STAGE11.カストロ峡谷

T.

カストロ峡谷は、中央を流れるボローブ川が長い年月をかけて作った深い谷である。

かつてはよく増水し、街を飲み込むなどの猛威を振るった川も今では大人しいもので、この地方の変え難い財産となっている。

と言うのも、過去の増水で肥沃な大地から攫ってきた土がこの峡谷に溜まったのだ。

この土地では少ない土地ながら農作が盛んである。

その肥沃な大地を作ったボローブ川は、全長がおよそ580バーム、幅75バーム、最も深い場所では1.8バームと言われている。

1バームが大人の足で1500歩分である。

「途方もないスケールだな。」

レティシアは地図を机の上で広げて掛かる日数の計算をはじめた。

反乱軍たちはこの地方の住民達の頼みを聞き届けて、現在この谷を支配するアーレスという男を倒すために谷に赴いていた。

アーレスは最近まで山賊の頭だった男で、お世辞にも人格者とは言えない。

だというのに、帝国は何故アーレスの様な男を雇ったのだろうか。

「そろそろ休憩してはどうだ?」

簡易天幕の入口からランスロットがカップを手に入ってくる。

レティシアは生返事を返しながらも日数計算を終え、机の上に置かれたカップを手に取った。

移動を終えてから、レティシアは陣内見回りから始めて、今の刻限まで休息を取っていない。

ランスロットはレティシアが余裕の無い動きをしていると、決まってカップを手にやんわりと諌めに来る。

良く見ているものだ、と感心してしまう。

「明日にはとうとうチルチクの街に到着する。あまり根を詰めるものでは無いよ。」

ランスロットはレティシアの空のカップを回収してすっと出て行った。

 

「……ィさま…ラウニィー様…。」

修道女の小さな声で、ラウニィーは悪夢から覚めた。

全身にまとわりつく不快感と汗に身震いして、暗闇が包む室内を見まわす。

アプローズから逃れて数日、気持ちが休まる事もないまま旅を続ける彼女の細い身体は、その気丈な精神のみによって持ちこたえていた。

彼女は昨年ハイランド軍始まって以来、初めて誕生した女性の聖騎士である。

ウィンザルフ家の一人娘として生を受け、女だてらに剣士を目指し、聖騎士となって女帝エンドラに仕えた。

だが、エンドラに仕えたのは父親の影響があったからであり、彼女の真意ではない。

ウィンザルフ家当主は代々ハイランド王家に仕え、もっとも女帝エンドラに近いとされている。

現在、四天王はおろか帝国軍の全部隊を指揮している人物こそが彼女の父、ヒカシュー大将軍なのである。

騎士としては最高位のハイランダーに位置し、騎士道に従うその姿勢は内外から賞賛されているが、だからこそラウニィーには、誇り高き武人である父がラシュディのような悪しき魔導師に従うのか不思議でならない。

その上、エンドラの後押しがあったとはいえ、アプローズのような成上りの姑息な男に嫁げと言われた時には我が耳を疑い、そして確信した。

父は悪魔に魂を売り渡した…。

「…何かあった?」

「アーレスの部下が、教会内部を検めさせろと。」

「そう、反乱軍はもう近くなのよね?」

ラウニィーの確認に、修道女がうなづく。

階下では揉める声が聞こえてくる。

「今までありがとう。―――行くわ。」

ラウニィーは窓の外を気にしながら少ない荷物をまとめて、得物の槍を手にした。

父であるヒカシュー大将軍から受け取った逸品、かつて古代ザモラの王オズリックが邪教タルサを倒すために鍛えたという氷の槍、オズリックスピアである。

なんとしてでも帝国を正しい道へ。

ラウニィーは自分の中にある正義を信じて顔を上げた。

 

U.

