T.


揺れる馬車の中で、レティシアは意識を取り戻した。

開いた瞼が再び閉じたがっているのを叱咤しながらレティシアは身体を起こそうとするが、痛みに顔が歪むだけだった。

「……ここ…は…?」

掠れながらも声は出たのだが、答えはなかった。

寂しさに襲われて再び身体を動かそうとするが、一体幾日眠っていたのか、全く身体が言う事を聞かない。

だが耳をすませば蹄の音や土を蹴って歩く音、そして笑い声が遠くから聞こえてくる。

あれ?とレティシアは思った。

雰囲気がいつものようにピリピリしていない。

たくさんの犠牲を出した戦いの最中に、こんな穏やかな声が聞けるなんて。

そうだ、自分はその最中にどうしてこんなにぐっすり眠っていたんだ?

レティシアは最後の記憶を引っ張り出そうと悪戦苦闘する。

頭の中がぼうっとして上手く考えがまとまらない。

そうしているうちに、馬車の扉を開けて誰かが車内に入って来た。

明るい日差しにレティシアは目を焼かれたように顔を背ける。

それを見て、入って来た誰かは慌てて扉を閉めた。

「ごめん、気が付いていたんだな。」

声で幼馴染みの片割れだとわかると、レティシアは安堵した。

「アル…ここは、どこだ?」

「ゼノビアへの凱旋途中だよ。お疲れさま、レッティ。」

「凱旋…ああ、そうか…。」

レティシアはやっと考えに至り、ディアブロから脱出した後、ランスロットに抱き留められている場面を思い出す。

何故生きていたのだろうか、誰が助けてくれたのか、考えれば考える程レティシアは不思議でたまらなかった。

アルバートはそれからしばらくレティシアの傍に付いていたが、彼女が眠りにつくとそっと馬車を出ていった。

レティシアの意識が戻ったと聞いて彼女を一目でも見たいと、見舞いの希望者は後を絶たなかったが、アイーシャが頑としてそれを断り続け、当人も自分の体力がほとんど空になっている事を自覚していたので、大人しくアイーシャに従う事する。

数日してレティシアが回復してくるにつれ、身体を起こせるようになって馬車の窓から外を眺めた。

懐かしいゼノビアの暖かい風が頬をくすぐる。

しばらくすると今までの事は長い夢を見ていたような気持ちになって、レティシアはまた傷を癒す眠りにつくのだった。




反乱軍は堂々と歓呼の声に送られてゼノビア城へ入城した。

この頃には、ゼノビア城は反乱軍(現在の呼称はゼノビア解放軍となったのだが)の勝利を祝い、国財や寄付金をもって城などに刻まれた戦の爪痕を消す作業に昼夜を徹し、その姿を以前のような白亜の城へと変えていた。

歓呼に応え、笑顔で手を振りながら凱旋の先頭をかざるのはもちろんゼノビアの皇子トリスタンである。

その威風堂々な姿を見て、それまで虐げられ続けていたゼノビアの旧臣や国民たちは、これから先の未来は誰にも等しく明るいのだと信じ、声の限りで祝福を繰り返していた。

トリスタンはゼノビア城のバルコニーから城下を埋め尽くす群衆を眺め、とうとう自分の悲願が叶った事を確認する。

城内には次々と祝いの品々がゼノビア城に届けられ、軍隊を保持する為に穿った国財の穴を、既に7割を埋める程の勢いだった。

トリスタンは数日後に控えた戴冠式と同時に、ゼノビアからハイランドまでの領地を得て一つの国とする事を発表し、王都をゼノビアに戻してその名を『新生ゼノビア王国』とする旨を伝える。

各国に王族の血を継ぐ者が残っていない事、そして自力で復興する力がない事が要因であった。

時に、日々を忙しく過ごすトリスタンと対照にレティシアは傷を癒す休息の微睡みの中にまだ居る。

心配はしていても彼女に会う時間が全く取れずに、近い日に自分の妻となるラウニィーから彼女の詳細を聞くだけだ。

ランスロットやウォーレン、そしてカノープスなど、新しくゼノビアを担う事になる要人等も同様で、トリスタンのもとで忙しく日々を奔走している。

トリスタンと同様に彼らもレティシアを心配していた。

だが戴冠式が終われば、その後は大宴である。

その頃にはレティシアも人の中に入れる程に回復し、姿を見る事も話す事も出来るだろうと、それだけが慰めだった。



U.

