STAGE18.天宮シャングリラ
T.
ランスロットの身体は治癒の魔法でみるみる回復し、発見された翌日には意識を取り戻すまで至った。
目を覚ました彼は、痛みを堪えながら上半身だけを起こした。
たまたま手をついたその場所には誰かがいた温もりだけが残されている。
突然ノックも無しにドアが開いた。
「…目を覚ましたのか!」
トリスタンがランスロットの部屋を訪ねて、安堵の笑顔を見せた。
ランスロットは心配をかけた事への謝罪をと頭を下げようとするが、それよりも早くトリスタンが額を押さえた。
「熱は引いた様だな。ともかく良かった。アイーシャを呼んで来よう。」
「アイーシャ殿?彼女が来ているのですか?」
「ああ。レッティが軍の半分をゼノビアに戻してくれた。これで遥か天空の帝国兵とも対等に戦えよう。」
「レティシア殿まで…。」
自分はどれだけの空白の時間を過ごしたのか、とランスロットは眉根を寄せる。
トリスタンはそんなランスロットに気も留めずにアイーシャを探す為に部屋を出て行こうとして、ふと止まった。
「そうだ、サラディンとレッティには礼を言っておくといい。2人が、お前を探し当ててくれたのだから。」
ランスロットは顔を上げて部屋を出て行くトリスタンの背中を凝視した。
ではあの呼び声は…。
意識がなくとも、遠い所で誰かが自分の名前を呼んでいるのは薄ら感じていた。
はぐれた子供のような不安そうな声。
あれはもしかして。
「レティシア殿…?いや、まさかな…。」
彼女はいつも毅然として一人で生きて行ける強い女性だ。
誰かの存在を軸に立っている筈がない。
ランスロットは枕もとのオルゴールを取り上げると、蓋を開いた。
それは病によって倒れ、そのまま逝ってしまった、最愛の妻が残した最後の品である。
今でもはっきり覚えている彼女の息遣いと体温。
ランスロットは思い出に暫し身を浸らせ、音色に聞き入って心を落ち沈めながら再びベッドに横になった。
U.
その頃、レティシアはカノープスと共にゼノビア城で1番高い見張り塔の屋根に登り、シャングリラを見上げていた。
晴天であるにもかかわらず、巨大な天空の島が日光を覆い隠しており、ゼノビアには影を落としている。
風にあおられて、レティシアがよろめき一歩踏み出した。
それを見たカノープスが逞しい腕を伸ばして、レティシアの腰を抱える。
「あんまり端に行くなよ、落ちるぞ。」
「うん…。」
「どうした、元気が無いな。」
「うん…。」
「寝不足か?」
「うん…。」
「…テメェ、人の話しを聞いて無いだろう?」
「うん…。」
「………。」
何を問いかけても虚ろな返事ばかりのレティシアの頭を、一発引っ叩こうかと思ったが、やめておく。
変わりに何か明るい話しでも、と思ってみた所で特に何もない。
つられた様に無言になったカノープスに、レティシアは軽く身体をぶつける様にして抱きついた。
それはいつも空へ同行する時の様な腕の回し方ではなかった為、カノープスを酷く驚かせる。
「しばらく…このままで……。」
カノープスは頬を寄せられた裸の胸から、早鐘のような鼓動に気付かれるのではないかと気が気では無かったが、レティシアは何も言わずにじっと黙っていた。
意識しない深い場所から脳天に向けて甘いものが込み上げる。
やがて、カノープスの腕にレティシアの体温が移った頃、やっとレティシアは口を開いた。
「ランスロットの奥さんってどんな人だったか知っているか?」
「なんだ、突然…?」
「興味がある。」
正直カノープスにとって言うならば面白い話題では無かったが律儀に答えた。
「俺は、ランスロットとはこの軍に参加してからの付き合いだ。アイツの奥さんが亡くなっていた事だって、つい最近知ったことだ。ただ、そうだな…あまり強くなかったと聞いた。」
彼が口にした「強さ」を腕っぷしの事だと解釈をしてレティシアは眉間にしわを寄せる。
そんな事を聞きたいのではなく、彼女の性格や、ちょっとした仕草、外見などが知りたかったのだ。
レティシアのむくれ顔からそれを察したカノープスは苦笑を浮かべて訂正する。
「俺の言い方が悪かったな。強くなかったって言うのは、誰かに依存する事で生きて行くタイプだったって事だ。レッティの様に、一人で生きて行く事が出来ない、か弱い女だったらしい。」
レティシアの眉間のしわが一層深くなった。
確かにそれは自分とはタイプを異にする女性だろう。
そして彼は、今も変わらず亡くなった奥さんを愛しているのは明白であった。
もとより自分が割りこむ隙間など無かった事を再認識して胸が引きつる様に痛んだ。
昨日の事があっても無くても、今更どうして良いかわからないのだ。
既に奥さんがいた誠実な彼に何を求められると言うだろう?
