彼女は山にいた。 かすかに赤が混じった黒髪。 いや、限りなく黒に近い赤い髪。 深紅の髪といった方が良いのだろうか。 小柄ではあるが、スタイルも良い彼女は、モデルと言っても十分に通じるような容姿をしていた。 そしてその彼女は、今その山の近くの旅館に来ていた。 彼女の名は 依然、恋人の星と一緒にオーストラリアに行ったとき、そこで【鳳凰】の所在を知るに至った。 鳳凰は、彼女固有の聖武具である。 星の朱雀と似た力を持つ彼女ではあるが、大きく違う点が、彼女の基本的な力は【活性】で有ると言う事。 富士山に鳳凰が有すると知り、彼女は富士山に行った。 【鳳凰】をその身に戻すために。 しかし、山に来たは良いが、その肝心の鳳凰を見つける事ができなかった。 無駄骨を折った彼女は、宿で電話を使い、星と話をしていた。 「近くには感じるんだけど、よくわからないの・・・・・・」 志保はそう言うと、深い溜め息をついた。 「宿で何してる?」 「バイト」 星の問いに、彼女は率直に答えた。 幻影の天使たち 第18話 四聖獣のゴウらが睦家を去ったその翌日。 突然、悟郎の持つ携帯が鳴った。 悟郎は携帯を取る。 「はい、もしもし・・・・・・母さん?」 悟郎の言葉に、彼の周りを取り囲んでいた守護天使たちから軽い驚きの声があがる。 彼女たちの中には悟郎が子供の時飼われていた娘もいるのだ。 悟郎の母親の事を知っていたとしても何も不思議は無いであろう。 ただ、ちびっこトリオである、ルル、ナナ、モモの3人は目を丸くしているが。 彼女たち3人は、悟郎が故郷から上京してきた後に出会った娘たちなので、悟郎の母の事を知らないのである。 「え?今日?忙しいから手伝いに来い?うん、うん、わかった、すぐ行くよ」 と、悟郎は言うと会話を打ち切り、電話を切った。 「ご主人様、お母さんの用事なんだったの?」 ツバサが問う。 「あ、うん。忙しくなるから、手伝いに帰ってきなさいって、女中さんやアルバイトの人じゃ支えきれ無いって」 「手伝うって、なんらぉ?」 ルル、ナナ、モモの3人が不思議そうに首をかしげると、ミカから説明が上がった。 「あぁ、あんたたち知らなかったわね。ご主人様の実家は温泉旅館なのよ」 「では、ご主人様は、実家の方に戻られるのですか?」 「うん、忙しいって行ってたし、人手が足りないみたいだから、急いでいかなきゃ・・・・・」 「あの、ランたちは・・・・・・?」 「え?でも、13人分の電車の切符代となると・・・・・・・」 悟郎が思案するような仕種をする。 『お金は無いけど、留守番させるわけにも・・・・・・』 悟郎が考えていると、1人黙々と悟郎の着替えを準備していたユキが発言する。 「ご主人様、着替えは2日分くらいでよろしいですか?」 「え、あぁ、うん」 ユキは、ニッコリと笑うと大きな紙袋を悟郎に差し出す。 「では、コレも忘れずにお持ちください」 「はぁ・・・・・・?」 悟郎は、ユキの考えの意図がわからず、首をかしげた。 「はぁ、はぁ、はぁ・・・・・・」 悟郎は駅の構内を走っていた。 荷物をカバンの中に入れ、それを背負い、右手にユキに差し出された紙袋を持っている。 紙袋の中に、何か入っているようだが、悟郎の体の動きに釣られ、揺れ動く為、中を確認することができない。 悟郎は、階段を上り、プラットホームに駆け込む。 と、その時、慌てていた所為か、階段に足を引っ掛け、悟郎が転倒した。 すると、悟郎はその手に持っていた紙袋の中身をその場にぶちまけてしまった。 「あぁっ」 紙袋の中から、たくさんの人形が現れる。 守護天使たちであった。 なるほど、こうしたら電車の切符を買う必要が無い。 マスコット化して、紙袋に入ってしまえば、単なる荷物になってしまう。 悟郎は必死で人形をかき集める。 すると、かき集めている途中に、出発を告げるベルが駅の中に鳴り響いた。 悟郎は大慌てで、人形をかき集めると、そのまま紙袋の中に放り込んだ。 人形を放り込むと、悟郎はそれを持って、電車に乗り込む。 あまりにも乱雑に放り込んだため、上下関係無しに、人形は電車に揺られる事となった。 その中に1つ、頭から紙袋の中に突っ込まれ、あられもない姿を晒しているものが・・・・・・・・ 悟郎は生まれ育った実家、『つるや旅館』に到着した。 悟郎を出迎えたのは、見覚えの無い女性であった。 おそらく悟郎が上京して後に雇われた女中であろうか。 悟郎から見ても彼女はとても若く見えた。 若いな・・・10代かな?と悟郎は思いつつ、かつて自分が使っていた部屋へと行き、荷物を置いた。 荷物を置いて、両親が居る部屋に行き、悟郎は話を聞いた。 その時に、先ほどの女性の事を悟郎はなんとなく訪ねてみた。 悟郎が女性の特徴を言うと、悟郎の母にはすぐ誰の事かわかったようである。 「あぁ、あの子のことかい?」 「あの子?」 悟郎は、自分の母の喋り方になんとなく違和感を感じた。 「あの子ね、丁度一週間前にここに来て『探し物が有るんだけど、見つからない。見つかるまで雇ってください』と言ったんだよ」 「母さんとしては、丁度人手が足りなかった事だし?働いてくれるなら、ってことで大助かりでね。一室を与えて、住み込みで働いてもらってるんだよ」 と、悟郎の母が言う。