待つ日々 (2004年2月〜2004年5月まで) |
二次選考結果発表日(2004年2月20日) | ||||||||||||||||||||
二次選考から数日後、JICAのホームページで二次選考までの応募状況を確認する。40の要請数に対して、二次選考を受験したのは75名。単純に計算すれば1・8倍の競争率だが、一般の入試や就職試験と違って受験者の技術・経験と要請内容が一致しなければ合格(採用)しないのだから、単純に数字だけでは言い切れない。“派遣国と縁がありますように”と願うしかなかったが、それでも“ひょっとしたら…”という期待感もあった。 至って能天気に結果発表を迎えた一次選考結果発表時と違い、かなり緊張して『その日』を迎えた。 その日も仕事はなくて自宅待機していた。一次選考と同じで、今回も合格者には当日配信のレタックスで、不合格者には数日遅れで到着の普通郵便で結果通知が来る。つまり、今日レタックスが来なかったら不合格ということになるのだ。 前回レタックスが届いた10時前には、緊張がピークに達する。ドキドキしながら、郵便屋さんのバイクの音がしないかと、外の気配に敏感になっていた。 …けれど、10時を過ぎても、11時になってもレタックスが来ない。11時過ぎに郵便屋さんが配達に来られたが、通常の配達でレタックスはなかった。 “もしかしたらお昼からなのかなぁ?”と思い、あきらめずに淡い期待を持って待ち続けるが、時間だけ無常に過ぎていく。16時前、“ダメだったんだ…”と思った。 緊張の糸がプッツリと切れ、一気に力が抜けた私は、その夜から具合が悪くなって寝込んでしまった。 |
||||||||||||||||||||
落胆から希望へ〜登録通知を受け取る(2004年2月21日) | ||||||||||||||||||||
翌日も気分が悪くて寝込んでいたが、15時頃、聞き慣れた郵便屋さんのバイクの音と一緒に、ポストにパサリと何かが入った音が聞こえて、慌てて玄関に出て行った。午前中にも郵便物が届いていたので、1日に2度も配達があることに驚き、胸騒ぎを覚えたからだ。 ポストには1通の速達封筒…、それも今までにも見たことがあるJICAの封筒だった。 “何だろう?”と思い、慌てて封を切る。合格者には昨日レタックスで結果が配達され、翌日の今日、速達で正式な合格通知が届く。けれど私は、昨日は何も受け取っていない。不合格なら普通郵便だから、速達など来ることはないはずだ。 中には、次のように書かれた通知と、いくつかの書類が入っていた。 『あなたは総合的にみて、ほぼ合格の水準に達していましたが、派遣国からの要請との関係で登録になりましたので、通知します』 『登録』〜?急いで同封書類を読む。要は、合格者に準ずる技術・経験はあったが、今回の募集要請にぴったり一致するものがなく合格にならなかったので、合格者に準ずる登録者として認定された…ということらしい。 登録に同意すれば、オファー合格及び合格者が辞退した場合の繰上げ合格の対象となるとのこと。オファー制度とは、登録者のリストを派遣希望国に提示し、相手側の希望に適合する人材がいれば、要請を出してもらうという制度だそうだ。 なお、登録には有効期間があって、2月20日から5月20日までの3ヶ月間のみである。 正直、不合格だと思っていたので、登録通知でいちるの望みが出たことは嬉しかった。けれど、みんなも“行きたい!”と熱望して受験しているはずだ。せっかく合格したのに辞退するだろうか…?また、オファーが来る可能性はどれ位あるのだろうか? 登録して派遣される可能性は高くはないと思ったが、それでも最後まで望みを捨てたくなくて、翌日には登録の同意書を送った。 それからまたかなりたって、JICAのホームページで今回の選考の最終的な結果を見ることが出来た。