自分はどうしたいのだろう?どうしてほしいのだろう?
それについては、毎日違う答えが出た。
自分一人の胸に収めておくには、レティシアはまだ幼すぎて、瞬きの瞬間についに我慢の限界を超えて涙が零れる。
ぎょっとしてカノープスは腕の中の彼女の瞳をその大きな手の平で覆い隠した。
「どうしたんだ?」
猛烈に嫌な予感がしたが、聞かずにはおれなかった。
「カノープス…。」
苦しい気持ちが凝縮したような声に、カノープスの眉根が寄る。
「私…ランスロットの事が好きなんだ…。」
だがカノープスには、すぐにその言葉を理解する事は出来なかった。
水を吸う大地の様にゆっくりと、全身に染み渡る様にレティシアの言葉がカノープスに届く。
カノープスはレティシアの頭を自分の胸に抱えこんだ。
彼女の泣き顔を周囲から隠す為ではなく、今の自分の顔を彼女に見せたくなかったからである。
見られたならば、気づかれてしまうと思った。
そう、カノープスはやっと気がついたのだった。
カノープスはこの翼を持ってしても越える事の出来ない壁、『種族』というものを無視してレティシアの魅力に囚われている事に。
彼女の震える小さな頭と細い腰を抱く腕に、力を込める。
それでも。
今、この腕の中の姿は、俺だけのものだと前向きに考え直す。
カノープスは自分の絶望的な恋に苦笑を浮かべた。
「…さ、そろそろ戻ろうぜ。」
互いの体温を分けあって、違和感が無くなりかけた頃、不意にカノープスが身体を離す。
一抹の寂しさを憶えてレティシアの手がゆっくりと外された。
その頬には既に涙の後すら残ってはいなかったが、レティシアは照れ臭さを誤魔化す様に微笑を浮かべる。
「私はカノープスには甘えすぎているな。」
「なぁに、ガキの世話には慣れてるぜ。」
にやり、と笑ってカノープスは言った。
その言葉にレティシアが唇を尖らせる。
その仕草が可愛らしくて、カノープスは更に笑った。
「とても女にゃ見えねぇな。まるっきりガキのツラしてるぜ?」
「フン。私は私だ、他の女の様になんてなれないのは自分で百も承知だ。」
「ま、その意気だ。」
ぽん、とレティシアの後頭部を叩いてカノープスが何とも言えない笑みを浮かべる。
何度この腕に抱きすくめようが自分のものにはならない娘。
それは何と切ない距離だろう。
ばさり、と翼を広げるとレティシアはカノープスに近づいて、その逞しい首に片手をかける。
「行くぞ。」
一声かけてからカノープスの足が塔の屋根を離れた。
V.