悟郎が感心した風に聞いていると、驚く事を言った。 「あの子、まだ16なんだよ。それなのに真面目によく働くし、イヤな顔1つしない、それよりもいつもニコニコと微笑んでるからね、お客さんにも人気が高いのさ」 「16歳!?」 この言葉には悟郎も驚いた、16だとしたら単なるアルバイト、それなのにあの落ち着いた物腰は何なのか、と。 「そうだよ、髪の毛は少し赤い気がするけど、染めている様子も無いから多分地毛だろうし、何より着物が良く似合うんだよ♪」 悟郎の母は、娘ができたような喋り方をする、とても嬉しそうな顔を見て、悟郎も笑う。 「そうだね、顔を知っているのなら、あの子からいろいろ聞くといい。志保ちゃん、志保ちゃん、おいで」 悟郎の母が、部屋の外に呼びかけると、扉がすっと開いて、先ほどの女性が入ってくる。 「あの・・・・・・『ちゃん』で呼ぶの、やめて頂けませんか?」 彼女がちょっと顔に苦笑いを浮かべて言う。 「何をいまさら、そんな事を。ほら、コレが来ると言ったあたしの息子、悟郎って言うんだよ」 悟郎の母は悟郎の背中をバシッと叩く。 悟郎が痛そうに背中をさすると、志保は深々と頭を下げる。 「先ほどはどうも、悟郎さんですね。住み込みで働かせて頂いております、大鳥志保です。すでにお聞きしたと思いますが、一応16歳です、よろしくお願いします」 と言うと、志保は顔を上げてニッコリと微笑んだ。 「あ、いえ、こちらこそ」 悟郎もつられて頭を下げる。 「で、わたしに何のご用で?」 志保が訊くと、思い出したかのように悟郎の母が言う。 「あぁ、この子にいろいろ教えてやってもらえないものかねぇ?手伝いに来たは良いけど、何も知らないものでねぇ」 「はぁ・・・・それは別に構いませんが・・・・・・」 「そう、それは良かった、よろしく頼むよ」 悟郎の母はニッコリと微笑む。 「では、用事はそれだけですね、失礼します」 志保が立ち去ろうとすると、後ろから呼び止められる。 「どうだい?どうせならアルバイトじゃなくてちゃんとした女中として勤める気はないかい?」 志保は、はぁ、と溜め息を吐き出す。 「またその話ですか?わたしは探し物が終わるまでで十分です」 何回もやり取りされた話なのだろう、ニコニコと笑う悟郎の母と、呆れたような顔の志保が正反対で面白い。 「そうかい?じゃぁ、気が変わったら言っておくれよ、あたしとしては大歓迎なんだからさ」 「はい、では失礼します」 志保は言葉を放り投げると、投げ返されるのを待たず退室した。 その志保の後を追いかけようと、悟郎も部屋を出ようとすると、いきなり悟郎の母がとんでもない事を言い放つ。 「悟郎、ファイトだよ、志保ちゃんを落としちゃっておくれ、あの子が嫁に来たら母さんも嬉しいからさ」 ブフッ、っと悟郎が咳き込む。 「か、母さん、僕は結婚とかそんなことは・・・・・・それに彼女まだ16じゃないか」 「何言ってんだい、16歳なのにあんななんだよ、大人になった時が楽しみじゃないか、母さんとしても志保ちゃんが娘になってくれたら嬉しいんだよ」 悟郎の母は、ぐっと親指を立てる。 以前とは違う母の態度を見て悟郎は苦笑する。 元から明るい母であったが、久しぶりに会ったとは言え、異常なほど明るい。 父はほとんど変わっていないが、母はとことん嬉しそうだ。 よっぽど志保の事を気に入っているのであろう、おそらく娘ができたような感時で嬉しいのかもしれない。 考えてみると、先ほど志保が着けていた着物は母のお気に入りの着物だったような気がした。 自らのお気に入りの着物を着ける事を許すとは。 超が付くほどの鈍感の悟郎でも、母がどれくらい志保の事を気に入っているかがよくわかった。 「じゃ、じゃぁ僕はもう行くから、失礼しますっ」 悟郎はそそくさとその場を立ち去った、これ以上居たら母にまた何を言われるかわかったものじゃない。 志保は手際よく、しかもてきぱきと仕事をこなす。 しかも、とても楽しそうに仕事をするのである。 悟郎はそんな志保の横顔を見て、『なるほど』と思った。 深紅の髪の毛を、邪魔にならぬよう短く切りそろえ。 モデルとしても通用しそうなその容姿。 そしていつも笑顔で、他の女中にも好かれていた。 まぁ、逆に好かれるゆえに妬まれる場合もあるであろうが。 さらに、志保は、めんどくさいはずの教育係を、イヤな顔一つせずにこなす。 「今日、明日は団体客が来ますからね、桔梗の間と、椿の間に行き、整理をします、よろしいですか?」 「は、ハイッ」 16歳で、年下であるにも関わらず、なんとなく悟郎は萎縮してしまっている。 そんな悟郎の様子を見て、志保はクスクスと笑う。 「そんなにかしこまらなくても良いですよ。それとも、あなたのお母様が言った言葉が気になっているのですか?」 悟郎は図星を突かれ、さらに萎縮する。 そんな悟郎を見て、志保はニコニコと笑う。 「大丈夫ですよ、心配しなくても、わたしより良い人はたくさん居ますから」 「い、いや、君が嫌いと言うわけじゃなくて、あの、君の態度がその、なんだか16に見えなくて」 「まぁ、それもそうかもしれませんすね」 「えっ?」 悟郎が表情に疑問を浮かべるが、志保はそれをさらりと流す。 「さぁ、さっさと部屋の整理をしましょう、今日は忙しいんですからね」 そう言うと、志保はすたすたと優雅な足取りで桔梗の間へと向かう。 