STAGE12.バルモア遺跡

T.

「わぁ、すごい!まるで本当の人間みたい…。」

アイーシャが無邪気に言う。

レティシアもその言葉には同感だった。

街の入口に立てられている、触れると人肌の温かみすら感じそうなその出来の良い彫刻は、彫刻家バルカスが残した遺作なのだという。

かつてここ、ドヌーブで英雄として崇められていた、妖術師サラディンがモデルである。

「レティシア殿は象牙の貴婦人という彫刻を知っているか?私は昔見た事があるのだが、見事なものでね。あれもバルカスの作品なんだそうだ。」

「私、知っています。あれも素敵ですよね。」

レティシアは直接見た事はないのだが、アイーシャがはしゃぐのを見て少し羨ましく思った。

カストロ峡谷での怪我は完全に治療を終えたそうだが、レティシアの意見で、アイーシャとランスロットはレティシアの小隊の一員として行動するようになっている。

「美術品に興味があるのか?」

「いや、そうではないんだが。バルカスの作品は素晴らしいと思うよ。」

レティシアは美術品よりはまだ宝石の方が興味を引く。

そして宝石よりは武具の方が好きで、よく家族に「女の子なのに…」と落胆させていた。

興味深げにサラディン像を見ていたからであろう、一人の老人が話しかけて来た。

「素晴らしいものでしょう?」

「ああ。」

「バルカスが造った石像はどれも一流品です。特にサラディン様をモチーフにした石像は、バルカスの生涯で最高の出来と言われています。残念ながら、バルカスは25年前の戦争で亡くなってしまいましたが、その偉大なる作品は、いたるところで見ることができるでしょう。」

「という事は、他の街にもこの像が?」

「ええ。サラディン様は魔導師ラシュディの弟子でありながら、我らドヌーブの民のために戦った英雄ですからね。」

「ラシュディの弟子?」

レティシアの片眉が跳ねあがる。

「ええ。サラディン様は暗黒道に見入られた魔導師ラシュディに反発して、逆に殺されてしまいました。ですがサラディン様の死後もその意志は引継がれ、人々は誇りを捨てず、常に希望を持って生きています。帝国の支配下にあっても、人々が明るく振舞っていられるのは、サラディン様の教えのおかげなのです。」

老人は、サラディンに直接の面識があるのだそうだ。

サラディン像を眺めながら感慨深げに語ってくれた。

「サラディン様はいつも我々にこう説いていらっしゃいました。『人は身分や階級に関係なく、尊いものである。それは何人たりとも犯してはならない。そして人はその見返りとして、自らの才能と能力を生かす責任がある。』…と。我々ドヌーブの民は帝国の支配下にあっても、その教えを守っていくつもりです。」

「そうか…。」

レティシアは微笑んで、サラディン像に手を触れた。

志し半ばで倒れた一人の英雄が残した教えの尊さに胸をうたれたのはレティシアばかりではない。

「素晴らしい御仁だ。」とランスロット。

その横ではアイーシャが胸の前でロシュフォルの聖印を切った。

 

U.

少し時間を遡る。

反乱軍を構成しているものは、まだ多くがゼノビアの人間だった。

だから、この旧ドヌーブ王国の情報としてはウォーレンの知識と、地図しかない。

「もともとバルモアはドヌーブ王国の中心地だったところ。バルモア城はドヌーブの首都でした。かつて栄華を誇ったこの都も、今では荒れ果てた土地となってしまいましたが。」