大地に降り立つと、レティシアはカノープスから離れ、城の北側・魔獣軍の駐留する場所へと足を運んだ。
そこに予想通りの人物を見つけて声を掛ける。
「ギルバルド、これからか?」
「ああ。かなり高度が下がっている、今日は辿り着けるのではないだろうか。」
ギルバルドはスティクス、アイギスという2頭のワイバーンがお気に入りであった。
彼が魔獣軍に入所したての頃に先輩の兵士から預けられた卵から、自分で育てた魔獣である。
今回はスティクスと共に島の様子を見に行くらしい。
「頼むぞ、ギルバルド。」
「殿下…!?」
ギルバルドはレティシアの後ろからやって来たトリスタンに、深く頭を垂れた。
彼は一度帝国に寝返った過去を持つために、皇子には重いしこりがあった。
ただ、トリスタンにすればそれは仕方のない事だと割り切っているのだが、義に厚いギルバルドにはその気持ちが上手く伝わらない。
ギルバルドが飛び立つと、その場にはアイギスとレティシア、そしてトリスタンが残された。
ギルバルドの小さくなって行く姿の向こうに巨大な浮遊島を見つめる。
「こうなるとかえって壮観と言うのかもしれないな。」
「殿下、気楽過ぎやしませんか。」
落下を続けるシャングリラを頭上に見上げながらのトリスタンの発言にレティシアは顔をしかめた。
このまま落ちればどれだけの被害が出るかは、単純に考えるだけでもわかる筈なのにトリスタンの口調はあっさりとしている。
その渋面を見てトリスタンは微笑ながら彼女の頬に手を伸ばした。
「ここまで故意に移動させてきたというのなら、制御出来るものがあるのだろう?ゼノビアに落ちる前にどうにかすればいいだけだ。それに、こちらには勝利の女神がついているではないか。」
「そんな御大層なものがいるものか。 負けるつもりは毛頭ないけれど、その油断からの敗退だけはいただけない。気を引き締めて望んで下さい。」
冷たく言い放ってもトリスタンは気を悪くした様子はなく、力強くうなづいた。
「もちろんだ。この戦いは負ける訳には行かない。私はゼノビア第1位皇位継承者フィクス・トリシュトラムとして、ゼノビアを復興させる義務があるのだからね。」
トリスタンはじっとレティシアを見た。
「だが、レッティは何故だ。何故決起した?戦う理由は何だ?君が戦いの果てに見ているものを教えてくれ。」
「平和が見てみたい、自由が欲しい。…ただそれだけだ。」
レティシアは表情すら変えず端的に答えた。
それは嘘ではないが、全てではない。
トリスタンはそれを鋭く嗅ぎ取って苦笑した。
無理強いはすまい、と彼女が自分に心を許してくれる時を待つ事にする。
「そうか。」
トリスタンはレティシアの頬に添えた手を滑らせ、その長い髪に絡ませた。
そしてその一房に口付ける。
レティシアは驚いてトリスタンのその行為を見ていた。
その視線に気付かぬ振りのまま、皇子はレティシアから視線を外し、再び上空のシャングリラを見上げる。
その横顔がほんの一瞬怒りに燃え盛ったのをレティシアは見逃さなかった。
彼もまた内に激しい炎を抱く一人の青年であるのだ。
「!!」
空を眺めていた2人は突然顔を見合わせて、あわててゼノビア城へと戻る。
レティシアは中庭に足を踏み入れるなり、周囲に大声で呼び掛けた。
「戦闘準備をしろ!シャングリラへ乗り込むぞッ!!」
途端に兵士たちの顔が引き締まり、準備をすませた者から中庭に集合する。
その中にはトリスタンの斜め後ろに控える様にして、ランスロットの姿があった。
まだ身体は全快などしている筈もない。
レティシアは思い止まらせようと、叱咤するような厳しい口調で言った。
「ランスロットは休んでいろ。」
「いいや、身体の方なら心配は要らない。だから共に戦わせてくれ。」
「駄目だ。頼むから、もう少し自分の命に執着を持ってくれ。」
「レティシア殿、いつもならばその言葉はありがたく受け取るが、今は正にゼノビアの危機なのだ。騎士たる私が黙っていられようものか。」
その声からは誇り高い騎士の清雅な決意が感じられた。
レティシアは黙って睨みつけていたが、ランスロットの意思が不動のものだと思い知ると目を伏せて溜息をつく。
「ノルン!」
「はい。」
「すまないが、ランスロットをよろしく頼む。無茶をしたら殴ってでも止めてくれ。」
「…まぁ。」
ノルンはレティシアの言葉に驚いて口元をそっと隠した。
その驚きが笑みに溶ける頃、ギルバルドが遥か上空から帰還する。
「何だ、もう用意が出来ていたのか。」
「さあ行こう。ギルバルド。」
レティシアはカノープスの腕におさまった。
その姿を見て、再びトリスタンが驚く。
「…ランスロット、あの2人はいつもあんなに仲がいいのか?」
「は?まあ…そうですね。」
やや煮え切らない返事ではあったが、その答えにトリスタンは眉を寄せる。
そしてちらりとギルフォードに目をやる。
彼はその視線に気付く事なく、いつもの涼しい顔のままレティシアを見ていた。
彼もまたレティシアに友人以上の好意を持っているはずだが、その彼がどうとも思っていないと言う事は、そんなに注意する事でもないのかもしれない。
トリスタンは再びカノープスに視線を戻す。
その目の動きを見て、ランスロットが気にした様だった。
V.
