STAGE9.ディアスポラ
T.
その昔、人間と鬼が大陸の覇権をめぐって争い戦いは何千年にも及んだという。
人間は神を、鬼は悪魔を味方につけ戦ったが、圧倒的な数と力を誇る鬼に比べ、人間は脆く弱かった。
ついに人間がこの海の淵に追いつめられた時、天より3人の騎士が12人の賢者を従えて舞い降りた。
三騎士たちはここで最後の決戦を挑み、見事鬼たちを討ち滅ぼした。
こうして、我々人間がこの大地の主となったのだ。
だが、オウガバトルの後も人間たちは領地や人種を巡っての争いを絶やす事は無く、それに立腹した神は以後、人間に一切手を貸さないようにと命じた。
だが天空の三騎士の一人、氷のフェンリルは我々人間を哀れみ、もしも再び人間に危機が訪れた時、天空の島に住む三騎士の助力を求められる様にと、そこに至る事の出来る門・カオスゲートを開く鍵として、聖剣を我々人間に残した。
(自称)大陸一の美女である魔女マンゴー(実際年齢は150歳くらいらしい)から聞いたその真実に、レティシアは深い溜息をついた。
「なんじゃ、信じておらんのか。伝説なんかじゃないよ。天空の島々もな。」
マンゴーは口をへの字に曲げて更に続ける。
「大体このわしが他の姉妹と一緒に行ったことがあるんだから。 オウガバトルなんかより、もっと古い時代、神の時代に空中に上げられたんだ。わし等なんかじゃ想像すら出来ない魔法力、…神の力といってもよい、その魔法力で浮いているのじゃ。」
「信じていない訳ではない、気分を害されたのであれば謝ります。…ただ……。」
上手く説明できずに苦しんでいるレティシアに嘘が無いのを感じ、マンゴーは肩を揺らした。
「確かに、俄かには信じ難い真実よな。それが自らの身に降りかかっておるとすればもっともじゃ。」
「すみません。」
「なに、謝る必要などあるものか。だが、それら島々のどこかに、天界の戦士、つまり三騎士がいると言われとる。そこへ行くにはカオスゲートという魔法の門を通らねばいかん。しかし、今ではその門がどこにあるかすら、わからん。カオスゲートは神が創りたもうた神の道。したがって、我々人間の目には映らんのじゃ。しかし、その聖剣があれば、見つける事は可能じゃろうな。」
レティシアは深く頭を下げた。
「ご助力感謝します。」
「…聖剣の持ち主よ、その運命は時に重く圧し掛かる事もあるじゃろう、だが自身を信じ選んだ道を突き進むがいい。」
ドアがノックされる。
「御話し中失礼します、レティシア殿…。」
マンゴーは途端に生き生きとして入って来たランスロットを振り返った。
どうやら男好きのこの魔女は、一目見てランスロットを気に入ったらしいのだ。
「悪いのぅ、この男がお礼だなんて…」
「違いますっ!あっ、手を握らないで下さいっ。」
マンゴーとランスロットの間に、必死に割りこんで引き剥がした。
U.