戴冠式前日、ランスロットは予想外の人に呼び出された。

戦の功労者の一人であるランスロットには式典用にあつらえられた鎧が給付されているので、婦人や貴人たちのように衣装選定にかかる時間はほとんど無い。

呼び出した者はそれを知ってか知らずなのかは定かではないが、戴冠式前日は唯一ランスロットに時間の余裕があったのである。

呼び出された場所は教会であった。

そこにはいつも敬虔な信者がいるものだが、彼、彼女らも明日の戴冠を控えて姿を消しているのだろうか。

教会周辺のみならず、扉の中にも誰の姿を見つける事は出来なかった。

「もう来てくれたのか。」

中央の白い大理石造りの通路の先、ステンドグラスが落とす極彩に染められた祭壇の前に、彼女は立っていた。

真っ白な服を着ていたので、見方を変えれば華やかなドレス姿にも見えた。

しかしランスロットには、その姿はいやに神々しく見える。

その背に実は純白の羽根があって、今にも天に昇らなければならないと打ち明けられても、納得はしても驚きはしないだろうと思った。

ランスロットと視線が合うと、レティシアは気を許した者にだけ許された笑顔で微笑む。

扉近くからそれを眺めていたランスロットもやがてレティシアの傍へと歩み寄った。

言葉は無くても無限の言葉を交わしているかのように、二人はじっと見つめ合う。

万感の想いがそこにあった。

ゆっくりとランスロットの腕がレティシアの背を抱き、レティシアもそれに答えるようにランスロットの胸に頭を預ける。

自分の全てを受け止めて支えると誓ってくれた騎士。

ただひたすらに一途な想いを貫いた女傑。

暖かいこの温もりを得る為に何度傷つけあった事か。

しかし二人は互いに、相手以上に大切なものがこの世に存在する事を知っている。

全てを投げ出して二人だけの世界へ行くには、二人が背負うものは重すぎるのだ。

「…ランスロット、私は明日この国を去る。」

「………それは…急だな…。」

眉をひそめても、驚いてはいないランスロットへ寂しそうな笑顔を浮かべる。

「やはりね…。察しのいい貴方の事だから、きっと薄々感付いていていると思っていた。」

「私はゼノビアの騎士だ…。君については行けない。」

「分かっている、一人で行くよ。」

「でも、君を離しがたい。」

「……。」

ランスロットは彼女を逃がすまいとするように、腕に力を込めた。

凶暴な想いが、どんな事をしてでもレティシアをここに繋ぎ止めろと叫ぶ。

離したくない。 どうして離せるだろう。

だが行かせるべきだと、わかっている。

わかってはいたが、納得出来なかった。

ランスロットとて、トリスタンを王に望む者と革命の英雄を王に望む者の、その派閥が水面下で活発化している事を知っていた。

例え彼女にその気がなくとも、周囲が国の為と先走り血を流す事もある。

人は後悔する生き物なのだから。

例え無事に革命が成功してもレティシアの居場所はもう新しいゼノビアには無いのだと、いつからか思い知らされていた。

理不尽だと思う。

しかし、彼女がゼノビアの団結に楔を打ち込むただひとつの存在である事は明らかであった。

「私は…騎士だ…。」

「わかっているよ、ランスロット。」

心が二つに裂けそうな程悲しいのは二人共同じだった。

レティシアだって別れずにすむ方法があるのなら、そうしたいと思う。

けれどこの国にランスロットは必要で、レティシアはいてはいけないのだ。

ランスロットは更に腕に力を込め、レティシアの身体を折れんばかりに抱きしめる。

そうしないと不安で正気を失いそうだった。

「私は、ローディスに行く。…エンドラと約束したんだ。」

きつく抱きしめられて苦しそうな表情の下でレティシアが囁いた。

「エンドラ…?ゼテギネアの、エンドラとか?」

「そうだ。今際の際に国の行く末を頼むと私に頼んで逝った。」

ランスロットは腕を緩め、レティシアの双眸を覗き込んだ。

息をついたレティシアは、つい先日エンドラに刻まれた爪痕を撫でる。

かつてハイランドの女王エンドラは、北の強国ローディスからの脅威に晒され、ゼノビア、ホーライ、ドヌーブ、オファイスの4王国からの助力を絶たれ、民を守る為に選択の余地無く暗黒道に身を沈めた人である。

それは正しい事ではなかったが、エンドラにはそれ以外の道がなかった事も確かだった。

レティシアはそれを哀れと思った。

だから死にゆくエンドラに国の行く末を頼まれた時にそれを拒む事を考えもせずに、約束をしたのだ。

調べてみれば、ローディスは確かにゼテギネア大陸を植民地にするべく虎視眈々としている。 ここでローディスを牽制しておく事は、ゆくゆくはゼノビアの繁栄にも影響をもたらすだろう。

「だから、ちょっとばかりローディスに出かけてくるよ。」

まるで近くに買い物にでも行くような気楽な口振りに、ランスロットは眉根を寄せた。

ローディスに行く事がそう簡単なことではないことを、他でもない彼女本人が良くわかっているだろうに。

「…一緒に行けたらどんなに…。」

言っても詮方ない事をランスロットは苦渋の表情で繰り返した。

「ローディスに何年くらい留まる事になるか、まだわからない。1年か2年、もしかしたらもっとかも知れないな。…ランスロット、その間貴方はここに留まれない私の代わりに、ゼノビアの為に持てる力を余さず注ぎ、殿下に仕えていて欲しい。」

「それは…言われるまでもない。もちろんだ。」

「国を愛し、国を預けるに足りる人材を育てろ。自分にとってかわるほどの人材を。」

「…レティシア、一体何を言いたいのだ?」

真意を測りかねたランスロットが訝しそうに訪ねる。

「今私たちはゼノビアの為に、共に行く事は出来ない。少なくとも今はランスロットはゼノビアを離れてはならない。だから、少しばかりゼノビアに『預けて』おく。」

「預けて…何?」

「ランスロットは私と共に行くんだ。」

きっぱりと言い切るその表情にぞくりとした。 否応なく惹き付けられる。

「私はエンドラとの約束を果たしたなら、何処にいても必ずランスロットを迎えに行く。いい?何処にいても必ずだ。遥か遠くの大地にいても、死者の国だろうと必ず迎えに行く。全てを終えた私には、貴方こそがこの世の全てなのだから。」

ランスロットの目が見開かれる。

強い意志を照り返す様にレティシアの翡翠の双眸がキラキラと光を放っていた。

「ローディスから私が戻る頃にはきっと、ゼノビアは、貴方の手を放れても大丈夫な程に成長して安定しているだろう。そうしたら私は貴方の都合なんて聞かない。嫌だと駄々をこねても知ったものか、絶対に連れて行くぞ!」

どうだ、と言わんばかりの強気な態度に、ランスロットは困った笑顔を浮かべた。

清々しく甘い敗北感が胸に広がる。

だがそれは決して悪くないから始末に困る。

「そうだな…。」

ランスロットは一度瞳を閉じる。

ゼノビア騎士として半生以上歩いてきた道、これから歩む数年。

騎士として、自分が必要のない時が来るというのは、それは自分が今までに賭けてきた人生への意味を失う事と同じではないのか?

