昔、喜志の「宮」というとこは、みんなはたらき者ばっかしやったけど、天領でな、年貢がきつうて百姓達のくらしはちっともようならんかった。 太平さんとこは、子供が五人もいて、食べるのに精一杯の毎日やったそうや。それでも、子供達がよう手助けしてくれたので、夫婦は、「子供は宝やな」いうて仲良う暮らしておった。 子供達が小さい間はなんとか暮らせたんやけど、上の娘が嫁に行く頃にな ると、それはもう大変やった。 貧乏でもひととおりのこしらえはせなあかんやろ。そやから、前よりも一生 けんめい働いて、なんとか嫁に出すことが出来たんやて。娘も喜んで村の若者の所へ嫁いだそうや。 あくる年、娘に子供が出来たんや。 「うれしいような、なんぎなような気持ちだすわ」 太平さんがなんでこんなこといいうたと思いますか。 それはな、子供が出来たら、嫁の実家から夫のほうのしんせきや近所に、その家の人数だけころもちをくばりますのや。 ころもちいうのは、ころころの手のひらににぎれるほどの、小さい塩味のきいたおいしいもちですわ。これがまたものいりでな、しんせきが多いほど貧乏な家は大変なことですねん。 ころもちのことを親もちと呼ぶこともあるそうですわ。 そのもちは、つきたてのやわらかい間に、生で食べてもらわなあかんのですわ。なんや知らんけど、そういうしきたりやったんやて。 ところがや、子供が出来ん家は、そのころもちをもらうと、腹が立ってしょうがないねん。 「すぐに食べるのはけったくそ悪い」と、ほっといたんや。ほんでから、かとうなってから焼いて食べたんやて。 昔から、ころもちを焼いて食べると、子供がうまく育たんといわれてますんや。 そこからきたんかどうかわからへんが、それがやきもちのはじまりやといわれてますな。 注 宮 は現在の宮町である。 |