レティシアはチルチクを出立し、貿易都市アルマリークを経て崖上の道を進んでいる。

空は雨雲に覆われ、しとしと雨が降り始めていた。

「雨か…。」

にわか雨ではすまないだろうから、飛行部隊の足に影響が出始めるだろう。

レティシアたちは荷物から簡易撥水コートを取り出した。

遠くで雷が鳴る。

「きゃっ…!」

僧侶のプルミナが雷を嫌い身を竦めた。

その姿を優しい気持ちで眺め、レティシアは再び前を向いた。

もうすぐヤンギューリの街に着く。

そこではカノープスが自分等の到着を待っている筈だった。

だが突如、周囲に感じた違和感にレティシアは足を止めた。

「…ギル、アル!」

呼ばれて2人の騎士は、ヴァルキリーのルチア、プリーストのプルミナを庇うように剣を構える。

ルチアはディアスポラからの参戦で、まだ戦闘経験が浅い。

レティシアは冷静に相手の気配を数え下唇を舐めた。

多分20人前後。とてもじゃないが、この人数では真っ向勝負の出来る数では無い。

せめてあと1隊の助力が必要だ。

だが、同じく崖上を辿ってくる小隊はいないし、1番近くてこの先のヤンギューリのカノープス隊、崖下のムサシ隊。

どちらにも連絡は付け難く、付けたとして間に合うのはカノープスだけだ。

しかし、おかしい。

このルートに「レティシア」が来ると知られていたかの様な伏兵だった。

「情報漏洩…内部密通者か?やれやれ。」

まるで人事の様に呟いて聖剣を止めていたボタンを外した。

派手にやらかせば、カノープスは気付いてくれるだろうか?

レティシアは望みの薄い可能性に賭けるしかなかった。

 

