8月30日(火)
何週間か前、テレビに、ナントカ・ラッセンという、イルカやシャチやらを題材にして、ツルツルと上滑りでバブリーなタッチの絵を描いて大儲けしている「画家」が出ていた。
彼の顔を見たつれあいが「この人、ジョニー・ウインターに似てない?」というので、そんなアホなと思いつつ、画面を見たら、たしかに似ている。
一応ふたりの顔はもともと覚えているし、ぜんぜん似ていないはずなのだが、テレビのラッセン氏はなぜかジョニー・ウィンター顔なのであった。
それにしても、ツルツルと無味乾燥な画風のサーファー絵描きの顔が、ドロドロしたアメリカ音楽の代表選手ともいえるジョニー・ウィンターに似ているというのはスゴい発見といえよう。
こういう、意外ともいえる他人の空似は、とくに自国人ではない人に対してはよくある話だ。
私の場合、はじめてデリーに行ったとき、イスラーム料理の師匠によく似た顔の人がやたら多いなと思ったし、やはり生まれてはじめてマドラスを訪れた際は、街中が南インド料理の師匠だらけに見えた。
時代がさかのぼると、中学生のころ、パッと見でダスティン・ホフマンとアル・パチーノの区別がつかなかったり、ジェフ・ベックとコージー・パウエルが写っているジャケットにアセッたりもした(今見れば、ぜんぜん似ていない)。
さるインド人女性がモーニング娘。の写真を見て、「何で、この娘たちはみんな同じ顔なの?」と驚いたという例もあるらしい。日本人の顔って、外国の人から見るとそんな感じなのだろう。
SPECTATORという雑誌があって、その最新号のゴア特集がイマイチだったとは、ちょっと前のこの日記に書いたが、同じ号にメキシコのことが出ており、そちらに印象的なフレーズがあった。
あるメキシコ人が東京に行ったときに感じたこと。
「人々はみんな忙しそうに歩いていて、悲しそうな顔をしていた」
ヤバイ、すっかり見抜かれている。
活字を追いながら、思わず、私は唸ったのだった。