シャングリラは、完全に帝国の支配下に置かれていた。
天空の島に住む住人は、争いの絶えない下界から逃れてきた者たちの末裔であるらしく、争いを好まぬとして、それ故に戦う術も、その意思すら彼らには存在していなかった。
このたびの戦乱も、下界の事と全く興味すら覚えてはいなかったらしい。
彼らは解放された喜びと、意に染まぬ支配を受けた事への怒りを反乱軍の面々にぶつけて来た。
あからさまな侮蔑を投げつけられ、嫌な思いをした者たちが数多くやり場のない怒りに身を震わせる。
レティシアはオルガナで受けた傷にそっと指を這わせた。
反乱軍は、エルシリアを本拠地として、カノープス・ギルバルドが指揮する大空部隊は魔法都市ヌシャーテルへ真直ぐ向かい、地上を行くレティシアらが魔法都市インターラーケンに到着してから、東西2方向から一斉に攻撃を仕掛ける事にしている。
その間に、一体のグリフォンに乗りこんだスルストとフェンリルが、シャングリラの移動装置が置かれている場所へ、突き進む手筈になっている。
インラーケンへと続く道、高くそびえる山中を進軍中、レティシアは帝国軍の布陣の仕方に、ある共通点を見出して内心首を傾げた。
進めば進むほどにその思いは強くなって行く。
そんなはずはない。奴は確かに自分の目の前で息絶えたのだから。
だがしかし…もしまだ生きていたのなら…。
ざわり、と全身の毛が逆立つような怒りが忍び寄る。
それと同時に何処かで、ガレスが生きていた事への喜びがあった。
奴が生きているのなら、今度こそ自分の手でサイノスの、父や母の、自分が大好きだった人たちの仇が討てる。
昏い歓喜と殺意にレティシアは微かながら震えていた。
それにいち早く気付いたのはランスロットである。
「レティシア殿、何か?」
「…気の…せいだろう。」
眼光鋭く前を見詰めたまま、ランスロットへではなく、自分自身に対して答えた。
間に2時間の休息を入れ、翌日朝早くに山越えを完了したレティシアらは、インターラーケンに到着した。
シャングリラの宮殿に近いこの街の住人は、帝国軍の指揮官を見たとレティシアに話しかけて来る。
レティシアはもう少しでブリュンヒルドを取り落とす所であった。
シャングリラにて帝国軍を指揮しているのは、真っ黒な鎧を着た騎士であるというのだ。
その騎士の周りには何体もの死霊が付きまとい、まるで伝説のオウガの様であると。
それを聞いて確信する。
あの布陣の仕方に覚えがあるのも当然だったのだ。
レティシアは動揺を面に出すまいと務めても、どうしても叶わず、自らのいつもより早い心臓のリズムだけがやたらと耳につく。
「ガレスだ…。」
誰かの呟きに、レティシアの内で深く眠らせていた滾る怒りが吹き出した。
―――今度こそ、この手で殺してやるッ…!!