「あ、はい、わかりました」 桔梗の間につくと、志保は悟郎に指示を下す。 なお、その指示の合間にも、志保は手を休めず、しっかりと作業を平行していた。 悟郎の母が、気に入っていることを、悟郎は改めて実感していた。 『なるほど、16歳でこんなにも仕事熱心とは・・・・・』 16と言ったらアユミと同い年だ。 しかし、アユミとは違うタイプで仕事熱心である。 アユミの場合は、熱心に仕事に取り組むに対し、彼女の場合は笑顔で、とても楽しそうに仕事をこなす。 楽しく仕事をする事は基本ではあるが、そう簡単に行かないのが仕事、なのである。 悟郎は志保の指示に従い、志保も自分の仕事を手際よく片付ける。 30分もかからず、桔梗の間と、椿の間は綺麗に整えられた。 二部屋を整えた後、悟郎は休憩を貰った。 しかし、志保は休憩も取らずにどこかに行ってしまった。 仕事熱心な志保の後姿を見送ると、悟郎は守護天使たちの様子を見るために自室へと向かった。 時が少し戻る。 悟郎が行ったのを確認すると、紙袋がごそごそと音を立てる。 紙袋が倒れ、中の人形が部屋の畳の上にこぼれる。 直後、ボンッと言う音と共に、煙の中から守護天使たちが現れる。 『ふへ〜〜〜〜』 窮屈だったのか、皆はだらけきったような声を出した。 「ん〜〜〜っ、肩凝っちゃった〜」 ミカが背筋を伸ばしながら言った。 「う・・・・うぅっ」 ランが壁に顔を向けてうなっている。 「あれ?どうしたの?ラン」 「あ、あんな恥ずかしい姿を・・・・ご主人様の前で・・・・っ」 「はぁ?」 震えるランの声に、ツバサは不思議そうに見る、すると何かを察知したクルミが前に出て嬉しそうに言った。 「あっ、わかったの〜、さっきランちゃんのおパンツが〜・・・・・・」 ギンッ と言う擬音がつきそうなほどの目で、ランはクルミに『にらみつける』攻撃。 「あぅっ・・・え・・・・っと」 睨まれたクルミは 「あっ、そうなの〜、このお部屋、おひさしぶりなの〜♪」 クルミが部屋の中を見渡して言う。 単にランの視線から逃げたかっただけだろうが。 「あぁっ、ここ、ほらほら、ミカが前歯でつけた傷っ♪」 ミカが本棚の下の端の傷を指差して嬉しそうに言う。 「ご主人様は、いつもこの窓辺に座ってたんだよね・・・・・・」 ツバサが、窓にもたれかかりながら言う。 「わたしは・・・・初めてだ・・・・・・でも」 「ふんふん、ふぁ〜、ほんの少しだけご主人様の匂いがするれす〜」 アカネが感慨深そうにつぶやき、ミドリがくんくんと鼻を動かした。 「そうだっ、昔の写真とか無いのかなぁ?」 「あぁ〜っ、ちっちゃい頃のご主人様、ラブリーだったもんねぇ〜?」 ツバサが言うと、ミカがくねくねと体を動かした。 そして、守護天使一同による、睦悟郎の幼少期写真探索大会が始まった。 本棚の中を見て、押入れの中に詰まれたダンボールを開け、写真は無いものかと探し始める。 「こ、コラ、そんなに散らかしては・・・・・・」 ユキが言うが、探す事自体は止めない。 と、その時、トントンと、彼女たちが居る部屋に近づく足音が聞こえた。 「あっ」 気のせいでは無い、確実に部屋に近づいている、旅館の床特有の板が軋む音も聞こえる。 「だ、誰か来ました」 「み、みんな、速くマスコットに・・・・・・・」 と、ランが言った瞬間、部屋の引き扉が開かれた。 「ごめんごめん、放って置いちゃっ・・・・・って?」 悟郎がやってきた、悟郎の言葉は最後が少し音が上がって疑問符がついた。 悟郎の目に、壁とお話している守護天使たちの姿が映った。 中には床とお話しをしているものも居る。 タンスの中のドラ○もんと話しているのも居た。 「あっ」 皆は顔をあげて入って来た悟郎を見る。 みんな揃って顔を赤らめている。 『ご主人様〜』 「わ、悪いけど、もう少し我慢しててね」 「あの・・・・ちょっとよろしいですか?」 『えっ?』 悟郎と守護天使たちの声が重なる。 いつのまにか、悟郎のすぐ後ろに志保が立っていた。 「なっ、あのっ、はっ」 志保の視線が、室内に侵入しているのを見た悟郎が慌てて部屋の扉を閉める。 「なぜ閉めるのです?」 志保が首をかしげて訊いた。 「あはは、見た?」 今更「見た?」も有ったものではないのだが、とにもかくにも悟郎は汗を流しながら確認をする。 なお、扉の向こうでは、悟郎と志保の会話を聞き漏らさんと、聞き耳を立てている守護天使たちがいた。 「何をです?・・・・・・女将が呼んでいますよ。わたしと、悟郎さんすぐ来なさい、だそうです」 志保が言うと、悟郎が首をかしげる。 (演技・・・・・・?それとも本当に何も見なかったのかな・・・?) と思うが、深くは追求しない事にする。 「母さんが?何の用だろ・・・・・・」 「わたしを呼ぶ時点でわかりきってますけどね、またあの話でしょう」 『あの話?あの話って何!?』 扉の前で聞き耳を立てた守護天使たちはそう思った。 「あの話・・・・あっ」 何かを思いついた悟郎の顔が赤くなる。 「そうか、あの話か・・・・・・」 「まぁ、呼ばれているからには行きますけど・・・・・・・・悟郎さんは?」 「あ、うん、僕も行くよ」 「では、一緒に行きましょう」 「う、うん」 二人は一緒に悟郎の母がいる部屋へと向かった。 