STAGE15.マラノの都
T.
天空の三騎士の内の2人を、誰一人死なせる事なく仲間に出来た事を誰もが喜んだ。
「神に祝福されし勇者」、それが我々のリーダーだと反乱軍は更に士気を盛んにした様だ。
反乱軍はその士気を維持したまま、アプローズ男爵が住むマラノを目指していた。
進行方向を辿って、南に見えて来る大きな都がマラノである。
ドヌーブとホーライを結ぶ一大貿易拠点として発展し、帝国の支配下に置かれた後もその勢力は衰えず、帝国の玄関口として発展を続けている。
そしてマラノは天然の要塞でもあり、三方を湖に囲まれ、さらにその周りを山で囲まれている事からマラノは自治権を持つ都市として発展して来た。
今では城壁が都を取り囲み、いっそう難攻不落な都になっている。
そのマラノの都を支配するのは、もとはゼノビア王国に仕えていたがラシュディと共に帝国に寝返った、旧王国騎士団にとって許されざる敵であり、そしてポグロムの森における「虐殺」の首謀者であるアプローズ男爵である。
現在、マラノの都ではアプローズ男爵の結婚式が開かれるとかで、各地から大勢の見物人が集まっているらしい。
だが、その花嫁・ウィンザルフ家のラウニィーはそれを良しとせず彼のもとを単身逃げだし、アプローズ男爵が雇った何人かの賞金稼ぎたちを振りきって、カストロ峡谷にて反乱軍に参加している。
その逃げた花嫁とは、ラウニィーのことである。
彼女は思い出すのも厭わしいと鼻の頭にしわを寄せた。
アプローズ男爵は紳士の外見を持つ冷酷極まりない男である。
先に述べているとおり、彼はゼノビア王国の貴族でありながらグラン王が殺害されると、すぐにゼノビアを裏切り、帝国への手みやげとして、王家の人々を殺し、自分の両親の首をエンドラに差し出した。
世渡り上手な男らしく、ハイランドの面々に取り入り、今ではマラノの統治者にまで上り詰めている。
自分の野望を果たすためには手段を選ばない男で、ラウニィーの事にしても、必要だったのはラウニィーが持参する「ハイランドの上流貴族」という肩書きのみである。
ふと、ウォーレンが難しい顔をして考え込んでいるレティシアに気付く。
「何を考えておいでです?」
「うん、トリスタン皇子の事だ。」
アヴァロン島から帝国へ向けて進軍しているらしいが、まだ発見出来ていない。
多分帝国側も情報を入手するまでには至っていないだろう。
反乱軍の活躍を受け、各地で小規模な反乱が多発しているが、その中にトリスタン皇子らしい人物がいる報告はまだ受けていない。
「無事であればいいのだが。」
「そう…ですな。」
ウォーレンは産まれたばかりの幼子の顔を思い出した。
グラン王に似た、聡明そうな皇子だった。
「…そう、サラディンからアルビレオの事を聞きましたか?」
「ああ、死体が姿を消したそうだな。あの時、完全に心臓は停止していたのに。」
天空の島へ姿を消している間にあった数件の時事をウォーレンから聞き終わると、レティシアは立ち上がった。
「…さて。」
「待ちなさい、レティシア。」
ウォーレンの口調から、それが説教に続くものだと知れる。
「レティシアは我々に心配を掛けすぎる。少しは身体を休める事も考えて欲しいものだ。」
「ありがたく拝聴しておくよ、ウォーレン。」
内心、ウォーレンに謝罪する。
レティシアはこれから幼馴染みたちを連れて、彼女にとっては第2の故郷と呼べるベルチェルリの街に皆に知らせずに入る事を考えていた。
相変わらず勘の良い占星術師の説教をある程度聞いてから部屋を出て、2人を探して軍の中をうろうろし始めた。
数日間反乱軍を留守にしていただけだと言うのに皆レティシアの姿を確認すると話しかけてくる。
自覚しているより強く、自分はリーダーとしてこの軍の要になっていたようである。
水呑み場で双子の片割れを見つけて声を掛けると、アルバートは少し驚いた様であった。
「レッティ?どうした、こんな所まで。」
「アル。ギルは?」
「天幕にいる。何だ、兄さんに用事か?」
「いや、2人共にだ。」
レティシアはギルフォードとアルバートの2人を連れ出した。
2人は、レティシアが決起した時に始めからついて来てくれている仲間である。
軍の中で不満に思っていることなどを歯に物を着せずに教えてくれたり、反対にレティシアの意向を仲間達にそれとなく伝えてくれたりする事もある。
レティシアは2人を先程ウォーレンと一緒に使っていた個室に通した。
ウォーレンが既にこの部屋からいなくなっているのを確認した上でだ。
「レッティ、マラノはどう攻めるつもりだ?」
