マサラ日記     previous«   »next

2月13日(日)

 夜遅く、テレビ東京の「ミューズの楽譜」という音楽系トーク番組に大貫妙子が出ていた。
 シーンの全面に出ないにもかかわらず、自身の音楽性を変えることなくずっとやってきているのは偉いなと思っていたが、話を聞いていて納得。一見すると音楽同様、柔らかなイメージだが、実は強い自己を備えた方だと思った。ジョニ・ミッチェルが一番好きというのも、そういう自我の強さの共通性でも肯けるところだ。

 彼女が山下達郎氏などとやっていた「シュガーベイブ」は、超個性的かつきわめてハイレベルな音楽集団だった。同時代的には好きでなかったが(ああいう音楽は自分で創作できないというひがみも含め)、評価すべき存在であることは明白だった。

 土曜日の夜、BSで「思い出のフォーク大全集」みたいなテレビ番組をやっていた。高田渡氏が生で歌ったりはよかったが、全体としてはやはり気持ちわるい音楽のオンパレードだった。あらためて思ったのは「いわゆるニューミュージックというのは精神的には演歌と同じじゃねーの。オレにとってはカスだな」ということ。70年代中盤以降の「22才の別れ」とか「なごり雪」「神田川」なんて、今でも本質的には背筋が寒くなる音楽の代表だ(こうした気色わるい流れは、尾崎とか森山何とかに連綿と受け継がれている気がする)。

 一方、表面的には似ているが、たとえばフォーク・クルセイダースはいいと思っている。あの人たちの創造性はきわめてロック的だった。

 昼間、吉村作治氏等が「ガンジス川の源流から河口までを旅する」番組をやっていた。このネタ、大昔から再三テレビで繰り返されている。つまりはものすごく陳腐というわけで、義務感から全編観たが、やっぱりつまらなかった。雑誌「カーサブルータス」のインド特集の方が断然いい。