聞き耳を立てていた守護天使たち。 「あの話・・・ってなんだろう」 「ご主人様焦ってたみたいだけど・・・・・・」 『気になる』 そう思った守護天使たちは、こっそりと部屋を抜けると、悟郎の両親がいる部屋のほうへ、悟郎と志保の後をつけていった。 部屋の前に行くと、志保は部屋の中に一声かけて戸を開けた。 そこには相変わらずニコニコ顔の悟郎の母と、新聞のずっと同じ所を呼んでいる悟郎の父の姿が有った。 「あぁ、よく来たね。ささ、お座りよ、2人に大切なお話があるからさ」 悟郎は座るが、志保は座らずにいる。 悟郎が不思議そうに見上げると、志保は溜め息をつきながら言った。 「あの、いつもの話ならわたしは遠慮させてもらいますよ?」 「あぁ、あの話はもう良いんだよ。まぁ、とりあえずお座り、大切な話なんだからさ」 志保は釈然としないながらも、とりあえず悟郎の母の気持ちは別な所にあるようなので座った。 「さて、とりあえず、悟郎、コレを見てごらん」 と言って、悟郎は一枚の写真を取り出す。 「えっ・・・・・・?これって・・・・・・?」 「そう、お見合い写真だよ」 『お見合いっ・・・・・!?』 志保が呟く、呟くにしては大きな声だったが。 「お、お見合いって、僕はまだそんな・・・・・・・」 「良いじゃないか、そろそろ身を固めて、ついでだからもうここに帰って来たらどうだい?」 「えぇっ?」 「あんたがここを継いでくれたら、母さんたちも安心だからさ、ねぇ父さん」 「う、うむ」 新聞から顔を離さず、と言うより新聞で顔を隠したまま、悟郎の父が答える。 「とにかくさ、お見合いだけでも」 悟郎の母は、とことん明るく、手をひらひらと動かしながら言う。 「で、急なんだけどね、先方さんは明日にでも、って・・・・・・・」 「あの・・・・・・・」 先ほどから黙っていた志保が口を開いた。 3人の視線が志保に集中する。 「そのような話を、なぜ部外者であるはずの私の目の前でするのですか?」 志保が言うと、すぐさま悟郎の母が返した。 「何言ってんだい、あんたがいつまでたっても『うん』と言ってくれないからお見合いすることにしたんじゃないか」 「あの、私の所為にするのやめてくれませんか?」 はぁ、と志保は記念すべき第100回目の溜め息をついた。 「だって、そのとおりじゃないかい」 「はぁ・・・・・・」 志保が心底呆れた様子で101回目の溜め息を漏らすと、ふたたび悟郎の母が手をひらひらと振った。 「まぁ、それは冗談だけどさ。実は知り合いでホテルを経営している人がいるんだけど、この時期忙しい見たいで、人手が欲しいって言っているんだ」 「なるほど・・・・・・」 「それで、あんたに行ってもらいたいんだよ」 少し沈黙。 「はぃ?」 目を丸くして志保が素っ頓狂な声をあげた。 「だから、私の知り合いのホテルに、手伝いに行って欲しいんだよ、あんたなら要領よく仕事をこなせるだろう?」 「はぁ・・・・・・・・まぁ、多分大丈夫だと思いますけど・・・・・なぜ私が?他に適任が居るんじゃないんですか?」 「いやぁね、他の人2〜3人送るより、あんた1人の方がなんとなく仕事がはかどる様な気がしてさ、よろしく頼むよ」 複雑な表情を浮かべる志保に、悟郎の母は頭を下げる。 「わかりましたよ、もう・・・・・・そこまでお願いされたのなら断るわけにも行かないですし。まったくもう、大変な仕事ばっかりわたしに押し付けるんだから」 志保が溜め息をつく、考えてみると先ほどから溜め息ばかりしているような気がする。 「あはは、気にしちゃダメだよ、溜め息ばかりしてると幸せが逃げるよ」 「はいはい、わかりました」 「なんだったら、あんたが悟郎の嫁さんになってくれよ、そしたら行かなくてもいいからさ」 「行きます」 悟郎の驚きの声や、扉の向こうの謎の声をかき消すほどの大きな声で志保が言った。 悟郎の母は1人だけ残念そうな顔をしている。 「さてと、悟郎・・・・・・」 志保との会話を終了させ、悟郎の母は自分の息子に視線を戻す。 「あっ・・・・・」 悟郎の後頭部に脂汗が浮かぶ。 「お見合い、受けるよね?」 母は息子の目をじっと見つめる。 にらみつける攻撃。 悟郎は脂汗をだらだらと流しながら何とか逃げる方法はないものかと思考をめぐらせる。 「あっ、そうだ、桂の間に枕を追加するのを忘れてたよ、僕ちょっと行って「もうすでに追加しました」くるよ・・・・・・え?」 悟郎の言葉の途中に志保の言葉が入った。 「桂の間に枕の追加はすでに終わらせています」 「い、いつの間に・・・・・・・」 「悟郎さんが自室に行ってる間にですね」 志保が平然と言う、逃げ道が1つふさがれた。 「じゃ、じゃぁ、桜の間に布団戻さ「それももう終わらせてます」なきゃ・・・・・・え?」 「だ、だったら、楓の間の布団をクリーニングに「もう夜ですよ?」出さなきゃ・・・・・・うぅ・・・・」 悟郎の逃げ道を、ことごとく通行止めの立て札や、警棒をもってふさぐ志保を、悟郎は恨めしそうな目でにらむ。 「じゃ、じゃぁ、じゃぁ・・・・・・え〜っと」 「あきらめた方が良いですよ、悟郎さんがいないとできない仕事は今はありませんから」 先ほどまで仕事の速さと的確さを称えていた悟郎であったが、この時、ちょっとだけ思った。 (そんなに仕事片付けなくてもいいのに)と。 「ぼ、僕ちょっとトイレに行ってくる」 さすがにこれは防ぎようが無いだろう、と思った悟郎。 悟郎が立ち上がるが、志保は何も言わずに、さっきまでの態度はどこに行ったのやら、お茶をすすり、お茶菓子を頬張っている。 「ようかんようかん、モナカモナカ、おちゃは緑茶でお茶菓子はようかん♪」 こんな時でも笑顔で、と言うより幸せそうにお茶菓子を食べる志保の様子に悟郎は苦笑する。 「あ、お待ちよ悟郎」 悟郎は、母が呼び止める声を無視し、部屋の扉を開ける。 脱出成功! とは行かなかった。 目の前に守護天使が全員勢ぞろいで立っていたのである。 『あ・・・・・・』 守護天使たちの声が重なる。 「ど、どちら様で・・・・・・・?」 悟郎の母が額に汗を浮かべながら訊ねる。 「あ、あの・・・・・・・」 『今晩、泊めてくださ〜い』 見事なまでに、守護天使たち全員のセリフが重なった。 ちなみに、志保はいまだに黙々と嬉しそうにお茶菓子を頬張っている。 「お待たせしました、お食事です」 悟郎は扉を開け、部屋の中にお辞儀をする。 「って・・・・・・・」 悟郎が恨めしそうな目で、部屋を中にいる人達を三白眼で睨む。 『どうも〜♪』 守護天使たちが、全員そろって、浴衣をつけて畳の上に鎮座している。 どうやら開いている部屋があったようだ。 突然の守護天使たちの申し出にも悟郎の母はきちんと対応し、広い一室を用意できたらしい。 そんな事は置いといて、悟郎には1つ心配な事があった。 「はぁ・・・・・宿泊費どうするんだよ〜・・・・・・」 悟郎が溜め息をつく、すると。 「大丈夫です、いざとなったらこの2人が〜」 と言ってタマミがアカネとミドリの両名を指す。 「むむむむむ・・・・・・・・」 すると、ポンッ、と言う音と共に、2人が持っていたワリバシが札束に変化する。 「えへへ」 「ほ〜ら、このとおり〜」 タマミが自身満々に言う。 しかし、通貨偽造は犯罪です。 「父さんたちを騙すつもりか〜〜っ?」 「やっぱりダメですか・・・・・」 当たり前です。 「全くもう・・・・・・よっ・・・・・・と」 悟郎は傍らに置いてあった食事の容器を、部屋の中に入れる。 「明日になったら帰るんだよ。宿泊費と、電車代は僕が何とかするから」 相変わらずの優しい口調で悟郎が言った。 「あ・・・あの・・・・・・」 ためらいがちにモモが言葉を出す。 「ん?何だい?モモ」 悟郎がモモを見つめる、モモは、もじもじとしながら言う。 「ご主人様は・・・・・・一緒に帰らないんですか?」 「え?」 守護天使たちの視線が一斉に悟郎に注がれる。 「あ・・・・・うん、明後日くらいまでは忙しいみたいだから・・・・・・」 「あっ、あの、おみあ・・・・むぐっ」 何かを言おうとしたミカの口を横からランが塞ぐ。 「お、お疲れさまです、ご主人様」 「う、うん。じゃぁ、器は後で下げに来るから、ごゆっくり」 悟郎は部屋の戸を閉めると、その場を去った。 ランも、そして他の守護天使たちも、不安の表情を浮かべて悟郎が締めた扉を見つめていた。 一人を除いて。 「ぷはぁっ、ぜぇー、ぜぇー・・・・ちょっとっ、何なのよランっ!」 ランに口を押さえられたまま放置され、呼吸困難に陥っていたミカが息を吹き返した。 「あっ、あの、あの・・・その・・・・すいません・・・・・」 ミカに怒鳴られ、ランはしゅんと身を縮める。 怒鳴ったら気が済んだのか、ミカはグッと握りこぶしを作り、目に火を宿した。 「お見合いだなんて、絶対許さないんだからっ、ご主人様はミカだけのものよっ」 「まぁ、ずうずうしいですわね」 ミカの言葉を聞いたアユミがミカに突っかかってきた。 「何よ〜、アユミには素敵な彼氏が居るんだから別にいーじゃな〜い」 「なっ・・・・」 返す言葉を失ったアユミの側から、ちびっこトリオが口を挟んでくる・ 「ご主人たまはルルたんのものらぉ」 「ちがうよっ、ナナのものだもんっ」 「も、モモも」 「チビスケが生意気な事言ってんじゃ無いわよ〜」 「ちょっとミカちゃんっ、大人気ないですわよっ」 いつもの事ながら、低レベルの言い争いをしている守護天使たちを、残りの守護天使たちが呆れたような、複雑な表情で見ていた。 悟郎の母は電話をしていた。 会話の内容から察するに、おそらく相手は悟郎のお見合い予定の相手だろう。 その様子を、タマミ、クルミ、ルル、ナナ、モモの五人は庭側からガラス越しに見ていた。 「どうやら、お見合いは明日決行されるみたいですね・・・・・」 「ご主人様に内緒で、不意打ちをかけるつもりなの」 5人はかがんで、ボソボソと作戦会議をしている。 「どうせいじめっ子に決まってるよっ、人間なんて」 「そ、そんな事無いです、人間にだって優しい人は・・・・・・」 「あ〜〜〜っ、ダイスケの事らぉ〜」 突然、ルルの不意打ちに、モモの顔が赤いペンキを塗ったかのように真っ赤に染まる。 「や、ヤダヤダっ、違うよっ」 「もう〜、照れない照れない♪」 「だから違う・・・・」 話しの趣旨が思いっきりずれた。 他の守護天使たちの集中攻撃を受けて、モモは縁側の下にもぐりこんだ。 