STAGE3.シャローム地方
T.
「彼は誠実で勇敢な男だった。若くして、ゼノビア王国の魔獣軍団長の地位にあったほどの男ですが、シャロームに帝国が攻め入って程無くして、ほとんど何の抵抗も見せずにハイランドに降りました。」
ウォーレンは言い終えると、目を伏せた。
昔の事を思い出すと、まだ痛みが甦るのかいつもこんな風である。
「軍の中に、シャローム出身の…出来れば当時を知る人はいないか?」
「それなら、ナバールだ。」
ランスロットが答えると彼を呼びに、近くに控えていた兵士をやらせた。
ナバールは屈強な肉体を持つバーサーカーだが今年で五十を数え、反乱軍では年老いた方に入る。
だが、帝国への反乱を夢見て鍛えぬいた身体は、今も現役といって差し支えないものである。
呼ばれてすぐにナバールが参上する。
レティシアがギルバルドの事を聞くと、ナバールは言いにくそうに口篭もりながらも話し始めた。
「このシャロームを治めるギルバルド様はとてもお優しい方だった…。オレの住んでいた街の連中はギルバルド様を『帝国の犬』と呼んでいたが、…しかし、誇り高いギルバルド様が帝国に従うには理由があるはずなんだ!」
「たしかに…ゼノビア騎士団出身の者の中には、ギルバルドを裏切り者として処刑すべきだという者もおります。」
「ウォーレン、よせ。…理由を知っているか?」
「わからない…、だがギルバルド様が我が身惜しさに帝国に尻尾を振るなどありえない!」
ナバールは声を詰まらせた。
「…ありがとう、参考になった。」
「レッティ。ギルバルド様は決して悪い人ではないんだ…、帝国に降った事だって事情があるはずなんだ!」
「ナバール。」
ランスロットの窘めに、ナバールはまだ何かを考える素振りを見せて続けた。
「確か…確か、ギルバルド様が率いた魔獣軍団には『風使い』と異名をとる戦士がいたはずだ。名をカノープス…。彼ならば何かを知っているのではないだろうか?」
「カノープス…。」
「知っているのか、ウォーレン。」
「はい、ギルバルドの親友であった男です。義に溢れ、芯の通った漢でした。もっとも、ゼノビア漢落後は1度も会ったことはありませんが。」
「調べてみよう。」
ナバールの報告を受けて、レティシアはカノープスの捜索を命じた。
本当は自分で探し回りたかったのだが、ウォーレンとランスロットが強くそれを押し止めた為だ。
それを幼なじみの双子に愚痴るものの、「お前は無茶をするからな」と感慨深げに言われ、さらに機嫌を損ねる事となった。
だがバハーワルプルでそれらしい人物を見つけたという報告を受けた途端、彼女は短い書置きを残して姿を消した。
「やられた。」と、うめいたのは彼女の幼馴染み達だった。
「私が行こう。」
「ランスロット様。」
「軽率な行動を控えて頂くための忠告と…あと一つ、カノープスについての情報を報告して来る。」
「…あいつを見失わないようにして下さい。すばしこいので。」
ギルフォードの言葉にランスロットは笑った。
U.