常時言葉少ないギルフォードがレティシアに問う。
もちろんこの質問は予想通りである。
レティシアは微笑を浮かべてベルチェルリの方向を眺めた。
レティシアは家族と死に別れてから暫らくベルチェルリの2人の家に世話になっていた事があった。
2人の両親はレティシアを優しく受け入れ、本当の娘の様に扱ってくれた。
だが自分はそれを捨て旅立ったのだ。
自分に賛同したとはいえ2人の息子達をも連れて。
だからまだ町に住んでいる2人の両親に申し訳ない気持ちがある。
「街をあまり荒らしたくないからこのまま全軍をは突入させないつもりだ。」
「そうか。」
それだけ聞けば十分だと言う風に、ギルフォードは押し黙った。
アルバートはレティシアの視線を追い、街の方向を向いて昔に思いを馳せる。
「…あの時。」
「ん?」
「あの時、サイノスさんもレッティにももう二度と会えないと思っていたんだ。」
あの時、と言うのはガレス王子によって街が壊滅された時の事である。
たまたま2人の家族が街をあけていた時の出来事であったので、彼等の一家は難を逃れている。
レティシアは街での凄惨な出来事を思い出して口元を覆った。
ギルフォードが気付いて、アルバートの脇腹を肘で突付く。
「あ、ごめん!ごめんな、レッティ。」
「いやこれは私が弱いせいだ。アルが気にする必要はない。それよりも…。」
軽く浮き出した脂汗を指先で拭い、レティシアは2人を呼んだ本題に入る。
ベルチェルリの街にいる2人の両親を、出来るならば一時避難させたいというのは、それはただの我侭だ。
判ってはいるがレティシアはそうしたいと切望する。
2人は当然反対の意思を見せながらも肉親の情に戸惑い、逡巡した。
暫らくの沈黙の後、更に眉間に深いしわを寄せてギルフォードが絞る様に言った。
「その気持ちは、ありがたいと思う。だがレッティは我々を率いる軍隊のリーダーなんだ。こういうのはいけないと思うが…。」
「他を押し退けてまでそうしたいと思うのは、私の我侭と知った上だ。」
辛い時に手を差し伸べてくれた人たちを失うのは嫌だとレティシアは強く思っている。
もともとマラノの攻略を前に、これだけは絶対に譲らないつもりでいた。
彼女を幼い頃から良く知る幼馴染みたちは、もうこれ以上何を言っても彼女が意思を変えない事に気付いて苦笑いを浮かべる。
「レッティには今も昔も勝てないな。…ありがとう。」
アルバートが人好きのする顔で笑い、ギルフォードも同じ思いらしく目を伏せたまま唇に笑みを乗せていた。
確認するまでもない。
2人が自分の我侭を認めてくれたのだった。
数刻後に西側の見張りが交代をする。
その際に意図的に作った無人の時間を利用してここを出る事を2人に告げ、レティシアは早速用意に取り掛かった。
緩く巻いた髪を後ろで束ね、リボンで飾り、炎にも似た紅い髪は、染料で赤くやけた金髪に見える程度に色を変える。
いつも腰から下げている剣がないだけで、心許無い気持ちと開放感で鼓動が高鳴る。
ドアの向こうの足音に、浮付いた気持ちを沈め、静かに窓を開けて抜け出した。
待ち合せ場所には、双子の方が先についてレティシアを待っていた。
こちらに向かって駆けて来るレティシアの姿を見て、アルバートが目を細める。
はためくスカートの裾に、まだレティシアが無邪気に笑っていた頃を思い出したのだった。
もちろんこの事が気付かれない筈はなく、3人が姿を消した直後、ウォーレンは頭を抱えた。
何度忠告し、自身の立場をわきまえろと言ってもレティシアは聞かない。
それは彼女の信念から来る行動で、止める事は叶わない事を誰もが理解している。
だからと言って許せる訳ではないのだが、何故か腹は立たない。
諦めている訳でもないのに。
「無事で帰って来ると良いが…。」
ウォーレンはそう呟いてからランスロットとアッシュを呼んだ。
レティシアを無事にこちらに戻す為に出来る事、それは兵士たちの目をこちらに向けるように仕掛ける事ぐらいだ。
だがランスロットの姿も軍の中に見つける事が出来ず、それだけが少しだけウォーレンの心を慰める。
そしてその代わりにカノープスを呼んだ。
その待ち時間の間、腕を組んだまま壁にもたれたアッシュが灰色の口髭の中で小さく笑う。
「…彼女には困ったものだな?」
「捨て置けぬとして動く、それもレティシアの魅力ではあるのだがな。だが彼女だけが旗印のこちらとしてはいささか心許無くもある。」
アッシュの確かめる様な一言に、ウォーレンはつい弁護している自分に苦笑を浮かべる。
だがそれはとても優しい笑顔だった。
U.