自分の身体中の血液が怒りのあまりに沸騰して行くような感覚、そしてその場にいる者全てに、震えが来るほどの激しさ。
誰もが恐怖に顔を引きつらせながら、ただならぬ殺気を放つレティシアから目が離せずにいた。
「レティシア殿、落ちつくんだッ!」
ランスロットがやっとの思いで叱咤する。
その声に辛うじて反応したレティシアは、幽鬼の様にランスロットを見つめ、拳を握る。
ランスロットはその虚無を抱える瞳に総毛立ったが、目を反らさずに仁王立ちしていた。
その光に恥じ入る様に、レティシアはうつむいて目を伏せ、再び目を開く。
既にいつものレティシアに立ち戻っていた。
呪縛を解かれた者たちが次々に溜息をつく。
その光景にレティシアは申し訳なさそうに身じろいだ。
「それにしても…何故。」
ランスロットの言葉は、ガレスへ向けての言葉であった。
それについてはレティシアも同感である。
だが同時に、生きているからこそ…次こそは自分がサノイスの仇を、ガレスに止めを刺すことが出来る、とガレスが生きている事へ、喜びを抱いてしまった自分を深く恥じる。
「なかなか自分の思い通りにはならないものだ。」
自らの感情にレティシアは一人ごちた。
それをガレスが生きている事への言葉だと、皆は受け取った。
その中で只一人、ノルンだけは別の事で頭を一杯にしていた。
ガレスが来ている。
それはノルンにとって、恋人へ辿り着ける細い希望の糸でもあった。
自分の荷物の中に、法皇たる彼女には不釣合いな無骨な一振りの剣がある。
それは恋人と同じものを志した騎士、プレヴィアが自分に託したデュランダルである。
ノルンは恋人の無事を祈って、再び歩き出したレティシアの後ろへと続いた。
先にカノープスらの指揮下の部隊がシャングリラの宮殿で派手に戦塵を散らしていた。
その中にハイランド初の女性聖騎士の、勇ましい姿が見える。
彼女が対峙している相手は、漆黒の騎士であった。
ラウニィーの全身には既に大小問わずの傷が刻まれている。
他の者たちも乱戦でラウニィーに加勢する暇がない様であった。
レティシアは向かってくる帝国兵を一太刀のもとに切り捨て、ラウニィーの傍らを目掛けて走る。
ラウニィーは肩で大きく息をしながら、それでも闘志を失わずにガレスを睨みつけていた。
ゼテギネアの王子・ガレスは禍禍しい笑いを浮かべてラウニィーを見下ろしている。
「全く、相変わらず口が悪い。お父上もさぞかしお嘆きだろう。何故、暗黒の力を認めん?暗黒の力があれば、その美しさを永遠にする事も出来るのだぞ。」
ラウニィーはその言葉をせせら笑った。
「バカね。散ってこそ花というコトバを知らないの?」
血にまみれても相手に膝を屈さず、強がるラウニィーは壮絶に美しかった。
一瞬、レティシアまでもがその輝きに見惚れる。
「ハッハッハ。ではこの俺が責任をもってその亡骸をお父上の元へ届けてやろうッ!さあ、聖騎士とやらの力を見せてもらおうかッ!!」
「馬鹿笑いは止めたほうが良いわよ、…品がないわ!」
ラウニィーは毒舌も緩めず、愛槍に意識を集中した。
サンダーフレアが宮殿の一郭を薙ぎ崩しながらガレスを撃つ。
それに合わせてレティシアがラウニィーを、跳躍で追い越して一太刀浴びせ、すぐに間合いの外へ逃れた。
雷の為に崩れた宮殿の破片がガレスの上へふりそそぐ。
「…不死身の化け物という噂、どうやら本当の様ね。」
ラウニィーの声に答えるように、ガレスはパリパリと雷の余韻を残しながらも宮殿の残骸の下から出て来た。
その視線はラウニィーを離れ、レティシアに据えられている。
「やはり来たか。」
「シャングリラを悪鬼の墓場とするには惜しいが、死んでもらう。」
「ほざけ、小娘。」
「殺す前に一つ問うが、デボネアをどうした?」
「…裏切り者の末路が貴様になんの関係がある。すぐに貴様もヤツの所へ送ってやる!」
残酷な笑みにレティシアは奥歯を噛みしめて、果敢にガレスに打ちかかった。
W.