一方、レティシアはグリフォンのヒュースパイアと共に意気揚揚とバハーワルプルを目指している。
ギルバルドについての報告を受けるたび、レティシアの中にギルバルドへの興味が湧いた。
そして同じくその親友であった戦士にも興味は向けられていた。
生来、好奇心旺盛な彼女である。その欲求は反乱軍リーダーという自覚を綺麗に吹き飛ばしてくれた。
バハーワルプルの外にヒュースパイアを待たせて、レティシアは街の人々にカノープスの居場所を問い掛ける。
返ってくる答えは、酒場の名前がほとんどであった。
随分な酒豪のようだ、とレティシアが何気なく通りの向こうに視線を巡らせると、良く見知った顔が歩いているのを見つけ、何故か無意識に頭を引っ込めた。
そそくさとその場を離れようとして鼻面を強かに硬いものに打ち付け、そのまま跳ねかえって後ろに尻餅をついた。
「すまん、見えなかった。」
身長が低いというレティシアの密かなコンプレックスを刺激されて、相手をキッと睨み上げた。
太陽を背にしていて顔がはっきり見えなかったが、その背の翼のシルエットに驚く。
有翼人。
人間に似た身体を持つものの、人間よりも頑健で、寿命も永い。聞いた所によると、三倍程とも言われている。
そして背中には鳥によく似た翼があり、自由に空を駆ける事が出来る。
しかも相手はホークマンと呼ばれる我々がよく目にする有翼人ではなく、燃えるような赤い翼を持った、古代において天空を支配したとも呼ばれるバルタンであった。
「貴方…もしかして風使いカノープス?」
「…そうだがそれがどうかしたか。」
カノープスは眉根を寄せながら答える。
無造作に差し出された手はひどく熱を帯びていて、強いアルコール臭を纏っていると気がついた。
良く見るとその顔と身体は酒によって赤く染め上げられている。
だが無駄な脂肪のない、筋肉が良く発達した四肢や胸は戦士であることの明らかな証拠だ。
「レティシア殿!」
ランスロットの鋭い声でレティシアは振り返った。
そのランスロットの視線がカノープスを見据えてぴたりと動きを止めた。
「カノープス?」
「…何者だ、お前達。何故俺を…」
眉根を寄せてカノープスが言った。
「ゼノビアの城でギルバルドと共に空を駆ける貴方の姿に憧れた事もあった…。」
カノープスの目が険しく二人を睨みつけた。
「ゼノビア…?…………貴様等、野蛮人の集団…、ウワサの反乱軍か。」
「野蛮人とは随分な言い方だが…。」
ランスロットは苦笑したが、レティシアは笑えなかった。
今にも噛み付かんといているのに気付いて、ランスロットがカノープスとの間にさりげなく歩を進めた。
「お前たちは何のために戦っているのだ?名誉のためか?」
「違う、自由の為だ!人間としての自由の為だ!」
レティシアが怒鳴り返した。
道行く人々がその動きを止めて3人を見る。
「おまえたちの自由とはなんだ?階級なき社会のことなのか?誰もが差別なく生活できる社会なんて存在せん。それは理想だ。他人よりも楽になりたい、幸せになりたいと思うからこそ人は生きることが出来るのだ。階級は必要悪だッ!階級があるから人は幸せな生活を、明るい未来を望むのだよ。」
カノープスは随分と饒舌だった。
酒の酔いが彼の舌を滑らかにしていたのかもしれない。
レティシアはカノープスに掴み掛かろうとしてランスロットに押し止められた。
「レティシア殿、止すんだ。」
カノープスは唇を強く噛んだレティシアへ侮蔑に似た笑いを向けて翼を広げた。
「…まあ、いい。俺はすでに戦いをやめた人間だ。大陸を帝国が支配しようと、お前たち反乱軍が支配しようと俺には関係のない事だ…。」
注目を集めてしまっていたランスロットとレティシアは、一旦その場を後にした。
ヒュースパイアの横には、同じくグリフォンのプロメテウスがいる。
「私について来た者もいるので、もう少し待ってもらえないか?間もなく落ち合う時間なので…すぐ来ると思うのだが。」
レティシアはヒュースパイアとプロメテウスの首を何度か撫でた後、ランスロットに向き直った。
「…勝手に飛び出して悪かった。軽率だったと思うし、反省もしている。」
「そう思っていてくれるのなら、次からはないと信じます。」
優しく笑うランスロットに「約束は出来ないかもしれない」などとはさすがにレティシアでも言えなかった。
「それと…さっきは止めてくれて感謝している。」
「いえ。」
「ランスロットがいなければ、多分今頃取っ組み合いで喧嘩真っ最中だった。」
つい想像して、ランスロットは吹き出した。
「すまない。悪気はないんだが…。」
「…お望みならここで実行させてもいいぞ?」
レティシアは右手をぐるぐると回して『やる気』を示した。
「悪いが辞退させてもらうよ。…結構燃え上がる性格なんだな、貴方は。」
ランスロットは荷物の中から小さなオルゴールを取り出した。
蓋を開けると簡単なメロディが流れ出す。
「…それは?」
「私が大切にしている、オルゴールだ。」
「綺麗な音…なんて唄?」
「あ…すまない、歌かどうかはわからないんだ。」
「好きで買った訳ではないのか?」
レティシアの問いにランスロットは答えにくそうに言った。
「妻から貰ったものなんだ。」
「へえランスロット、奥さんいるんだ。」
「もう2〜3年前になるか、病気で先に逝ってしまったよ。」
「…!すまない。」
身体を縮めたレティシアにランスロットは微笑んだまま首を振った。
それから間もなく、ハインドとカーミラが来た。
V.