ベルチェルリの入口付近ですぐに3人は散り散りに流されてしまった。
マラノはアプローズ男爵の結婚式を目当てに各地から大勢の見物人が集まって随分と沸き立っている。
マラノから少し離れたこの街ですら、マラノに入れなかった見物客で溢れ返っていた。
街の道という道はほぼ全て混雑しており、その人ごみに流されてレティシアは何度も用のない小道に押し出されかけた。
救いはと言えば憶えている通りに辿りつけた事だろう。
「じ…自分の大きさがわからない…。」
はき慣れないスカートが色々な所に引っ掛かるのが、人に揉まれ自由に動けないレティシアを更に苛立たせた。
それでもなんとかじわじわと2人の家へ向かうために緩い石畳の坂道を進んでいると、賑やかな街道で声をひそめて喋る声が耳につく。
「…ゼノビア家の生き残り、トリスタン皇子がその混雑に乗じて男爵の命を狙っているらしいぞ。」
「まあ、男爵はかつてゼノビア家を裏切り、人々を虐殺した悪人だしな。殺されても文句の言えないだろうが、見物なんぞしてたら巻き込まれっちまうかもしれないなぁ…。反乱軍も間近に迫っているんだろ?」
「らしいぞ。さっき都の常駐兵が集まって何やら騒いでいたし…今だって塀の外では戦っているそうだぞ?」
「そうさな、暫らく他の街へ行くか。」
「それが賢い選択だろうな。俺も営業は今日で閉めるよ。気を付けろよ。」
「ああ、じゃあな。」
偶然に商人同士の会話を偶然盗み聞いたレティシアは話しの重大さに鼓動が高鳴った。
ついにトリスタン皇子の消息が僅かなり掴めた、それは喜ばしい事である。
だが同時に皇子を無事に反乱軍に擁する為にこちらも急がねばならないと言う事でもある。
ベストは皇子がアプローズを襲う前にこちらから接触する事だ。
考えに没頭し掛けたレティシアの耳に、突然絹が裂ける音が飛び込んだ。
「あっ!」
「え?」
レティシアのスカートが誰かの服の金具に引っ掛かって裂けてしまっている。
大腿が日の下に晒される格好になって、レティシアは焦った。
女性としての恥じらいからではなく傷痕を見られるのを恐れたからである。
今の自分は街娘に扮しているのに、足に幾つもの戦傷では言い訳し辛い。
「すまない、不注意だった。」
慌てて布を手繰って足を隠すと、すまなそうに頭を下げる青年を見た。
レティシアは整った目鼻立ちに一瞬見惚れてしまう。
そしてそれよりも目を引くのはぐるぐるに巻かれたターバンから1束だけ零れている、砂金色のシルクを束ねた様な美しい金髪。
身なりはそんなに良くはなく、塩売りを生業としている様でもあるがそれもどうだろう。
どうにもその強い光を宿す瞳が、その身なりとちぐはぐである。
彼はレティシアを凝視していた。
余りにも不躾な視線に、レティシアが気分を害して睨み付ける。
「何…よ。」
意図して女言葉を使うのは何故か気疲れする。
「すまない、ちょっと付き合ってくれ。」
彼は言うなりレティシアの腕を掴んで、小道へと逃れた。
こちらの意向も何も聞かず彼はこちらの腕をきつく掴んで奥へ奥へと進んで行く。
「どこへ連れて行く気!」
レティシアは彼の手を振り切ろうとしたが、思いの他力強くて振り切れなかった。
本気になって力を込めたが、彼の指が手首にめり込むだけだった。
僅かな恐れがレティシアの中に生まれる。
「ちょっと…ッ!!」
やがて彼は立ち止まって振り向いた。
得体の知れない美しい男。
不思議と敵意がないのだが、何故自分をこんな人気のない所へ連れて来たりするのだろう。
レティシアはスカートの上から、こっそり携帯していた短剣を押さえた。
「君の名前、もしかして…」
「貴様!」
ギルフォードの腕が彼を捉えた。
怒りに双眸を光らせたギルフォードは、2人の間に割り込んでレティシアを背中に庇う形を取る。
「ギル!?」
「貴様、コイツに何をするつもりだっ!」
「君は誰だ、彼女の何だ?」
慌てず落ちついた彼の様子が、ギルフォードの気に触った。
奥歯をきつく噛んで殴り掛かったギルフォードの拳を易々と避け、彼は自分の胸倉を掴んだままのギルフォードの手首を掴んだ。
そしてくるりと回転させる。
ただそれだけの動作だったはずなのにギルフォードの体躯までもが空を舞い、大地に叩きつけられた。
ギルフォードは強かに打ち付けた衝撃で息を詰まらせ、昏倒する。
「ギル…!」
レティシアは慌ててギルフォードの上半身を助け起こした。
けしてギルフォードはケンカに弱い訳でも、貧相な訳でもない。
そのギルフォードが子供扱いである。
レティシアは驚きに見開いた瞳のまま彼を見上げた。
「…君……。」
彼が何かを言いかけて、すっと後ろへ跳躍する。
「ティアナ、ギル、大丈夫か!?」
レティシアが振り向くと、アルバートが駆けて来ている。
ティアナというのはこの街へ入る前に決めたレティシアの偽名であった。
アルバートはレティシアの手を取って無事を確認して安堵すると、顔を上げる。
しかしそこにはもう、「彼」は居なかった。
「今のは誰?」
「わからない。」
レティシアはギルフォードの頬を軽く打った。
その衝撃でギルフォードが意識を取り戻すと、彼には(本当に)珍しく赤面した。
一撃で沈められたのが恥ずかしかったのだろうと思い、深く考える事はしなかった。
それよりもレティシアには今の彼の瞳が心に引っ掛かっている。
難しい顔のまま、ギルフォードから離れ、彼の消えた方向を見詰めた。
そのレティシアの顔をちらりと見たアルバートは、彼女に決して聞こえない小声で兄に耳打ちする。
「よりにもよってレッティの目の前で気絶なんて…災難だったね…。」
ギルフォードは赤面の上に、苦虫を噛み潰した顔で嘆息した。
そう、彼は目の前の凛々しい幼馴染みが昔から好きだった。
街で用事を済ませた3人が帰途につく頃、ウォーレンが都の塀の外で派手に暴れてくれている事を知った。
どうりで街の中に兵士の姿が少ない筈である。
レティシアはウォーレンの機転に感謝すると共に彼の忠告を無視した事への罪悪感が更増した。
しかし戦いの最中、街の外へ飛び出す訳にも行かない。
「どうやって街を出たものか。」
レティシアの呟きに、2人が平然として彼女を促してベルチェルリの端の酒場へ入った。
そこに見知った顔を見て、レティシアは比喩でもなんでもなく、現実に息が止まる。
「ラ…。」
「そんなに目を見開くと、瞳が零れそうだな。」
硬直したままのレティシアに苦笑を交えて言うと、後ろの2人がつられて笑った。ランスロットは立ち上がって支払いを済ますとレティシアの側へ歩み寄る。
「こっちだ。」
ランスロットが案内した先ではグリフォンのヒュースパイアとアポロニアスが木陰に隠れていた。
レティシアがある考えに到達して幼馴染みたちを睨み付けると、2人は案の定、視線を反らして笑っている。
やられた、と気が付いて内心歯噛みし、すぐに、スカートを替えておいて良かったと大腿をスカートの上からなぞりながら何よりも強く思った。
V.