「まだ来るのか!」

舌打ちをして、レティシアは襲いかかってくるクナイを叩き落とした。

プルミナをかばいながら、ギルフォードはすでに意識のないルチアを背に負い、アルバートの助けで何とか後退していた。

「…くっ!」

忍者の一人が、レティシアの腕を深く凪いだ。

「大丈夫か、レッティ!!」

「私はいいから、行け!」

聖剣が忍者の一人を屠る。

レティシアは獅子さながらの奮闘で、数は見る間に減っていた。

なんとか、なる。

そう思った時、レティシアの負傷を見かねて、プルミナがギルフォードの脇をすり抜けて戻って来た。

「レッティ様ぁ!」

「来るな、プルミナ!」

ぎょっとしてレティシアが叫んだが、ヒーリングの暖かな光がレティシアを包む。

と同時に、プルミナに向かってゴーレムが突進をかけていた。

「プルミナ!」

レティシアはプルミナをすんでのところで突き飛ばすが、無防備になったその肩に ゴーレムの拳が唸りを上げて襲いかかる。

まともにゴーレムの拳を受けて、軽量のレティシアは吹き飛ばされた。

飛ばされた先に待っているのは崖である。

落ちたら命の保証はない。

「ッ…!」

レティシアは咄嗟に右手で大地に爪を立てて勢いを殺した。

崖っぷちぎりぎりで、レティシアの身体は止まった。

だが安堵の吐息を吐く暇もなく、雨で地盤が緩んでいた事もあってレティシアが必死に掴んだ場所は脆くも崩れる。

傾ぐ身体の遥か下には背筋が凍るほどの高さがあった。

「ッ…あぁ!」

レティシアは恐怖に震えて悲鳴を上げる。

伸ばした手は、何も掴めずレティシアを失望させた。

雄々しい羽音が響く。

「カノープス!?」

到着時刻の遅れを気にして駆け付けたカノープスは、突然のレティシアの危機に仰天する。

「レッティ!」

カノープスが慌てて伸ばした手は、レティシアの指先を微かにかすめただけであった。

それでもなお 翼をたたみ、追いすがろうとしたカノープスの脇腹を数本の矢がとらえる。

「ぐわっ!」

苦痛に顔を歪めたカノープスの後ろには、ファイアーボールが迫っていた。

落下の恐怖は、カノープスという戦友の危機によって払拭される。

レティシアは呼吸を一瞬止め、聖剣を瞬速をもって振りかぶった。

「ソニック・ブーム!」

剣圧がファイアーボールを真っ二つに裂いた。

まだ不完全なソニック・ブームしか撃てないために、レティシアの腕は、代償として毛細血管を破裂させてしまいその血がカノープスの頬を汚した。

カノープスを助ける為の必殺技が起こした気流の変化に対応しきれず、空中で一瞬とはいえ動きを封じられたカノープスが怒鳴る。

自分を助けてくれたことは感謝するが、その事で死なれてはかなわない。

「馬鹿野郎、レッティ!!」

「カノープス!これを頼む!!」

血にまみれた聖剣ブリュンヒルドを、レティシアはカノープスに放った。

自分に免れない死が訪れる前に、帝国の手に聖剣が渡さない為の処置だった。

流石にこの高さから落ちて無事ではいられまい、と何処か違う所から自分の状況を把握する。

聖剣をカノープスが受け止めたのを見て、レティシアは微笑んでからぎゅっと目をつぶり、来る衝撃を予定して頭の後ろで手を組んでショックに備える。

突如、上昇気流がレティシアの身体を押し上げた。

谷底特有の急風ではなく、これは魔法で作り上げた上昇風である。

「いゃぁ〜ん、コレが限界〜ッッ!!」

デネブの艶かしい声が聞こえた。

ふっと風がやみ、レティシアの身体は再び落下を始める。

だがこの風のおかげで落下の速度が緩んだ事は確かだ。

口の中でカノープスとデネブへの礼と、家族の名前を呟いてぎゅっと目を閉じる。

背中からしばらく息が止まるほどの衝撃が伝わって、レティシアは歯を食いしばった。

だが、その衝撃は思っていたよりももっと柔らかで、暖かなものであった。

 

全身を覆う痛みをこらえて目を開けると、視界にはまず、ランスロットの長い睫毛が飛び込んでくる。

レティシアはしばらく理解出来ずにただぼうっとランスロットの顔を見つめていた。

ランスロットは眉間に深いしわを寄せて、何かに耐えている様だった。

「……?」

状況が呑み込めないまま、レティシアは胸の奥からの激しい衝動にうかされたように、おどおどとランスロットの頬に手を伸ばした。

その手がランスロットの頬に触れる直前、自分の心臓が驚くべき大きな音でなっている事に気づいて、その音が伝わってしまいやしないかと、手を引く。

指先は細かく震えていた。

「無事…か?」

「あ、はい。」

声が裏返ったのが恥ずかしくて、レティシアは口元を両手で覆った。

そこではじめて、レティシアはランスロットの腕に抱かれている事に気が付いた。

「えっ!?あ、ランスロットっ!!」

その腕からするりと抜け出して、やっと状況を把握し、蒼白になった。

少し遅れて、ランスロットが立ち上がる。

「あなたの居場所が漏れ、敵に囲まれたので、近くにいるユニットは出来うる限り援護に向かえ、との伝令があったのだが…まさか空から来るとは思ってはいなかったな。」

微笑むランスロットの廻りに、青ざめた兵士たちが群がった。

「隊長っ!ああああんな高さから落ちてきた人間を受け止めて、だっ、大丈夫だったんですかぁっ!?」

「大事無い。レティシア殿は御無事であった。」

ランスロットが、自分に触ろうとしたファイターを軽く押し止めた。

少し遅れて、デネブがレティシアに飛びついた。

「レッティ、無事だったのネ!」

「デネブ…ありがとう、風を起こしてくれたのはデネブだろう?」

「アラ…。」

デネブはまんざらでもない顔をして、レティシアの首に手を回した。

「アナタに死なれちゃツマラナイもの。長生きしてヨネ

伽羅伽羅と笑い、頬に軽くキスをする。

「それとォ、ランス坊やもご苦労様っ。」

ランスロットは、デネブの投げキッスを取合わずに(多少うろたえてはいたが)レティシアに向いた。

「それよりもレティシア殿、多少の時間が掛かるがヤンギューリに登れる道がこの先にある。」

「いや、大丈夫だ。ほら、カノープスが来てくれているし。ありがとう、ランスロット。」

いつも通り、毅然と言えただろうか?

