★池田雅明物語 CHAPTER1 日本篇・少年時代から会社員になるまで★
■少年時代■
1967年、神奈川県川崎市に生まれる。間もなく同相模原市に転居、神奈川県民として幼児期を過ごす。
5歳の時埼玉県民になる。大宮市(現・さいたま市)にて日々近隣の野山を駆け巡るというワイルドな
少年時代を過ごし始めたが、教育熱心な両親のお陰で『お稽古事坊や』に転身する。珠算、習字、水泳
そして国体出場経験を持つ父親の影響により、テニス教室にまで通う。
そんな中、自分からやりたいと言い出した事が一つだけあった。それは…、
「なんでもいいから楽器!」
とりあえず『ヤマハ音楽教室』に通うことになり、エレクトーン、ピアノ等のレッスンを受ける。13歳
の時、自作のピアノ曲がヤマハ・ジュニア・オリジナル・コンサート(JOC)の埼玉代表に。ところが
その後、「目黒のセンターに通いたくない。なぜならば遠いから。」と、ただそれだけの理由で、周囲
の反対を押し切り音楽教室をやめてしまう。とは言え、音楽と全く縁を切ってしまうというのは流石に寂し
かったので、学校のブラスバンド部に入部、顧問の先生の意向で何故かユーフォニウムを持たされる。
がっ、実際楽器を吹く事は殆どなく、指揮者としてブラスバンド部に君臨する。
■高校時代■
地元県立大宮高校に進学。中学時代同様ブラバン入部。そこでも顧問の意向発動、トロンボーン担当を
仰せつかるが、またも気付けば指揮者化。同じ頃、エレキギターを購入し、友人らとロックバンドを結成。
(ちなみにこの頃コピーしてたのは、TOTO、VAN
HALEN、JOURNEYなど。時代を感じるバンド名が並ぶ。)
練習の日々。そうこうしているうち、将来の事も真剣に考えねばならない3年の夏休みがあっという間に
訪れる。茹だる暑さの中脳裏にこんな事が過る。
「音楽大学に行きたい…。」
またも『とりあえず』な感じでトロンボーン専攻に決定し、受験に挑むが第1志望校には玉砕。気持ち
を切かえて日本大学芸術学部(通称:にちげー)に進学する。
■大学時代〜社会人、そして一大決心■
日芸に入ってみたものの、金管グループのバンカラ気質がどうも性に合わず、イキナリ辞めたくなる。
しかし、「とりあえず卒業だけはしなさい。」という両親の説得により踏み止まる。ということで大学生
にありがちな『籍を置くだけ君』に限りなく近い状態になる。そしてやはりありがちな、『バイト先の
連中とバンド結成君』になり、練習の日々。
月日は流れ、またも今後の人生を考える時期に。やはり卒業後は「音楽関係の仕事に就きたい。」と
考え就職活動に励む。教員、大手レコード社等音楽に関れそうな仕事の採用試験には尽く撃沈するが、
当時はエリートとして名高かった大企業『R社』から何故か採用通知。
「ま、それも悪くないか。」
とあっさり路線変更。入社後は上野、御徒町界隈での『必殺営業稼業』に精を出す。
しかし半年が過ぎた頃、ここまでの文章を読んだ誰もが予想出来る通り、
「辞めたい…。」
と思い始める。やっぱり音楽が好きだ、音楽をやりたい、オレには音楽しかねえ!(←ここだけちょっと
フィクション)と気持ちは高まる一方。そしてついに『神のお告げ』が、っていうか前頭葉の歯止めが
きかなくなる。
「そうだ、『あめりか』行って、ジャズの勉強しよっと。」
そしてサクッとR社に辞表提出。トロンボーン1本片手に一路メリケン国=U.S.A=the
United
States of America=アメリカ合衆国へ!どーなる、まーくん!!次回へつづく!!!