ハインドとカーミラには2人が無事にいる事、次の目的地に向かった事をウォーレンに伝えるためにプロメテウスに乗ってラワンビンジに戻ってもらい、レティシアとランスロットはヒュースパイアと共にカノープスの妹、ユーリアに会いに行く事にした。
ユーリアがいるという教会は、ギルバルドの城ペシャワールに近い場所であったが、幸い夜の闇が姿を隠してくれたので、楽にその教会の側へ降り立つ事が出来た。
教会の中から微かに音色が聞こえている。
賛美歌とは違う、これは一途な恋の唄だ。
時に引き裂かれた恋人達の悲しいまでに一途な恋の唄だ。
少しだけ開いている扉から中を伺うと、数人のクレリック達に囲まれた中心に有翼人がいた。
天井のステンドグラスから差込む月明かりに照らされ、金糸の髪を彩られている。
その背にはバルタンの証しである赤い翼があった。
だがもしもその翼が白いものであったなら天使と間違うだろうほどに彼女の姿と歌声は美しかった。
彼女の右手に括った鈴が、腕をくねらせる度儚く透明な音を残す。
誰もがその音色に心奪われていた。
ギィ、と錆びた扉の丁番が無粋な音を立てる。
「…どなた?」
ユーリアの唄が途切れた。
「…………ランスロット、席外してくれる?」
「は?しかし…。」
「いいから。」
レティシアは無理にランスロットを扉の外に押し出して残した。
ユーリアの有翼人特有の申し訳程度にしか身体を隠さない衣装が、ランスロットに見せるには何故かレティシアの方が気恥ずかしかった。
「…私の名はレティシア、反乱軍リーダーをしている。外にいるのがランスロットだ。貴方がカノープスの妹御ユーリア?」
レティシアの言葉にクレリック達がざわつく。
「ええそうです。ユーリアです。」
「ギルバルドについて知っていることを教えてもらえないだろうか。」
「…何故ですか?」
「彼ほどの男を無駄死にさせたくない。彼は何か理由があって帝国に従っている、…違うか?」
レティシアは街の噂を総合して導いた結論を正直に言葉にした。
確かに彼を悪く言う者もいたが、それにもまして彼をかばう者が多いのだ。
ユーリアは頷いた。
「貴方を信用します…。この地を治めるギルバルド様と兄カノープスは幼き頃からの親友同士でした。ところが帝国がやって来たとき、最後まで戦おうとする兄と、民のために戦いをやめようとするギルバルド様の間で対立が起き、それ以来2人は仲違いしたままなのです。」
「……。」
「今の皆様なら、ギルバルド様を打ち破ることは簡単な事でしょう。むしろ、ギルバルド様はそれを望んでおられます。ギルバルド様は誇り高き戦士。信念を曲げてまでも帝国に従わねばならなかったご自分を許せないのです。」
ユーリアは自らの細い身体を抱きしめた。
はらはらと落ちる涙に、見ているレティシアの胸も痛んだ。
「兄もそれはわかっているはず。なのに戦士としての誇りがギルバルド様を許せない……。」
身体が震える度にしゃらしゃらと鈴が鳴る。
ユーリアを見ていて、レティシアは一つ気が付いた。
「お願いです。レティシア様。どうか、2人をお救い下さい。」