その為、今は『バルモア遺跡』などと呼ばれている。

そのバルモア遺跡に派遣された支配者は、妖術士アルビレオ。

彼のデータもまた、現時点ではウォーレンの知識程度しかない。

「まあ、今の規模では負ける気はしないがな。」

「それとレティシア。やはり帝国との密通者の存在が確認された。」

「ビーストテイマーだった?」

ウォーレンが軽く目を見開いた。

「何故判った?」

「よーく思い出せば、それらしい奴がいたなと思って。」

一度だけ、こちらを伺うような嫌らしい目付きで、視線がかち合ってすぐに目を反らした男がいた。

その時は忙しい思いをしていたのでそれ以上気に留めることもしなかったのだが。

「まあ、まともに報酬も出せなくなって来ているからな…。金で動かされでもしたのだろ。」

軽い口調とは裏腹に、溜息は重かった。

大きくなった反乱軍には大軍を維持する金も、物資を購入する大金も必要である。

しかしここに来て反乱軍の運営金は、不安を覚える傾向にあった。

単純計算で、後2ヶ月分。

それ以内にゼテギネアまで攻め入る事は不可能である。

「バーニャ殿に頂いた鍵で、ゼノビア城の宝物庫が開くと言っているではないか。」

「ウォーレン、それでは略奪者と何ら変わらないだろう。これは殿下への届け物だ。」

「痩せ我慢で軍が崩壊するよりかは…」

「ウォーレン。」

ウォーレンの言う事ももっともだが、レティシアはそれを諌めた。

この『栄光の鍵』はゼノビアの皇子、フィクス・トリシュトラムの物であり、今はやむなくレティシアが預かっているだけのもの。それを所有者より先に使えるものか、と。

 

V.

城塞都市カニャーテまで来ると、浅瀬を挟んでバルモア城は目と鼻の先であった。

ここにもまたサラディン像が立っている。

「あの、反乱軍の方々ですか?」

「そうだが、君は?」

ランスロットの問いかけに、若者は頭を下げた。

「私は天才彫刻家と言われるバルカス様の弟子です。皆さんを信用して、お話したい事がございます。」

「……?」

言われるまま、レティシアたちはバルカスの弟子、マヤの後に続いた。

質素な家の中は彫りかけの彫像や、設計図で散らかっていた。

「サラディン様の石像をご存知ですよね。この街の前にも立っているあの石像です。その事なのですが、バルカス様がお造りになったことになっていますが、真実は違うのです。本当は、アルビレオの魔法によって石になったサラディン様をそのまま複製しただけなんです。つまり、この地にある石像のどれか1つが、本物のサラディン様なのですよ。」

「石化の魔法だって?」

それは、禁呪の一つとして今はもう伝えられていないものの一つだった。

「生前、バルカス様は真実を話す勇気がないことを恥じておいでで、私に託されたのです。あの、どうかサラディン様を助けては頂けませんか?」

レティシアは困って仲間たちを見回した。

もちろん、どうすれば解呪出来るかを知る者などいない。

その様子に気付いたマヤががっくりと肩を落とした。

「…そうですよね、無理なお願いをしました…。」

その様子があまりに哀れなので、レティシアはどうにも返事が出来ずに更に困り果てた。

「レティシア殿、魔法の事ならばウォーレンやデネブが判るかもしれない。」

ぱっと顔を上げたマヤの顔は、わずかな期待にすがっていた。

「…わかった。アッシュとギルバルドをこの街へ呼んでくれ。入れ替わりでアイーシャとランスロットはウォーレンの所へ。私はデネブの所へ行く。」

 

