STAGE7.アヴァロン島

T.

反乱軍の元に訪れたのは、強行の旅を続けた様が良くわかる僧侶の一団である。

取り合えず身体を休められよ、とのレティシアの言葉を断わって僧侶は切実に訴えた。

「どうか、どうかアヴァロン島をお救い下さいませ。」

レティシアはウォーレンを振り返った。

苦い顔でウォーレンがうめく。

「おそらく…ロシュフォル教会を掌握することで反乱軍の行動を封じようと言うのでしょうな。」

「だが、アヴァロン島は…。」

アヴァロン島は、戦いで死んだ戦士達の魂が集まるところだとの説があり、それは広く知られている事だ。戦士達は、暗黒の力から正義を守るために、この島で永遠の眠りにつくのだという。

アヴァロン島はロシュフォル教の総本山であり、そのため島民のほとんどが僧侶である。

だがレティシアが驚くのは、ゼノビア王朝時代もこの帝国時代も常に中立を保ち、不可侵とされていたからだ。

それが今、帝国の侵略を受け今では帝国軍の支配下に置かれているのだと言うのだ。

「どうかアヴァロン島を…大神官フォーリス様を…。」

僧侶は、その場で気を失った。

 

革命戦争の一騎当千の炎―――勝利へと導く女神、と誰もが信じて疑わなかったし、その圧倒的なカリスマ、彼女の言葉と瞳には力があった。

その一方で見せる女性の視点での優しさ…、彼女の存在は崇拝や憧れに似たものになっている。

反乱軍内において、レティシアの言葉に心動かされない者はいなかった。

「虐げられている者の痛みは、みんなも良くわかっていると思う。だからこそ私は出来得る限りの事をしたい。アヴァロン島に行きたいと、思う。」

その彼女の「お願い」に、反乱軍は割れた。

ゼノビアの復旧を第一にすべきだと唱える者、アヴァロンの僧侶達を救うべきだと唱える者…。

そんな中で、反乱軍に手紙が寄せられた。

「トリスタン皇子の消息…?」

トリスタン皇子はゼノビア陥落時にどこかへ落ち延びたとも、息絶えたとも言われている。

これはカルロバツにトリスタンの乳母をしていたバーニャという女性からである。

レティシアはどうすべきか一寸考えてから結論を出した。

「復旧作業を続けていてくれ、私はこのバーニャという方に会って来る。カノープス!」

おう、と返事をしてカノープスはレティシアを抱いて窓から飛び出した。

特に迅速を要する時には、レティシアはカノープスと二人行動を取る事が多い。

カノープスは、他のホークマンたちと比べ、飛行速度と熟練度の桁が違っていた。

レティシア一人を抱え、他のホークマンの疾さを難なく超える事が出来たし、何よりも荒事にも強く、魔獣を連れて言った際の”繋ぐ手間”がない上、地上では手を借りる事も可能である。

レティシアはそういった理由からよくカノープスを連れ回している。

「カノープス、あの家だ、降ろして。」

探し当てた手紙の主は、レティシアとカノープスの姿を見つけるとしゃんと背筋を伸ばして微笑んだ。

バーニャの仕草は洗練されていて、見るからに育ちの良さが見て取れる。

「貴方がバーニャ殿?珍しい紅茶があると聞いて参上しました。お招き有難うございます。」

「へ?」

カノープスが間の抜けた声を出した。

齢を重ねしわくちゃになった指先を口元に添えてほほほと笑いながら、

「そうね、今ならディアスポラ産の紅茶があったわね。」

どうぞお入り下さいな、とバーニャは家の中へ入って行った。

その後を二人が続く。

「なんだ、今の?」

「女同士の会話。」

実のところは手紙に記してあった合言葉である。

家の中に入ると、バーニャは幾分厳しい目付きで2人を見ていた。

まるで商品に小さな傷でもないかと粗捜しをする商人のような目だ。

しばらくしてバーニャはふうと溜息をついた。

「…御眼鏡には適わなかった?」

「あ…いえ。随分とお若い人だなと、思いまして。不躾に申し訳ございませんでしたわね。」

バーニャは明らかにレティシアを侮っていた

それを察したカノープスが言う。

「小さいけど、こいつは大した奴さ。反乱軍はこいつを要にまとまっているンだから。」

その言葉にバーニャは驚きを隠しきれずに声を上げた。

「まあ…貴方がリーダーでしたの。てっきり男の方かと…失礼致しました。私はバーニャ。ゼノビア家の乳母をつとめていた者でございます。実は、貴方にお頼みしたいことがあるのです。」

