな。こちらへどうぞ。申し遅れました、私の名はギゾルフィ。帝国に追われ、ここアリアバードの街で隠れ住んでいる魔術師でございます。」

ギゾルフィは人好きのする笑顔を浮かべて2人の前を歩いて行った。

複雑な岩場を抜けると程なくして、街にたどり着く。

地底の街、というとアンタンジルを思い出すが、ここには人間の活力が感じられた。

とても小さな町であるが、ここには帝国の恐怖に怯える者はいない。

町のはずれに差し掛かった頃レティシアはやおら、ぽんと手を打った。

「ギゾルフィ!ポルトラノが言っていた魔術師か!」

その言葉に驚いて、ギゾルフィは振り返った。

「ポルトラノ殿に会ったのですか?」

「ああ。」

レティシアはクイックシルバーと呼ばれるエンブレムを取り出して、手渡した。

それを確認してギゾルフィが頷く。

「確かに。では貴方様が"軍を率いる炎の乙女"レティシアですか。」

「…その呼称は何なんだ…。」

こういう時、レティシアは噂が一人歩きしている感を否めない。

「私はレティシア・ディスティー。それ以外の名は持たない。」

「失礼しました、勇者・レティシア。ではこれを…。」

ギゾルフィは恭しく頭を垂れるとある呪文を唱える。

転移の呪文に似ているが、それとは違うようだった。

彼が指先で円を描くと突然虚空が生じ、そこから不思議な輝きのオーブが現れた。

「これは、正義を司る女神フェルアーナ様がかつて私の先祖にお授け下さった秘法の1つ。どうぞ、お持ち下さい。」

オーブを受け取ると、ギゾルフィは今度はクイックシルバーを片手に極短い呪を唱え、真っ二つにそれを割った。

予想しなかった彼の行動に、レティシアが慌てる。

「それは、ポルトラノに返さなくてはならないものだっ!!」

「いえ、これはあなたに託すものの一つ。」

ギゾルフィはクイックシルバーの中から、胡桃ほどの大きさのルビーを取り出した。

「これはジェム・オブ・ドーン。この二つの秘法を持って、ライの海に面した自治都市ラモトレックに住む魔女タルトに会いなさい。タルトと出会うことによって、あなたの前に新しい道が切り開かれることでしょう。神のご加護がありますように。」

ギゾルフィはそう言って、この街の出口を2人に教えて立ち去った。

 

Y.

「レッティ!」

カノープスは誰よりも早く、黄金の海原に彼女の赤い色を見つけて一直線に飛んで行った。

「カノープス、ただいま。」

「何がただいまだ、このじゃじゃ馬!!」

口調はつっけんどんながら、レティシアを抱きかかえる必死さに、どれだけ彼に心配されていたかを知る。

レティシアはそれを抱き返して、ごめん、と何度か囁いた。

それを見ていたランスロットが人の目を気にして窘めようとする。

だがそれより一瞬早く、カノープスはレティシアから片手を離してランスロットをも抱きしめた。

「お前も無事で何よりだよ、ランスロット!」

「こら、よせ。」

遅れて、カノープスと同じ隊のホークマン、カインとランディが辿り付いた。

「レッティ様、ランスロット様!ご無事でなりよりです。」

「いらない心配をかけたな、すまなかった。」

レティシアは2人に軽く頭を下げると、カノープスの逞しい首に片手をかけた。

「戦況はどうなっている?」

カノープスの顔が見る間に険しくなる。

「ああ…戻りがてら色々説明する。ランディ、カイン、ランスロットを連れて飛べるな?」

「問題ないっスよ。」

「日頃隊長に鍛えられてるっスから。」

口々に言うと、ランスロットの両脇について彼を連れて空へ舞う。

カノープスはその安定した上昇を見て、レティシアの腰に手を回して飛び上がった。

きゅ、とレティシアが回した腕に僅かな力がこもったのを感じ、呼ばれたのかとカノープスが顔を向けたが、レティシアは何も言わずに鋭い眼差しで景色を睨みつけていた。

「……レッティ?」

返事は返らない。

夕日が降りかけた空が、やがてカノープスの翼と同じ茜色に染まる頃、5人はバンダアッパーズへと帰還した。

 

ブリュンヒルドを再び腰に装着すると、レティシアは拳を握り、自分の頬を打った。

「何やってんだ、お前!?」

「気合を入れた。」

「馬鹿野郎、何でそんな事を…!」

「これから本陣に乗り込もうとしていたというのに、私は楽観視しすぎていた。現況は私の責任だ…!」

カノープスの気遣いを邪険に振り払い、現在の司令塔・トリスタンの元へと急ぐ。

「レッティ、無事だったのか!」

「その話しは後で。話と被害状況は大体聞いた。

静かな口調ながら、レティシアの怒りが含まれているのは明白であった。

トリスタンは厳粛にそれを受け止め、謝罪する。

「いや、殿下が謝ることではない。全ては私の不明だ。…いや、それも今はどうでもいい。」

レティシアは即座に全軍の配置や状態等を把握して、指示を出し直した。

それを彼女の後ろから見つめながら、自分の力不足に歯噛みする。

当初の作戦をプロキオンの軍に突破されてから、彼は有効な手段を講じられなかった。

戦局の変化についていけなかった反乱軍は統率をなくし、諸将らがなんとか踏ん張ってそれを防ぐので精一杯であり、コンシュ・教会・カーンガーンは再び帝国の手に落ちていた。