「あら、レッティ。どぉしたの?」

デネブの小隊は城塞都市カリャオにいた。

なにやら背の高い門の前で、役人と言い争いをしていたらしい。

彼女はワンカイヨからバルモアへ向かうようになっていた筈であるから、明らかに命令違反である。

だが自分の用件よりも、デネブが次は何をやらかしたのかとの不安に負けて先に訪ねた。

「あの、デネブが何か失礼でも?」

「その言い方傷つくゥ〜っ。ただ、ここに『光のベル』があるって聞いたからァ、見に来ただけヨ!」

唇を尖らせた魔女が憤然と言った。

「…駄々こねて困らせていたんだろう。」

なんとなく、その状況は手に取るようだった。

役人が、レティシアの首から下がっていたティンクルスターに目を止めて尋ねた。

「あの、反乱軍のリーダーの方ですか?」

「ええ。何か?」

「お噂はよく聞いております。貴方も『光のベル』を求めて参られたのですか?」

「い…むぐっ!?」

「そォヨ!だから、さっさと見せて頂戴。ウチのリーダーが待ち切れなくって来ちゃったじゃないノ。」

レティシアの口を後ろから両手で強引に塞いで、デネブが勝ち誇った様に言った。

まさかカノープスの時の様にかみつく訳にも行かず、レティシアはされるがままになっている。

役人はレティシアたちを待たせて奥へ入っていった。

「で、『光のベル』ってのは何なんだ?」

「うふ。ワンカイヨの街で聞いたのヨ。石化の魔法を解く古い魔法が封じられた、アイテムなの。カリャオの宝物殿に眠っているとか聞いたら、我慢出来なくって。…アッ!」

そこまでうっとりと言ってから、デネブは気がついた。

レティシアに見つかる前に、そのベルを持ってワンカイヨに戻るつもりでいたのだ。

それが、丸きりバレている。

「悪気じゃないのヨ、直ぐ…そう直ぐに戻るつもりでいたンだから。」

しゅんとしたデネブはツバの広い帽子で顔を隠す様にうつむいた。

レティシアの怖さは、初見の時で知っている。

だが、それはレティシアには朗報以外の何物でもなかった。

「ありがとう、デネブ!」

「エ?」

レティシアの上機嫌の意味が判らず、デネブは困惑する。

「やぁ、お待たせ致した。」

街の代表と言う中年の男性と一緒に役人が戻って来た。

やっと門が開かれて招き入れられる。

「この『光のベル』は、本当は門外不出の品なのだが、貴方にならば差し上げよう。」

そう言って人一人が入れそうな大きさの宝箱の一つを開けた。

中から小さなベルを取り出してレティシアに手渡す。

「…このベル、心棒がありませんが…?」

振っても何の音色はしない。

デネブが伽羅伽羅と笑ってその手から奪い取る。

「大丈夫。コレはネ、魔法に反応して鳴るのヨ。」

「魔導師ラシュディの野望を阻止できるのは貴殿だけ。頑張って下さい。」

「御温情、ありがとうございます。」

レティシアは頭を下げ、デネブと共にその場を辞去した。

 

W.

「え?」

「だから、知ってたワヨ。その事。」

事も無げにデネブが言った。

アルビレオの禁呪によって石にされたサラディンが生きている事、そしてその石像が何処にあるかもデネブは知っていて黙っていた。

彼女曰くは、「だって聞かなかったじゃない」と当たり前の様に言う。

「じゃあ、サラディンを助ける為にこのベルを?」

「なんで私がそんなコトしなきゃなんないのヨ?それは研究材料。特定の魔法を感知して歌う、スーパーカボちゃんを創る為のッ。ああ、うっとり…。」

「こいつは…。」

レティシアは毒づいて、恍惚の表情を浮かべる魔女から目を反らした。

デネブの案内で辿り着いた教会は、カニャーテの隣の島にあった。

途中でランスロットたちと合流する。

それまでの経過を聞いて、ランスロットたちもデネブに呆れた。

教会の前に立つサラディン像を見て、デネブ以外は一斉に息を呑んだ。

それは、今までの物とは確実に一線を隔している。

今までの緻密な芸術品とは違って、今にも動き出しそうなリアリティと息づかいが聞こえるような精緻な彫り。

これが作り物ならば、到底人の手によるものではない。

レティシアは光のベルを振った。

心棒がないのに、確かにベルは鳴り響いた。

静かな、海の波紋を思わせる響きだった。

石像がややして、生ける者としての色を取り戻して行く。

はじめに指先、そして豊かな灰色の髭と髪、青緑色のローブ、終にはゆっくりと開かれた深い蒼の瞳。

「う…。」

完全に石化の呪文が解けたサラディンは、台座の上で膝をついた。

それまで解呪に見惚れていたレティシアたちが慌てて手を貸した。

「大丈夫ですか?」

「…ありがとう。…25年ぶりに身体を動かすことが出来る…。私の名はサラディン。妖術師サラディンだ…。君は?」

その問いは真直ぐレティシアに向けられていた。

「私はレティシア、反乱軍を指揮する者です。」

「…随分と時が流れてしまったらしいな。」

ランスロットたちの手を辞して、サラディンは樫で作られた杖を支えに立ち上がった。

「助けてくれた事には礼を言う。だが私にはやらねばならないことがあるので失礼する…。」

ドヌーブの英雄は、単身消えて行く。

質問を許す雰囲気をサラディンはまとっていなかった。

彼が消えるまで誰も口を開かずにその後姿を送り、なんとなく顔を見合わせた。

「さ、もう用事はすんだデショ。そのベル頂戴。」

だがデネブには何処吹く風、である。

 

X.