そう思うと返事をする事にはとてつもない恐怖がある。

レティシアは黙してランスロットの答えを待った。

もしも彼が自分よりも騎士としての生を望むのならば、笑って送ろうと心に決めていた。

しかし、やがてランスロットは再びゆっくりと瞼をあげる。

そこには全ての迷いを捨てて澄んだ瞳が、穏やかにレティシアの姿を映し、微笑んでいた。

「…君が戻るまでに私はゼノビアの為に出来る全てを尽くそう。 そうして私が必要なくなったゼノビアを、君と一緒に出て行こう。」

ランスロットの言葉が終わるやいなや、レティシアは彼に飛びついた。

思うがままにきつく抱きしめ、瞳を閉じてその温もりの一片も忘れまいと心に刻みつける。

ランスロットも同じように強く抱きしめた。

それは、別れる事を嘆く未練がましい抱擁ではなく、互いに雄々しく飛び立つ為の力を与える為の抱擁だった。

二人を繋ぐ愛と未来への約束という絆、それが確かならば何を恐れる事があるだろう。



「…そう言えば、ランスロット。」

「うん?」

「今はもう私の事を呼び捨ててくれているんだな。」

今までは尊称を決して外す事がなかったランスロットが、気がつけば『レティシア』と呼んでいる事に、遅まきながら気がついて素直にそれについて口にした。

ランスロットは苦笑いを浮かべる。

「ああ、それは、尊称を取って呼んだ時に、自分の想いに抑えが効かなくなるのが怖かったんだ。」

君が思っているほど我慢強い性格じゃないのだよ、とランスロットは付け足した。

ランスロットの言葉にレティシアは顔を真っ赤に染めてうつむく。

「だが今はもう、抑える必要がない。」

「……。」

レティシアは無数に落ちてくるランスロットの口付けを受け止めながら、壊れそうな心臓の鼓動に喘ぐばかりだった。



V.

翌日。

つつがなく厳かに戴冠式は行われた。

前王グラン・ゼノビアを凌ぐかのような威厳に満ちた新王は、三種の神器を用い、戴冠式の最後にこの日の為にあつらえた王冠を頭上に頂く事でその地位を確固たるものに変える。