「モモね〜た〜ん、出てくるぉ〜」 「知らない、知らない」 ルルの言葉に、モモは首を振って意地を張る、しかし外から見えるのはおしりだけでおしりまで一緒に振れていたが。 「あの・・・・・・・」 そこへ、朝の掃き掃除をしていた悟郎の父が、竹箒を持ったままやってきた。 『あっ』 考えてみると朝っぱらからあんな大声で話をしていたのだ、聞こえないはずが無いのである。 ザ・ワールド、5人の時が止まった。 しかしすぐ時は動き出した。 「そこ・・・・ネズミが出ますよ?」 と言って、悟郎の父はモモが頭を突っ込んでいる床下を指差した。 その言葉に喜びをあらわにしたのがネコのタマミである。 「にゃっ!?にゃっにゃっにゃっ」 しゃかしゃかとうれしそうに床下へともぐっていった。 食う気なのだろうか。 「あ〜、タマちゃんクルミのお友達をいじめちゃダメなの〜」 クルミがタマミの後を追って、縁の下に潜り込んで行った。 「あ、ね〜たん」 「行っちゃいました・・・・・」 ルルが制止する間もなくクルミとタマミの両名は床下へと消えた。 そして、最大の敵、悟郎の父が後ろに控えていた。 「え・・・・・えっと・・・・・・」 ナナが振り返って何かを言おうとするが、言葉が上手く出てこない。 そのナナを見て、悟郎の父はやさしく微笑んだ。 悟郎の父は、ナナの頭の上に自らの手をかざした。 ナナは、一瞬身体を強張らせるが、それは杞憂に終わった。 悟郎の父は、その手でナナの頭に置き、優しく撫でてやった。 優しく撫でた後、悟郎の父はくるりと回れ右をして、その場を立ち去る。 それを、なんが不思議そうに見上げる。 そして、不思議な感覚がナナの中に生まれた。 「ご主人様と・・・・・・同じ匂いだ・・・・・・・」 頬を赤らめながら、ナナがぽつりと言う。 え、とモモの言葉とルルの言葉が重なる。 刹那、2人は悩む、しかしすぐにその足を悟郎の父へと向けて駆け出していた。 「あ、あのっ」 後ろから呼び止められる声を聞いて、悟郎の父は立ち止まり、振り返る。 「あ、あの、お願いがあります」 「ルルたんの頭もなでなでして欲しいぉ」 2人の真剣な表情に、彼は思わず苦笑する。 そして、膝を下ろし、自分の目線を二人に合わせる。 「手を・・・・・出しなさい」 『ほぇ?』 突然の悟郎の父からの言葉に、二人は目をぱちくりとさせる。 とりあえず言われたとおりに両手を出す。 彼は、その手の上に、自分が持っていたあめ玉をのせた。 「うわぁ〜〜〜〜あめ玉だぉ〜」 「あ〜。2人だけずる〜い」 喜びの声を上げた二人の後ろから、ナナが頬を膨らまして言った。 「三人で仲良く分けなさい」 悟郎の父はそれだけ言うと、ふたたび回れ右をしてその場を立ち去る。 「あ・・・あの・・・・・・」 この言葉には答えなかった。悟郎の父は、口笛を吹きながら、すたすたと歩いていった。 「ご主人たまのおとうたんってなんだかへんてこらぉ」 「でも・・・・・・どこか似てらっしゃいます」 「ねぇねぇ〜、そんな事よりあめ分けてよぉ」 親子である以上、似るのは当たり前。 やはり、彼女たちはまだまだ成長途中らしい。 悟郎の結婚。 それは、悟郎と守護天使たちの永遠の別れを意味している。 それでもユキは、それで悟郎が幸せになるのなら、と思っていた。 しかし、ミカはまったく別の考えをしているみたいであったが。 「お見合いだなんて、絶対に許さないんだからっ」 つるや旅館、悟郎の実家の旅館の玄関先にて、拳に火を燃やしながら、ミカは熱血している。 「あんたたちもっ、準備は良いわねっ!?」 ミカの迫力に気圧され、アカネとミドリはこくこくとうなずく。 「変身っ」 ラ○ダーのようなかけ声と共に、ミカや、アカネの体が煙に包まれ、衣装が変わる。 「はいっ、練習っ」 「ぱ、パパァ〜、オナカスイタヨォ〜」 ミカの掛け声の後に、アカネとミドリが声を併せて言った、棒読みで。 「も〜うっ、全然なって無いわねぇっ!何なのよその棒読みのセリフはっ、もっと幸薄そうに出来ないのっ!?」 ミカが大声でアカネとミドリを叱責する、哀れである。 歯を食いしばり、握りこぶしを作っているミカに、後ろから声がかけられる。 「ミ〜〜〜カ〜〜〜ちゃぁ〜〜ん?」 合いも変わらずミカはこの声は苦手のようである。 汗を浮かべながら背後に居るものに振り返る。 「またそんな下らない企みを・・・・・・」 「いくらなんでもそれはやりすぎかと・・・・・・」 アユミとランが言うが、ミカはそれを見事に無視する。 「何言ってんのよっ、あの浮気者っ、ミカのお腹の中には3人目のベイビィが居るって言うのにぃっ、ご主人様がお見合いなんて〜、絶対・・・・・・」 大声でまくし立てるミカにアユミも、ランも、アカネも声出なくなる。 その暴走気味のミカを止めたのが、かすかにどこかから聞こえてきたハーモニカの音色だった。 「このハーモニカのメロディーは・・・・・・」 「うん、ご主人様の・・・・・・」 ハーモニカの音は、旅館に散らばる守護天使の元に届いていた。 そして、みんなはその音を頼りに、その音の元へ、集まる。 空は青く晴れた、朝の山の中。 悟郎は、実家の裏手の、小さな山の頂きにいた。 山の頂きと言っても、そんなに高くは無く、むしろ丘と言った方がしっくり来るような感じであった。 悟郎は、そこで、自らの父と肩を並べ、ハーモニカを吹いている。 