アッシュによって、バルモア城の包囲は完全に終了していた。

レティシアはデネブから、アルビレオもまたラシュディの弟子の一人と聞いて、ラウニィーとギルバルドについて来てもらう事にした。

ラウニィーは雷系魔法の名手であるし、ギルバルドは魔法に抵抗する能力に秀でていた。

バルモア城の破損の少ない一室に、アルビレオは居た。

振りかえったその姿はまるで10代後半の幼さを持っていた。

整った顔立ちに、歳不相応な邪気を含んだ笑みを浮かべている。

その肩には少年を象った人形が乗せられていた。

「ようこそ。死者の集う墓場へ。君たちが来るのを待っていた。」

おどけた仕草でアルビレオと同じように人形も一礼をした。

「偉大なラシュディ様が何を求めておられるのか、君達には永遠に理解出来ないだろう。そんな無能者はバルモアのように遺跡の一部になりたまえッ!」

突然アルビレオは魔法を放った。

アシッドクラウドに触れたものは、たちどころにその場所から融解していく。

避けた場所に放置してあった椅子が色あせ、見る間に形を崩してしまう。

それを避けたレティシアは、反対方向へ飛んで避けていたラウニィーに呼び掛ける。

「ラウニィー!」

「雷よ、集いて我が敵を撃て!サンダーフレア!!」

ラウニィーの雷は、脆くなっていた天上をぶち抜き、確かにアルビレオをとらえた筈であった。

しかしアルビレオは薄く笑みを浮かべたのみで、次の呪文の詠唱に入っている。

「嘘ッ!?」

「ラウニィー殿!」

ギルバルドがラウニィーを抱え、その場を跳躍した。

ブラックドラゴンがラウニィーがそれまでいた場所を砕いた。

「ドラゴンならば、まかせろッ。」

ギルバルドが吼える。

ラウニィーは2撃目のサンダーフレアをアルビレオに向かって放つ。

レティシアはストーンゴーレムの相手をしながら、それをはっきりと目撃した。

「魔法障壁!」

どんな魔法にも発生する、魔法の防御障壁である。

詠唱中の術師を守る様に発生する壁で、魔力の強さ、呪文の種類によって千差万別の威力がある。

ラウニィーのサンダーフレアは確かにアルビレオを寸分違わず捉えていた。

しかし、魔法障壁の前にその威力を殺されている。

これはアルビレオの魔力が普通のエンチャンターを凌駕している証拠でもあった。

「食らえ、アシッドクラウド!」

「ダーククエスト!」

誰かが放った魔法にアッシドクラウドは相殺され、その相殺に生じた衝撃にアルビレオは数歩たたらを踏んだ。

レティシアが振り返る。

そこにはサラディンが立っていた。

「サラディンか…。久しぶりだな。…また会えると思っていたよ。」

実に嬉しそうに、アルビレオが笑った。

その姿を見てサラディンが表情を曇らせる。

「また、転生されたのか…。相変わらず傲慢なお方だ…。」

「ハハハッ。そんな口のきき方をするから師の怒りを買うのだ。いい加減に暗黒の力を認めよ!お前ほどの魔力があれば、暗黒道を極めることも出来よう。」

「極めて何とするッ!魔道の果てに何があるッ! 」

激昂したサラディンの言葉は、古くなった遺跡の壁を震わせた。

「究極の力だッ!オレ達は神を超えられるぞッ! 」

「その為に民を犠牲にするのかッ!世界を破滅に導くのかッ!」

「…惜しいな、それだけの魔力を持ちながらその甘い考えは頂けん。だが、オレには永遠の命がある。誰もオレを止めることは出来ん。」

悲しげにサラディンが目を伏せた。

「…ならば、共に朽ちよう。」

杖を振り上げ、アルビレオに据える。

「共に永遠の眠りにつこうッ! 」

「ハハハッ!!サラディンよ、同じ過ちを繰り返すか、それもよかろう!」

再びダーククエストとアシッドクラウドがぶつかり合い、互いがそれによって生じる衝撃に後方に倒れ込む。

その余波を受けて、ストーンゴーレムが消し飛んだ。

凄まじい威力の魔法のやり取りにレティシアは総毛立つ。

もはや二人は互いしか見ていなかった。

真っ向から何度も魔法がぶつかり合い、爆音を残して相殺される。