その姿を見て滂沱の涙を流す旧臣も少なくはなかった。

トリスタンが全員の視線を受けて労いの言葉をかけ、最後に片手をあげると、堰を切ったような歓声が巻き起こる。

更にラウニィーを隣りに招き、皆に向かって妃とする事を発表した。

若き王と美しい王妃に民衆は惜しみない喝采を送り、戦友たちも自分事のように笑顔で祝福する。

やがて勝利を祝い大宴が開かれ、宴はいつ止むとも知れぬ熱気に包まれていた。

…だが、大戦の一番の殊勲者であるはずのレティシアは、怪我を理由にその場に同席していなかった。



反乱軍(現在の呼称はゼノビア解放軍となった)の凱旋を前に有志で整えられた庭には、煌びやかな広間からの歓声が僅かに聞こえるのみだった。

静かに月の光を浴びて涼風にそよいでいる花々が、時折打ち上がる花火に照らされて濃い影を落とす。

軽装で誰かを待っているレティシアは、ある者は美しさを競い、ある者は功を競いあう平和な戦争を遠くに眺めて微笑んでいた。

剥き出された腕にはエンドラの爪痕がくっきりと残っている。

「待たせたわね。」

長身の美女フェンリルはいつものように蒼い鎧を着込んでいた。

レティシアの前に進み、フェンリルは拳を開いた。

そこにあった猫の目に似た宝石が、月の光を借りずに自ら光り輝いている。

「…この宝石はあまりにも恨みの血を飲んでいて、今のままではユーシス様の手を傷つけてしまう。」

握りしめていたフェンリルの手の平から赤黒い煙が上っていた。

レティシアは彼女の指示通り十二使徒の証を両手に用意している。

「聖なる父よ、その御力を…。」

フェンリルの囁きに宝石たちは一斉に淡い光を放った。

「神に仕える十二使徒の第一の証。"支配"を司る神秘の宝石ブラックアゲート。」

「神に仕える十二使徒の第二の証。"神聖"を司る神秘の宝石イエローベリル。」

「神に仕える十二使徒の第三の証。"平和"を司る神秘の宝石ラピスラズリ。」

「神に仕える十二使徒の第四の証。"聖戦"を司る神秘の宝石レッドアンバー。」

「神に仕える十二使徒の五第の証。"聖母"を司る神秘の宝石クロスストーン。」

「神に仕える十二使徒の第六の証。"統治"を司る神秘の宝石オニックス。」

「神に仕える十二使徒の第七の証。"栄光"を司る神秘の宝石ターコイズ。」

「神に仕える十二使徒の第八の証。"知性"を司る神秘の宝石マラカイト。」

「神に仕える十二使徒の第九の証。"勝利"を司る神秘の宝石サードニックス。」

「神に仕える十二使徒の第十の証。"慈愛"を司る神秘の宝石アメシスト。」

「神に仕える十二使徒の第十一の証。"栄華"を司る神秘の宝石カーバンクル。」

「神に仕える十二使徒の第十二の証。"王者"を司る神秘の宝石ブディッサイ。」

レティシアとフェンリルが交互に宝石を呼ぶと呼応するように宝石が強い光を放ち、空中に円を描いて浮遊する。

その円の中心にフェンリルはキャターズアイを掲げた。

「神に仕える十二使徒の十二の証たちよ。裏切りの使徒の証、"破壊"を司る神秘の宝石キャターズアイの力を封じよ。」

キャターズアイへ光が収束していく。

煌めいていたキャターズアイはやがてその光の中で輝きを失ってしまった。

その儀式が終わっても、フェンリルはしばらくの間空を眺めていた。

やがてぽつりと呟く。

「…これで、お終い。」

うつむいた拍子に薄い碧色の髪がぱさりと表情を隠すように覆い被さった。

持参の小袋に十二使徒の証と裏切りの使徒の証である宝石たちを仕舞って、レティシアはフェンリルが再び顔を上げるのを待った。

感極まっているのか、フェンリルの肩が細かく震えている。

顔を上げた瞬間、レティシアはそのあまりの美しさにぎくりとした。

この輝きの前には男も女も同様に目を奪われる事だろう。

一対の宝石に似た綺麗な瞳は潤み、更に輝きを倍増させていた。

フェンリルはレティシアの手を固く握って

「…レティシア、ありがとう。私の選択は間違っていなかったと証明してくれてありがとう。」

フェンリルの選択。

それは聖なる父フィラーハの言いつけに逆らい天の助力を受けられるようにと聖剣ブリュンヒルドを地上に残した事である。

結果としてブリュンヒルドを持った勇者が現れるまでフェンリルはオルガナに幽閉される事になった。

スルストもフォーゲルもそれぞれの真意はわからないがフィラーハに従った中、フェンリルだけが人間の善性を信じると罪を犯したのであった。

全てに絶望するのには十分な時の長さの中、やっとレティシアの訪れによってフェンリルの想いは報われた。

「…貴女で良かった!」

共にあるうちにフェンリルはレティシアの人柄をも含めて好きになっていた。

優しい性根が戦場では仇となるこの世界で、幾度彼女は打ちのめされただろう。

だけど彼女はやり遂げた。 それは尊敬に値した。

「さ、皆が待ちくたびれてしまう。行きましょう。」

フェンリルは、感謝されて頬を赤らめて恥じ入るレティシアの頬に優しいキスを贈ると、宴に誘った。

レティシアはその場に足を留めたままにっこりと微笑む。

それだけでフェンリルは気付いてしまった。

レティシアから宝石の小袋を受け取って一瞬哀しそうな笑顔を浮かべた。

「本当はね、私は貴女に是非天空の騎士の一人になって欲しかったのよ。」

「光栄ですけれど辞退します。私にはその人を失った先は一秒たりとも生きていたくないと思うほど好きな人がいるんです。」

「あらあらハッキリ言うのね。」

「おかげ様でもう三騎士様方や天使長様にはバレバレですからもう恥ずかしくも何とも。」

くすくすと笑いあいながら、すぐに訪れる永い別れに切なさが込み上げてくる。

「…先に行くわね。」

「はい。」

レティシアに背を向けてフェンリルは祈った。

「願わくば聖なる父よ、彼女の行く道にご加護を…。」



W.

宴の席に戻る廊下を歩くフェンリルに真っ先に声をかけたのは伊達男スルストだった。

「Oh、フェンリルさん〜。…あれ?どうしましター? あまり浮かない顔デスネ。」

「そうかしら。」

「毎日アナタに気付いて欲しくて見つめているミーの目に間違いはありませんヨ。」

「……ちょっと気になる事があるのよ。」

「ユーの心配事とはラシュディの事デスネ…?」

「あら、冴えてるじゃない。スルスト、貴方軽いだけじゃなかったのね。」

「フェンリルさんひどいデース!ミーをそんな目で…ッ!」

大げさに傷ついたアピールをすると、それで気が済んだか、けろりとフェンリルに向き直った。

「…最後の決戦であいつは、自分達が負けることを、まるで運命のように言っていたわ…。そう…、まるで自分が死ぬことを知っていたみたい…。」

「では、ラシュディが復活するとでも思っているのデスカ?HAHA。それはユーの考えすぎ。大体、アイツは自分の魂を暗黒神のイケニエにした男。」

スルストの言葉はもっともである。

二度とラシュディの魂はこの世に甦らない筈なのに、どうしてこうも暗澹たる気持ちがぬぐえないのだろうか。

我々よりも卓越した知性と暗黒の魔力で、彼はどこまで先を見据えていたのか?