「…ギルギルドを愛しているの?」
ユーリアははっきりと頷いた。
「わかった。約束する、必ず何とかする。」
言いながら、昼間のカノープスの様子を思い出していた。
次に会った時には喧嘩どころじゃすまないくらいボディ・トークになるのではないだろうかと不安がよぎる。
「ありがとうございます!それではこれを…。」
「羽根?」
ユーリアから受け取った赤い羽根は、バルタンの赤い羽根とはまた違う深紅であった。
光を浴びるとキラキラと輝きを返す。
「『ヒクイドリの羽根』です。これは亡きグラン王が2人に渡されたもの。これを兄に見せれば戦士の誇りを取り戻すはずです。兄にキッカケを……ギルバルド様をお助けするチャンスを与えて下さい。」
「助かった、ありがとう。じゃあまた後で!」
レティシアの背中に、ユーリアは深々と頭を下げた。
教会から出てくるとランスロットが、レティシアの手の『ヒクイドリの羽根』に目を止めた。
「それは…。」
「ランスロット、知っているのか?」
ヒュースパイアが大地を蹴って天空へと踊った。
「詳しい事は知らないのだが…二人の友情を称えて、亡きグラン王が二人に贈ったものだ。」
どちらが持っていても身に余る代物だ、とカノープスの妹に預ける事にでもなったのだろう。
「無二の親友が…互いの心を理解出来ないなんて…あると思うか?」
「さて…。」
レティシアの問いに、ランスロットは無言のまま答えを返した。
W.
「…ペシャワールから煙が上がっている…。」
「何ッ!?馬鹿な、ウォーレン!私を待てと伝わっていないのか!?」
「間に合うとは思えんが…私はこのままペシャワールへ向かおう。レティシア殿は一刻も早く、カノープスを説得して来てくれ。」
「一人では危険だ!」
「しかし、ギルバルドを助けると約束したのだろう?」
「だが…。」
「私ならば大丈夫だ。…カノープスを頼む。」
ランスロットはレティシアの制止を振り切ってペシャワールへ向かった。
「ヒュースパイア、お願いだ、1秒でも早くバハーワルプルに!」
答えるようにして甲高く嘶いたヒュースパイアの首にしがみついて、レティシアは手袋の先を噛んだ。
バハーワルプルでカノープスの家を捜し当てるのはそう手間取らなかった。
乱暴に何度かノックをして返事も待たずにドアを開けると、中では酒瓶を片手にカノープスが不法侵入者を睨み付けていた。
「…何の用だ。」
「今我々の軍がペシャワールを攻めている。ギルバルドが死ぬぞ。」
ぴくりと指先が跳ねたが、すぐに皮肉気に口元を歪め吐き捨てた。
「…俺には関係のない話しだ、あんな…あんな裏切り者の末路など…どうでもいい事だ。」
「裏切り者?裏切ったのはギルバルドだけだとでも言いたげだな。」
カノープスが酔っているとは思えないほどの素早い動きでレティシアに掴み掛かってきた。
胸倉を掴まれ、鼻が触れ合うほど近くにまで引き寄せられる。
その目が怒りで爛々と燃えていた。
「知った口を聞くな……ッ!!」
カノープスは乱暴にレティシアを突き飛ばした。