ゆっくりとカノープスが下降して来た。

その脇腹に滴る血を見て、ランスロットの小隊のプリースト、ユーリが治療呪文を唱える。

「狙ったようなタイミングだったな、ランスロット。」

「お前がレティシア殿の手を取れてたら、こんな崖下でかまえる必要もなかったんだがな。」

「じゃあ、見せ場を作った俺に感謝だろう。」

言いながら、カノープスは悔しい思いを噛み殺した。

それを敏感に感じた魔女がニヤニヤしながら、レティシアに聞こえない程度の声で

「本当に、面白いのヨネ…。」

と呟いた。

「さあ行くぞ。」

レティシアがカノープスの腕の中に収まる。

そしてわずかに首を傾げた。

ランスロットの腕の中で感じたものは一体なんだったのだろう。

カノープスは上昇途中で、レティシアの身体がまだ小刻みに震えている事に気付いた。

「…何だ…、そんなに怖い思いしたのか?」

怖いという感情は、あの時吹き飛んだ筈だった。

この震えは、ランスロットの腕の中で気が付いたものだ。

何故震えているのだろうか。

「…わからない。」

レティシアはそう言うのが精一杯だった。

 

V.

窮地を切抜け、ヤンギューリの街で帝国兵と戦いながらも、まずまずの休息を取った。

ルチアの怪我も大した事は無く、進軍には影響はないと判断された。

他隊の損害も深刻なものはなく順調に進んでいた。

「レッティ、アッシュ隊長が来てるよ。」

アルバートの言葉に、レティシアは戸口に向かった。

アッシュとは今回、ルートは完全に交わらないはずだが何かあったろうか?

