STAGE4.ポグロムの森
T.
ポグロムの森は昼夜を問わず常に濃い霧に包まれていた。
その霧の向こうからは薄気味の悪いくぐもった声が時折聞こえてくる。
迷信深い者は死者達の無念の声だと囁きあった。
ウォーレンの話によると、この森で虐殺が行われたらしい。
ゼテギネアの支配から逃れるべく逃げ惑うゼノビアの民を追撃していたのは、もとゼノビアの臣であるアプローズ男爵である。
彼は森の中へ入りこんだのを確認した上で森に火を放ち、森の周辺に兵を配置して辛うじて炎を免れた者達に凶刃を振り降ろし、殲滅させた。
彼は今でもゼテギネアで男爵の地位を保守している。
「でも火を放ったのは二十五年前なら…森が甦るのは早くないか?」
「……肥料になっているのさ。」 カノープスが答える。
何が、とは言われなくともわかる。
レティシアはそれきりしばらく黙っていた。
だがその後ウォーレンはにわかには信じがたい事を静かに続けた。
「この地を治める、カペラという男が森に渦巻く亡霊達を繋ぎ止めているのだ。」
「何の為にそんな事を?」 とギルバルド。
「悪魔が実在すると、貴公らは知っているか?」
「おいおい、御伽噺か?」
肩をすくめるカノープスを無視したままウォーレンは続ける。
「カペラは亡霊達を悪魔に売って強大な魔力を手に入れたのだ。」
「ではウォーレン。カペラを倒せばこの森はどうなる?」
「全ては憶測にすぎませんが、契約者が死んだならば森に繋ぎとめられた魂の解放はなされるのではないでしょうか…。」
「わかった。カペラを討つぞ。」
キッパリと言いきったレティシアに、反対意見が上がる。
「お待ち下さい、その必要はあるのですか?ポグロムを通過せずともゼノビアには行けるはずです。」
「後から襲われる不安要素を潰して行くのに何か問題があるのか?」
レティシアの態度はいつもより頑なで、苛立った感じがあった。
「しかし…。」
「同胞たちが、成仏できず、死の安らぎを得られずに苦しんでいる。それがもし自分の肉親であるなら、どうだ?…自分が関りたくないからどうでもいいか?」
「レティシア殿、彼はそんなつもりで進言したのではない。言い過ぎだろう。」
ランスロットの言葉に、レティシアは眉をひそめた。
「すまない、しかし死者を弄ぶのは許せないんだ。」
「おいギルバルド、今すぐに用意出来る、ワイバーンやグリフォンは何体居る?」
「5匹だ。」
カノープスの問いに、ギルバルドが即答する。
みんなの視線を受けて、カノープスが魅力的に笑った。
「森の中が駄目なら、それなら空を行けばいい。」
U.
カノープスの提案で、ビーストテイマーや魔獣に慣れた者を中心とした編成が組まれた。
「…で、本当にレティシア殿も行くのですか?」
「なんだ、ランスロット。問題あるか?」
じろり、と睨まれてランスロットは眉間を押さえた。
レティシアが提案したメンバーの一つには、ヒュースパイアと仲が良いとの理由でレティシア本人と、クレリックのリュミアとギルフォード。
そしてレティシアが出撃するならば、と決して引かないランスロットと、ミナスシェラスという街で「神秘のメイス」を入手していたカノープスだ。
決まるや否やレティシアが腰に剣を履く。
「出るぞ。」
レティシアは森の霧ですっかり重くなってしまったマントをアルバートに押し付けた。
その後姿を見送って、双子の兄ギルフォードにこそりと小声で言う。
「レッティを頼むね、やっぱり気負っている感じがする。」
「わかった。」
「?」
たまたまそのやりとりを見たランスロットが首を傾げた。
そう言えば、随分とポグロムでは苛立っている。
女性は月に一度苛立つものだ、と先輩の騎士が言っていたがそれとは違う気がする。
そう考えていた最中にレティシアが振り返り、視線が絡んだ。
「な…なんだ!?何かあったのか?」
「いえ、すみません、なんでもありません…。」
突然顔を真っ赤にしたランスロットにレティシアが目を丸くした。
一夜をかけて森を抜け貿易都市マラニオンに到着すると、カベラの居城・ゴヤスは目の前にある。
「ヒュースパイア、ありがとう。疲れたろう?」
グリフォンが甘えたように喉を鳴らし、レティシアに擦り寄った。
「本当に仲がいいんだな。」
「はったりだとでも思っていたか?」
「正直に言うと、そうだ。」
カノープスがからかうが、レティシアはそれに気分を害す事もなくヒュースパイアとじゃれあった。
その様子があまりにも幼いので、自然とみんなの視線も優しくなる。
「…しっかし、本当にいるんだなぁ。悪魔だの亡霊だのって。」
「ああ実際に目にするのは初めてだった。…驚いたよ。」
カノープスの言葉を受けてランスロットが深い溜息をついた。
その2人の脇腹をギルフォードが突付く。
気付いた時にはレティシアの表情は固く変化していた。
だがみんなの視線を受けて、不器用に笑った。
「…水飲んでくる。少しだけ待っていてくれ。」
踵を返したレティシアの後姿に、ヒュースパイアが心細そうに一声鳴いたが、振り返りはしなかった。
「レティシア殿!」
「レッティ様ぁ?」
ランスロットとプルミナが後を追い、そこに残されたカノープスがギルフォードを見た。
「……なんでだ?」
「……。」
ギルフォードが口元を隠した。
レティシアなら気付く、それは言葉少ないギルフォードの「言いたくない」というポーズである。
カノープスはそんな事は知らないので、何度でも問い掛け続ける。
「おい。」
数回そのやり取りが繰り返された後、ギルフォードは重い口を開いた。
「レッティには、帝国に殺された兄がいて…だから…。」
帝国の非道さが間近に見えるのが我慢ならず、この森に囚われた亡霊たちが哀れに思うのだろう。
レティシアの仏頂面の理由の断片を知って、カノープスは翼をすくめた。
周りには、彼女に心酔しきっている者も優しい幼馴染み達もいるというのに。
「…抱え込むタイプなんだな。」
「?」
カノープスの独り言を聞き漏らしたギルフォードが不思議そうに彼を見上げた。
カノープスの身長はギルフォードより頭半分ほども高い。
V.
