11月        12月のリビング      1月

12月29日(日) こんとらると

21日のリビングで紹介した友人が詩を届けてくれた。
仲間と3人で同人誌を「こんとらると」を創刊したということだった。
定型封筒の大きさで10ページのシンプルな同人誌。
詩と評論 エッセイなど 。頒価80円+送料
お問い合わせは「私の部屋」で受け付ています。

友人の作品にはいつもどこかに不気味な雰囲気がただよっていると私は感じるのですが皆様はいかがでしょうか。
ぜひ感想をお寄せください。

12月23日(月) 私のメサイア

ヴァイオリン奏者の知人の招待でメサイアのコンサートにいってきた。
ミッションスクールで10年間過ごした私。毎年12月になると学校でさまざまなクリスマスの宗教行事を経験した。
「メサイア」という言葉も耳慣れた響きとして親しんできたが良く考えるとハレルヤコーラス以外は1度も聴いていなかったのだった。

簡単にいうと音楽でつづるイエス・キリストの生涯というもの。
4人のソリストと合唱そしてオーケストラが物語の語り手となって歌って聞かせてくれる。

歌詞からはなれて私はいろいろ思いをめぐらした。
イエス・キリストとはどんな人だったのか。(あくまで勝手な解釈です)

貧しい大工の子供として生まれ、既成の宗教や政治に疑問をいだき、「NO!」と言いつづけた人。そう、けっこう短気だった人。だれからも見捨てられ、最後には「神よ私をみすてるのか」といって愚痴もいって死んでいった人。偉人としてりっぱに死んでいくと期待していたのにそのあまりにも惨めな死に直面して「あの人とは関係ない」と弟子達にも見捨てられた人。
ところが
失って初めて人々の心の中に偉大な人としてよみがえった。
もしかしたらあの人は旧約聖書で約束された救い主だったのではないか。きっとそうにちがいない。
その思い出のかたりつぎをかきつらねたのが新約聖書なのだ。

「ちいさな語り継ぎが2000年近く引き継がれ、国を超えて人びとの心を動かしたというところにその人の真実を感じる」といえばクリスチャンの友人(ヴァイオリン奏者とは別の友人です。念のため)にしかられるだろうか。


12月21日(土) 1000円ランチ

雨の中を久しぶりに梅田にでかけた。今日は秘密グループの忘年会。
1000円のランチでさんざんしゃべったあと半額になったケーキセットを楽しんだ。
年齢も異なり、今はそれぞれに違った道を歩んでいるが短くはあってもともに過ごした時間が私達をつないでいる。

菜園。英会話。陶芸。絵画。ヴォーカル。ダンス。詩。仕事。忙しかったけれど楽しかったあの頃。話はつきない。

「私の部屋」に詩を投稿してもらう約束もとりつけた。
しかし、いつもどこかずれてみんなを楽しませてくれる彼女。
「あなたの部屋をみてみたけどオーストラリアにいったり、沖縄の物産を通信販売したりいったいどうなってるの?」

「‘‘‘‘‘‘‘‘‘」

どなたか「私の部屋」から沖縄の物産の通信販売にたどりつかれたかたがおられたらご連絡下さい。

12月15日(日) 水口町の先輩

Yさんの家族といっしょに滋賀県で温水プールと乗馬クラブを開いている先輩をたずねた。
選手育成に偏りがちな水泳教室や乗馬教室が多い中で親子関係やなかまづくりをとりいれた独自の運営をしているということだった。

産地直送のしゃも鍋をごちそうになり、チキンセンターを見学。水口町を一望できる庚申山にのぼった。夕方ちかくになったがMIHO MUSEUMというめずらしい博物館にも案内してもらった。知るひとぞ知るといったかんじの素晴らしい博物館で中国 エジプト 西アジアなどの美術品がみごとな館内に展示されていた。

講演会の案内広告でぐうぜん先輩の名前をみつけ、会場におしかけたのが今回の訪問のきっかけとなった。
Yさんも先輩もそれぞれがお互いの生活のなかで数十年?を過ごしながら、こうして再会するときのうのことのようにともに過ごした頃がよみがえる。そして今の言葉を理解しあえる。

実ははじめてサークルに入った時まっさきに質問攻めにして私を「いじめた」のがこの先輩だったのだ。
「先輩のやさしさがわからん私は若かった」などといいながら楽しい一日は過ぎていった。

12月13日(金) 冬眠論

冬になると人間の活動も停滞する。
私の部屋で始めての冬をむかえた実感である。あまりでかけていかなくなるので話題がないのだ。冬眠する動物もあるぐらいなんだから当然といえば当然である。

くまは冬眠するときいているが見たことはないし動物園では冬眠しないらしい。
人間も動物なんだから冬眠はともかく秋にしっかり食べ物を食べて冬はゆっくりするのが一番からだにいいのではないか。などと勝手な動物学を考案して今日も暮れていく。

そうこうするうちにSAKKOから便りが届いた。全く感心な娘だこと。感謝。

12月4日(水) 不出来なもみじ

我が家の庭に一本のもみじの木がある。
秋になると紅葉を期待するのだがなかなか色づかず、くすんだような赤色になるので不評をかっている。
ところがだ。我が家から少しはなれた場所にも同じようなもみじをみつけた。ふできな息子の仲間を近所でみかけた というところだろうか。「???!!!」「もしかしたら兄弟!」

夫が子供のころ近くの池の土手に生えていた小さなもみじの苗を我が家に持ち帰り、庭に植えたという。そしてそのもみじから落ちた種?から生えた小さな苗を再び植えて大きくなったのが現在の不評をかっているもみじだということだった。
ゆえに 近所のもみじが兄弟である可能性は充分にある。

おじいさんもみじにあたる池の土手にはえていた大きな木は道路の舗装工事のために今はもうなくなっている。
夫が持ち帰って植えた木も我が家の庭で行方不明になっている。
そして今不評をかいながらもりっぱにおおきくなっている孫もみじ。

木にも兄弟や両親?やおじいさん(おばあさん)がいるんだ。そう思うとちょっと不出来なもみじがけなげに見えてきた。

12月1日(日) 経済学者さん

久しぶりに街にでる機会が続いた。不景気といいながら街には人や消費があふれていて息がつまりそうになった。これだけのものを無制限におくりだしていたらそりゃあ買いきれない。それでいて本当に必要なものが不足していたりする。
「経済学者さん早く新しい理論をみつけてください。」と私はいいたい。
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