赤い騎士鎧に身を包んだ老兵は、レティシアの前に一人の女性を連れてきた。

抜けるような白磁の肌、唯一差した紅は、浮く事も無く調和して美を創り上げている。

身長はレティシアよりやや高いくらい、ウェーブの掛かった金髪は腰あたりまで伸びていた。

レティシアの目を引いたものは2つ。

一つは、アーモンド型に吊り上った猫を思わせる瞳が、決意に満ちていた事。

2つ目は、肩口の聖騎士章である。

帝国軍の中核をなすハイランド軍、この正規軍の中でも生え抜きの精鋭たちの多くは『聖騎士』という位の強者である。

帝国領の民衆たちは、たとえ帝国を嫌っていたとしても聖騎士だけは尊敬している者が多い。

聖騎士はただの戦士とは違い名誉と誇りを失わずに騎士道を貫いており、その高潔な精神は民衆たちの心を強く惹き付けていた。

同じく、レティシアを凝視していた彼女が先に口を開いた。

「私はラウニィー・ウィンザルフ。ハイランドの聖騎士です。」

「レティシア・ディスティーだ。…ウィンザルフ…?ああ、ヒカシュー大将軍の血縁者か。」

「はい。」

アッシュが代りに答えた。

「彼女が、件の噂の、帝国からの逃亡者であった。なんでも、アプローズ男爵から逃れてきたのだそうだ。」

「ああ、あの正体不明の…」

ラウニィーが変な顔をしたので、レティシアはこちらの事です、と誤魔化した。

この谷に"帝国から逃げて来た"誰かが潜んでいる、と言う情報はすでに入ってきていた。

ただ、潜んでいる何者かは、随分とバリエーション豊富であった。

「逃げる途中で帝国からの追手を20人もたたき殺した強者の殺し屋」であったり、

「すこぶる美人の踊り娘、しかしてその実態は反乱軍が雇った大陸一の殺し屋」であったり、

「外見は若く美しい女性だが、その実体は大蠍という得体のしれない化け物」であったり。

多少は一致しており、全てがデマではないと言う点が更に厄介であった為、レティシアは話し半分に聞いていたのだが。

「で、我々が反乱軍だと知って接触してくるというのは、帝国と袂を分かつ覚悟があるのか?」

ラウニィーはきゅっと唇を噛んで、話し始めた。

「今、帝国は間違った道を歩もうとしています。エンドラ様はすでにラシュディが示した暗黒の力の…虜になってしまわれ、エンドラ様が示す暗黒の力にハイランドの民たちが虜になろうとしています。心ある騎士たちは、みな中央から遠ざけられ、残っているのは悪魔に魂を売り渡した者ばかり。…私の父も魂を売り渡した者たちの一人となってしまいました。…帝国を止められるのは貴方方反乱軍だけ。どうかハイランドの民をお救い下さい!お願い出来ますか?」

レティシアは顔には出さず、暫し言葉を失った。

正直、ハイランドの民衆の事は考えた事も無かった。

はじめに望んだのは、神聖ゼテギネア帝国の打倒、そして来たるべき平和。

そして、ウォーレン等ゼノビア旧臣に望まれたゼノビアの復興。

ハイランドも苦しんでいたのだ、と思うと今更ながら世界が広がった気がした。

思えば、デボネアもノルンも、フィガロも、今目の前に立つラウニィーも帝国を憂いている。

違うのだ。

ハイランドの者たちは皆口々に言った。

『エンドラ殿下は変わってしまった』と。

ではエンドラを変えた者が、本当に倒すべき仇であったのだ。

―――見えた。

レティシアの意識がはっきりと覚醒した。

「私は…、私が望むのは、愛する者が不当に奪われない平和。平和の元には、ゼノビアもハイランドも関係がない。」

聖剣が熱を帯びた。

レティシアは心の中で最愛の兄の名を唱えた。

そう、これはかつて兄が成そうとした道でもあるはずだ。

「ハイランドの民衆たちが苦しんでいるのなら、それを救いたいと、思う。」

ラウニィーはすっと膝を折った。

「ハイランドに代わり、お礼を申し上げます。では、私も貴方方反乱軍と共に行かせて下さいませ。」

「…自分の父に刃を向ける覚悟があるか?」

「我が忠誠はハイランドへ。私はハイランドの為に鬼となる覚悟!」

睨み上げるような瞳に、レティシアは力強くうなづいた。

「歓迎する、ラウニィー。」

 

W.