レティシアの帰還がもう半日遅ければ、数人が戻らぬ人となっていたかもしれない。

事実、戦闘不能になって撤退する部隊もあった。

「"戦局は変化するモノ"なんだろう?自分を責めるな。」

レティシアは声をかけてから自分も最前線へ行く為に、そこを後にした。

残された皇子は、二度と同じ過ちはすまい、と此度の自分の不明をしっかり刻み込む。

同時に彼女の有能さと気遣いが、針のようにトリスタンを責立てた。

実際、レティシアの有無は士気を大きく変えた。

俄然反撃に出た反乱軍は、プロキオンが率いる帝国軍を退け、ついにホルモズッサを陥落させた。

一番乗りをしてプロキオンと対峙したのは、サラディン、そしてギルバルドである。

レティシアは2人を最も労ってから、次は大量の怪我人を収納するために城の大ホールを施療に当てた。

残念ながらここで従軍不可能と判断され、離脱する者もいる。

レティシアは自分を責立てるように休憩を取らずにホールと薬品庫を往復したり、事後処理に、とやみくもに働いた。

そうしていなければならない気がした。

 

「レッティ様、もうお休みなさいませ。」

ノルンが一瞬ふねを漕いだレティシアを見かねて声をかけた。

そういうノルンこそ、大量の魔力の消耗で憔悴著しい。

怪我の痛みにうめく声もやや収まっていることを知って、レティシアはこれ以上ここに留まっても彼女らが気にするのだろう、とその言葉に従う事にした。

「とても助かりましたわ。ありがとうございます。」

「すまないが、後は頼む。」

レティシアは仕方なく部屋へふらふらと戻った。

深く溜息をついて、ウォーレンに届けておいて貰った書類に目を通す。

考えが行き詰まってしまい何度かペンを回していると、いつもより少し弱気なノックが聞こえて来た。

「レティシア殿、まだ起きておられるか?」

ランスロットの声につい高鳴ってしまう自分の胸に苦笑せざるを得ない。

レティシアは目を閉じて3つ数えると、ドアを開いた。

「どうした?」

「これを預かったままだったので。」

ランスロットがオールドオーブとジェム・オブ・ドーンを丁寧に包んだ物をレティシアに差し出した。

「ああ。そうだったな、ありがとう。」

「そろそろ休んだ方がいい。無理は禁物だ。」

ランスロットはいつもの通り、温めた飲み物を手渡した。

レティシアが好む甘い香りがする。

それだけでまたいらぬ期待を抱いて、胸が温かくなってしまう。

「レティシア殿。」

「何だ?」

余りにも真剣な声だったので、反射的に聞き返してしまったが、きっと今日の事だろう。

レティシアは迂闊な自分をなじった。

今はもう聞きたくないのに。

「私には妻がいる、だから貴方一人を思う愛し方は最早出来ない。けれど貴方が幸せになる事も切に望んでいる。私などではなく、貴方を幸せにしてくれる方がいるのだから、私の事はどうか、一時の気の迷いだったと忘れて欲しい。」

「…………それが…ランスロットの望みか?」

その声は酷くかすれて、ランスロットには届かなかった。

レティシアはすぐににこりと微笑む。

「そうだな、届け物をありがとう。でも、見えなかったとしても私は女なんだ、少しぐらいは傷ついている。それにランスロットの、こんなほんの少しの優しさにも過敏に反応してしまう。…私相手にそういう気が欠片もないなら、もうこれ以上こうしてかまってくれるな。」

「…そうか……。配慮が足りなくて嫌な思いをさせてしまってすまなかった。」

少し翳った笑顔のレティシアに、申し訳なさそうに疲れた笑みを残して、夜遅い訪問の非礼を短く詫びてドアを閉めた。

閉じられたドアの向こうで微動だにしていなかったレティシアは、ややして突然、糸が切れた操り人形のようにその場に膝を落す。

開かれたままの瞳は乾いていた。

「は…はは…あははは…。」

レティシアは取り落とした秘石に目もくれず、虚ろに込上げる笑いを止めようともしなかった。

血の気の引いた顔を手のひらに埋め、引き攣れた旋律の泣き声を上げた。

涙すら出なかった。

最悪だった。

まさかそれが本当の答えだったなんて。

こんな残酷な真実なら知りたくなかった。

ランスロットは、『自分を幸せにする誰か』を、不特定多数に使われる"人"ではなく、確実に誰かを…ある人物を描いた、"方"と言った。

それだけでレティシアには解ってしまった。

『自分を諦め、トリスタン皇子の妃になれ』と彼は言ったのだ。

「………ッッ!!」

レティシアは拳を高く振り上げ、床を力一杯打った。

衝撃が肩まで駆け上がるが、心の方がよほど痛い。

痛みに耐えるために食いしばった歯がギリギリと音を立てた。

レティシアは湧き上がる感情の激しさに声無き慟哭を繰り返しながら、やがて―――足元の中身のないカップに指が触れる。

そこでやっとはじめて、一粒、涙が落ちた。

それを見つめたまま、まるでそこにランスロットがいるかのような甘い声で囁く。

「…それでも……それでもランスロットが…貴方だけが…好きなんだ……。」