フェンリルが考え込むうちに、綺麗に着飾った女の子が数人笑いあいながら広間の方へ去っていく。

その姿を見送って、今日くらいは考えずにいても良いのかも知れないと思い直した。

「…そうね。心配しすぎよね。私ってば、暗い女だわ。」

「NO!NO!そんなことはありまセンヨ!」

フェンリルの言葉に驚いてスルストは慌てて否定した。

そして恭しく片手を取ると宴の方へ手を広げる。

「さあ、広間でワタシとイッショにワインでも飲みまセンカ?ネ」

「後でね。私はユーシス様に用事があるの。」

「ご一緒しまショウ。」

「結構よ。」

ぴしゃりと言い放つとスルストにはそれきりもう一瞥もくれずにユーシスのもとへと歩く。

ユーシスはフォーゲルと共にバルコニー近くの壁の華となっていた。

「ユーシス様、レティシアから貴女へ。」

「彼女は…?」

「…まだ彼女の戦いは終わっていない様ですよ。」

「そうですか…。」

「フ、やはりレクサールが愛する娘だな。」

「何よそれは?」

「自分が出来る事、やらねばならない事をしっかりと把握していると言う事だ。おそらく、レクサールが生きていれば同じ行動を取ったろうよ。」

フォーゲルの誇らしげな声にフェンリルは内心嫌な思いを抱いた。

その決断までにあった彼女の葛藤を思えばこそ、そんな言葉で片づけて欲しくない。

「フェンリルさ〜ん、ミーはココに居ますよー

「………。」

いやに陽気なスルストの声に振り返ると、ワイングラスを二つ、高く掲げている。

仕方ない、と肩をすくめてフェンリルはスルストの所へと去っていった。

彼女がスルストとやり合うのを遠目に見ながら

「しかし、レティシアめ。行くのならば一言くらい別れを言わせてもらいたいものだ…。」

フォーゲルの竜頭が悲しそうにうつむく。

彼としてもレティシアをいたく気に入っていたのだ。

それを聞いたユーシスがくすくすと笑う。

「何です?」

「いえ、貴方は言葉が足りない方だと思いまして。お顔の事もありますから、スルスト様くらい言葉にマメになられて丁度良いのではないでしょうか?」

「オレがスルストの様に!?」

スルストの口調でフェンリルに話しかける自分を想像する。

「…いや、フェンリルの気苦労を思えば、それはやめておいた方が良いだろう…。」

「そうでしょうね。」

談笑に区切りをつけてユーシスはフェンリルから受け取った宝石を感慨深げに眺めはじめた。

その視線を追う様にフォーゲルもキャターズアイを横から眺める。

「…やっと終わったのですね。これで天空へ戻ることが出来ます…。」

ユーシスにとって地上は悔恨と悲劇の場所だった。

レティシアの計らいで、契約したとはいえ戦場にはそう多くは出撃せずにすんでいたが、傷つけあう者たちを見ていると心が軋んで痛んでいた。

それ故に天に帰る日をどんなに待ち望んだ事か。

フォーゲルはユーシスの胸の内を知らず、牙を剥いて眼光を優しくした。(微笑んだらしい)

「あなたは立派な天使長になられた。聖なる父もお喜びだろう。」

「…しかし、私は姉さんを助けることができなかったわ。」

ミザールは聖なる父に愛されていた。

その心に報いる為にもつれて帰りたかったのに、何故かミザールはユーシスの手を拒んで死を選んでしまった。

愛していた姉とその姉への心とを失って以来、ユーシスはぽっかりと空いた穴を埋める事が出来ず、思い悩んでいる。

今でもミザールがどうしてラシュディの為に聖なる父を裏切ったのかがわからないのだ。

そしてその心を理解しない事を願うという姉の真意もわからないまま、ただミザールを思っていた。

フォーゲルはその頃まだ反乱軍には属していなかった為、事を知らないが、スルストやレティシアから話は聞いていた。

聞いて、ミザールは人間になってしまったと、フォーゲルは素直にそう思った。

もともとは人であった三騎士は人間に近い。 だからミザールの気持ちが理解出来る。

それは天使にはない感情であった筈の『執着の愛』。

何故ミザールだけがそれに目覚めてしまったのかは判らないが、ミザールが言う様にユーシスまでがそれを理解してしまったら、聖なる父以外に強く愛する人を見つけてしまったら、おそらくは『天使』ではいられなくなる。

「…ミザールは死に場所を探していたのだろう。おそらくは死を望んでいたのだ。我々は皆、聖なる父の子。あなたの姉さんは、死してやっと天へ帰ることができたのだ。」

「…そうであればどんなに嬉しい事でしょう。…いいえ、きっとそうだわ。聖なる父は私たちをお見捨てにはなられない…。…ミザール姉さん…。」

涙を零したユーシスにフォーゲルは顔からは想像もつかない程優しい声を出した。

「さあ、そんなに悲しむ事はない。今夜は下界の新たな旅立ちの日。我々の仕事は、まだまだ続くのだ。下界に真の平和をもたらすまで…。」




ウォーレンから杯を受け取ったランスロットは、彼には珍しく酒が進んでいるようだった。

頬は紅潮し、いささか陽気にさえなっている。

杯をうち鳴らし、たわいない談笑に笑いあっていると、広間の中の人混みを泳ぐ様に双子たちが頭を巡らして誰かを捜していた。

それに気付いたランスロットが二人に声をかける。

「どうした、ダンスの相手でも探しているのか?」

「酔ってますね、ランスロット様。そりゃあオレは、ダンスを踊らせれば一流ですからそう言われるのは仕方ないんですが。」

「それは頼もしいな。」

「また次の機会までにでもお教えしましょうか?」

アルバートはランスロットに上下関係を結びつつも仲が良い。

砕けた言葉にジロリと厳しい視線を向けたギルフォードに対し、アルバートは兄そっくりな顔で肩をすくめた。

「失礼しました。自分たちが探しているのは…」

「赤毛の跳ねっ返り娘ですよ。」

「レティシアか。」

「そうそう、知りません?てっきりあいつも着飾ってお姫様方に埋もれていると思ったんですけど、いないみたいで。」

何も知らされていないのだな、とランスロットは二人を不憫に思ったが、上手く誤魔化してしまう事にした。

二人はランスロットが知らないと言うとすぐにその場を離れ、煌びやかな広間から消えてしまった。

「ふむ…、仕方ないと思うても彼らは初めからレティシアと共にいた者たち。ちと可哀想な気が致しますな。」

三人が話す間、じっと黙っていたウォーレンが言う。

「気付いておられたか。」

「姿が見えないと言う事はそういう事なのでしょう。」

ランスロットは苦笑いを浮かべると、窓から月を見上げた。

旅立ちの際のあの日も、こんな月夜だった気がする。

ランスロットは数ヶ月前の出会いに心を馳せた。

ウォーレンの予言が的中し、彼女が現れた事。 絶対の力で人を惹き付けて離さず、敵の中からも彼女に心酔し反乱軍と命運を共にし、天に祝福を受け、勇者と呼ばれ、聖剣ブリュンヒルドを駆る彼女の炎に似た勇ましさ。 時折見せた少女めいた純情さ。 そして…。