「頼み?」

バーニャは頷いた。

「あの日、ゼノビア家が滅びた日、私は一人の赤子をつれてこの町へ逃げて参りました。赤子というのは、他でもないグラン王の御子、トリスタン皇子でございます。帝国なき後、大陸を治められる御方はトリスタン皇子をおいて、他にはいらっしゃいません。それとも…。」

挑むように目が細められた。

「レティシア殿が治められますか?」

「私は王者の器ではないわ。」

「さすがレティシア殿。身分をわきまえておいでですわね。」

「あ。」

カノープスがレティシアの拳がぴくりを動いたのを見てしまう。

それに気付かぬバーニャは奥の部屋から荘厳な小箱を取り出して来た。

小箱を開くと黄金作りの鍵が真っ赤なビロードのクッションに沈むように置かれていた。

「どうか、トリスタン皇子をお探し下さいませんか?皇子にお会いできたら、この"栄光の鍵"をお渡し下さい。これは、ゼノビア家を継ぐ者の証…、王位継承者の証です。」

「皇子はどこに?」

「落ち延びてすぐに、アヴァロンのフォーリス様にお預け致しました。」

『アヴァロンッ!?』

二人の声が綺麗に重なった。

「ええ…何か?」

不安に駆られたらしいバーニャが2人を代わる代わる眺めた。

「いえ…小箱と栄光の鍵、確かにお預かりしました。必ず届けますから、バーニャ殿はどうか息災に。」

レティシアはひったくるように小箱を抱え、カノープスの腕に収まった。

 

U.

アヴァロンへ行くのは全体数の4分の3の人数である。

流石にゼノビアの皇子がアヴァロンにいるかもしれないという情報は重いものであった。

反乱軍たちは南端のバインダインの街に上陸し本拠地となしたが、フォーリスのいるだろう街はアムド…つまり島の北端である。

島を2分するように火山帯が立ち塞がっている事から、初期位置としては誉められた場所ではなかった。

その上、大神官フォーリスは既に命を落としていた。

我々は間に合わなかったのだ。

街の僧侶が詳細を語る。

「アヴァロンの大神官は代々、女性が務めてきました。大神官は暗黒の力から正義を守る為に、慈愛の心をもって 内なる戦いを続けています。大神官フォーリス様はその教えを守るために、自らの命をガレスに渡したのです。あの呪われた騎士は、教会が帝国に従わないと知ると、大神官の…フォーリス様を捕らえ、見せしめとして殺してしまいました。おお、なんということでしょう。お願いですッ。私たちの代りにあの騎士を…黒騎士ガレスを倒して下さいッ! 」

話を聞いていたレティシアの全身が一瞬強張った。

それに気付いたのは僅かにランスロット一人である。

だがその直後の全身の毛穴が開くような、毛が逆立つような恐怖は、誰もが体験した。

レティシアが放つ殺気がそうなさしめたのだ。

「レティシア殿?」

ランスロットの呼掛けに淡雪が溶けてきえるかのようにその殺気は霧散した。

数度呼吸をしてからレティシアが尋ねる。

「この島を制圧に来ているのは、帝国の王子、ガレスなのか?」

「…はい。ハイランドの皇子、黒騎士ガレスです。ガレスは島の僧侶たちに対して帝国に従うように要求しています。しかし、神にのみ従う僧侶たちはガレスの要求を飲んだりしないでしょう。ましてやフォーリス様が殺された今となっては、例え、1人になったとして帝国に従うよりは死を選ぶに違いありません。」

「そうですか、それともう一つ。トリスタン皇子については何か聞いた事はありませんでしたか?」

不思議な顔を返す時点で、彼女らは何も知らないのだとわかる。

多分全てを知っていたはずのフォーリスが殺された今、アムドへ向かうしか残された手立てはないのだろう。

「出撃の準備を。アムドを陥とす。」

「大神官フォーリス様には1人、御子がいらっしゃいます。このアヴァロンでは16歳になった娘で僧侶を目指す者は修行の旅に出なければなりません。…アイーシャも旅に出て、もう2年。しかし、異国の地では母君が死んだことも知りますまいね…。」

立ち上がったレティシアの後ろで僧侶がぽつりとそう言った。

 