以前とは変わって、レティシアの攻撃がガレスの身体を捉える。
だがその漆黒の鎧が鋭い切り込みを弾き返していた。
その打ち合いの最中にガレスが笑う。
「ククククク、お前の中の怒りに、俺と同じ暗黒の波動が見えるぞ…!」
「!?」
愕然として一瞬反応が遅れたレティシアの頭を目掛けて、ガレスの斧が振り下ろされる。
「レッティ!!」
何とかレティシアは身体を捻った。
ラウニィーが力の限りガレスの斧に槍を突き立てた事で、斧は軌道をそれてレティシアの肩口を掠めただけにすんだ。
引換えにしたものは、肩当てだけですんだ事に安堵が訪れる。
「馬鹿な事に耳を貸すのは止めて頂戴、こっちの息の根が止まるわよ。」
「馬鹿な事だと?お前は聖騎士でありながら、そいつが私怨によってのみ俺に挑んでいるのがわからぬのか?こいつは傑作だ!」
「いいえ、レッティが戦っているのは貴様の為などでは無いッ!」
ラウニィーが弁護をするが、レティシアには言い切れるほどの自信は無かった。
サイノスの仇を討ちたい思いが確かにある。
ぎゅっと唇を噛んだレティシアは心に忍びこんだ僅かな恐怖に、先程よりは幾らか鈍った眼差しをガレスに戻した。
「…どいてッ!」
それに気付いたラウニィーがレティシアを押し退けてガレスの前に立つ。
ラウニィーはぐっと槍を握りこんだが、その両手は先程の衝撃の為に痺れ、震えていた。
痺れから解放されるには今しばらくの時間が必要であったが、レティシアの今の様子ではそれを待つ余裕がない。
「行くわよッ!!」
ラウニィーは意を決してガレスへ走った。
「無理はよした方がいいのではないか、聖騎士殿!」
「黙りなさい!」
不気味な唸りを上げるガレスの斧を、身軽なラウニィーはことごとく避けて間合いを測った。
鎧の接合部分を狙って性格無比な突きが繰り出されるが、いつもほどの切れがない。
「ガレスッ!」
乱戦を制して辿り着いたトリスタンが咆哮し、打ちかかった。
「今こそ亡き父上の仇を取らせてもらう!」
「貴様がゼノビアの死にぞこないか。墓の中にいればよいものを…。貴様のようなヒヨッコがこの俺を倒すだと?面白い冗談だ、墓の中のほうが幸せだ
ったと悔やむことになるぞッ!」
ガレスはラウニィーを突き飛ばしてトリスタンへ斧を叩き込んだ。
それを斜めに受け流し、返す刃で足を斬り付ける。
「減らず口を叩くのもそこまでだ。お前に永遠の眠りをやろうッ!」
トリスタンの剣技は目を見張るものがある。
誰の指南を受けたかは知らないが、騎士として洗練された剣である事が誰の目にも明らかであった。レティシアも、恐怖を無理矢理押し込めてガレスへと向かう。
「どうした、ブリュンヒルドがまるでなまくら刀ではないか!」
嘲るガレスの言葉に、つい動揺する自分に歯噛みする。
「キャアッ!」
ガレスの渾身の力を込めた斧がラウニィーの槍を叩き落した。
両手が酷く痺れ、ラウニィーは槍を取り落とした格好のまま、大地に膝を落とす。
「イービルデッド!」
ラウニィーを中心に大地が紋様を形取って、血を吐くような赤い閃光を発した。
その威力を身を持って知っているレティシアが、胸元から素早くタロットを取り出してラウニィーへかざす。
「先を織る乙女よ、汝が紡ぐ糸車に繋がれし哀れなる者を救い給え!運命の輪を廻す汝、名をフォーチュン!」
レティシアの声と共にタロットに封じ込められていた魔力が解放され、ラウニィーの姿が蒼い薄靄に掻き消える。
そこにラウニィーの姿がない事に、トリスタンは驚いていた。
しかし今は命を賭けた戦いの最中である。