ディアスポラは、ホーライ王国時代にはゼノビアとマラノを結ぶ重要な貿易路として栄えた。
だが、今ではディアスポラにある監獄へ帝国を追われた大勢の政治犯たちが送られてくるため、犯罪者たちが集まる場所、すなわち流刑地と化していた。
もっとも監獄に捕らわれた人々は、それほど過激な事件を起こした訳ではない。
体制批判によって捕らえられた者はともかくとしても、エンドラやラシュディの悪口を言っただけで、捕らえられた者もいるのだ。
ここ数年間で、ゼテギネアの中央は様々な『自由』が無くなっており、言論の自由、信仰の自由、婚姻の自由、職業選択の自由、出産の自由すら無いらしい。
そのせいで帝国では暮らし難いとして最近、度々帝国から逃げてくる人々を見かける様になっていた。
そして、その多くは監獄にいる人たちと同様にちょっとした悪口がもとで捕まりそうになった者もいるのだろう。
そんなディアスポラの監獄の主であり、なおかつこの地方を治める法皇と誉れの高かったノルンは、本当の所、中央から遠ざけられた一人である。
かつては法皇として権力をふるったそうだが、今では位をも剥奪されただの僧侶である。
実質的な統治は別の者が担当し、ノルンはただの飾りという屈辱的な位置に貶められていた。
ノルンがこの地へ遠ざけられた理由はラシュディを批判した故なのであり、反乱軍に協力してもらえるのでは、と淡い希望を抱かせた。
だが、最近になってノルンは反乱軍の鎮圧に熱心になったらしい。
ノルンを知る者は、揃って首を捻った。
ノルンの考え方としてはどちらかというと反乱軍よりだったはずだからだ。
調査を進めていくうちに、反乱軍はその事情を知った。
なんでも、四天王のデボネア将軍と法皇ノルンとは互いに将来を誓い合った恋人同士であったそうだ。
我々反乱軍がデボネア将軍を倒したと聞き、ノルンは一晩中泣き崩れ、デボネアの仇を取りたい一心に違いない。
反乱軍におけるデボネアに関する最後の情報としては、ザナデュに帰還した事が確認されている。
レティシアはどうにかしてデボネアの生存を彼女に伝えようと考えた。
それにはやはりレティシアがノルンに会う事が必要である。
「全軍、ディアスポラへ!」
レティシアの号令が降った。
V.
カノープスとギルバルドは間に挟む山岳地帯を無視して大空を進み、ディアスポラを真直ぐに目指す第1隊を指揮する。
ウォーレンとアッシュは魔法都市メーマック・城塞都市ロモランタン・貿易都市リモージュ、そしてディアスポラまで続く森を通過する第2隊を指揮する。
レティシアとランスロットは工業都市ペリグーから北上し、貿易都市ラロシェル・ソミュールを経てディアスポラを目指す第3隊を指揮する事になり、進軍は開始された。
もともと用兵を知らぬノルンの指揮では、反乱軍を鎮圧する事はおろか、押さえる事等全く出来なかった。
次々と都市を解放し、ディアスポラは既に包囲された形になった。
「余計な被害を出さない為にも、各軍警戒態勢を崩す事の無い様―――。」
「レティシア、ディアスポラの監獄内で暴動が起こりつつあるようですが、蜂起のタイミングを指示しておきましょうか。」
「そうだな、まだ押さえておけ。ノルンの無事が第一だ。」
ウォーレンが側の忍者に指示を降す。
忍者は一言も発せずただうなづき、すっと姿を消した。
「この後、怪我人の救護、民衆の避難を指示する。各隊の代表には半刻後にもう一度召集をかける。解散。」
言って立ちあがったレティシアの耳には、泣き声が届いた。
騒がしい場所であったが、子供の甲高い声だから届いたのである。
レティシアは泣き声の主を見つけて歩み寄り、しゃがんで声を掛けた。
「どうした?お姉ちゃんに話してごらん。」
優しい声に、女の子はさして警戒する事なく話し出した。
「お母さんが…病気になっちゃったの…でもそのお薬は高くって買えないから。それでお薬を探しにお父さんが……。」
女の子は大粒の涙を零しながら必死で訴える。
「でも、帰って来ないの…。このままじゃ、お母さんが……。お願い、お父さんを捜して。」
「薬の名前はわかるか?」