レティシアは天気の回復を待ってラウニィー、カノープスらと共にアーレスが居るだろうとされるタシケントの街へ向かった。

「アプローズの花嫁とは、それは運がねぇなぁ。」

カノープスの軽口にラウニィーが憤然とうなづく。

「全くよ。あんなうらなり瓢箪の奥さんなんて…考えただけで身が竦むわ。冗談だって許せるもんじゃないわッ!」

「…言うな、お姫さん。」

カノープスはラウニィーの口の悪さに驚いて、レティシアをちらりと見た。

その視線に含む所を感じて睨み返すと、カノープスがおどけて肩を竦めた。

「だって…!!」

ラウニィーの悪口雑言はまだまだ続いた。

物事をはっきり言うのは美徳か、そうではないのか考えさせられる。

多少辟易したレティシアがラウニィーに気付かれない程度の小さな溜息をついて陽光を振り仰いだ。

その瞳に幾つかの黒点が映る。

「…ッッ!?避けろッ!」

"奴"は、太陽の光を背に、突然降ってきた。

ファイアストームがその場を焼いたが、こちらに損害はない。

「ほう、今のを避けるか。大したものだ。」

ニヤニヤと薄笑いを浮かべる顔は、言葉とは裏腹の悪意に満ちている。

この男がアーレスなのであろう。

「レイヴンか…。」

カノープスの顔が歪む。

レティシアはバルタンとホークマンはともかく、レイヴンは初めて見た。

バルタンたちの茜色に燃える翼の代りに、漆黒の光を返す濡羽を持ち、暴力を好み荒事を奨励する性格であるという。

アーレスは、レティシアたちには一瞥もくれず、ラウニィーを品定めするように見まわした。

「あんたがヒカシュー大将軍の娘、ラウニィー様かい。美人だな。」

「誰……貴方……?父に頼まれたの?」

ラウニィーの目は敵意ではなく、わずかな不安で揺れていた。

袂を別ったとはいえ、まだ覚悟が出来ていない証拠だ。

「いや、あんたの婚約者、アプローズ男爵様だよ。」

言って、大笑いを始めた。

「随分惚れられてるんだね〜。あんたなしでは生きていけんとさ。ったく、ケッサクな話しだぜ。あんたを捜すだけで、ン千万ゴートの大金がもらえるんだ。さあ、オレとマラノへ戻ろうぜ!」

