★池田雅明物語 CHAPTER2 アメリカ篇・とりあえず渡米後★

 はいどうも、インタビュアーのWebmaster.J.M(以下wJ.M)です。読んで字の如く当サイトの管理人です。(^^)
ここからは本人も纏めきれない程大変な事になってますので、わたくしが質問者となり、対談形式で物語を進行
させて行こうと思います。では、
池田雅明物語 CHAPTER2 アメリカ篇PART1 行きまーす!!!



wJ.M−それにしても、いきなり『留学』とは随分思いきりましたねぇ。まず『言葉の壁』が大きいネックになると思う
んですけれど、その時点で既に英語には親しんでいたんですか?

池田雅明(以下MASA)−いえ。留学前は「やらなければ」と思いつつ、毎日『FEN』を聞く程度が関の山。しかも
ただ聞いているだけで、意味はさっぱり分かりませんでした。そうこうしているうちに、渡米の日が来てしまいまして。
でもまあ、
何とかなるだろうと楽観視してましたが、最初に降り立った空港でお腹が空いて、とりあえず入った
ファーストフード店で、ハンバーガーとオレンジジュースを注文しましたが、それが全く通じなかったんですよ。そこで
やっと気付いたんです、自分が甘かったことに。いくらなんでも、そのぐらい通じるだろうと思ってたんですね。

wJ.M−アハハハ、池田さんらしい。で、その後、どうやってそれを乗り越えたんですか?

MASA−「乗り越えた」って訳ではないですけど、留学を決めた時から、とにかく一刻も早く英語が話せるように
なりたいとは思っていたので、留学斡旋所に行って、なるべく日本人がいない学校を紹介してもらえるようお願い
しました。そこで紹介してもらったのが最初の留学先、
ウエスタン・ミシガン大学というアメリカ大陸の真ん中辺り
にある大学の付属語学学校だったんです。そこで外国人に囲まれて生活すれば一気に上達するだろうと思いました。
ところが、そこの学生寮で同部屋になった人がいきなり日本人!既に流暢な英語で、いつも外国人を部屋に呼んで
話していましたけどね。その人が、「
実はこの学校には日本人が沢山来ている。」と教えてくれて、なんだか複雑
な気分
でしたね。

wJ.M−へえ。ちなみに他の留学生の人たちも音楽の勉強をしに来てたんですか?

MASA−いや、日本人では、企業派遣で来ている人、ホテルマン修行中の人、大学などの研究室から来ている人等
が多かったですね。ただ、ウエスタン・ミシガン大学には音楽科があったので、外国人で音楽の勉強をしている人とは
多少交流を持つ事ができました。

wJ.M−なるほど。その後『
バークリー音楽院』に進学されていますが、それはかねてからの希望だったんですか?

MASA−そうですね。でも例によって漠然と考えていただけで、『バークリー』のことは何にも知らなかったんです。そこで、
一度実際に覗いてみようと思い、語学学校の仲間と4人で『アメリカ東海岸レンタカー極貧ツアー』を企画してミシガン
を出発し、ボストン、ニューヨーク、ワシントン、フロリダ、ニューオーリンズを周り、またミシガンに戻るという行程一週間の旅
をしました。私の目的は、ボストンのバークリー音楽院とニューヨークの老舗ジャズクラブ『
ヴィレッジ・バンガード』でした。
そのヴィレッジ・バンガードに行ったときにたまたま隣り合わせた人が日本人で、しかもバークリーの学生。ここぞとばかり
にその人から根掘り葉掘り情報を聞き出しました。

wJ.M−積極的に行動すれば不思議とそういう出会いがあったりするんですね。ところで、『バークリー』の入学審査
どういうものだったんでしょうか?

MASA−えーと、スコア提出とテープ審査(自分の演奏を録音したものを提出)だったかな。しかも、全くジャズをやった
事がなかった
んで、クラシックの曲を録音して送ったんです。そしたらなんと授業料半額免除という嬉しい特典とともに
合格通知がきたんですよ。あ、ちなみに私、
コマーシャルアレンジ科というところに行きました。

wJ.M−えっ?
トロンボーンじゃないんですか???

MASA−ええ。コマーシャルというと『CMソング』みたいなのを想像されるかと思いますが、そうではなく、所謂商業音楽
のアレンジの仕方
っていうのかな、色んなタイプの音楽のオーケストレーションの勉強をするんです。勿論パフォーマンス
(楽器演奏)もやります。日本の音大だと、専攻と副科がはっきりしていて、副科のプライオリティがすごく低い、みたいな
概念がありますよね。アメリカは違うんです。どちらも専攻科目のようにみっちり、どっぷり勉強できるんです。

wJ.M−ほう、それは興味深い。ということは、トロンボーンの手ほどきも十分に受ける事ができた訳ですね?