「金のぉ…、金の蜂の巣……。」
「うむ…、それは買えないでしょうね。」
「知っているのか、ウォーレン?」
「はい。黄金を含んだ蜂蜜がたっぷり入っていて、あらゆる病気を治す事が出来る品です。ですが、その蜂は生息場所が限られています。その上狂暴で、一刺しで死に至る致死毒を持っているので採取困難な品ですよ。ですから非常に高価で取引されるのです。」
「……ウォーレン…。」
子供と同じ目線から見詰められ、ウォーレンは苦笑いを返した。
「ここよりずっと南の山です。教会が近くにあったので目印に飛ぶといいでしょう。怪我人の救護、民衆の避難を指示は私がやっておきますが、判刻しか時間は無いのですから、手短に。ランスロットを連れて行く事が条件です。」
「ありがとう。―――名前はなんて言う?」
「ポーシャ…。」
「ポーシャ、お姉ちゃんが捜して来る。約束だ。」
レティシアは小指を差し出した。
ポーシャもおずおずと小指に自分の指を絡ませて、約束の歌を歌った。
「ありがとう。お姉ちゃん。」
「心配しないで待っているといいよ。じゃあ後で。」
レティシアはランスロットに事情を短く説明して、グリフォンのヒュースパイアを引っ張り出した。
「あの子の手前言えなかったけれど、多分父親はもう亡くなっているだろうな。」
「教会へ行くのか?」
「そうだ。」
レティシアとランスロットが予想した通り、ポーシャの父親は「金の蜂の巣」を手にしたまま遺体となって発見され、教会の僧侶達によって葬られていた。
レティシアは訳を話して、「金の蜂の巣」を僧侶から譲り受け、それを眺める。
「レティシア殿?」
「ん、一寸ポーシャへの嘘を考えていた。」
「……そうだな、まだ死を理解するには早いかもしれないな。」
「ああ。」
言って、再びヒュースパイアにまたがった。
ポーシャの家はソミュールの街の北端にあった。
「ポーシャ。」
「あ、お姉ちゃん!」
ポーシャはレティシアの姿を見つけて飛び付いて来た。
もうすっかり懐かれたようだ。
そのレティシアの手の中にある蜂の巣に気付いて、更に顔を明るくする。
「 あ、『金の蜂の巣』だ。お父さんに会えたのね!…お父さんは?」
レティシアはポーシャを抱き上げて笑った。
「会えたよ。ちょっと用事が出来てしまってすぐに帰れないから、ポーシャにお母さんをお願いすると。ポーシャはしっかり者だから、平気だろ?」
「…うん、わかった。」
「いい子だ。じゃあ一緒にお母さんが薬を飲みやすいように水を汲んでくよう。…ランスロット。」
ランスロットに蜂の巣を渡すと、レティシアはポーシャを連れて水汲み場まで行った。
水汲み場で水を汲んでいる間、ポーシャが嬉しそうにレティシアの首にしがみ付いて、
「ありがとう、これでお母さんの病気がなおるよ。今日から、お姉ちゃんの事を本当のお姉ちゃんと思ってもいいわよね。」
と恥ずかしげに言った。
「じゃあお姉ちゃんもポーシャの事を本当の妹だと思うよ。」
「本当?嬉しいな。」
ポーシャの笑顔を見て、穏かなままのレティシアの顔と裏腹にその拳に力が込められた。
「じゃあ、お母さんの所へ帰ろうか、ポーシャ。」
「うんっ、お姉ちゃん!」
ポーシャの体温はレティシアよりも暖かかった。
戻ったレティシアに、ランスロットは無言でうなづく。
父親の説明を終えた合図だ。
約束の時間が近いこともあり、レティシアは早々に失礼する旨を告げる。
「…そうだっ、お姉ちゃん待って!あたしのお守りを上げる!」
ポーシャが家の奥に飛びこんで、すぐに白磁の像を手渡した。
「はい、『セントールの像』っていうの。大事にしてね。」
「ありがとう、ポーシャ。」
レティシアはしゃがんでポーシャを抱きしめ、母親に一礼をしてからその家を去った。
その帰り道、ランスロットが不意にレティシアの背中を軽く叩いた。
驚いてランスロットを振り仰ぐと、彼は「大丈夫」と言ってまた前を見た。
考えを見透かされた気分になってレティシアは複雑な顔をしたが、なんだか鬱な気分がそれによって出て行った錯覚も覚えた。
「―――よしっ。」
W.
