石垣あらそい
〜富田林北部 喜志地区に伝わる民話〜

 むかしのこっちゃ。喜志村には七つの小字があって、百七十町歩ほどの田んぼがあったが、みんな石川より高い所にあったので、川の水を田へ引くことができんかった。ほんで、ため池だけでは足らんので、錦織の高橋の下手から水を引いてきてたんや。川の水は、甲田村や毛人谷村やらの田んぼを通って、やっと喜志村の田んぼへ入って来よる。喜志村の人びとは、毎年田植時になると、首を長うして水が流れて来るのを待ったもんや。
 田植えは、水が流れ込んだ川上から、順ぐりにしていくやろ。それから川下の田んぼは、水が回ってくるんが遅いし、水は少ないし、田植えの遅れることがたびたびあったんや。田植えが遅うなったら、稲が十分実らんうちに取り入れせなならんよってに、二等米やこごめしかとれん。村人達にとって、水は命や。ほんで水がせき止められんよう見張りまで置いたが、それでも、水の取り合いで争いの起こることが、しょっちゅうあったそうや。
 昔の用水路は土地に溝を掘っただけのものやから、草は生えるし土手はくずれて水をせき止める。それで、溝の両脇には泥上げ場というのがあって、くずれた泥をそこへ上げるようになってた。田植えが近づくと、村中で用水路の掃除をしたり、ちょっとでも水がよう流れるようにと力を合わせたもんや。泥上げ場や用水路は村のみんなのものやったからな。
 ところがある時、川上の村の地主が、この泥上げ場に目をつけたんや。
ー泥上げ場やなんで無駄な土地を遊ばせておくのはもったいない。わしの田のところに丈夫な石垣を築いてくずれんようにしたら、わしの田んぼはその分だけぐーんと広うなるー
 その地主は、自分の思いつきにホクホク顔になって、早速に石垣を築く工事を始めよった。
 用水路がいじられ、泥上げ場がなくなっているのにびっくりした喜志村の人びとは、半鐘をガンガン鳴らして寺に集まり、クワやカマを手に手に持って石垣をこわそうと押しかけたんや。百姓達のあまりのけんまくに驚いた地主は、よそ者や男衆を雇って立ち向かわせたよってに、えらいことになってしもうた。ケガ人はぎょうさん出るし、村中殺気立って仕事も手につかんがな。
 そこで村の一人の若もんが、地主に話をつけようと決心して、門の前に立った。
「喜志村のもんは、村の命の用水路をせき止められるんやないかと心配して、騒いどります。地主さまは一体どんなお考えで石垣なんぞ作りはるんですやろか」
 若もんは、けんか好きの男達にとり囲まれながらも、必死になってそう言うたんや。すると地主は、
「お前らは知らんのやろが、遠くの村ではな、用水路を石垣で丈夫に築いてあって、田んぼの稲もよ水通りも悪うなる。手間がかかるばっかしや。このままやったらあかん」
 「そりゃ地主さまの言われるように、用水路を石垣で作ったらええことはようわかります。そやけど、わしらにゃ、そんな金はないんや。昔のままでもしょうおまへんやないか?・・・」
 「金はみんなが出し合うたらええんや。今はつろうても子や孫のこと考えてすることや」
 地主はいばってそう言うたが、若もんも負けてへんかった。
 「ようわかりました。そやけど、地主さまの築いてはるあの石垣は、用水路の巾をせもうして、みんなの泥上げ場をご自分の田んぼに取りこんではります。子や孫のために立派な用水路を作る気ィやったら、泥上げ場も水路にして石垣を築きはったらどうです。そしたらみんなも納得しますやろ」
 地主は、泥上げ場を自分の田にしようとしたケチな根性を若もんに見破られて、苦い顔をしながら、「わかった、わかった。泥上げ場は村にかえす。巾の広い用水路を石垣で築いたらどんなにええもんか、お前らに見せてやる」と、言うたそうや。

 みんな、よう見てみ。
 ほんまによう育ってる稲や。秋になったら
たんとお米がとれるやろ。そやけど、この豊作もちゃんとした用水路のおかげなんや。今はもう泥の用水路なんかあれへんでェ。村の人がみんなで作ったコンクリートの立派な用水路ばっかりや。それでみんなは安心してお米のごはんが毎日たべられるんや。
 こぼさんと残さんと食べや。
     注 喜志村に伝わる話。

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