染料を落したばかりの濡れた髪が頬にはりついて冷たい。
ウォーレンは厳しい口調の窘めをしっかり聞き届けた後、まずレティシアは自分の行動を謝罪した。
「それと、トリスタン皇子がアプローズの命を狙ってベルチェルリの街にいるらしい。」
「皇子が!」
「商人たちの噂話だが…多分間違いはない。」
言いながらレティシアは金髪の男を思い出していた。
あれからずっと引っ掛かっている。
「あの塀に守られている限り、あと3日でマラノを落すのは無理だ。」
3日、と言うのは結婚式までの日数でもある。
結婚式のパレードのその日だけは、アプローズは市民の前に姿を現す。
手勢の少ない皇子が仕掛けるとすればその時であろう。
「だから、人が多いという事を逆手に取ろうと思う。招待状を持っていそうな一行はまだマラノ入りしようとしているだろう?」
「ふむ…なるほど。」
「とにかく、トリスタン皇子が我々を待たずに蜂起する可能性は高い。」
「その時までに皇子を探し出せれば問題はないですが無理でしょうな。」
「そうなんだ。」
ここまで諜報の網を掻い潜り、仇敵アプローズの支配する都に潜伏している皇子の知略は素晴らしいものである。
それが今はアダとなって我々をも困惑させているが、裏切りの横行する今の時勢に皇子のカリスマの一端を垣間見る事が出来ていた。
「ではその様に。ですが、今回はレティシアは潜入メンバーには入れませんぞ。いい加減に休養を…」
「それは困る。街で気になる男と会ったんだ、あれが皇子と繋がっていた可能性が高い。私は行くぞ。」
「レティシア!」
「そんな恨みがましく見たって駄目だ。どうしても彼が気になる。大丈夫だ。私はそんなにヤワではないよ。」
「全く…貴方と言う人は…。」
ウォーレンは眉間にいつもよりも深いしわを寄せた。
結局この占星術師とて、レティシアには弱い。
星の導きによって自らの前に現れた…ただそれだけの絆ではない。
彼女が自分に寄せる深い信頼と尊敬。
それはウォーレンにとっての誉れとなっているのだから。
物見からの連絡があったのはその日の夕方頃だった。
アプローズの注意を引く為に、マラノの都を大きく包囲して攻め込む様子を見せながら、遥か後方で一隊を襲う手筈になっている。
当然ながら自衛の為に攻撃してくる隊を、レティシアは手早く指示して撃退する。
飛行部隊にはかなりの気を使いながら、ギルバルドとカノープスの飛行部隊が迎撃する。
数度全身後退を繰り返して、伝令が到着した。
レティシアは内心にんまりと笑って、日が完全に落ちるのを待つ。
「よし、退くぞ。」
レティシアは夜戦を避けたふりを装って、パドバまで後退した。
「ウォーレン、メンバーの選抜は終わっているな?」
「はい。」
挙がる名前を聞きながら、レティシアは鎧を脱ぎ始める。
時間は今1秒でも惜しい。
だが1ヶ所レティシアは聞きとがめた。
「…ん?ちょっと待て、ラウニィーも行くのか?」
「これは彼女の先だっての希望でもある。」
「しかし、さすがに顔を知られているだろう?」
「それについては直に彼女を見れば理解する。さ、部屋へ。」
ウォーレンはレティシアに説明を与えず、部屋を指し示した。
いつも疑問にはきっちり答えてくれるウォーレンらしくない。
だが、今は急いでいた。
ラウニィーを見れば解ると言うならそうなのだろう。
レティシアはドアを開けた。
「遅いわよ、レッティ。」
「…………ラウニィー!?」
「そうよ、どうこの格好?」
ラウニィーは侍女の服に着替えていた。
金の髪をみつ編みにして、メイクでそばかすを浮かせている。
声でなければラウニィーと解らないほどに顔を変えていた。
なるほど、上手く化けたものである。
「上手いものでしょ?さ、レッティここに座って。」
得意そうに言うラウニィーのなすがままにレティシアは椅子に腰掛けた。
顔全体に触れて来る毛先の感触はお世辞にも心地良いとは言えないし、動くと怒られるので動く事も出来ない。
レティシアには一種拷問の様だった。
そうして長かったような短かったような時間がすぎて、ラウニィーが満足そうに息をついた。
「…さ、目を開けていいわ。」
ラウニィーの言葉に、レティシアは瞑っていた目をゆっくりと開いた。
