12        13 オヤジの小話        14    

2004年4月11日

世界をセイリングで旅するドイツ人のオヤジ(51)がいる。彼の船(家?)を訪れると香港人の友人(21)が子供(1)をあやしている。父、娘、孫の風景にしか見えないが、新婚夫婦にその初子という恐ろしい事実がそこにある。

事実は小説より奇なり。

これなら私が小さな国の王子様と結婚してもそうおかしくは無いであろう。

この国ではセイリングする人が多く、又他の国から船で旅してくる人も多いのでマリーナ、いわゆる船の停留所が海辺、川辺に点々としている。彼らは今、どうやらワニがいらっしゃるらしい川辺に船を泊め、(夜になると目がピカーッと光っていらっしゃるのだそうだ)そこを住居としている。

私の普段からは考えられない生活をしている彼ら。特にこのオヤジは若い頃から船に乗り続けており、時には一人で、もう何度も世界を回ったという。なんだかとてつもない特殊な経験を多く積んで、彼は全く他の人とは違うスケールの大きなものを常に見ているような気が、私はしていた。

「何か変な生き物とか釣ったことあんの?」

「あるぞあるぞ。こーんなデッカイバケツくらいの頭したタコ。食う気はしなかったけどなあ。」

「サメとか怖くないん?」

「経験だ。経験で居るか居ないか分かる。」

「(・・・経験した上で生きててよかったねえ、アンタ・・・)怖い思いとかしたことないん?」

「そりゃあ嵐に巻き込まれた時とか・・・それより危険な国の海域とかに入った時・・・」

ちょっとここには書けないような事になり、ひどい思いをしたらしい。それを聞いてかなりのショックを受けた。
現実感が無さすぎた。

私は、それがやっぱり一番心に残ってる事かと聞くと、

「海の真中で一人で船に居た時、小さなSinging Birdがやってきてなあ、疲れてたんだな。船にとまって動かなくなった。何をあげても食べないからこのまま死んでしまうかと思ったけど、ある日ごみ箱をつついてたのを見つけたんだ。陸にいた時にさんざんハエの駆除をしてごみ箱に捨てたんだが、それを食ってたんだな。もともと海鳥じゃなかったから魚をあげても食べなかったワケだ。それからは口笛を合図にハエをもらいにくるほどなつくようになったなあ。大きな鳥の怪我を世話してやった時も、野生のくせにペットみたいに後ろについてくるようになったりもしたし・・・数日もしたらどっかいっちまったけど。」

「・・・不思議な事に、こういう小さな出来事こそが自分の人生にずっとまとわりついて残っているもんなんだよなあ。」

私は彼のそんな言葉が意外だと思うと同時に「そうなのかも」とも思った。

自分で言うのもなんですが純真で良い子だった子供の私は、ある雨の日に池に羽根の破れた蝶がもがいているのを見つけ、助けてあげようとした。(しかし実は蛾だったと気付き、思わず躊躇する良い子)

雨のかからない木の下に移動させ、回復させようとした。
晴れた次の日、そんな事もすっかり忘れた私が、その木のそばを通ると、イキナリ羽根が破れた汚い蛾がこっちめがけて飛んできた。

「うぎゃ!蛾!気モィ!(ひどい)」

しかし後で気付いた。おそらく昨日の蛾だったのだ。

純真な私はその時「お礼を言いにきてくれたんや。」と素直に受けとめた。

(しかし誰も信じてくれなかったので、その子はだんだんヒネクレていく。まあだいたい皆、末っ子の言う事なんて信じてくれないんやけどねえ・・・←ホ〜ラ今はこんなにヒネくれてますよ。)

偶然だったとしても、あんまり蛾とはお近づきにはなりたく無かったのだが、そのたわいも無い小さな事件は今でもよく思い出す。車の事故での恐怖感や、イルカの大群を見た感動よりも深く残る何か。

人ってのはそうゆう生き物なのだろうか。

経験が違えど、人種が環境が性格が、信じるモノが違っても、一生まとわりつく小さくて深い気持ちをもたらす事を皆それぞれ持っているのだろうか。

いつもそんな小さなものに気付いていたいと、テレビで流れる遠い国の紛争を見て、ふと思ったりした。

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