思い出の、あの曲を。 悟郎は吹き終わると、ハーモニカから唇を離した。 「小さいころ・・・・・・ここで父さんに教えてもらったんだよね、ハーモニカ」 そうだな、と悟郎の父は言った。 「お前はいつも1人きりで背中を丸めて、それを、ハーモニカばかり吹いていたな。忙しさにかまけておまえには何もしてやれなかった・・・・・・」 「ううん、父さんはいつも僕を見守ってくれてた。やりたいことも見つかってないのに『この街を出たい』と言った時も、許してくれたのも父さんだった」 「・・・・・・見つかったんだな?」 「うん、それを僕に教えてくれた子たちが居るんだ」 「そうか、感謝しなけりゃな」 「うん」 「そうですか、やりたいことが、見つかったのですか」 「うわっ、・・・・・・・志保さん?」 突然後ろに立っていた人物に悟郎は驚きの声をあげる。 「そんなに驚かなくても・・・・・・少々、お邪魔してもよろしいですか?」 志保は、2人の許可を取らずに、その場に座り込んだ。 そして、静かな口調で語り始めた。 「わたしも、近々帰らせていただきますね」 「え・・・・?じゃぁ、探し物は?」 悟郎が聞くと、志保はこくりとうなずいた。 「見つかりました・・・・・・」 「そうか・・・・家内は君のことをえらく気に入っていたようだが・・・・・・家内が言っていたことは全て・・・・・・」 「本音、でしょう」 悟郎の父の言葉の続きを志保が言った。 ふふ、と志保は軽く微笑んだ。 「本音か、それとも冗談かぐらい、私でもわかりますよ。溌剌とした奥様の態度でもね」 「と言う事は・・・・・・・」 「悟郎さんが私を嫌いじゃなくて、私がOKを出せば、すぐ私と悟郎さんの結婚式の準備がされるでしょうね」 クスリと微笑んで志保は言う、ほんの少しだけ、意地悪な笑みが混ざっている。 「そ、そんな、結婚なんて、君は16だし、僕も結婚なんて事・・・・・・」 「心配は要りませんよ、私にはしっかりとパートナーが居ますから」 悟郎の言葉に対し、志保が言った言葉に、悟郎も悟郎の父も驚いた。 「ぱ、パートナーって・・・・・・どう言う?」 「さぁ・・・・・・なんと説明すればいいのか・・・・・・」 志保は首を捻って思案する。 「同じ志を持つ、仲間、相棒、同志・・・・・ってところでしょうか・・・・・?どちらにせよ、私は悟郎さんと結婚するつもりはありませんよ」 志保がそういうと、ほっと悟郎は胸を撫で下ろした。 その悟郎の様子を見ると、志保はクスクスと笑った。 「その代わり、悟郎さんはお見合いがあるんですよね」 「あ、そうだった」という風な感じの表情を浮かべると、悟郎はどうしたものかと考える。 そこに、悟郎の父から助け舟が入った。 「悟郎、やりたいことが見つかったのなら、まずはソレから取り組むのが良いだろう、母さんには私から伝えておこう。だから、心配せずに行け」 「父さん・・・・・・」 悟郎が父の顔をじっと見る、悟郎の父も笑う。 そして、悟郎がすっと立ち上がった。 「ありがとう父さん・・・・・・僕、もう行くよ」 「わたしも、全般的に協力させてもらうね♪」 「えっ?」 突然、志保の口調が変わった。 文字だけだとよくわからないかもしれないが。 旅館で、仕事をしている時の彼女の態度とは全く違う、明るく。そして何より、親しみやすい、そんな口調であった。 突然の志保の口調の変わりように、悟郎の父も目を見開いて驚く。 「なに〜?わたしが何かした?」 志保が頬を膨らませて不満気に言う。 「い、いや、なんだか言葉使いが・・・変わっちゃったな・・・・・って」 悟郎が冷や汗を流しながらそう言う。 すると、志保がけらけらと笑った。 「あはは、旅館での態度は礼儀だよぉ、お客さん相手に商売する以上、だらしない言葉使いや行動は出来ないからね♪」 そう言うと、志保はパチっとウインクする。 悟郎の父親が溜め息を漏らす。 「家内が聞いたら呆れるだろうな」 「もう知ってるよぉ。さっき、探し物が見つかったと言ったら、残念そうな顔してたし、この喋り方したら目を丸くしてたし・・・・・・」 志保がブツブツと呟きながら、指折り数える。 その志保の様子に、悟郎も、父も苦笑を禁じ得なかった。 「あっ、悟郎さん、お迎えが来たみたいだよ」 志保が山の下の方を指差す。 え、と悟郎が眼下を見る。12人の守護天使たちが、山の中へ悟郎を探しに入ってきたところであった。 「あ、え〜っと・・・・じゃあ、僕は行くよ」 と言って悟郎は山を降りていく。 「ばいば〜い、また後で〜」 志保は、そのうしろ姿に、ニコニコと手を振った。 がさがさと、落ち葉を踏み、足音を立てながら守護天使たちは山を登ってゆく。 「ハーモニカ、聞こえなくなっちゃったじゃな〜い・・・・・・」 ミカがポツリと漏らした。 「多分、こちらのほうだと思うのですけど・・・・・・」 アユミが頬に手を当て、辺りを見渡す。 彼女も、自信が無いのだ。 「あっ」 と、声を上げると、みんなが前を見る。 木々の間から、木漏れ日が差し込む。 そのさらに向こう、木で作られた自然の道、そこから悟郎はゆっくりと歩いてきた。 その姿を認めると、みんなは手を振って悟郎を呼ぶ。 悟郎は微笑むと、言った。 「みんな、どうしてここが?」 