鏡の中では美しい女性がこちらを見ている。
不思議そうな顔でレティシアがその女性を見、その女性もレティシアを不思議そうな顔で見ている。
「……………え?…えええっ!?」
それが自分だと気付くまで、多少の時間がかかった。
丸っきりの別人である。
女性は化けるものだと言われているが、自分でそれを経験する事になるとは全く思っていなかった。
「さ、早く着替えて。」
レティシアはまだ信じられない思いで、驚いた顔のまま、鏡の中の自分を見詰めながら服を脱ぎ捨てた。
ラウニィーがレティシアの身体にまざまざと残る、無数の傷痕をはじめて見て息を詰まらせる。
同じ女性として、ラウニィーはそれを哀れに思い、瞳を潤ませた。
特に脇腹の傷が酷い。
レティシアが戦いにおいて負う傷について、愚痴の一つもこぼした事がないのをラウニィーは聞き及んでいる。
自分がもし、こんな傷だらけの身体ならば、他人を羨みはしなかっただろうか?
そう考えるとついに涙が零れた。
そしてそれを隠すかの様にレティシアの細い首にすがりつく。
鏡の中の自分に集中していたレティシアは、ラウニィーが突然泣き出した事に驚いた。
「ラウニィー?」
「早く…平和な世界を作りましょうね。貴方がこれ以上傷を負わないですむ、争いのない世界を…。」
「ラウニィー…。」
レティシアがそっとラウニィーの肩を抱くと、ハイランド初の女性の聖騎士は切なげに身体を震わせた。
W.
馬車に乗り込んでレティシアは手にした扇でそれとなく顔を隠す様に緩くはためかせる。
小石に乗り上げる振動を、柔らかなクッションが眠りを誘うような優しさに変える。
景色はゆっくりと変わりながらマラノを目指している。
乗っ取った一行は遥々ガーフェルートから来た中流程度の貴族の一行であった。
一行の人数が思いの他多かったので、数十名もの反乱軍戦士たちを連れて来る事が出来た。
街に入ってからは3分の1をトリスタン皇子の捜索に当たらせるつもりだが、この人数ならば人手が足りないと言う事にはならないだろう。
問題の検閲は招待状のおかげで無事に通りぬけた。
予定通り宿について、荷物を降ろしすぐに探索部隊を出す。
しかし、結局結婚式前日になってもトリスタンを発見する事は出来ずに終わった。
ある程度予想されていた事とはいえ、レティシアは唇を噛む。
ラウニィーが心配そうに顔を覗き込んで来たので、すぐにいつものような気丈で強い微笑を唇に乗せた。
「心配させたか?でも大丈夫だ。」
レティシアは真直ぐ前を見る。
「結婚式のパレードが開始するのは2刻後だったな?」
結婚式は、偽の花嫁が馬車に乗って、夫であるアプローズ男爵が待つ教会へ辿りついてから始まる。
花嫁は真白い雪の様に繊細な長いレースのヴェールを目深に被りそのヴェールの裾が絡まないように、白い細面の美女3人にその裾を持ち上げられている。
そして花びらの敷き詰められた豪奢なヴァージンロードを歩んで、差し出されたアプローズ男爵の手を恭しく取った。
神を冒涜した、偽りの結婚式は表向き厳かに進められていた。
大勢の賓客・招待客の見詰められた2人はゆっくりと祭壇へと進む。
教会の礼拝堂の中に紛れ込めたレティシアは、機会を冷静に伺っていた。
ふと、レティシアは新郎の向こうにいた青年に目を止める。
「アレは…。」
無意識に手首を押さえる。
「彼」だ。
丁度アプローズと花嫁を挟んで「彼」とレティシアは向き合う位置にいた。
ドキン、と心臓が大きな音で一つ鼓動すると同時にレティシアの中で幾つかの疑問が符合した。
レティシアに他に選択肢はなかった。
『アプローズ!』
「彼」とレティシアの声が綺麗に調和して、静かだった教会に残滓を残して響く。
アプローズが振り向いたのは、残念ながら「彼」の方であった。
「彼」は花束に隠していた細身の剣をアプローズ目掛けて突き出す。
「きゃあああっ!」
「な…!?」
花嫁の純白のドレスが鮮血で染められた。
アプローズは咄嗟に彼女を盾にしたのだ。
「彼」は驚いて飛び退った。
視界の隅でランスロットたちが抜刀する。
だがそれは混乱を更に上乗せするだけだ。
教会の中に様々などよめきが起こり、誰かの悲鳴を皮切りに参列者たちが恐慌状態に陥る。
我々は扉へ向かう人並みに身動きが取れなくなった。