ギルバルドの鞭がブラックドラゴンの目を撃ち据えた。

視界を失ったドラゴンが、暴れてアルビレオの方へ倒れ込む。

「なッ…!」

ドラゴンの重みに耐えきれず遺跡の床が崩れ、アルビレオの身体が斜めに揺らぐ。

一瞬の集中力の欠如が、魔力にわずかな、だが致命的な影響を及ぼした。

アルビレオのアシッドクラウドは、サラディンのダーククエストに押され、ついに2つの魔力がアルビレオを襲った。

「ぐあああっ!」

アルビレオは全身を引き裂かれ、その場に倒れ込んだ。

「…やったのか?」

静寂に口を開いたのは、レティシアだった。

もはや動かないアルビレオに近づく。

サラディンもアルビレオに向かって歩き出した。

「あっ!」

ラウニィーが声を上げた。

突然アルビレオの肩口の人形が、サラディンに向かって突進したのだ。

咄嗟にレティシアはその人形の胴を捕まえた。

人形とは思えない強力な力で、レティシアの手を振り切ろうと人形がもがく。

「何なんだ、こいつ!」

人形の鋭利に尖った爪先がレティシアの手の甲から血が飛沫かせた。

サラディンがその人形の額を2本の指で小突いた。

その途端、人形は糸が切れたかのように力無く垂れ下がった。

「…人形に宿る魔力を封じました。助けてくれてありがとう。」

サラディンは人形を受け取ってアルビレオの側に添えた。

血に塗れたアルビレオの顔は歪んでいたが、それでも見る者に美しいと思わせる。

「私には、民を犠牲にして築く理想など理解出来ないのですよ…。」

 

Y.

アルビレオの人形の爪には、毒素があるというのでレティシアたちはバルモア城を後にした。

そして治療後に賓客としてもてなしたサラディンの話しを聞く。

ラシュディがゼノビアを滅ぼした日、サラディンは兄弟子アルビレオの魔法で石にされてしまったそうだ。

サラディンの言葉が暗黒の力を求める師の、魔導師ラシュディの怒りに触れたからだ。

サラディンはドヌーブの民たちの為に、敵わないと知りつつラシュディに挑んだ。

結果、ラシュディを止めることも、兄弟子と刺し違える事すら出来ずに石へと変えられた。

石化の後も思考だけは自由であったサラディンは誓った。

弟子として、自分は師と兄弟子を止めなければならない、と。

「私には、師の野望を食い止める責任があるのだよ…。」

共に苦楽を共にしたからこその言葉である。

レティシアは人払いをした。

「サラディン…、私の話を聞いてもらえるだろうか。」

「なんです?」

「私は、5年前に家族を帝国に殺された。私はゼテギネアが、今の"ゼテギネア"になってからしか知らない。だから、最近までエンドラを倒せば平和が来ると信じていた。だが、エンドラは変わったと、帝国の者たちが言う。では、エンドラを変えたのは何だ?エンドラを変えたものが私の家族の仇、そして平和を挫く楔。」

「………。」

「それがラシュディではないのか?サラディン。」

サラディンはレティシアの瞳を見詰めていた。

平和を象徴する緑の瞳、その輝きはサラディンを動かした。

「そう、だ…。レティシア、君の言う通りだ。」

サラディンはとうとう師の罪の一つを告白する。

レティシアにはその肯定に歯軋りをした。

「どうやら向かう方向は同じ様だ。レティシア、どうだろう…。この私を仲間に加えてはもらえないだろうか?」

サラディンの申し出にレティシアはすぐさま首を縦に振った。

「もちろんだ、歓迎します。」

「ありがとう。共に命の果てるまで戦おう。」

「ところで…」

一つだけ、レティシアは気になっていた事を聞いた。

「アルビレオが兄弟子って、どういう事だ?」

見るからにサラディンの方が年老いていた。

アルビレオなど、25年前には産まれていなかったのではないかと思う。

だが、サラディンは何度もアルビレオを兄弟子と呼んだ、それがどうにも不思議であった。

「…あの姿は転生の呪法で手に入れた新しい肉体。本当はもう100歳を越えているのだよ。」

サラディンの言葉にレティシアは絶句した。

 