それにばかり気を取られている訳には行かない。
トリスタンは素早く気持ちを切り替えた。
「…面白いぞ、小娘ッ。」
ガレスは盛大に笑い出した。
その後方、シャングリラの宮殿の奥で突然爆発が起こった。
位置からして、制御クリスタルが置かれている部屋が近い。
「…ここも終わりか。」
ガレスがぽつりと言って、レティシアに視線を戻す。
「もう少し遊んでやりたい所だが、そうも行かないようだ。そろそろ本気で死んでもらうとしよう…!!」
「やれるものならやるがいい。」
トリスタンが挑発的に答え、踏み出した。
それが合図であったかのように、ガレスも動く。
「殿下!」
ランスロットが白熱するカラドボルグを手に加勢に訪れる。
ガレスはランスロットが持つ神聖剣を恐れた。
漆黒の鎧がカラドボルグの光に焼かれ、白い煙を吐く。
ランスロットが加わった事でガレスは見る間に劣勢に陥る。
「おのれ…!!」
業腹なガレスは、ランスロットを睨み付けた。
意志の弱い者ならば戦闘意欲すら奪いかねない強烈な視線も、聖騎士には通用しない。
「ソニック・ブーム!」
レティシアが近距離からの必殺技をガレスに叩きこむ。
その威力に耐えきれずにしぶいた右手の血飛沫が、ガレスの視界を一瞬奪う。
トリスタンの剣が、ガレスの喉もとを深く刺し貫いた。
「オオッ…またしても…またしても俺が負けるのか…。」
信じられないものを見る様に、ガレスは自らの血に染まった大地を見下ろした。
トリスタンが剣を引きぬいたそこから流れる血が、みるみるガレスの足元に大きな水溜りを作り、広げて行く。
致命傷である事は誰の目にも明らかであった。
「しかし…安心するのは…まだ…早い…ぞ…。必ず…必ず貴様らを倒してやる…。何度でも…甦るぞ…。フハハハハハハハッ…。」
レティシアたちは、呪詛を振り撒きながら滅びて行く黒騎士を、恐怖と蔑みでもって見送る。
ガレスの身体は目の前で、アヴァロン島の時と同じく、黒い塵となって風に霧散して行った。
崩れ去ってしまって何も残っていない宙を見つめ、レティシアは微動だにしない。
ガレスがこれで死んだとは、どうしても思えなかった。
ただ、重苦しい虚しさだけがレティシアを支配した。
X.
半ば崩壊し掛けたシャングリラの宮殿は、既に帝国兵の手によって荒らされ、神殿にあった筈の数多くの財宝は、全て失われてしまっていた。
宮殿の中を歩くレティシアは、ややして制御室を探し当てる。
「…もう大丈夫よ。シャングリラは浮上を始めている。このまま、もとあった場所まで戻すわ。」
レティシアの靴音に振り返ったフェンリルが穏やかに告げる。
やっと一息をついたレティシアは、既にトリスタンやランスロットたちが、宮殿の内部を探索している場所で、ノルンを探した。
いつもなら怪我人を集めた場所を中心に探すが、今回は特別である。
思っていた通り、ノルンは不安そうな顔でトリスタンたちの後を付いて回っている。
声を掛けようとした時、宮殿地下に何かを発見したとの報告が入った。
ノルンは何かに気付いたようにそちらへ駆け出した。
レティシアもそれに続く。宮殿の地下の最奥には、拘束された男が横たわっていた。
男は、久しぶりに見る光に目を細めた。
暗闇に目が慣れてしまい、返って光は彼の目に苦痛をもたらす様だ。
「…誰だ…?そこにいるのは…ガレスか?」
まだ強靭な意志を保ったまま男は顔を上げた。
それを見たノルンが涙を流しながら彼に駆け寄る。
「クアス!生きていたのね、クアス!!」
「ノルン…君か?どうして?どうしてこんな所に?」
ノルンはボロボロになった恋人を抱きしめた。