「人々の避難を優先しろ!…ギル、アルッ!」
名前を呼ばれた2人は、照明弾を取り出す。
もともと入口付近で待機していたので動きは易々と取れた。
合図によって、都の西側をぐるりと回り込んで、マラノの背後の断崖から反乱軍が来る事になっている。
照明弾が上がる。
その間にアプローズのまわりを屈強なゴーレムが固めていた。
「やれやれ…反乱軍ですね?全く無粋な…。」
アプローズは息絶えた花嫁から手を離して、レティシアたちをぐるりと見まわした。
その中で「彼」には目を止める。
自分が恨み続け、ついには帝国に取り入る為に持参した首に似た面差し。
そう、「彼」の顔立ちからグラン王の面影を見たのだ。
「おやおや、トリスタンの坊やが生きていましたか…。」
トリスタンは憎々しげにアプローズを睨み、足元に崩れ落ちた花嫁を一瞥する。
「気安く私の名を口にするな、ゼノビアを裏切った謀反人めッ!」
トリスタンの激昂をアプローズは鼻でせせら笑った。
「裏切り…ですか。おかしな話ですね。私はゼノビアでは三流貴族の身。グラン王の政策下でどれだけ苦労したか…。怨みこそあっても、恩など感じたことはありませんね。」
「御託を並べるのはいい加減にしないかッ!貴様が裏切ったのは、父上だけではないッ!貴様の裏切りでどれだけの血がこの大地に流れた!?お前は父上だけではなく、ゼノビアの民たちの仇なのだ!」
「クダラナイ…。民たち、ですか?グランが能無しならば、皇子は腑抜けですか。」
「民たちを思う事の何がくだらないと言うのだッ!!」
「そうよ!」
レティシアに続いてラウニィーも牙をむく。
「アンタなんかに嫁がされそうになっていたなんて、本当に虫唾が走るわッ!!」
アプローズはラウニィーを振り返っていやらしい笑みを浮かべた。
その笑顔にラウニィーが鳥肌を立てる。
「…これは、これは。私の本当の花嫁が帰っていらっしゃいましたか。」
「ええ、永遠のお別れを言うためにねッ!」
アプローズは眉間に深くしわを刻む。
「親不孝な方ですね。父君が聞いたら悲しまれますよ。私との結婚を断っただけでなく、エンドラ殿下を裏切り、反乱軍に荷担するとは…。」
ラウニィーは湧き上がる怒りを押さえようともせずに吼えた。
「私は聖騎士ッ!目先の利益のためにいるのではないッ!聖騎士は正義を守り、ハイランドの名誉を守るために存在するのよ。帝国はハイランドではないッ!ハイランドに巣食う悪魔めッ!今こそ、ハイランドの未来のため、アプローズ、おまえを斬るッ!」
「婚約者に向かってなんて口を。…では死になさい!」
アプローズの合図で、ゴーレムがラウニィーに突進した。
「ラウニィー、後ろ!」
レティシアの声にラウニィーは咄嗟に槍を床に突き立てて身体を高く浮かせた。
ラウニィーを背中から狙っていた兵士がゴーレムの固い胸に剣を突き刺す。
宙で態勢を整えたラウニィーが兵士目掛けて鋭い突きを繰り出す。
それは違う事なく兵士の心臓を貫いて絶命させた。
「殿下!」
ランスロットがトリスタンの側へ辿りつく。
レティシアはドレスの裾を引き裂いて剣を構え、ヒールの高い靴を脱ぎ捨てた。
教会内には既に誰も残ってはいない。
がらがらになった教会の中で、アプローズはだるそうに溜息をついた。
「…致し方ありません。この私がラシュディ様より頂いた魔力で地獄へ送ってあげましょう!」
アプローズが呪文を口の端に乗せる。
途端にアプローズの魔力が膨れ上がる。
レティシアたちはアプローズの魔法力をやや侮っていた。
さすがはラシュディから魔力の一端を授かったと言うだけあって、アプローズの駆使する暗黒魔法は我々に少なからぬダメージを与える。
「ラウニィー!ユミナ!ハルク!」
レティシアの呼び声に応え、3人がそれぞれ得意とする魔法を放つ。
もともと魔法に弱いゴーレムが床に倒れ伏すその僅かな時間の隙を狙って、剣を逆手に持ち替えていたレティシアが溜めた呼吸と剣気を放った。
『ソニック・ブーム!!』
レティシアの声は、トリスタンのそれと重なった。
驚いて相手を見る事は流石にしなかったが、全員が驚いていた。
トリスタンも国を憂えて剣を磨いていた様である。