40件の要請があったのに28人しか採用しなかったということは、要請にぴったりの人材がいなかったということで見送られたのだろう。それだけ厳しく、Only oneの人が求められているのだろうか…。協力隊に合格するということは、ただ単に経験・技術や健康体、人間性が求められているだけでなく、相手国との縁があるか…、というような気がしてたまらなかった。 果たして登録期間中に、私をOnly oneとして求めてくれる国が現れるのだろうか? |
||||||||||||||||||||
if もしも合格して派遣となったら 〜日本に置いていく大切なもの〜 | ||||||||||||||||||||
さて、『登録』ということで合格派遣ということにはならなかったけど、不合格でもないので、今後の展開次第ではどうなるかわからないという中途半端な状態になってしまった。 私の気持ち・希望としては、繰上げ合格でもオファー合格でもいいから派遣されたい、ここまで努力してきた結果を無駄にしたくないと思っていた。 登録の同意書は、結局自分1人の考えで送ったのだが、その前に一応、今回の結果と自分の意思は両親に伝えた。 しかし、一次選考合格の時とは違う思わぬ反応・両親の本音を知ることになる。…そう、反対(母親の)を受けたのだ。 私も協力隊受験を意識し始めた2003年の春よりずっと考えてきたことではあったが、しばらく協力隊のことで家中が苦しい思いをすることになった。 さらに私はこの重要な事実を、今までずっと隠してきた大切な人がいた。隠すつもりはなかったのだが、なんとなく話せないまま、ここまで来てしまったのだ。それは相手に対して失礼で不誠実なことだったのは百も承知である。けれど、もしも派遣されることになればいつかは事実を伝え、自分がどうしたいのかハッキリさせなければいけないし、相手の気持ちを汲んだ上で理解も得なければならない。 また、12歳になった愛犬・テツの存在も、自分の中ではずっと気がかりであった。 今まで全く考えてこなかったわけではない。 みんな自分にとって大切なものばかりであるし、協力隊受験を考え始めた時から自分の心の中で、今までの生活を選ぶか、大切な人達を残して協力隊参加するか…で随分悩んだ。 けれど夢を選択し、その実現に全力疾走して、自分にとって大切なものの存在としっかり向き合うことをおろそかにしてしまったのは事実だ。 登録になって中途半端な立場となると同時に、今まで向き合わなかった問題が一気に噴出し、しばらくドロドロの日々が始まることになったのである…。 そんなドロドロの日々を知りたい・読みたいという物好きの方はこちらへどうぞ |
||||||||||||||||||||
再起へ…(2004年3月〜5月) | ||||||||||||||||||||
登録期間の最初の1ヵ月は、まだ希望と気持ちに余裕があった。オファー合格もだが、繰上げ合格の可能性を期待していたからだ。 合格者は、合格を受けて参加するか辞退するか、同意書もしくは辞退届を提出しなければならず、その最終的な締め切りは3月上旬だった。だから、3月中旬位までは、ひょっとすると辞退者が出て繰り上げ合格するかもしれない…という期待があったのである。 けれど、何もないまま1ヵ月が過ぎ、気がつけばカレンダーは4月に入っていた。その頃になると、次第に焦り始めた。このまま登録で終わってしまうのだろうか…? もし、オファー合格にも繰り上げ合格にもならないまま登録期間が終わると、全てが白紙に戻ってしまう。 私は、協力隊を受験した平成15年度は某町役場の臨時職員として、保健師さん達と共に予防接種や検診の介助・健康相談等の仕事を行っていた。そして、協力隊に参加したかったので、3月で雇用契約を切る予定だった。 けれど、合格して行けるかどうかわからなかったし、私の後任の人材が見つからないので、行くかどうかハッキリするまでは出て欲しいと言われ、5月末まで雇用契約を結ぶことになっていた。 でも、このまま何もないまま登録期間が終了したら、仕事のことも含めて今後どうするのか…?色々考えて、選択肢は2つしかないと思った。 