ディアスポラの陥落はもう時間の問題であった。
外からは反乱軍の攻撃、そして内部からは監獄が破られ、政治犯と呼ばれる反帝国派が溢れ出してディアスポラを攻撃している。
ノルンに出来る事は残ってはいなかったが、落ち延びる事など考えもしなかった。
反乱軍がもう扉の外まで迫っている。
祈り終えると同時に扉は暴かれた。
炎の色を纏った女の、その腰の見事な剣を見てノルンは彼女が反乱軍のリーダーであり、恋人の仇だと確信した。
「ノルンだな?」
毅然とした態度が、どこか友人のラウニィーに似ているとノルンは思った。
「…私は愚か者でした。ハイランドが望んだ理想国家は、こんな帝国じゃないわ。」
虚ろな瞳で語るノルンに鬼気迫るものを感じ、レティシアの聖剣を持つ手が汗ばんだ。
「私は、神に仕える身でありながらラシュディの正体を見破る事が出来なかった……。もっと早く気付いていれば…クアスを死なせはしなかったわ。反乱軍に身を投じる事も考えた…。ラウニィー様のように。でも、何もかもがもう遅いわ……!!」
一度伏せて涙をこぼしたノルンの瞳に、絶望した闇色の狂気が宿る。
「クアスのいないこの世界で私は何を信じて生きて行けばいいのッ!今の私に出来る事は、貴方たちを倒してクアスの、デボネアの仇を取る事だけ。」
「ノルン、デボネアは…」
「私と共に地獄へ行きましょう!」
どこに潜んでいたのか、突然ジャイアントがレティシアの両腕を捕まえ、扉から誰も入れないようにその背で塞ぐ。
「レティシア殿っ!」
ランスロットが慌ててジャイアントを斬り付けた。
だがジャイアントたちはノルンへの恩義を果たす時であると、どんな苦痛をも耐える覚悟であった。
ノルンの復讐を邪魔する者を、例え屍となっても通すまいとして身体を張る。
ノルンが構えた懐剣は、レティシアの心臓を狙っていた。
「くっ。」
レティシアは胸を反らせた。
「その敬虔な祈りは頑なな心さえ眠りにいざなう。慈悲をもって神の教えを実践する者よ!汝、名をハイエロファント!」
レティシアの胸当ての下が、言葉に呼応して燐光を発した。
ノルンはピンクの花びらが舞ったのを確かに見た。
そして同時に襲う強烈な睡魔に疑問を持つ間もなく、その場に倒れる。
ジャイアントたちや、反乱軍の数名の兵士も同様だ。
その魔力に抵抗したランスロットが、レティシアに歩み寄り片膝を着く。
「怪我は無いか?」
「間一髪だ。でも、両腕が少し痛むかな。」
レティシアが胸当てに手を突っ込んでわずかに白い煙を吐いたカードを取り出す。
どこに仕舞っているんだ、とランスロットは言えずに目を反らせた。
「巨人たちは、縛っておいてくれ。暴れられては困る。」
「わかった。」
ランスロットはすぐに立ち上がってジャイアントの方へ行ってしまった。
レティシアはその後姿のランスロットをじっと見詰める。
「ノルンは…命を賭けるほどに愛しい人と巡り会ったんだな。」
何故か、胸の奥がくすぐったい気持ちになった。
ノルンはすぐに目を覚ました。
魔法抵抗の能力は長けているようだ。
ノルンはレティシアの顔を見て、自分の手を確認する。
懐剣はもう無かった。
ひどく疲れた顔で、ノルンは力無く笑った。
「私の負けね…。でもこれでやっと、クアスの許へ行けるわ。」
もともと復讐を遂げる事の可能性は少ないと自覚していたのだろう。
ノルンはレティシアを真っ向から見据えた。
「さあ、私を殺しなさい!」
レティシアは首を振った。
「デボネアは死んでなんかいない。デボネアは真実を確かめにハイランドへ、エンドラのもとへ行ったはずだ。」
ノルンは驚愕に目を見開いた。
「本当…?クアスは生きているの?本当に…生きているのねッ!?」
「ザナデュに入ったと私に報告されている。本当だ、デボネアは生きている。だからノルン、貴方が仇を取る必要なんてないだろう。それに、戦う相手が違う。そう思わないか?」
「…私に仲間になれというの?」
ノルンは即座にレティシアの言わんとする所を覚った。
猜疑を隠さぬ瞳にレティシアは言った。
「私は本気だ。生きてデボネアに会うんだッ! 」
「そんな……そんなことって……。」
長い沈黙が落ちた。
ノルンの華奢な拳が握り込まれる。
「…わかったわ。私の命を貴方に預けましょう。…最後まで貴方たちと共にある事を誓うわ。」
「ありがとう、ノルン。私は…」
「レティシアでしょう?仇の名前ですもの、知っているわ。」
冗談めかしたノルンの力無い物言いにレティシアは微笑んだ。
「…よろしく、ノルン。」
レティシアの差し出した手をノルンはしっかりと握った。