ランスロットはそこで思考を止める。

「ウォーレン、…ついに我々はグラン王の仇をとる事が出来たのだな。」

夢か現実かを確認するようなランスロットの言葉にウォーレンは頷いた。

「全てはレティシアのおかげ。」

「ああ、そうだ。彼女がいたからこそ我々はこうして祖国の地を晴れ晴れしく踏めるのだ。」

それからランスロットは声を潜めて唸った。

「…だというのに、彼女が身を置く場所がこの国にはもうないとは皮肉なものだな…。」

酒というものは時に、当人が意識していないくらい深い底にあって澱んでいるものを吐き出させる。

いつもの彼を知るものならば彼の心の奥底にこんな苦悩があるとは思いもしない事だろう。

ウォーレンも些か面食らうが、その気持ちはわからなくもない。

「言いたい事はわかりますが控えなさい、ランスロット。」

「わかっている。殿下は大陸を治めるに相応しい御方だ。何の不満があろうか。」

ぐっと杯をあおって、ランスロットは暫く黙り込む。

「もし…私が騎士でなければレティシア殿についていくのだがな。」

もちろん、ゼノビアの騎士として人生の大半を生きてきた彼にそんな生き方が出来るとは思えない。

だが、そんな夢想を抱いてしまうほどレティシアが彼にとって大事な人だった事が伺える。

そして彼が唯一彼女の生還を信じ抜いた絆もそこにあるのだと思われた。

「…ここは、めでたい宴の席…。聞かなかった事にしましょうぞ。」

「うむ…そうだな。ハハ…少し酔ったようだ。」

ランスロットは空になった杯を窓縁に置くと、酔いを醒ますと言ってウォーレンと別れ、たった一人、月光に照らされながら外を歩いた。



同時刻、月に照らされて佇む男がいた。

月が落とす影には大きな翼がある。

今宵の栄光の夜に、一人胸を張って城を後にしようとする男を、彼は壁に背をもたせかけながら待っていた。

彼の待ち人は、カノープスの姿を見つけてほんの少し足を鈍らせたがすぐに歩き出す。

互いの顔が月明かりの中でもハッキリと見えるほど近づくと、やっと言葉を放った。

「別れも言わせない気か、この薄情者め。」

お前の考えなどお見通しだ、とカノープスは口の端を吊り上げる。

「また会う事もある。今生の別れではない。」

「そんな事ぁわかってるよ。だが、寂しくなる。」

「何だ、今夜は随分としおらしいのだな。いつもなら清々するといっている所だが?」

「抜かせ。」

不意に笑顔だったカノープスから笑みが消える。

つられる様にギルバルドも至極真面目な顔になった。

「…一人で旅立つのか、ギルバルド。」

「ああ、オレの役目は終わったのだ。これからはお前達の時代だ。」

「わかっている。だがギルバルド、ユーリアを…あいつをどうする…?あいつは、お前の事を…。」

「バカな…。民のためとはいえ、一度はゼノビアを裏切った男だ。ユーリアを幸せにできるはずもなかろう。このまま行かせてくれ。」

ギルバルドは頭を振る。

激動の時代にあって、おそらくはユーリアだけが変わらずにいただろう。

だがしかしギルバルドもカノープスも変わってしまった。

彼らの青春は25年前にラシュディの凶行で突然失われた。

幸せだと思えた時代は思い出の中にあって、今も変わらず輝いているが、再び手に入れられない天上の星のようなものだった。

ユーリアの事も、彼にとってはその思い出の一つである。

「…しかし、それでは…。それに俺は…これから…。」

「…笑え。笑えよ、カノープス。笑顔でオレを見送ってくれ。」

カノープスははっとして一瞬うつむき、表情を変えると、逞しい笑顔でギルバルドに手を差し出した。

「…そうだな、すまなかった。必ず戻って来いよ。」

「ああ…、殿下を頼んだぞ。いつかどこかで、また会おう。」

交わした固い握手を最後に二人は別れた。

妹の為にも思い止まって欲しいと思ったが、ギルバルドの気持ちに誰よりも近かった彼にそれを止める事が出来なかったのだ。

その姿が見えなくなってもカノープスはそこにいた。 大切な親友の行く道が光り輝く事を祈って。

「兄さん、ギルバルド様は…?」

「ユーリアか。」

気配は感じていたが、どんな顔をして良いのかわからずに振り返る事が出来なかった。

カノープスの曇った表情を見てユーリアは全てを覚り、涙を浮かべる。

「…行ってしまわれたのね…。」

「許せ。俺にはあいつを止める事は出来なかった…。」

「…ううん、いいの。」

本当はこうなる事を前から知っていた。

自分が愛する彼の高潔な精神は、二十五年前の負債を許していなかった。

置いて行かれた今でも変わらず愛していると、黙って涙を流す妹の肩をカノープスは抱き寄せた。

「…きっと、また会えるわ。必ず…。」

「ユーリア…。」

涙を拭いたユーリアは、努めて明るい笑顔でカノープスを振り仰いだ。

「私、皆様に歌を贈ろうと思っているの。 兄さんも戻りましょう?」