毒素を取り除いたとはいえ、どうしても軽い眩暈はつきものである。

4半刻を待たずにそれも消えてしまうのだが、もともとじっとしていられる気性でもないので、ベッドを抜けて鎧を着込んだ。

天幕に太陽が落とす影がうつる。

「レティシア殿、入っても構いませんか?」

レティシアは声にならない焦りの声を上げて、固まっていた。

天幕の中に入って来たランスロットがそれを見て、眉間を軽く押さえる。

「…ノルン殿が言っていただろう…。」

「落ちつかなくて。」

「まったく、仕方のない人だな。」

言いながら、ランスロットの顔は笑っていた。

「被害状況を報告をするから、その間だけでも横になるといい。」

レティシアは言われるまま簡易ベッドの中に潜った。

「鎧が邪魔じゃないか?」

「いいんだ。」

ランスロットの前で薄着になってしまうには、すでに抵抗がある。

それならまだ、鎧が寝心地を著しく妨害しようとも、着たままでいいと思ってしまう。

ランスロットが書類を1枚めくり、読み上げる。

報告を聞きながら、レティシアはランスロットの精悍な顔を見つめていた。

初めてゼルテニアで会って、これまで自分を支えてきてくれた騎士。

初めから印象は悪くなかったが、ここまで好きになるとも思わなかった。

歳の差があったし、何よりランスロットには妻がいる。

そして、ランスロットが自分をそういう対象に見ていない事も確かであった。

だというのに、こうまで好きになってしまうとは。

ふとランスロットの声が止み、レティシアをじっと見つめた。

報告が終わった訳ではない。

どうかしたか、と言いかけてランスロットの手の平が近づいて来たのを見て、目を見開いた。

ランスロットの掌はレティシアの額に添えられた。

「…熱が出たようだな、具合が悪いなら後にしよう。ノルン殿を呼んでくる。」

立ち上がりかけたランスロットのマントの端を掴む。

「平気だ。報告を続けてくれ。」

「しかし…。」

「ちょっと色々考えすぎて、知恵熱だよ。すぐ下がるから。」

言いながら、レティシアは消え入りたい思いだった。

だが間違っても「ランスロットの事を考えていたから」などとは言えない。

…当然ながら。

「では少しでも具合が悪い様なら、ノルン殿を呼ぶから。」

「OK。」

恥ずかしさからランスロットの顔から視線を反らせて、レティシアはやっと気がついた。

「…すまないがランスロット、聖剣を。」

レティシアの険しい顔に、ランスロットは黙って聖剣を手渡す。

確かめる様に聖剣の刀身に手を触れ、レティシアは勢い良く立ち上がった。

「レティシア殿?」

「聖剣が引き合っている…この近くにカオスゲートがある。」

 

レティシアは数人を引き連れて『封印の地』と呼ばれるワンカイヨから東の山間へ向かった。

近づくに連れ、聖剣は引合い、その力を増幅して行くのがわかる。

山に差し掛かると、レティシアは先を急ぐ様にカオスゲートへ向かった。

山間の少し開けた場所の中心に降り立つと、突然レティシアの足元を中心に魔法陣が現れた。

「レティシア殿!」

ランスロットが慌てて駆け寄ろうとするのを、レティシアは止める。

ほのかな白い光が次々に足元から生まれ、空へ昇って消えていく。

一緒に空へ吸い上げられる感覚に戸惑う。

『天と地を結ぶ門の鍵を持つ者よ―――』

それは肉声ではなく、直接頭に響く「声」であった。

レティシア以外には聞こえていないらしい。

『ブリュンヒルドが主と認めた勇者よ―――』

魔法陣の白い光は輝きを増し、聖剣もそれに呼応する様に光り出した。

神々しい光に包まれ、レティシアの姿が掻き消えていく。

「レティシア殿!」

ランスロットが光の中に飛び込んだ。

そして、レティシアと同じようにその「声」を聞いた。

『天へ昇りて理を知れ―――』

聖剣から、一段と眩い光が生まれ、天へ昇った。

あまりの眩さに、目を開けていられなかった。

 

「……!レッティ!!」

叫んだのは、彼女の幼馴染みのギルフォード。

再び目を開けたそこはすでに魔法陣も消え失せ、そこにはただの変哲のない大地が広がっているだけであった。