「あ、あの、ハーモニカが・・・・・・」 ランのこの言葉を聞いて、悟郎はふたたび微笑んだ。 ハーモニカは常に悟郎と守護天使たちを繋いでいる、と思った。 「そっか・・・じゃぁ、そろそろ家に帰ろうか?」 悟郎がみんなの顔を見渡しながら言った言葉に、逆に守護天使たちが驚きの声を上げる。 「か、帰るって、お見合いはっ?」 ミカが言った、悟郎は少しだけ意外そうな顔をしたが、すぐに笑って言う。 「え?あぁ、知ってたんだ、でもそんなの最初からする気無いよ」 「で、でも・・・・お手伝いがまだ・・・・・・」 ちびっこトリオの3人が、不安そうに見上げながら言った。 その顔を見て、悟郎は微笑みながら言う。 「父さんが、もう帰っても良い、って」 悟郎が言うと、皆は満面の笑みを浮かべた。 「さぁ、行こう」 と言って、悟郎が歩き出す、するとそれにしたがって守護天使たちも、元来た道を歩き出す。 笑い声が絶えず聞こえる悟郎と守護天使たち。 その後姿をじっと見つめる悟郎の父と、志保。 「ホントに、これでよかったの?」 「子は、必ず親から離れていくものですから・・・・・・悟郎は、昔から自分で考え、そして己が正しいと思うことをしてきました・・・・・・後悔はしないでしょう」 悟郎の父がそういうと、志保はクスリと笑う。 「それが、あなたの良い所なんだね、拓郎さん」 「私の名前をご存知でしたか?」 悟郎の父――拓郎が、驚きの目で志保を見る。 「記憶力は良い方ですから」 志保が微笑みを絶やさず言う。 「アナタは、いつお帰りになるので?」 「仕事の区切りがついてから、それも、礼儀だと思っていますから」 拓郎の問いに対し志保が言うと、拓郎が微笑んだ。 「まったく、アナタはほんとに良い人だ、16だとは思えない・・・・・・家内の気持ちが良くわかる」 「そうですか?ふふ・・・・・・・」 志保は終始微笑みを絶やさずにいる。 ふと志保が顔を上げると、空から降りてくる、白い物に気付いた。 「雪・・・・・・」 志保が手を開く。 ひらひらと、木の葉のように落ちてくる雪の粒の1つが、志保の手の上に落ちて、じんわりと溶ける。 「・・・・冷たい」 突然の空からの贈り物に、守護天使たちもきゃぁきゃぁと喜ぶ。 その守護天使たちの様子を志保は見ていた。 否、志保の視線の先にあるのは、悟郎だった。 「長い時間は、聖者としての力を忘れさせる事になったんだね・・・・・・・荒療治するしか、無いのかな」 志保の呟きは、雪の降る空に消えた。 「ところで、悟郎さんがやりたいことって、何でした?」 と、志保が思い出したかのように訊くと。 「・・・・・・・そういえば聞き忘れてしまいましたね・・・・・・」 拓郎は申し訳無さそうに答えた 守護天使たちと一緒に山を下りながら、悟郎が口を開いた。 「あぁ、そうだ、君たちには言っておかなくちゃ」 「え?え?なに〜?」 「あのさ・・・・僕・・・・・・」 悟郎が言った言葉に、守護天使たちは驚きの声を上げた。 「獣医に・・・・・・なろうと思うんだ」 「なれますよ、きっと、あなたなら・・・いえ、アナタだからこそ」 悟郎が去り、拓郎も去った丘の上で、一枚の大きな扇を広げ、志保が呟いた。 ただ1人、丘の上で、目を閉じながら、そして扇を広げながら、志保が呟く。 舞い降りる雪が、その扇に辺り、溶け、一瞬にして蒸発する。 「見つかったのか・・・・・・心配して来てみたんだが、要らぬ事だったみたいだな」 「えへへ、そんな事無いよ、心配してくれたんだね、ありがと」 どこから現れたのか、星が志保の背後に立つ。 志保は背後を振り返らずに言った。 「あいも変わらず、裏表の激しいな、お前は」 「むぅ、そんな事どうして言うの?」 星の言葉に、志保は頬を膨らませる。 「営業スマイルが凄すぎるんだよ、お前は。しかも本業ほっといてバイトに勤しむ始末・・・」 「いやぁ、そんなに褒められると照れるよ」 「褒めてない。俺が言いたいのは、あいつらに負担掛けるなって事。またお前は仕事放り出してあの二人に押し付けてきたんだろうが」 「うぐっ・・・・・・・」 志保が言い返せないのを見て、星がさらに続けた。 「まぁ、それがあいつらの役目の1つでもあるから良いとしてもだ、もう少し労わってやれ」 「うん・・・・わかった」 しゅんと縮こまりながら志保がうなずいた。 「んで、どうするつもりだ?」 「私はもうちょっと仕事してく、先に戻っといて」 志保が答えると、星がうなずく。 「わかった」 少しの沈黙のあと、志保が口を開いた。 「ねぇ・・・・・米っち・・・・・・」 「米っちはやめろと言うのに・・・・・なんだ?」 苦笑交じりで星が言った。 「荒療治しか、ないのかなぁ?最悪死んじゃうよ?」 志保の呟きに、星は沈黙で返す。 そして、少しの沈黙の後、呟いた。 「荒療治でも仕方が無いだろう、それが約束だからな」 「気が進まないなぁ」 「・・・俺もだ」 「そのまま見守ってる、ってのは出来ないかなぁ?」 志保がボソボソと言う、星が首を振った。 「歯車は動き始めた・・・・・・・・・聖者である悟郎さんの力が、必要なんだ・・・・絶対にな」 星は硬く拳を握り締めた。 雪は白く、いまだ振りつづける。 「そう、もう・・・・・・止まらないんだ」 |
第19話『光の世界』に続く