アプローズは咄嗟にゴーレムを盾にしてそれを逃れたが、2人分のパワーはゴーレムを破砕するまでで留まらず、隠れたアプローズの左腕までを深く斬り裂いた。
痛みに転げ、憎々しげにレティシアとトリスタンを睨みつける。
「おのれ…!!」
アプローズの詠唱が変わる。
禍禍しく恐ろしいものを呼ぶ闇の声。
丁度その時、境界まで辿りついた援軍であり、ラシュディの弟子であるサラディンが入口付近にて叫ぶ。
「レティシア!皆、建物の外へ!!」
サラディンの忠告通り、レティシアたちは急いで撤退した。
その場にいる魔術に精通した者全員で魔術防護の呪文を唱える。
完成したのは、僅かに我々の方であった。
「メテオ・ストライク!」
アプローズが印を切ると、突如巨大な隕石が大空を割って現れた。
その場で目撃したそれは、あってはならない出来事であった。
その眼前の恐怖に耐えられない者がその場に失神したり、剣を取り落として恐怖に凍りつく者もいる。
「レティシア、ソニック・ブームを撃ちなさい!」
その光景に呆然として飲まれ掛けていたレティシアに、フェンリルが遥か後方より叫ぶ。
レティシアはその声で正気に返り、考えるより先にそれを実践した。
「はッ!」
レティシアのソニック・ブームが届くより疾く、フェンリルの一撃によって穿たれた亀裂に、スルストがザンジバルを突き立てる。
最後にその亀裂にレティシアのソニック・ブームが命中し、隕石は真っ二つに割れて軌跡を変えた。
そしてスルストとフェンリルのソニックブームが、2つに別れた隕石をそれぞれ粉々に砕いた。
それでも息を止めなければ肺が焼け溶ける程の熱風が全員を襲う。
「まあフォーゲルがいないのではこんなものかしら?」
「そーデスネ。」
フォーゲルならば隕石は2つに別れるだけではなく跡形もなく粉砕出来たであろうが、それを生身の人間である彼女には期待していない。
最後をレティシアに託したのは、彼女が1番冷静であったからに他ならない。
アプローズは自分の禁呪が彼らに通用しなかった事を理解出来ずに立ち尽くしていた。
「…お、おのれ!」
やがて正気に返った彼は、口の端から泡を散らして足を踏み鳴らす。
「ならばもう一度…!!」
その時、アプローズの頭上に舞い降りる者がいた。
緩い曲線を描く金の髪、細い身体、そして頭上に輝く輪環、背の純白の翼。
「ミザール様…!?」
フェンリルが信じられないものを見る目で天使を見上げる。
天使はフェンリルやスルストを見ても一切表情を動かす事はしなかった。
操られている風ではない。
自我があり、自らの意思でもって心を閉じている。
「ミザール?何故ここへ…。」
ミザールと呼ばれた天使は問いに答えず、黙って眼下のアプローズへ手の平をかざした。
その表情は自らの意思で昏く凍りついている。
それは天使と呼ぶよりもやけに人間に近い表情であった。
「あの人が貴方に授けた魔力の欠片、還してもらうわ。」
言った直後、脱力感がアプローズを襲い魔力が吸い上げられているのを感じる。
俄かに半狂乱になってアプローズは喚き立てた。
「ミザール、ミザールッ!!?何故だッ!?ラシュディ様はこの事を…ッ」
「もちろん知っているわ。私をここへやったのは、彼なのだから。」
憂いを僅かに含んだ冷たい眼差しが、アプローズを見下ろしていた。
見捨てられたのだ、と気付くには十分な仕打ちである。
アプローズは自分を苛む虚脱感が失われると、糸の切れた人形の様にその場に膝をついた。
魔力の吸収が終わったのだと言う事は、誰もが理解する。
そしてミザールは、何も言わずに翼をはためかせて西の方角へ飛び去って行った。
「う…うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
アプローズは天の彼方で豆粒ほどの大きさになった天使を、絶望に縁取られた瞳で見上げていた。
全てが終わった後、そこに残ったのは僅かな魔力だけしか持たぬ、哀れな男だけだった。
がたがたと震え、くぐもった小声でしきりに命乞いをしている。
トリスタンが眉根を寄せながらも剣を構えた。
「…アプローズ、民たちの仇を取らせてもらうぞ!」
「ひっ…!!」
怯えた瞳に白刃が迫り、その形相のままアプローズの首が宙を舞った。
呆気ない終わりだった。
X.