「そうだな。」

「でも…少し待って。少しだけでいいから。」

そう言うとユーリアはその場で歌い始めた。

高く、低く、妙なる旋律は、誰に向けての恋歌か。

幸運にもその歌を耳にした者は同様に、心の琴線に痛いほど響く切なく甘い声に涙を流した。



トリスタンは宴の合間に衣替えと称して広間を辞した。

少し酔いが回っていた事もある、自室で束の間くつろごうと思いドアを開けると、開かれた窓から吹き込む風に重いカーテンが揺れている。

「…誰だ?」

部屋の中に人の気配を感じ、トリスタンは俄に警戒して剣に手を伸ばす。

「驚かせてすまない。私だ。」

「なんだ、レッティか。」

トリスタンは気の抜けた声を出して警戒を解いた。

折良く花火が上がる。

その明かりに浮かんだのは、旅装束に身を固めた彼女であった。

「…レッティ…。」

トリスタンは彼女が何をしにここで自分を待っていたか全て理解した。

急いで内密にラウニィーを呼ぶように傍の騎士に頼む。

ラウニィーはトリスタンからの言付けを聞いて、周りに怪しまれないようにしてから長いスカートの尾を引きずって現れる。

化粧を施した白い面は、怒りで紅潮していたが、それすらも彼女の魅力を倍増させるだけであった。

対してレティシアはラウニィーの姿を見て賞賛の声をあげた。

「ラウニィー、綺麗!」

「綺麗ーじゃないわよ!何よレッティ、その格好!!」

「え、何か変かな。」

「似合ってるわよ!でも私が用意したドレスじゃないわ!」

「ラウニィー。」

トリスタンが宥めると、ラウニィーは皇子の胸に顔を埋めて涙を堪えた。

「私たちを置いて行ってしまう気なのね。」

引き留めたいと思うが言葉が上手く出てこない。 言葉を紡げば別れの悲しみから責めるような口調になってしまう。

トリスタンも引き留めたいのは同様らしく、レティシアの顔をじっと見入ったままだ。

「…考え直さないか?」

「わかっているのだろう?」

レティシアは苦笑を抑えられなかった。

「皆勘違いをしているから私を重宝したがるが、まず戦争に勝てたのは私の力ではないよ。 確かに私が反乱を起こしたけれど、何よりゼノビア王家の血を引く貴方がいたからこそ反乱軍に様々な戦士が集まり、帝国に勝つことも出来たんだ。私は貴方の手伝いをしただけ。」

それは違う、とトリスタンは思ったが言わずにおく。

「それに貴方がいるならこの国に何の心配もない。きっと、争いの無い平和な王国になると信じている。」

「では君が望む国を創る為にも今少しここに留まり、私を助けてはくれないか?」

レティシアはゆっくりと頭を振った。

「北方の大国、ローディス教国がこの大陸を狙っているという。多くの血を流し、手に入れたこの大陸を奴等に渡すわけにはいかない。」

「そんな危険な所へ、一人で行くというの?」

ラウニィーも北方の大陸がゼテギネア大陸を狙っている事を知っていた。

亡父ヒカシューが憂いを含んで彼女に教えてくれた事もある。

レティシアは笑顔を見せた。

「心配はいらない。私なら大丈夫だ。それより、二人の結婚式に出れないのが残念かな。」

「馬鹿ね、そう思うならここに留まってよ。特等席を用意してあげるわ。」

「…ごめんね、ラウニィー。ありがとう。」

「ブーケだって、あなたにあげるつもりでいたのに。」

「ごめんね。」

レティシアはラウニィーには弱かった。

こうしてラウニィーの友情を感じるたびに後ろ髪引かれる思いがする。

レティシアはトリスタンを見上げた。

「いつでもこの国に戻って来てくれ。」

「ありがとう。 もっとも、この国には私の大切なものを預けてある。ローディスから生きて戻ったら、その大切なものをとりに来るよ。」

「大切なもの?」

「それは、内緒。」

レティシアは人差し指を唇に当てると、ウィンクをする。

「二人とも、良い王国を築いてくれ。」

「約束するよ。」

レティシアは順に二人を抱きしめると、やがて窓からひらりとその姿を消した。

驚いて二人が窓から顔を出すが、もうレティシアの姿はどこにもなかった。

「本当に…同じ女とは思えないわね。もしレッティが男の人だったら、惚れていたかも知れないわ。」

「それは困るな。彼女は強敵だ。」

「奪い取るだけの価値があると、そう思ってくれていての台詞よね?」

「もちろんさ。障害は大きいほど燃える質だ。」

「まあ。」

二人は顔を見合わせて笑う。

「ところで、レッティの大切なものって一体何なのだろうね。」

「さあ?聖剣とか?」

「違うと思うぞ。」

「まあ、レッティが望むのなら、それが何であっても惜しまないでいてあげましょうね。…王位が欲しいと言われた場合は戦っても良いけど。」

「彼女に限ってそれだけはないと思うがね。」

「私もそう思うわ。」

二人は遙か向こうに広がる地平を眺める。

花火に照らされて一瞬レティシアの姿が見えた気がした。




X.