差し出した手に向けて、ラウニィーは槍を突き出した。

アーレスは笑みを浮べながら手を引いて肩を竦める。

「冗談じゃないわッ!あんなタコの所へ戻るくらいなら、ここで舌をかんで死んでやる!」

「ふぅん。まあ別に俺はそれでもいいぜ。男爵様からは『生死に関係なく』っていう条件だからな…。」

ラウニィーがオズリックスピアをくるりと回転させて構えた。

「もちろんその前に、貴方の首をちょん切ってあげるわね。」

冷たく言い放ったラウニィーに、アーレスは笑みを消した。

伊達に荒くれ者たちの頭をして来た訳ではない。

こんな小娘になめられてたまるか、とアーレスはふつふつと湧き出した怒りに得物を握った。

「なんて、おてんばな娘だッ!望み通り殺してやろう!!」

「やれるものならやって御覧なさいッ!!」

ラウニィーの声と共に晴れ渡った空に、突然雷が幾筋も落ちた。

強力な雷が数度地上で弾け、辺りに暫らく帯電していた。

打たれた帝国兵が煙を吐いて大地に落下する。

その光景に、カノープスが口笛を吹いた。

「大したお姫さんだ。負けてられないな、ランディ、カイン、行くぞ!」

カノープスが大地を蹴る。

ホークマンがその後に続いた。

「小娘がッ!」

アーレスは真直ぐにラウニィー目掛けて攻撃を仕掛けた。

太陽を背にした有翼人の高所からの攻撃に、ラウニィーは戸惑いつつも何度も突きを放つ。

ラウニィーが劣勢に陥りそうな時に限り、レティシアの助勢が入った。

アーレスはその助勢を鬱陶しく思い、歯軋りをする。

「赤毛!貴様何者だッ!?」

「あか…?随分な言われ様だな。」

面と向かって言われたことのない呼称にレティシアが苦笑をした。

それを余裕と見て、アーレスが更に浅黒い肌を真っ赤にして怒鳴りながら、気が付いた。

「そうか、貴様レティシアだなッ!」

「だったらどうした。」

アーレスは指笛を吹いた。

その笛に呼ばれたホークマンとグリフォンが応援に駆けつける。

「小娘、お前の相手は赤毛の後だッ!」

「レッティ!!」

ラウニィーが攻撃の手を休めずに呼び掛けた。

レティシアはアーレス他数名に取り囲まれても、臆さずに不敵な笑みを浮かべる。

「大丈夫だ。この程度の輩に遅れなど取らん。」

「戯言を!」

「戯言かどうか、教えてやる。」

レティシアは向かって来た者たちの手から得物を絡め取った。

アーレスの棍棒も、わずか2号で絡め取られる。

「な?手首が弱いから容易くこうなる。でも獲物を取られたから負けたなんて言われちゃかなわないからな、これは返す。」

奪った棍棒をアーレスの足元に投げつけ、レティシアは辛辣に言った。

アーレスは瞬時に自分の死の匂いを嗅ぎ取って、レティシアから距離を取った。

このまま逃げ出したくもあったが、大金の魅力も捨てきれず踏み止まる。

「離れたから無事ですむと思うなよ。魔法を使えば、お前は死ぬぞ。」

レティシアの言葉に戦慄しながら、それをハッタリと取ってアーレスがファイアストームを唱えた。

「死ね!」

アーレスが放ったファイアストームを避け、レティシアはソニックブームを撃つ。

空中に浮いたままのアーレスは避ける術も持たずに、レティシアの言葉通り落命した。

レティシアはアーレスの死を確認してから、残党処理に入る。

頭を失って逃げる者たちを捕え、カストロ峡谷から追い出し、反乱軍は無事に住民からの依頼を果たした。

 

X.

数日後―――。

レティシアは人づてにランスロットの怪我を聞き、血相を変えてランスロットを捜して奔走した。

間違いなく、怪我を負ったのは崖での一件であろう。

だがランスロットが治療を受けた事をレティシアは知らなかった。

なんでも、ランスロットが口止めをしたというのだ。

その理由をレティシアはどうしても確かめねばならないと思った。

「ランスロット!!」

彼は天幕の中にいた。

レティシアの怒りの混じった呼び声に驚いて、振り向く。

「レティシア殿、用があるならこちらから出向くものを…」

「ランスロット!!」

ランスロットは戸惑った。

なにやら聞く耳持たぬ風に、レティシアが詰め寄って来るが、その理由がランスロットには思い付かなかったからである。

レティシアはランスロットの右腕を掴むと持ち上げた。

「な、何か?」

「怪我を…したと聞いた。」

いつもと変わらないランスロットの表情に、痛みは見て取れなかった。

「なんの事だ?」

「……あれ?」

ランスロットの怪我の事を囁いていたのは、ランスロットの小隊のランバルディだ。

だからこそ真実と判断したのだが、どういう事か?

勘違いだったのかと思い始めたレティシアの後ろから、アイーシャの小さな悲鳴が聞こえた。

「アイーシャ?」

「何をなさっていますの、レッティ様!!ランスロット様の腕は…」

「アイーシャ殿ッ!」

ランスロットの制止は、一瞬遅かった。

驚いた顔のアイーシャと、ばつの悪そうな顔をしたランスロットの顔を交互に見て、レティシアは自分が騙され掛けた事を知った。

「ランスロット!!」

「レッティ様、腕をゆっくり降ろして下さい。」

事情を察したアイーシャが言った。

ランスロットの怪我は、右肩の脱臼と、腕の骨折である。

「何、元が丈夫だから、大した事はないんだ。」

ランスロットがその場を取り繕うように笑う。

だがアイーシャのヒーリングでも数日掛かる怪我が、大した事がない訳がない。

全てはレティシアが重荷に思わないように、とのランスロットの配慮だ。

「ランスロット、すまない…。」

「…大事無い。レティシア殿が無事だったのだから。」

レティシアの深い悔恨を、真摯な声で慰める騎士の笑顔が、レティシアに不思議な気持ちを抱かせた。

1番近い表現をするのなら、心臓が震えている、そんな感じだ。

「言っただろう?貴方は私が護る、と。」

その言葉にくらくらと眩暈がして、胸の奥がやんわりと絞め付けられる、甘い感情が湧き出した。

肩に置かれたランスロットの手の平の熱さに、そこだけ電流が走っているかの様にビリビリと疼く。

ああ、"また"だ。

ランスロットの腕の中でも感じた思い…いや、"想い"。

レティシアはとうとう自覚する。

 


間違いなく自分は、ランスロットに恋をしている―――。