カノープス・ギルバルドをはじめとした飛行が可能なグループ、山岳の地形に強い魔獣たちがいるグループを率先してアムドへ向かわせる。

「無理に接近戦に持ちこもうとするな、離れたら魔法戦に切りかえるんだッ。」

帝国側には漆黒の翼を持つレイヴンの姿もあった。

カノープスは善戦を続け徐々に前進していく、その途中・火山帯の真ん中で建物を見た気がした。

だが、ここは激戦区になっている。

とても確認している暇はなかった。

やや遅れた、その地上を進んでいるのはレティシア・ランスロットの部隊である。

カノープスの誘導を受け、その場所に進んで行った。

確かにその場所には教会が隠れるようにして建っていた。

レティシアが扉に近づくと同時に、内側から扉が開く。

中からは長い金の髪を2つの三編みにした、クレリックよりも一つ位の高いプリーストの装束を纏った女性が出て来た。

幼さを残した愛らしい顔立ちにはめ込まれた、薄紫を秘めた青い瞳が驚愕に見開かれたかと思うとすぐに怒りを灯して戦う姿勢を見せた。

「ストップ、帝国軍じゃない!私たちは反乱軍だ。」

レティシアは戦意がない事と知らせるために両手を上げた。

その女性もしばらくは疑っていたが、レティシアの首から下がっているティンクル・スターに目を止めて警戒を解いた。

「私は大神官フォーリスの娘、アイーシャです。黒騎士ガレスが来たと聞き、あわててアヴァロン島に帰って来ましたが、遅かったようです…。ガレスに一矢を報いようと、ここでチャンスを伺っていました。どうか、私を反乱軍に加え、母の仇を取らせて下さい!」

「仇討ち?僧侶である貴方が?」

「はい。」

彼女なりに考えた末の決断なのだろうがレティシアは眉根を寄せた。

「…仇討は賛成出来ない。貴方はこのアヴァロンの神官になるのだろう?」

そう聞いている。

だが、アイーシャは頭を振った。

「私の道は私が自身で決めます。」

大人しそうなのは外見だけである。

その瞳と気性は外見を裏切り、全く激しいものだ。

そのギャップに失笑する。

「わかった。好きにするがいいさ。アイーシャ、歓迎する。」

「ありがとうございます。命の尽きる時まで、私は貴方方と共にあります。」

硬い表情のまま、アイーシャは言った。

 

トマヤングの街で一旦傷の応急手当を済ませた一向の中にアイーシャの姿を見つけて僧侶達が寄って来た。

フォーリスの死を前向きに受け止めているアイーシャへ次々に激励をして行く。

アイーシャの顔は上辺だけの固い笑顔を張り付けたままだ。

その様子を少し離れたところでレティシアと共に眺めていたランスロットがそっと耳打ちする。

「本当にガレスと対面させるのか?」

「どうしたらあの娘にとって一番良いのだと思う?」

かえって質問を受け、ランスロットは考え込んだ。

「どんな理由があったとしても、生きる為以外で生き物を殺してはいけない…それくらいは私も知っている。彼女には…輝かしい未来があったのだろうに…。」

哀しそうに言って俯いたレティシアの横顔をランスロットも遣り切れない思いで眺めた。

アイーシャといくつも変わらない彼女にだって同じ事が言えるのだ。

「レティシア様、行きましょう!」

「よし、出るぞ。」

アイーシャの声を受け、レティシアが立ち上がる。

アムドは既に目と鼻の先である。

 

V.

アムドには凄惨な現実が待ち受けていた。

大司教が座るべき場所には漆黒の鎧を身に纏った騎士がどっかりと座っている。

ガレスの姿を遠巻きにでも見た者たちが、何故ガレスを伝説のオウガに喩えるのかがよくわかる。

その姿は禍禍しく、この世の者であるとは到底信じられなかった。

そしてその椅子の周りを埋めるものはおびただしい死体の山である。

辺りに濃く立ち込めた血の匂いに、数人は胃が逆転しそうになって口元を覆った。

アイーシャは、その黒騎士の足元に愛する母の遺骸を見つけてわなわなと肩を振るわせる。

「…貴様らがデボネアを破った反乱軍か……。要塞と化したゼノビア城をあっさりと落とすとはなかなかやる……。ここで貴様らを倒さなければ後々、やっかいなことになりそうだ………。」