カペラは赤黒い顔に白髪の老人で、眼窩には異様な光を宿す黄玉が光っている。
その両脇には、召喚したのだろうデーモンを従えていた。
「ポグロムの森をぬけてくるとはなかなかやるな。 しかし、貴様たちはこれ以上進むことはできん。何故ならここで朽ち果てるからだ。」
「カペラ、今すぐ森の魂を解放しろ。そうすれば、命までは取らない…。」
後にいる4人からはレティシアの表情は見えない。
だがその物言いから、すぐに知れるほど怒っている。
付き合いの長いギルフォードですら、今までにこんな猛るレティシアを見た事はなかった。
「黙れ、小娘。偉大なラシュディ様から授かった、わしの魔力であの世へ送ってくれるわッ!!」
「解放する気はないと、そう言っているのか?…そうか。」
カペラがしゃがれた声で呪文を唱えると、足もとの骸が起き上がり顎をカタカタ鳴らした。
それはまるで笑っているかのように見えた。
「うへぇ。」
カペラのまわりを守護するように飛び交うゴーストたちを見て、カノープスが嫌そうにうめく。
森を越える際にも、物理攻撃が効かない奴らには酷くてこずらされていた。
「お前を倒し、森に静寂を!」
レティシアが吼え、仕掛けた。
プルミナの祈りとカノープスの祝福を受けた神秘のメイスによって、死者たちは物言わぬ骸へと還る。
レティシア・ランスロット・ギルフォードは2匹のデーモン、カペラに討ちかかって行く。
自負するだけあって、カペラの魔力は侮れないものがあった。
しかし、レティシアの猛攻に、カペラだけではなくその場にいる全員が驚かされていた。
ランスロットの一撃が、デーモンの胸を深く貫いた。
けたたましい断末魔を吐いて倒れたデーモンの下には紫色の水溜りがみるみる広がって行く。
「小癪な!」
カペラのダーククラウドの詠唱を、レティシアは体当たりをして止めた。
立ち上がったのは、カペラが先である。
「レティシア殿!」
ランスロットがレティシアの大腿に突き立った懐刀を見て顔色を変えた。
「大した事はないッ!」
そんな訳はないのだが、今はまだ気力が肉体を凌駕している。
大腿の懐刀を投げ捨てると、白いスーツが血に染まり始めた。
「死ねッ!」
カペラの声より一瞬早く、レティシアが剣の柄を逆手に持ちかえ、全神経を剣に集中させた。
彼女を中心に風が、静かに、そして激しく渦を巻き始めた。
それは魔法の気配でもなく、一体何が起こるのだろうかと、彼女以外の人間には見当もつかない。
「カペラ、貴様は死者たちを冒涜した。それだけは…私は決して許せないっ!」
レティシアが吼え、剣を大地へ振り降ろした。
カペラへ向かって一直線に大地が裂けて行く。
全身を深く切り刻まれ、断末魔の悲鳴と共に、死者たちをこの地に縛りつけていた魔術師は崩れ落ちた。
その瞬間、森がまばゆい光を放つ。
天へ向かい幾筋もの光が延び、途中でより合わさって消えていく。
心奪われずにおれない美しい光景だった。
だが、ランスロットたちはそれどころではなかった。
同じくカペラが放ったダーククラウドも、レティシアの身体を斬り付けているのだ。
「レティシア殿!」
倒れかけた彼女をランスロットが支える。
「今のは…?」
何が起こったのかが理解出来ずに、ギルフォードが呆然と呟く。
カノープスは、信じられない思いで答えた。
「ソニック・ブーム…。剣の衝撃波だよ。信じらんねぇ…、あの技は…。」
ソニック・ブームは気を溜め、剣を音速で振る事によってそれを放出させる技である。
そして、それは東洋の騎士が技を極めて習得する必殺技と聞いている。
「プルミナ!」
「はい、今すぐヒーリングしますぅ。」
「無理はするな…。」
アンデットたちとの戦いで、プルミナとて疲れているはずである。
レティシアの気遣いはありがたかったが、それゆえプルミナは奮起した。
「高い理想を持った人だった…。あの時私の足がもつれたりしなければ…。…サイノス…。」
ヒーリングの暖かい慈悲の光に照らされながら、レティシアはうわごとの様に言った。
それは、懺悔である。
ランスロットはソニックブームの負荷に耐えきれずに血だらけになった右手を優しく包む。
ランスロットはサイノスが誰かも、その生死すら、あまつさえ人格すら知らない。
だが、傷ついた彼女を慰めてやりたいと心から思った。
「サイノス君は、きっと今の貴方を誇りに思うよ。」
「ランスロット…。」
レティシアは傷が癒されていく事よりも、ランスロットの一言によって心の一部に安らぎを得た。
嬉しくて涙が零れそうになったが、それを堪える。
もう2度と、この森で無念のうめきを聞く事はないだろう。