アプローズを討ち果たし、トリスタンはやっと天へ向けて吐息をついた。
そして頬に散った返り血を手袋の甲で拭い、レティシアを振り返る。
「やはり、君が反乱軍を率いるリーダーだったのだな、レティシア。」
「はい。殿下御無事で何よりです。」
レティシアは微笑んで深く頭を垂れる。
その臣下然とした振る舞いに、トリスタンは言い掛けた言葉を飲み込んだ。
「私の望みはゼテギネア帝国を滅ぼし、ゼノビアを復興する事。その為には君と反乱軍の力が必要だ。協力してくれないか?」
「はい。」
「争いや差別のない、そして自由と希望の満ち溢れた国を共につくりあげよう。」
「全ては殿下の命ずるままに。」
トリスタンはレティシアを立ち上がらせ、その手をしっかりと握ると、2人を取り巻く歓声が上がった。
「所で…。」
歓声に紛れてトリスタンがレティシアに囁く。
「反乱軍のリーダーが君みたいに美しい女性だとは思わなかったな。」
「それはどうも。」
レティシアは素っ気無く囁き返す。
その態度にトリスタンは苦笑を漏らして話題を変えた。
「それと、ベルチェルリでは失礼した。とても女性に対してのエスコートではなかった事は自覚している。」
「こちらこそ…。」
レティシアはちらりとギルフォードのほうを一瞥する。
「あの…、連れが殿下に掴みかかった非礼、お詫び申し上げます。」
「なんの、ライバルは多いほうがこちらも戦い甲斐があるさ。」
「は?」
レティシアはどうにも噛合わない会話に困惑する。
その顔を見て、トリスタンが軽く吹き出す。
「いや、すまない。何でもない。」
トリスタンはギルフォードに対し、男として同情を禁じえない。
可哀想にな、と思いながらトリスタンは笑いを堪えた。
今後、トリスタンの側にはランスロットが付く様になった。
アッシュは助けることが出来なかった自身の責を一生背負って行くように考えており、そしてあの高齢では、ゼノビアが復興したとしても騎士たちを率いて行く事は出来ない。
騎士団を担うとすればランスロットが最も適任である、といった事柄からの処置である。
だがレティシアは寂しさを憶えている。
もちろん、その想いは自らの内深くに封じ込めてある為、それに気づく者は誰一人いなかったが。
マラノに一室をもらったレティシアのもとへはカノープスが来ていた。
ベッドをソファ代わりに、窓枠に肘を掛けたレティシアは、同じくベッドに腰掛けるカノープスに困ったような視線を送っている。
「カノープスも、出来るだけ殿下の所へ行ってよ?」
「…別に俺はゼノビアの皇子だからと言って盲目的に仕える気はねぇぞ。俺がゼノビアの魔獣軍団にいたのはグラン王に心酔したからであって、それ以上でもそれ以下でも無いんだからな?皇子に仕える気になるかどうかは、これからだ。」
間違った意見では無い、だからと言って誉められた台詞でも無いが、楽しげに言うカノープスをレティシアは好ましく思った。
自分の考えでいくつもの道を創り、選択して行く。
レティシアの軽い驚嘆が優しい微笑みに溶ける。
「お前、変わったな。」
「んー?」
「最初の頃は、義務的に笑っていたろ?だけど最近は本音で笑うようになった。」
「そうかもね。それに、カノープス相手には繕ったってもう無駄だろう?」
既に彼の前では自分を曝け出した事がある。
恥ずかしい一件ではあったが、それがレティシアの心に余裕を作ってくれた事は否定出来ない。
カノープスはレティシアの長い緋色の髪に指を絡ませた。
「ま、そういう事か。」
特別だといわれたようで、カノープスは上機嫌になる。
レティシアはされるがままに髪を弄ばせながら、頬杖をついて、そしてまたランスロットに想いを馳せた。
その横顔を見ていたカノープスが、胸に甘い戦慄を走らせた事は知るよしもない。
そしてカノープス自身もそれが何かを知らないままにレティシアを見詰めていた。
別室ではトリスタンが部屋着に着替えてくつろいでいた。
その傍らで背筋を伸ばして立つランスロットに喋り掛ける。
「ランスロット。」
「はっ。」
「そんなに畏まるな、ここはゼノビアではない。だから主従ではなく仲間だろう?」
言われても、ランスロットは更に恐縮するしかなかった。
だがトリスタンは市井育ちであるし、皇子だと知らされたからといって生活が変わるわけでもなかった。
もともと優しい彼は、自分が皇子と知ってからも傲慢になることもなく、長く苦楽を共にして来ているケインとも私事になれば対等に喋りあったりする。
本当を言えば『皇子』としての自覚は曖昧でもあるのでランスロットの様に畏まられると返って居心地が悪いのだ。
だが、見るからに真面目そうな騎士には好感が持てた。
「まあいい、ランスロット。私は反乱軍を率いる勇者が、女性だという事は知ってはいたがまさかあんなに美しいとは思っていなかったから、驚いたよ。ランスロットもそうか?」
「私は…ウォーレンから指導者と聞いていただけで、その性別も知りませんでしたので、まず女性と知って驚きました。」
当時の鮮烈な炎を思い出していた。
「そうか。それと、これは答え難いなら答えなくて良いぞ。」
トリスタンは前置きをおいてから悪戯っ子のような笑顔を見せる。
何を言うかが予測のついたケインが隣で苦笑いをしていた。
「レティシアの事をどう思う?」
「……は…?」
どう答えたものか、ランスロットは困惑した。
まずこの問いがどういう意味かを考え、眉間にしわが寄る。
噛み砕いてみると、やはり酷く難しい問いであった。
ランスロットは今までレティシアを「女性」と意識して見る事をしていなかった。
だからそんな事を考えた事がなかったのだ。
苦悩しながら答えを探しているその姿を見て、従者たちとトリスタンが苦笑する。
「皇子、ランスロット殿が困っていますよ。」
その言葉に早く答えなければと更にランスロットは困惑した。
「殿下、自分は…」
「ははは。真面目な男だな、ランスロットは。」
笑いによってランスロットはその言葉を途切らせた。
「答えにくいのなら断わって良いんだぞ。レティシア殿にも言うつもりだが、私はまだ一介の反乱軍兵士なのだから。」
「…は。」
ランスロットは眉根を寄せて自らの中に首をもたげた曖昧な『何か』を、再び無意識の淵に静めた。
『ランスロットから見たレティシア』
もしもそれをこの時しっかり見つめる事が出来たなら。
未来は―――変わったのかもしれなかった。