その凛とした響きを持つ低い魅力的な声は、地獄の底から聞こえてくるような錯覚を抱かせた。


皆が様々な思いでその黒騎士を睨み付けている中、気丈にもはじめに口を開いたのはアイーシャである。

「私は大神官フォーリスの娘アイーシャ。大陸の平和を乱すばかりでなく、愛しい母の命を奪うとは…。母の仇を取らせてもらうッ!」

ガレスの視線がゆっくりとアイーシャに向かった。

漆黒の兜の下ではルビーの様に赤い瞳がぼんやりと光っている。

「クク…。お前の様な小娘が俺を倒そうというのか……。よかろう。相手をしてやるッ。神がどんなに非力なものなのか、その身体で思い知るがイイッ!」

ガレスは傍らのブラックドラゴンと共に立ちあがった。座っている時とは桁違いの威圧感である。

一方、レティシアにも飛来する思いはあった。

漆黒の鎧を纏い瘴気を共にする、伝説のオウガさながらのその姿は、忘れたくとも忘れられない兄の命を奪った男なのだから!

ガレスが立ちあがると同時に、抑えていた感情が堰を切って溢れ出した。

「ガレスゥッ!」

レティシアは突然ガレスに襲い掛かった。

誰一人それに反応する事は出来ないと思われたが、不意打ちであったその一撃をガレスは得物の斧で間一髪防いでいた。

レティシアは間隙を入れず何度も剣を振り降ろす。

そのうちの一撃は深くマントを斬り付けたが、ガレス本体には何らダメージを与えられずに一度間合いを取った。

いつもより力んでいるせいか、すでに息が上がっている。

「貴様、良い太刀筋をしているな…。だが、貴様らにこの俺を倒すことは出来んよ。不死身の身体を持つ黒騎士ガレスをな!」

「…私の名はレティシア。反乱軍のリーダーであり、貴様が5年前に殲滅させた街の生き残りだ。」

「覚えておらんな。」

「5年前、貴様の額に傷を負わせた男、サイノスの妹…と言えばわかるか?」

ガレスの身体がぴくりと震え、すうっと赤目が細められる。

「…忌々しいあの男の…!貴様、あのまま死んだのではなかったのか。」

挑発的な笑みを浮かべ、じり、と間合いを測るべく左にずれる。

「どうやら天は私に帝国を倒す事を託したらしい。サイノスがすべきだった天命が、私に受け継がれた…しかし、貴様への妄執は尽きなかったらしい…自分でも驚いているがな。」

そう、旅立つ際に「帝国打倒」と「仇討ち」は別のものだと割りきって出て来たつもりであった。

だがここに来て、レティシアの奥底に眠ったままあった憎しみは、とどまる事が出来なかった。

冷静になれ、と何度も自分へ警告する。

これは、ゼテギネアを倒すべき戦いであり、私怨を持ちこんではならない!

「アイーシャ。」

「はい。」

「貴方の助けがいる。」

「はいッ!」

レティシアは剣を持ちなおすと再び襲い掛かった。

 

W.