1つめは、協力隊の夢はきっぱりあきらめ、日本で地道に(?)働くこと。 2つめは、もう一度協力隊の選考試験に挑戦すること。 1つめを選択した場合、もう1つの夢であり希望でもある訪問看護師として働きたかった。 どこかの訪問看護ステーションに就職し、その地域に根ざして、病気や障害があっても在宅で、自分らしく生を全うしようと頑張る人達の生活を支援する看護をしたかった。それも実現させたい夢だ。 けれど、1年も前から自分が思い描いてきた協力隊という夢は何だったのだろう?ケニアで心を突き動かされ、何度も考え抜いた開発途上国で暮らす人達への想いは?1度ダメだったからといって、簡単に別の夢に乗り換えるほど大した夢ではなかったのか…? でも、次の平成16年度春募集で協力隊に再挑戦し、受かって派遣されるとなった場合、最短で今年12月の派遣になるが、1番遅い隊次での派遣となれば来年7月の派遣となる。そしたら、さらに1年以上待たなければいけない。その間に、自分を取り巻く環境がまた変わる可能性もある。 けれど、いずれも「…たら、…れば」話ばかりで、再受験したら合格するという保証はない。また登録になるかもしれないし、不合格の可能性だって十分ある。 今後の進路で迷っているうちに、4月10日、平成16年度春募集が始まった。 とりあえず願書だけでも貰おうと思い、4月13日、私は山口市にある県国際交流協会へと向かった。 事務室で、協力隊春募集の願書が欲しいと告げると、募集要項が置いてある図書資料室に案内される。少しして、Oさんという若い女性の国際協力推進員が来られ、「受験を考えられているんですね」と声をかけられた。 彼女は、私が初めて協力隊を受験するのに不安になっていると思われたようで、自分も協力隊OGで、チリで体育隊員として活動していたと話し、「人生のプラスになるから、頑張って受けてみてください」と言われた。 しかし、私はまだ再受験するとは決めていなかったので、自分の事情を簡単に説明した後、「正直迷っていて、受けるかどうか決めていない。また合格せず、時間の無駄になってしまうかもしれないし…」と答えた。Oさんは、去年、他職種だが登録になった人が、登録期間終了間際に合格して派遣された話をした上で、あきらめずに待ってみたらどうかと励ましてくれた。 そして、わざわざどこかに電話して、私が登録から合格に繰り上がる可能性を探ってくれた。けれど、その結果は芳しくなかった。登録といっても色々ランクがあるようで、登録通知の中に次回一次選考試験免除の書類が入っているのなら繰上げ合格等になる可能性が非常に高いそうだが、私はそんなものは受け取っていなかったからだ。 「でも、今回登録になったということは、たまたまあなたに合う要請がなかったから合格しなかっただけで、実力はあるから次に合格する可能性は高いと思うんですよ。あきらめずに待ち続けると同時に、次の春募集にも応募しておいたらどうですか?」と、Oさんに熱心に勧められるうちに、“もう1度、最初から頑張ってみようか…”という気持ちになってきた。 しかし、昨年の秋募集の受験体験を思い出すと、また一次選考からの出直しはしんどいなと思った。一次選考が通るという保証すらない。一次が通っても、また同じことの繰り返しになるのでは?という不安がかなりあった。その一方で、このままで終わらせたくない、という気持ちも強かった。 私の登録期間の終了と、16年度春募集の募集締め切りは同じ5月20日。このまま何も起こらない・何もしないまま登録期間を終えた時、自分は後悔しないだろうか? 本気で目指したことはあきらめきれなくて、もう一度だけ挑戦してみよう、そしてこれがダメだったら自分とは縁がなかったのだと思って、夢は夢で終わらそう…。春募集受験を決意し、応募願書を投函したのは4月の最後の日だった。 それから約3週間後の5月20日、何事もないまま登録期間が終了して、全てが振り出しに戻った。 |
||||||||||||||||||||