9月        10月のリビング          11月

10月19日〜20日 美具久留御魂神社の秋祭り
各地域からだんじりが集まり、順番に宮入する。

10月19日(土) 長島愛生園
長島愛生園のAさんからお土産が届いた。故郷へのお墓参りツアーでこちらにきたそうだ。Aさんとは私が学生だったころに出会った。らい予防法は厳然として存在していたが若者の無鉄砲さがAさんや療養所の人たちとのつながりをつくりだした。Aさんの部屋で歌い、飲み、騒いだ私達はそのころのAさんの年齢をはるかに超え、日々の生活にあけくれている。Aさんは今でもかわらずに情熱と夢をもちつづけ私達に語りかけてくる。「最近また若いキャンパーが来だしてなあー」と。
私はその情熱につきあいきれず曖昧な返事をしてAさんをおこらせてしまうこともあった。そんなことも含めて個人的なつきあいが続いている。

私の部屋で伝えたいと思っていたこと。そのひとつは実は今もらい(ハンセン氏病)療養所で暮らすAさん達のことでもあったのです。

10月15日(火) 女7人秋物語

野の花診療所とこぶし館を訪ねる旅をした。鳥取駅に着くなりラメのドレスで着飾ったおば(ア?)さまがたの大正琴の演奏がはじまった。駅周辺は国民文化祭のお祭りムードでにぎわっている。
「どこでも100円バス」にのり、診療所に向かう。バスにゆられること数10分、何度も同じようななんとか街道とかなんとか街道をくるくるまわって、やっと診療所に着いた。(反対周りのバスにのればすぐだったのだ!)
休日で外来はお休み。そこここに野の花がきれいに活けられた病棟を静かに散策。休日にもかかわらず出てきてくれた徳永さんと屋上にあがり、久松山や花火や月見の話をきいた。
診療所の開設からもうすぐ1年。あいかわらずひょうきんな進さんではあったが「ののはな医療」の実現のためにはまだまだたいへんな苦労があるようだった。
「老後は野の花診療所」などと勝手なことをいいながら、7人の元気なおばさんたちは翌朝の食料もきっちり買い込んでこぶし館まで歩いた。
「野の花」の話。「こぶし館」の話。「あのころ」や「あのひと」や「今だから話そう」の話。女7人秋物語はあけがたまで続くのだった。
再び鳥取駅。勇壮な傘踊りに見送られ、私達はそれぞれの「今」にもどっていった。
「進さん。操子さん。わたしたちで手伝えることがあればいつでもいってください。」

*出演 (順不同)
ひろみさん くめちゃん ゆみさん さえきさん むっちゃん とんちゃん 
まちこさん

10月7日(月) ろば物語

良く遊びよく学んでいるうちに10月になってしまった。ちょっとばかりかかえていた仕事も一段落。しばらくはゆっくり遊べると思うとうきうきする。最近めっきり本をよまなくなったし少し読書でも始めようか。私が小さかった頃、母に毎晩読んでもらっていた童話がある。「ロバ物語」という童話だったと思っていたのに最近になって調べてみたがそんな童話は見当たらない。ロバがでてくるかわいそうな話だった。私は毎晩同じ本をよんでもらい、そして毎晩同じことを母に伝えて眠りについていた。「今から私は目をつぶるけど、決してねむるわけではありません。」というような趣旨だったと思う。
思い出というものは時にイメージをつくりだすことがある。私の「ロバ物語」も幻だったのかもしれない。

10月5日 稲刈り
Yさんは神社に本物の初穂を奉納。
(写真はYさんが撮影されたものです)







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