「お前に何がわかるって言うんだ!…アイツは、ゼノビアを裏切った臆病者だ!!」
「ギルバルドの決断が臆病だと!?」
「そうだ、敵わないと知るや突然帝国に尻尾を振りやがる。俺は…ゼノビアの兵士は死など恐れない!奴がとった行動は今まで死力を尽くして戦ったゼノビアへの愚弄以外の何だと言うのだ!」
堪り兼ねたレティシアがカノープスの左頬に拳を見舞った。
予想外の行動にカノープスは防ぐ事も避ける事も出来ずに、椅子や机を薙ぎ倒して壁に激突した。
「あんたには…。」
口の中にぬるりとした、鉄に似た味が広がる。
「あんたはわかっている筈だっ!ギルバルドの真意を、他ならぬあんたが!わからない筈が無いっ!!」
カノープスは目を見開いて、拳を握ったままのレティシアを見上げていた。
その瞳に光るものを見た気がしたが、うつむいた拍子に前髪が顔を隠してしまったので定かではない。
やがて、息を整えたレティシアがウエスト・ポーチから一枚の深紅の羽根を取り出して、カノープスにかざした。
「それは…。妹に会ったのか。」
カノープスはレティシアの手から、おずおずとその羽根を受け取ると目を閉じた。
カノープスの肩が震えた。
「ああ、俺は…知っていた。…俺とギルバルドは親友だった。終生親友でいようと誓い合った仲だったんだ。だが、強大なゼテギネア軍の前にアイツは信念を捨てて、民のため帝国に仕えることを望んだんだ…。」んだ…。」
レティシアは黙ってただ聞いていた。
だんだんとカノープスの声に、力強さが甦る。
「恨んでなんかいない…。俺にはアイツの気持ちが痛いほど分かる……。ギルバルドを死なせるわけにはいかない…。俺たちはアイツに命を助けられたんだ。……アイツを止めなければ。今度は俺ががギルバルドを救わなければならない…。」
カノープスは勢い良くレティシアを振り返った。
「頼む!オレを反乱軍に…、仲間にしてくれッ!!」
レティシアは頭を下げたカノープスの両耳を掴んで、無理矢理顔を上げさせた。
戸惑うカノープスに微笑み掛けて、
「喜んで仲間に迎えよう、風使い・カノープス。」
レティシアの微笑には確かな安堵が見て取れた。
直接知りもしない人間一人助ける事にこれほど心砕いてくれる事に、カノープスは心から頭が下がる思いだった。
「ありがとう。命あるかぎり反乱軍と共に戦うことを約束するッ。」
「そうと決まればさっさとギルバルドの処へ行こう。」
レティシアは言うなり部屋を飛び出した。
カノープスが声を掛けたのも気付かぬ様子で、外に出ると指笛を吹く。
すぐにグリフォンのヒュースパイアが駆けつける筈である。
だがその時間も惜しいと、レティシアはギルバルドの居城へ向かって走り出した。
「こっちの方が速い。」
その腰を、窓から飛び立ったカノープスが攫った。
「きゃあっ!?」
カノープスのその行動よりも、思いがけない自分の声に驚いて口許を両手で塞ぐ。
それに気付かないふりをしたカノープスが、ニ・三度その茜色の翼をはためかせると、難なく上昇気流を捕まえ、ぐんぐんと高度を上げスピードを付けて、二人はペシャワールへと空を駆けた。
X.