ブラックドラゴンの皮膚は下手な鎧よりも強固であった。

ランスロットの渾身の一撃すら、皮膚を切り裂くだけに留まっている。

剣についた体液を払い飛ばしてちらりとレティシアの方を見た。

まだ勝負はついていない上、気負いが彼女のいつもの剣技を鈍らせている。

もう1頭のブラックドラゴンを抑えていたカノープスがギルバルドに後を任せて、レティシアの加勢に入ろうとしたが、ガレスがそれに気付いた。

「小賢しいッ!」

ガレスがイービル・デッドを放った。

大地に赤黒い光の魔法陣が浮き上がり、その上に立つ者の身体を次々に切り裂いた。

空を駆けていたカノープスは翼を切り裂かれ、大地へと失速する。

「神よ、正しき者に御慈悲を…ヒーリング・プラス!」

アイーシャの治癒魔法は、クレリックの対象1人の治癒魔法とは違い、複数の人間の傷を塞ぐ。

まだ二十歳を越えぬ少女だと言うのに、大した法力である。

ガレスは舌打ちをすると、レティシアの剣をかわしてアイーシャへ向かった。

いくら傷を負わせても回復していくというのなら、回復させている僧侶を殺すのが手っ取り早いと判断したのだ。

向かい来るガレスの姿に恐怖して、アイーシャは竦んだ。

いくら母の仇といえど、戦うのは今この時が初めてであるし、恐ろしいものは恐ろしいのだ。

振り上げられた斧の凶悪な光を、アイーシャはただ見上げていた。

足は全く動かない。

「ガレスッ、貴様!」

レティシアの過去がオーバーラップする。

そう、あの時も形勢不利と覚ったガレスはサイノスをかわして、「私」を狙ったのだ。

させてなるものかと、レティシアはすんでの所でアイーシャを突き飛ばした。

「チィッ。」

仕損じたものの、レティシアの脇腹に流れる血流にニヤリ、と笑った。

「レティシア様ッ!」

「大した事はない、無事で良かった。」

「痩せ我慢も大概にするがイイ…死ねッ。」

ガレスの斧を、頭上で剣をかざして受け止めるが剣がしなり、ミシリと嫌な音を立てた。

上からの圧力に、剣を握る腕ががくがくと震える。

その上力を入れれば入れるほど脇腹の出血が増えていき、ほどなくしてすぐにレティシアの足元に水溜りを作った。

「アイーシャッ!何をしていやがるッ!!」

カノープスの怒号を聞いてもまだアイーシャは迷っていた。

対象者が近すぎて、レティシアの傷を治せばガレスまでもが回復してしまう。

「レティシア殿ッ!」

駆けつけようとするランスロットの進路を、ブラックドラゴンが阻む。

「おのれ…退けェッ!」

ランスロットの横薙ぎの一閃は、ブラックドラゴンの首を飛ばした。

血飛沫の後ろではレティシアの剣が悲鳴を上げている。

一刻の猶予も無かった。

「レティシア殿ッ!」

レティシアの剣が圧し折れたのと、ランスロットの剣がガレスの斧を弾き飛ばしたのは同時であった。

ガレスの斧はレティシアの右足の数ミリ横へ落とされた。

「ぬうっ。」

「ガレスよ、私が相手をするッ。」

ランスロットがレティシアを後ろ手にかばい、剣を構えた。

激昂したガレスの斧は一段と重いものになっている。

アイーシャに治癒魔法をかけてもらうが、完全には傷は塞がらなかった。

しかしレティシアは剣を借り、再びガレスへ向かう。

ランスロットとレティシアの二人掛りでも、ガレスに手傷を追わせるのは難しかったが、多少なりでも手応えはある。

けして不死身ではない事の証明である。

カノープスのサンダーアローがガレスの兜に当たって弾けた。

ランスロットの剣とレティシアの剣が鎧の継ぎ目を狙い斬り付け、血飛沫が舞う。

ガレスがたたらを踏んだのを見逃さずに、深く踏み込んだランスロットとレティシアはガレスの赤い目がギラリと強暴な光を灯したのに気が付いた。

しかし気がついた時にはもう遅く、イービル・デットが2人を襲った。

―――立ってはいられなかった。

闘志だけは瞳に宿っているが、もう立ち上がるのは難しい。

「残念だったな…。正直、ここまでやるとは思わなかった、誉めてやろう反乱軍共。」

ガレスがレティシアを見降ろした。

カノープスが叫びながら、駆け込んで来る。

「レッティ!ガレス、やめろーッ!」

「無駄だ。」

死刑宣告にランスロットたちの背筋が凍った。

その時、まだ勝負を諦めていないレティシアが、胸元から素早く何かを取り出した。

「凍てつく息吹をもって我が前に立ちふさがりし者に粛正を!!」

レティシアのつきだした手の先、一枚のタロットカードに魔力が収束する。

アイーシャが、その魔力に呼応して高まる魔法力に頭を抱えた。

「な…何ッ!?キャアァッ!」

「不変なる公平を導く汝、名をジャスティス!」

アイーシャの悲鳴と、レティシアの魔法力を解き放つ声は同時だった。

「オオオッ!」

ガレスの姿が真っ白な雪に掻き消された。

魔力に押され、仰け反るレティシアの背中を、ランスロットが支える。

やがて魔力が生んだ雪が消えると、多大なダメージを負ったガレスが片膝を着いて現れた。

「…おおっ、このオレが負けるというのか……。このオレが負ける…そんなバカなことがあってたまるかッ。」

「ガレス、覚悟ッ!」

アイーシャの十字架が神聖な光を帯びる。

だが、それを放つより早く、ギルバルドの鞭がガレスを撃ち据えた。

レティシアの唇がかすかに動く。

ガレスの言葉は、虚ろながら邪悪な響きを伴って轟いた。

「…らず、…必ず、俺は……貴様らを……地獄……へ…送って…や…る……!!」

ガレスの身体は、頭から真っ黒な塵となり、サラサラと風に散っていく。

しばらくは悪夢を見ていたかのような気持ちに囚われ、誰もその場を動けなかった。

 