デボネアは、ノルンの視線に悪びれず旅支度を終えた。

ノルンは黙っていた。

デボネアが背中に剣を背負い、荷物を手に持つと初めて口を開く。

「…気をつけてね、クァス。」

「ああ。君も息災に。」

多くを語らずにデボネアはきっぱりと背中を向けた。

ノルンの視界でその背中が滲む。

デボネアはエンドラのないこの国に生き甲斐を見出せなかった。

ノルンと心安らかに暮らすだけでは彼の渇きは癒されないのだ。

それを知らされたノルンの悲しみは計り知れなかった。

いっそ刺してしまおうかと思ったが、それも出来ずにこうして見送る事になってしまった。

ノルンの涙は枯れる事を知らなかった。



デボネアはレティシアを待つ為に選んだ街道にアイーシャ、サラディン、ギルバルドの姿を見つけて苦笑を浮かべた。

「貴公らもか…。」

「その様だな。」

「揃いも揃って物好きな事だ。」

「同じ事を考えた貴方に言われたくありませんよ。」

アイーシャの笑みを含んだ声に、デボネアは口の端を吊り上げた。

ゼノビアでは生きられない者、レティシア自身に魅せられた者、レティシアとエンドラを重ねて見る者…4人の理由は様々である。

ローディスでどれ程の試練が待っているかまだわからないが、しかし、4人には恐れなどなかった。

一方、軽快な足取りで港へと向かっていたレティシアは、城が闇に薄ぼんやりとして光を灯すほど遠く離れた頃、正面に立つ4つの人影を見つけた。

顔を確認するまでもなくそれが誰なのか予想が付く。

苦虫を噛み潰した様なレティシアの顔に、アイーシャが悪戯を見つかった子供のように悪びれなく笑った。

「…何故ここにいるんだッ。」

「止めはしない。君が言葉で止まるような人じゃない事は知っているしな。だが1人じゃ危険だろ?」

責める様な険しいレティシアの声音をしれっと受け流してデボネアが言う。

「ローディスから帰って来た者は1人もいないと言う…。」

「私達は、あなたに命を救ってもらった者ですもの。」

「今度はあなたと共に旅し、あなたの助けとなりましょう。」

ギルバルド、アイーシャ、サラディンと続く。

レティシアは静かに言った。

それは、より深い怒りと困惑を伝えるに相応しかった。

「…帰って来れるかどうか、わからないんだぞ。」

「平和になったゼノビアに、我々は必要ないだろう。それよりも君と行動を共にしたいのだ。…借りも返さなくてはならんしな。」

誰も聞き入れて帰るつもりはないようだ。

レティシアは暫く無言で睨み付けていたが、全く効果がない事を悟ると溜息に似た深い吐息をもらす。

そして苦笑がやがて満面の笑顔へと変わった。

「仕方のない奴等だな。好きにするといい。」

「じゃあ、早く行きましょう!」

「もたもたしていて誰かに見つかると色々と面倒だ。」

「それは大丈夫でしょう。戴冠式に引き続いてラウニィー様との結婚式。祝いの席におらぬ者の事など忘れてしまうでしょうよ。」

「だと良いのだが。」

レティシアは前を歩く4人の背中を追いながら、笑うしかないといった顔で苦った。

「全く、こんな人数になるとはね。」

「君が秘密裏にしていたからこの人数ですんだと思うと良い。でなければまだ人数が増えていたと思うがね。」

「違いない。」

デボネアの言葉にレティシアは幼馴染みの顔を思い浮かべて笑った。

事前に話したならばおそらくあの二人はついてきた事だろう。

そしてローディスへ行ってしまった事を後日知った時、怒り狂う事も想像に難くない。

レティシアは一度だけランスロットを想って城を振り返ったが、再び前を向いた彼女に迷いはなかった。





ゼテギネアを討ち果たした英雄レティシア・ディスティー。 

かつてはゼテギネア帝国の将軍であったクァス・デボネア。

この大地に災いの種を植えた狂魔導士ラシュディの弟子サラディン・カーム。

アヴァロン島の大司祭フォーリスの娘である聖母アイーシャ・クヌーデル。

慈悲深く誇り高い魔獣使いギルバルド・オブライエン。

5人は一路ローディスへと向かって果てしない荒野へ消えていった。



戦いは人がこの大地にある限り果てなく続く。

まだオウガバトルの危機が地上から去ったわけではない。

だがそれすらもまだ、誰も知るよしはないのである。






ランスロットは空を見上げていた。

彼女を月の様だとランスロットはいつからか思っていた。

夜を照らす月の様に、戦いという果てしない闇に敢然と立ち上がり、さながら炎の様に我々を照らし続けたレティシア。

そして今、夜が明けようとしている。 夜が明ければ月は姿を消してしまうものだ。

レティシアもまた静かにこの国を去ってしまった。

だが数年後に彼女は自分をめがけて帰ってくる事だろう。 それまでの、暫しの別れだ。

目を閉じればそこには彼女の笑顔が甦る。

華奢で傷だらけだった彼女の身体を受け止める腕はまだゼノビアに縛られているけれど、数年の後に訪れる再会の時までには自由になろう。

ディアブロとの戦いの後に彼女が死んだと思った時感じた、あの抱えきれない喪失感を思えば何を恐れるだろう。

彼女の笑顔の傍にいられるのならば何を躊躇うだろう。

ランスロットは永久に続くと思われた長い迷宮を抜け、心を決めていた。

「レティシア、真の平和を手にした後も君と共に…。」













OGRE BATTLE SAGA EPISODE FIVE
"THE MARCH OF THE BLACK QUEEN"


THE END

ENDING  THE WORLD

2003.08.01

ちょっぴり改稿 11.06

後書き及び果てない感謝