花の香りが、デボネアの心に甘いものを呼び起こす。
「…詳しい話は後よ。今はその身体を手当てしないと。」
「ガレスはどうなったんだ…?反乱軍が来たんじゃないのか?」
デボネアは恋人に会えた喜びと安堵で途絶えそうになる意識を必死に保った。
レティシアが階段で成り行きを見守る皆を押し退けて2人の側へ歩み寄る。
その姿を見て軽く息を呑んだ。
彼の身体は既に度重なる拷問と幽閉で、手酷く痛めつけられていた。
デボネアの横へ行って屈みこみ、彼の拘束を取り外す。
「レティシア…か?」
今だはっきりと視界を取り戻していない将軍は、鮮やかな炎の色を纏う女性に確認の意味を込めて声を掛けた。
「そうだ。大丈夫か、デボネア?…酷い怪我だ。」
「そうか、ガレスを倒したのか…。エンドラ陛下を説得しようとしたのだが、逆に裏切り者とののしられ、捕らえられてしまったよ。どうやら君達の方が正し
ったようだな…。」
自嘲気味に口の端を歪めるデボネアの真直ぐな気性を、レティシアは、今この時は哀れに思う。
「さ、手当てが先だ。話なら後でゆっくりと聞こう。」
「…すまない。」
地下室から運び出されたデボネアを連れ、レティシアたちはカオスゲートを通ってウォーレンたちが待つカンダハルへと降り立った。
デボネアの治療にはノルンの希望で、彼女が専属する事になった。
ノルンは反乱軍に参加してからの事を詳細に語って聞かせる。
そして最後にデュランダルを恋人に手渡した。
「フィガロが…そうか。」
デボネアは暫し目を瞑り、親友の死を悼む。
そこにレティシアが部屋を訪ねて来た。
「入っても良いか?」
「レッティ様、どうぞ。」
ノルンがドアを開けてレティシアを招き入れた。
デボネアを見て、レティシアが華の様にほころぶ。
その笑顔に一瞬見惚れかけたデボネアにノルンが不安そうな視線を投げかけた。
「怪我については心配要らないようだな。」
「2日も経てば戦える。その時には…レティシア、むしのいい話だと思うだろうが、この俺を仲間にしてくれないか?」
「ゼテギネアに忠誠を誓った四天王の一人が、我々と共に行くというのか?」
レティシアの視線がデボネアの本心を暴こうと細められる。
「そうだ。俺たちは何処かで間違ってしまった。既に帝国は破滅の一路を辿っている。俺が忠誠を誓ったエンドラ陛下はもういないのだ!」
デボネアが獰猛に唸り、怒りに身を奮わせた。
彼の傷を心配してノルンがレティシアの顔と交互に見つめる。
睨み合う様に見詰め合っていた2人だが、ふっとレティシアが眼光を穏やかなものへ変化させた。
「歓迎する、デボネア。」
「ありがとう。この命果てるまで、君と…。」
「よせッ、言うなッ!!」
顔色を変えてレティシアが叫ぶ。
「気持ちは嬉しいが、せめてゼテギネアを倒すまで、にしておいてくれ。」
ノルンに苦笑いをして、レティシアは言った。
デボネアも気付いて恋人の方へ腕を伸ばす。
「ではデボネアもノルンも、暫らくはゆっくり休むがいい。」
レティシアは2人に当てられた気持ちになって部屋を出て行った。
夜風が頬をくすぐるその心地良さにレティシアは目を閉じる。
仲睦まじそうな2人の姿が脳裏に焼き付いていた。
意識すまいとは思ってもレティシアも一人の女性である。
好きな男性が出来た今となっては、恋愛へ以前の様に無関心でいられなかった。
視線を走らせた先には、まだ灯りが燈ったままのランスロットの部屋がある。
ランスロットの様子を見に行こうかどうか悩む。
だが結局今一歩の勇気が出せずにレティシアは自室へと戻って行った。