「オウガとは伝説に登場する悪鬼のことです。人間とはまた別の生き物で、光よりは闇を好み…愛や正義よりも力と戦いを好む野蛮な奴等だったそうです。もち

ろん本当に存在するのかどうか私にはわかりません。」

レティシアに包帯を巻きながら、アイーシャが独白のように語った。

「…しかし、神や悪魔は目に見えなくとも…人の心の中に実在します。ですからオウガもまた、悪魔に心を奪われた人間なのかもしれませんね。」

「オウガ…か。……あ、ランスロットたちの様子は?」

「レティシア様よりよっぽど御元気です。もともとが鍛えぬかれた戦士ですから。」

「そうか。それと、アイーシャ…」

「連れて行って下さい。必ずお役にたちます。それに、母を直接殺したのはガレスですけれども、元を正せばゼテギネアですもの。反乱軍はもちろんゼテギネアまで行くのでしょう?それにレティシア様は好きにするといい、歓迎するって言ってくれたでしょう?絶対ついて行きますから。」

アイーシャはレティシアの言葉を遮って一気にまくし立てた。

その場の妙な緊張感は、カノープスの来訪によって呆気なく散らされる。

カノープスがレティシアの顔を見るなりあんまりな第一声を放った。

「おう、良かったなぁ、お互いくたばらなくてよ。」

「何だ、カノープス。もう動けるのか。」

「お前とは鍛え方が違うぜ。…と、それより。」

カノープスが顔を引き締めた。

「ガレスを倒したアレ。一体なんだったんだ?お前、魔法はてんでからきしの筈だろう?」

「アレって、これ?」

レティシアがひょいっと1枚のカードを出した。

アイーシャも興味があったらしく覗きこんだが、ふと首を傾げる。

「…ただのタロット・カードじゃないですか?マジック・アイテムでもなんでも無い…?」

「そう、今はただのタロット・カードだ。誰が造ったのかは知らないけれど、よく出来ているだろう?再び魔力が充填するのはいつか知れないけれど、そうなったらまたマジック・アイテムと呼べる代物になるのさ。」

「今は魔力を放出してしまったただのカードって事か。他にもあるのか?」

「ある。」

カードを受けとって眺めたが、その価値はカノープスにはよくわからなかった。

反対にアイーシャが小さな感嘆の声を上げながら1枚1枚丁寧に見ていく。

「俺にゃわからん。ああ、そうだレッティ。ガレスの本当の狙いがわかったぜ。トリスタン皇子が本当に生きているのかどうかを確かめに来たらしい。…ま、解らず終いだったようだが。そして、ここからが最も重要なんだが…。」

言いにくそうにして、カノープスが顔をしかめる。

「トリスタン皇子が、俺たちの決起を聞きつけて、帝国へ向かったらしい。」

「何!?ここにいないのはともかくとして、帝国へ向かった!?」

思わず叫んだレティシアの口元を、カノープスの大きな手の平で塞いだ。

「馬鹿、声が大きいッ。…で、その手勢もわずかなものらしいんだ、もたもたしてると帝国の餌食になるってんで、街の爺さんが血圧上げてた。」

カノープスの手の平の下でレティシアがもごもごと喋り、それが伝わらないのに(言葉になっていないので当然なのだが)苛立って噛み付いた。

「痛ッ!何する!」

「こ…こっちの台詞だッ、大声出してたのは私が悪いだろうけれど、だからって息の根止めるつもりかッ!?」

肩で息をしながら、レティシアが怒鳴る。

…訂正、苛立ったのではなく、呼吸の困難さで命の危険が迫ったためらしい。

その後、それまでの真面目な話とはうってかわって、聞くに耐えない罵詈雑言が飛び交わされたが、それを見ていたアイーシャがポツリと呟いた。

「仲がおよろしいのですね。」

2人の動きがぴたりと止まり、とにかく複雑な表情でアイーシャを見やった。

「エ…?私、何か変なことを言いましたか?」