ランスロットは間に合っていた。
しかし、反乱軍の中でも指折りに決起盛んなセルジオの部隊は、ウォーレン並びにランスロット達の制止の声も聞かず、ギルバルドを見つけるや否や交戦に入った。
ギルバルドは二頭のワイアームを従え、威風堂々と反乱軍を迎え入れた。
「なぜ、おまえたち反乱軍は帝国に逆らうのだ?帝国を憎む心はわかる。それは、オレも一緒だ。しかし、オレには一族を守りこのシャロームの平和を維持し続ける役目があるのだ。これ以上、おまえたちがシャロームの平和を乱すならば、戦わねばなるまい。」
ギルバルドの言葉は、苦渋に満ちていた。
だが、セルジオは気にもとめず侮蔑の言葉を投げつけた。
「黙れ、売国奴めっ!帝国に尻尾を振る輩の詭弁なぞ、聞く耳持たん!」
「売国奴か…。」
ギルバルドは口の端をわずかに歪めて呟くと、愛用の鞭を大地に叩きつける。
「さあ、かかってこい!理想を追い求める勇士たちよ!」
「オオッ!」
だがセルジオに、ギルバルドの相手は荷が重過ぎた。
ギルバルドへ一撃も与えられぬまま、二頭のワイアームに手傷を負わせるだけで精一杯である。
続いて、マーナの部隊もセルジオに続く。
マーナの呼んだ雷は、狙いを過たずにギルバルドを撃ち据えた。
ウィザードのガリアンも、ギルバルドを狙う。
「ぐっ…。」
ギルバルドは、呆気なく膝を折った。
実際にはダメージとしてはそんなに深刻な訳ではない。
ただ、明日を切り開かんが為、向かってくる反乱軍達の目に映る事が苦痛だった。
そうして過去の幸せだった頃の思い出が胸を過った。
親友との出会い、尊敬すべき国王への初めての謁見、魔獣軍団長への昇進、恋人との語らい…。
その頃の自分は彼らのような瞳をしていたはずだ。
「オレは間違っていたのか………。 戦わぬことが一族のためにこの世界のために一番良いと考えていた……。 しかし、そうやって得た平和は見せかけの平和にすぎぬ。ただの虚像なのだ。苦しむ人々の姿がオレにも見える…。」
ギルバルドは、力無く頭を垂れた。
「止めを…さしてくれ。」
その時、空から雄々しい羽ばたきが聞こえた。
ギルバルドは耳を疑いつつ、その羽音の主を振り仰いだ。
二十余年、その姿を見る事も声を聞くことも無かった唯一人の親友カノープス。
信じられない思いで、その名前を口にした。
「カノープス!お前…。」
「久しぶりだな。ギルバルド。」
カノープスは抱いていたレティシアを降ろした。
そして、大声で弁護を始める。
「ギルバルドは好きで帝国のいいなりになったわけじゃないんだ。ギルバルドの立場をわかってやってくれ!」
突然の出現と突拍子の無い言葉に、皆が不信感の残る目で、カノープス達を睨みつけた。
カノープスは突然、大地に膝をつき額を擦り付ける。
「カノープス!やめろ、そんな事をするな!」
ギルバルドは慌ててカノープスを起きあがらせようとしたが、カノープスは断固として土下座をやめようとはしなかった。
「カノープス!」
「いいんだ、お前をここで死なせる訳にはいかん!その為なら…俺の命と引換でも構うものか。」
「カノープス…。」
ギルバルドは声を詰まらせた。
どよめく兵士達を眺めて、ここで始めて、カノープスの傍らに黙って立っていたレティシアが動いた。
剣を抜き、それを片手で高々と頭上に掲げた。
皆の目が、カノープスを離れレティシアに集まる。
「ギルバルドは、確かに帝国に屈した。だけどそれは一人でも多くの命を助ける為だ。その為に彼は汚名を甘んじて受け、二十五年もの間、自らを焼く悔恨と無力さと戦っていた。」
レティシアに見つめられたセルジオが、所在無げに身動ぎをする。
「十分、彼は苦しんだ。」
剣を納めると、ウォーレンが進み出る。
思いがけず旧知に出会い、ギルバルドとカノープスは目を見開いた。
「ギルバルド、貴殿の死に場所はここではあるまい。今一度、我々と共に立ち上がろうではないか。」
「……このオレを許してくれるというのか…。」
ギルバルドの顔からは驚愕の表情のままウォーレンを、レティシアを、反乱軍兵士達を、カノープスを見た。
ギルバルドは泣いた。
「レティシアだ。よろしく頼む、ギルバルド。」
「…ありがとう。オレの命をレティシア殿、貴方に預けるとしよう。この命の尽きるまで、共に戦うことを約束するッ!」
風使いカノープス、魔獣使いギルバルド。
両名は二十五年の歳月を経て、再び戦士としての鬨の声を上げた。