MASA−そうです。バークリーに入学して間もなく、学生達は実力テストのようなものがあり、その学生がどれ位のレベル
なのか診断してクラス分けされます。私の場合、日本での音大教育のお陰で初見や聴音などのソルフェージュはすんなり
O.K.をもらいました。でも、これぞジャズの心髄、ともいうべき
インプロビゼーション(即興)のテストの結果が0点!

wJ.M−はあ、そんな時期があったんですかぁ。私はてっきりもう初めっから、スラスラとアドリブが取れていたものだと
ばかり思っていましたよ。(シロウト考)

MASA−そこからインプロの修行が始まりました。最初に師事したTony Ladaには一年間ひたすらビ・バップ・ジャズの
いろはを教わり、次に師事した
Phil Wilsonは、いつもマイナスワンテープ(所謂ジャズのカラオケのようなもの)を使った
アドリブ合戦のようなレッスンでした。日本のことわざの「習うより慣れろ」ってやつですかね。

wJ.M−いわゆる『実技』のレッスンですね。その二人がバークリーでのトロンボーンの先生ですか?

MASA−その後にもう一人、Hal Crookという、インプロの教則本を執筆したりしている先生にも習いました。私が最も
影響を受けたミュージシャンの一人
ですね。

wJ.M−へえ。あ、そうそう、既に忘れかけてましたけど、『バークリー』ではコマーシャル・アレンジ科だった訳ですよね。
そこでの課題はどういったものでしたか?

MASA−まずはみんなが勉強する、ハーモニーやスケールなどのジャズ理論の基礎を習ってから、ジャズ・コンボ、
ビック・バンド、ロックバンド、アカペラ・グループ、スタジオ・オーケストラなどのアレンジ法の授業を受けて、それぞれ
実際に書いてみることが課題でした。それらが終わったあとに、
Harb Pomeroyというビック・バンド・アレンジの巨匠の
授業を受けることもできました。後、バークリーには『シンセサイザー科』があって、そこの人達が履修するコンピューター・
ミュージックという授業も取り、自分でもコンピューターを買って『打ち込み』をやり始めました。今思えばものすごく欲張り
でしたね。

wJ.M−何か、日芸時代とは大違いの様ですけれど。(笑)

MASA−そう言われても仕方ないですね。(笑)でも別に、『日芸』を批判しているのではなくて、誰にでも向き不向きが
あって、それぞれ自分に合った環境を見つけることが大事なんじゃないかと思うんです。私の場合はたまたまバークリー
が合っていたんですよ。

wJ.M−まあそれは大事なことですよね。…で、そうとなるともう日本には帰らない、くらいのつもりで?

MASA−日本を発った頃は、なるべく短期間で沢山のことを習得して、一刻も早く帰国して日本で仕事をするつもり
だったんですけどね。案の定その頃には色々楽しくなってきてしまい、もうちょっとこっちに居よう、という事になりました。
それに、バークリーを卒業する少し前くらいから、ちょっとしたバンドにトロンボーンで呼ばれる様になったんですよ。

wJ.M−例えば?

MASA−始めはマーチング・バンドやお祭りのパレードなど、トロンボーンを吹かせてもらえるところだったら何処に
でも行ってました。そんな中である日、エルサルバドル人の友達から、ダンスパーティの仕事でトロンボーンが一人
足りないから来てほしいという事で行ってみると、サルサクンビアなどのラテン音楽のバンドだったんです。初めて
だし、日本人だし、みんなもそれほど期待していなかったみたいですが、どういう訳か初っ端からラテンのリズムに
ノリノリ』で、ミョーに血が騒いでしまったんです。

wJ.M−こう申しては何ですが、池田さんの
風貌からすると、『ラテン』とはかけ離れている様な…。(汗)

MASA−そういう意味で、向うの人からすると珍しかったみたいですね。それがきっかけで、他のラテンバンドからも声を
かけられるようになりました。その後、
クラカオ島というところで開かれるトゥンバ・フェスティバルという沢山のラテン
バンドが参加するお祭りに参加するのですが、どうやら私が
日本人初だったらしいんですよ。密かな自慢なんですけ
どね。(笑)また更にそれがきっかけで他のラテンバンドからも声をかけられるようになりました。

wJ.M−それじゃあ、ますます日本に帰りたくなくなった?

MASA−その通りです。(笑)ところが、ちょうどビザの期限が刻々と近づいてまして。これはもう諦めて帰るしかないか、
と思い、日本の友達に連絡してみると、「
バブルが崩壊して景気が悪いので今は帰って来ない方がいいよ。」との事。
さて、どうしよう…と。

wJ.M−ははーん、そこでまた『
人生の分岐点』がやってくるわけですねー。

………ちょっと長くなってきましたね。ブレイクして、またお話を伺う事にしようと思いますが、よろしいでしょうか?

MASA−はい。じゃまた後ほど。

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